粘液
その頃、ナギサは次のフロアにて、一人の少女と対面していた。
「やっほ。サユリちゃんだよ!」
それが少女の第一声だ。ナギサは彼女を警戒しつつ、質問する。
「君は……ジョージの護衛かい?」
「ピンポンだよ! 正解したアンタには、死をプレゼントするんだよ!」
妙に好戦的な少女である。サユリは粘液を生み出し、ナギサの身を拘束した。
「おやおや……血気盛んだね」
彼女は今まさに、蜘蛛の巣にかかった虫のような状況にある。そればかりか、彼女の衣服は凄まじい勢いで発熱している。常軌を逸した熱に脅かされつつ、ナギサはその原理を分析する。
布や紙に垂らされた瞬間接着剤は、凄まじい勢いで繊維に浸透することによってその表面積を拡大させる。更には急激な硬化も相まって、繊維に浸透した瞬間接着剤は高熱を発するのだ。場合によっては、その温度は百度近くにまで達することもある。ナギサは今、動きを封じられている。その上で、彼女は全身を焼かれているに等しい状況なのだ。
そんな彼女の方へとにじり寄りつつ、サユリは笑う。
「うーん、美人ってなんかムカつくんだよ。綺麗な顔に生まれただけで、人生イージーモードなんだよ? 許せないんだよ!」
「それはどうも。お嬢ちゃんも可愛いと思うよ」
「お世辞なんて求めてないんだよ!」
サユリはナギサの顔面に手をかざし、掌から粘液を放つ。これにより、ナギサは呼吸も封じられる。この状況を脱する方法は、ただ一つだ。
「僕はこれまで、凶悪な悪人を何人も殺してきた」
「な……なんで顔面を固められているのに喋れるんだよ?」
「そして、僕はグリードだ。殺生を生業としてきたグリードが、どれほどの力を持つか……想像できるかい?」
彼女は強気な笑みを浮かべ、全身に力を籠めた。その身を拘束していた粘液は音を立てながら千切れ、ナギサは自由の身となった。その光景を前にして、サユリは取り乱すばかりだ。
「ありえないんだよ! 許せないんだよ!」
彼女は更なる量の粘液を生み出し、フロアを包み込む。ナギサは大きな荷電粒子の塊を生み出し、それを掌に収まるほどの大きさまで圧縮した。
直後、その場には激しい爆発が発生し、周囲の粘液を溶かした。
爆発に巻き込まれたサユリは、口から血を流している。一方で、体にこびりついた粘液を強引に引き剥がしたナギサも、全身を酷く負傷している状態だ。しかし彼女は、依然として妖艶な微笑みを浮かべている。
大量の陽子を圧縮した場合、そこには大きな斥力が発生する。そこに中性子が無い場合、その斥力を上回る「強い相互作用」は生じないため、この斥力を抑制する力は充分に働かない。ナギサはこの原理を利用し、爆発を起こしたのだ。
それからも二人の攻防は続いた。陽子の斥力による爆発も、粘液による硬化と発熱も、この戦いにおいて猛威を振るっている。
「君は何故、戦うんだい?」
「サユリちゃんは家族を人質に取られているんだよ!」
「そんな嘘……僕には通用しないよ」
このような緊迫した場面においても、ナギサの勘の鋭さは相変わらずだ。
「バレちゃったんだよ! 本当は、アンタと同じだよ! サユリちゃんは、お金が欲しいから社長の敵を殺しているんだよ!」
「同じにはされたくないものだね。君には美学が感じられないし、君のことは殺しても良さそうだ」
「殺生に、美しいも醜いも無いんだよ!」
両者は激しくぶつかり合い、その身を削っていく。二人は次第に息を切らしていき、意識も朦朧としてきている。サユリは立ち眩みを起こし、ほんの一瞬だけ千鳥足になる。ナギサは決して、この瞬間を逃すような女ではない。
「良い夢を」
彼女は指先から荷電粒子砲を放ち、サユリの額を撃ち貫いた。この一撃により即死したサユリは、その場に崩れ落ちた。