76話「どこかにいるよ」
まさか異世界で人生初の聞き込みをする羽目になるとは。そんなことを思いながら、俺は刑事ドラマでしか聞いたことがないような台詞を口にした。
「不審な人物を見かけませんでしたか?」
パーティー会場での聞き込みを行うにあたって、優先度が高いとされた容疑者三名。俺とイーザックさんの仕事は、まず彼らから話を聞いて、その証言の裏付けを取ることだった。
三人の証言をまとめると、こうだ。
「会場で何かを探している者を見かけたが……いや、彼は無関係だろう。ほんの子どもだったよ」
ルイスさんの先輩に言及したのは、クリストハルト・バルヒェット。二枚目風のイケメンで、爵位は公爵か侯爵か伯爵だ。そのどれだったかは定かではない。何しろネロトリアの貴族だけで百人以上が招かれているのだから。
考え込むように顎に手を当てる姿さえ様になる彼は、貴族というより役者と言われた方が納得できそうな風貌だった。
「長い白髪の、エルフの方でしょうね。妙に興奮した様子で双子の聖女様と一緒にいらっしゃいましたよ」
マカリオさんのことを言っているらしいのは、グステル・エーレンベルクだ。公爵か侯爵か伯爵の奥さんだと聞いている。いわゆる貴族夫人というやつらしい。
かなり身分の高い人であるはずだというのに、彼女を取り巻く視線はやけに遠慮がない。見たところ落ち着いた大人の女性ということ以外分からないが、家柄などの背景で何かあるのだろうか。
「あのシノノメの女は一体なんなんだ! 人前で突然脱ぎ出したかと思えば、初対面の男の体を触り始める始末……じ、実に、けしからん……」
ホノカさんの行動に憤っていたのは、アーブラハム・ハルツハイム。恰幅がよく、口には長方形に整えられた髭を蓄えている。
見た目や言動は軍人のような雰囲気だが、ここにいるということは彼も貴族ということでいいのだろうか。彼が貴族であろうと、軍人であろうと、俺にはそれらの身分の違いは分からないため、憤るアーブラハム氏を宥めながら話を聞くに留めた。
「どれだけ些細なことでも構いません。何か気になったことはありませんでしたか?」
次に尋ねたのは聞き込みの定番といってもいいこの質問。だが、返ってくる答えは三者三様、どれも興味深いものばかりだった。
「些細だなんてとんでもない、とても大きな出来事だよ! パーティーで可愛らしい使用人に会ったんだ。声をかけようとしたんだが、何かを探しているようで、足早に去ってしまってね。結い上げられた黒髪が美しかったんだ。彼女はこの城で働いているのかい?」
結い上げられた黒髪に使用人といえば、ハナさんだろうか。思えば支度のとき以来姿を見ていない。クリストハルト氏の証言通りなら、仕事中に何か物を無くして探しているということになる。途中で合流することがあれば、何を探しているのか聞いてみよう。
「ある程度は身元が割れる服装に身を包んでいますから、大胆な真似はできないかと。ですがもしそれを逆手に取って、自分が所属する国以外の色の服を纏っている者がいるとすれば、分かりませんね」
グステル夫人は気になったことはないと答えたものの、捜査において大きなミスを生みかねない先入観について指摘してくれた。確かにここにいるのはネロトリアの貴族ばかりで、他国の来客といえば聖女とその関係者くらいのもの。だが白い服に身を包んでいる人が、必ずしも全員ネロトリア人とは限らないのだ。
「気になったも何も、気になることだらけだ。正式な場であるにも関わらず、いるのは礼儀知らずばかり。食事の取り方から乾杯のときの立ち位置まで、何一つなっていない! 最近の若い者はこれだから……」
これまた憤るアーブラハム氏が言うには、パーティーでの立ち位置は身分の低いものが後ろに立つという暗黙の了解があり、その規則を知らず前へ出るものは自らが身の程知らずであると知らしめているのと同じことらしい。今回はそのマナーを知らない者が多すぎると言っていたあたり、身分に関するマナーから乾杯時に俺のそばにいた人間を洗い出すのは現実的ではないようだ。
「パーティーはどなたとご一緒に?」
続く質問は、犯行時そばに人がいたかどうかの確認だ。アリバイ、共犯候補という観点から、側に知人がいたかどうかは調べておいた方がいいらしい。
見たところ容疑者の三人の側に連れと思しき人間の姿はなく、どうやらそれも容疑者としての選定材料となっているようだった。
「妻と一緒に来ているんだが、あの件で気分が悪くなってしまったようでね。少し休ませているよ。ああ、さっきの使用人の話は内密に。ついでに水を運んでやってくれないかい?」
だが、意外なことにクリストハルト氏には奥さんがいるそうで、パーティーのときもすぐ側にいたそうだ。裏を取る必要こそあるものの、これまで周りに目撃者、さらにいえば顔見知りの可能性がある人間が大勢いる中でこうも大胆な嘘をつくとは考えにくい。
仮に俺が彼の立場で、かつ犯人だったとしても、ここで嘘をつくのは悪手だということはすぐに気付くはずだ。
「連れはおりません。先日、夫に先立たれまして。夫を亡くしたそばからこのような場で出会いを求めるなど……とも言われているようですが、聖女様にお目にかかる機会などそうないものですから。……ああ、そういえば、乾杯前にその件で少しご指摘をいただきました」
なるほど、どうやらグステル夫人を取り巻く視線の正体は、夫を亡くしたばかりの彼女が連れもなしにこの場に姿を現したことへの非難が込められていたらしい。
