66話「取り引きと勘違いのデセール」
「勘違いするな。お前のためじゃない」
ツンデレヒロインのようなセリフに思わず苦笑いをこぼしながら、アンネさんに上着を手渡し、近くに腰を下ろすよう促した。彼から預かった上着は決闘場に置いてきてしまったために返せなくなってしまったが、さすがに全身傷だらけの彼を上着もなしに立たせておくわけにもいかないだろう。
本当は回復魔法をかけて傷を治したいところではあるものの、さすがに今の今で回復魔法を使うのは恐ろしい。ベルガーの二の舞になったとしても、いつも通り幼児化したとしても、収拾がつかなくなりそうだ。
「『助ける代わりに言うこと聞け』だったよな。俺にできることならやってみるよ。何をしてほしい?」
渋るアンネさんが上着を羽織ったのを確認してから尋ねると、影は読めない表情でも分かるほどに不機嫌そうな声でこう答えた。
「影から、魔力受け取れ」
だが、提示されたのは理不尽な指示などではなく、それどころかこちらにとってメリットしかないものだった。助けてもらった借りがあるからにはかなりの無理難題をふっかけられてもおかしくないと思っていただけに、これには思わず拍子抜けしてしまう。
「それは……俺にとっても助かるし、断る理由はないけど、何でいきなり? 今までいくら呼んでも答えなかっただろ」
「影、お前のこと嫌い。わーって言うから、嫌」
驚きを隠せないまま質問を重ねると、影からは改めて聞くまでもない俺への印象が返ってきた。理由の説明は抽象的だが、いうまでもなく怒鳴りつけたときのことを言っているのだろう。
「あのときのことは本当に悪かったけど、それなら何で今回は助けてくれたんだよ。それに加護も。俺のことが嫌いなら、普通はもう二度と関わらないようにするんじゃないのか?」
「影はお前のこと嫌いだけど、光はお前好き。だから光が加護をお前にあげないために、影が加護をやったんだ」
「俺は椅子取りゲームの椅子か何かか」
早い者勝ちとでもいうように加護を与えたということは、光か影のどちらかが先に加護を与えてしまえば、もう片方は加護を与えることができなくなるらしい。属性と人格が異なるとはいえ、魔法の性質と個体は同じだからなのだろう。
だが、そうなると気になることがもう一つ。
「それ、光は怒ったりしなかったのか?」
「少し。でも、加護を与えなかった人間のことなんてすぐに忘れる」
気に入った人間を横取りするような形で加護を与えたとなると、俺を気に入っているという光はきっとかなり怒ったに違いないのだが、あの光なら少し時間が経てばいつもの調子に戻りそうではある。
手段としては本末転倒な気がするものの、光の別人格として長い時間を共に過ごしてきた影だからこそできることでもあるのだろう。
「じゃあ次は何で俺に魔力を与える必要があるのかだな。加護を与えてからもずっと無反応だったのは、加護を与えたからといって魔力を与えなきゃいけないわけじゃないからだろ? 俺からの呼びかけを完全に無視して、光からも影からも魔力を受け取れない状況にした方が、俺のことを困らせるにはいいと思うんだけど」
「お前のこと嫌い。人間も嫌い。でも加護を与えて魔力を与えないと、エルフになれない。だからお前を使ってやる」
相変わらずの上から目線な態度から飛び出したのは、聞き覚えのある理屈。思い返せば影が人間への苦手意識を克服しようとしていたのは、エルフになるために必要なノルマをクリアするためだったのだ。
── 「……魔力を与えないと、エルフになれない。人間じゃなくてもいいけど、人間は数が多くて弱いから、加護を与えやすい。だから影も人間に慣れないと、光もエルフになれない」──
それを踏まえて考えると、影のこの要求にも納得がいく。簡単にまとめるならば、これはいわゆる利害の一致というやつなのだ。
「じゃあつまり、影は光が俺に加護を与えないように加護を与えた。それで、どうせ加護を与えるならエルフになる上で必要な魔力供給の課題のために俺を利用しようと思ったってわけか」
「影はお前のこと助けた。だからお前は光と影がエルフになるまで、魔力を受け取れ」
ところどころ捻くれて分かりにくい言い方ではあるものの、内容は至極良心的で、俺からすると利しかない。絶体絶命の状況を救ってもらったことに対する対価としてはあまりに細やかな条件だったが、それはもしかすると影なりに以前アンネさんを悪く言ったことを反省しているからなのかもしれなかった。
現に、影はあれほど嫌っていたアンネさんを前に不快そうな顔をするでもなく、とことん無視を貫いている。好意的とまではいかないとはいえ、姿を見せることも厭うような真似はしないあたり、きっとこれも影なりの譲歩なのだ。
「分かった、じゃあ取り引きだな」
「トリヒキ?」
「取り引きっていうのは相手を助ける代わりに、相手からも助けてもらうことを言うんだ。お前は俺たちを助けてくれただろ。その代わりとして俺はお前から魔力を受け取って、お前がエルフになれるように手助けするよ」
雨降って地固まるとまではいかないものの、俺たちの間にあった確執は、お互いの歩み寄りによっていくらか和らぎ始めている。それがたとえ利害の一致による取り引きを経たものであったとしても、スタートがマイナスだったことを考えれば、かなりの進歩といえるだろう。
一つの和解の形として取り引きに応じる旨を伝えると、影は不機嫌そうに鼻を鳴らしてみせる。
「お前とのトリヒキは光と影がエルフになるまでだ。そこから先は知らないからな」
精霊がエルフになるまでどれほどの時間を要するのかは分からないものの、出来れば俺が生きている間はお世話になりたいところだと思いながら頷くと、影は吐き捨てるように魔力印を出すよう言ってきた。その単語を聞いたのもずいぶんと久々だったため、一瞬何のことか分からなかったが、左手首に精霊からの加護を得た証だというマークを刻まれていたことを思い出し、左手首を影に向けて差し出す。
すると影はそこにトカゲのような手をかざし、魔力を送り始めた。魔力印を通じて、手首に夏の木陰のような温度が流れこんでくる。注入される魔力が一種類というだけで、魔力を送り込まれるときの感覚はアンネさんから魔力をもらったときのそれによく似ている気がした。彼はれっきとした人間だというのに、おかしな話である。
精霊からの初めての魔力供給に新鮮な感覚を覚えながら、数十秒ほど沈黙が続いたのち、少し疲れた様子の影が手を離した。今の姿は恐らく影属性魔法に似た権能で作り出しているものであるため、顔色の変化などはないものの、動きからして明らかに生きが悪い。空中浮遊時の安定感もなく、どこかふらついたような状態で何とか滞空を続けているような状態だった。
「大丈夫か? 何か疲れてるみたいだけど」
「お前……器大きすぎて、影の全部がなくなっちゃう」
息も絶え絶え状態の影から言われて思い出したが、そういえば俺の魔力の器は常人より遥かに大きくできているのだ。いつも供給元が神か無属性魔法だったせいで忘れていたが、確かにそれだけの器を一度に満たそうとすれば、精霊の持つ魔力全てを吸い上げてしまいかねないのかもしれない。
精霊にとっての魔力がどれほど大切なものかは分からないものの、器を持つ人間ですら魔力なしでは生きていけないことを考えるに、精霊にとっての魔力はさらに生命維持に直結していそうだ。
もっとも影がそうまでして大量の魔力を俺に送ろうとしたのは、魔力供給のたび俺に会うのが嫌だったからと推察できるため、半分は自業自得のような気もするのだが。
「いくら会いたくないからって横着するなよ。無理のない範囲で、定期的に魔力供給よろしくな」
利害の一致で取り引きをしただけの関係とはいえ、俺への嫌悪感を隠そうともしない影に苦笑いをこぼしながら言うと、影は心底嫌そうなため息を残して消えてしまった。
正直、この先の影との関係に不安がないわけではないが、今それを考えたところで仕方のないことだと思い直したところで、後ろに控えるアンネさんがやけに静かなことに気付く。
嫌な予感を覚えてすぐさま振り返ると、アンネさんは最後に俺が見た姿から少しも変わらないままでそこにいた。楽にしていいと言ったにも関わらず背筋を伸ばし、