どこで何をしようと本人の勝手だと言い返したくなるが、世界が変われば価値観も変わる。ここは令和の日本ではない。日本では既に古臭いと一蹴される価値観も、この世界ではまだまだ現役なのだ。
「連れというわけではないが、会場でたまたま知人に会ってな。パーティーの間はその知人と共に過ごしていた。だがあの事件の騒動で、いつの間にか姿を消していて……待て、先に言っておくが、断じて嘘ではないぞ!」
ここに来て一気に疑いが深まったのが、アーブラハム氏だ。さすがにこの言い分は側から聞くと無理がありすぎる。しかしあまりにも無理がありすぎて、却って本当なのではとも思ってしまいそうだ。
それすら見越した嘘か、そうとしか言いようのない真実か。いずれにせよその知人とやらを探さないことには、それを判断することはできないだろう。
容疑者への聞き込みを一通り終えた俺たちは、会場にいる他の貴族に話を聞きつつ、証言の裏を取ることにした。
聞き込みの結果、クリストハルト氏に妻がいること、グステル夫人の夫が故人であること、アーブラハム氏が知人と話をしていたことの裏付けは取ることができた。それどころか、本来聞く必要のない眉唾物の噂もいくつか耳に入ってきたほどだ。
どれも捜査に役立つとは思えないが、念のため頭の中で聞き込みの成果を整理する。
遊び人のような容姿のクリストハルト氏には愛人の影が一切なく、よほど隠すのが上手いか、そうでなければ恐妻家なのではという噂があるそうだ。見かけによらず奥さん一筋という説が出ないあたりが、ゴシップ好きな貴族らしい。嬉々としてハナさんのことを聞いてきたことを考えると、その説はさすがに希望的観測が過ぎるのかもしれないが。
先日夫に先立たれたというグステル夫には、傷心中の彼女に近付いて夫の座を狙う者たち、今が好機とばかりに彼女やエーレンベルク家を陥れようとする者たちがハイエナの如く群がってきているそうだ。後半のくだりがただの噂に過ぎないことを願ってやまない。相手が貴族であろうと、大切な人を偲ぶ時間を邪魔されていいはずはないのだから。
アーブラハム氏は今でこそ気難しい老人という雰囲気だが、若い頃の彼はクリストハルト氏から女好きの要素を取ったような好青年で、硬派な男前と称されていたらしい。そんな彼には未だに根強いファンがいるようで、数十年前からずっと彼を推しているというご婦人からの熱烈な布教を振り切るのにはそれなりに苦労した。
改めて証言を整理してみても、犯人を特定できる手がかりは掴めそうにない。砂場を掘って、見つかるかも分からないビー玉を探しているような感覚だとため息をこぼせば、隣を歩くイーザックさんが視線だけで何かあったかと尋ねてくる。
「現状、犯人の断定に足る材料は揃っていないと言わざるを得ないね。全員怪しいといえば怪しいし、怪しくないといえば怪しくない、そんなところだ」
「犯人だろうとなかろうと、変に疑われる事態を避けたいのは皆同じだからね。疑念を持たれること自体が命取りになる世界となればなおさら慎重になる。証言から有力な手がかりを得るっていうのは望み薄かな」
イーザックさんも手応えは得られなかったようで、結局この一時間半ほどで得られた成果といえば、貴族相手の聞き込みが意味をなさないと分かったことくらいだ。
ここからは捜査のやり方を考える必要があるだろうかと思い始めたそのとき、不意にイーザックさんが耳に手を当て、誰かと話し始めた。
彼の右手中指には指輪がはまっており、どうやらそれが電話代わりの魔具らしい。
携帯電話と違って、魔石を取り付ければ様々な効果を持たせることができる魔具は、形にある程度の融通がきく。しかしこれでは着信に気付く手段がないのではと場違いなことを考えていると、不意に連絡を終えたイーザックさんがこちらを振り返った。
「連絡が来たよ。一旦戻ろう」
「戻るって、どこへ?」
「内部の容疑者たちを集めて、聞き込みをしてたんだよ。終わったって連絡が来たから、結果を聞きに行こう」
予想外の答えに、思わず演技も忘れて声を上げる。それから慌てて声をひそめ、不自然にならない程度に疑問を口にしてみた。
「ちょっと待って、ザック。今の三人が容疑者なんじゃなかったのかい?」
「外部犯の可能性が完全に消えたわけじゃないとはいえ、どちらかといえば可能性が高いのは内部犯の方でしょ。パーティーに関する情報を事前に集められるし、来賓が行かないような場所に行っても不自然に思われない。来賓が毒を盛るっていうのは現実的じゃないよ」
淡々と告げられた事実はどれも筋が通っており、今まで気付かなかったことの方が疑問に思えるほど。だが予め内部の容疑者を集めていたということは、少なくともイーザックさんは内部犯の可能性に気付いていたことになる。
まさか、今までの聞き込みは俺をやり過ごすための時間稼ぎだったのだろうかと思いイーザックさんを見やれば、返ってくるのは俺の考えを肯定するような苦笑い。
「まぁほら、彼らの中に犯人がいないとも限らないわけだし、どのみち証言は必要だからね。完全に無駄なわけじゃないって」
宥めるような言葉と、人を待たせているという事実に押されて、反論をする間もなくパーティー会場を後にする。
この中に犯人がいるかもしれないと、会場を出る前にパーティー客を振り返ってみても、華やかな会場から黒い悪意を拾い上げることは終ぞできなかった。




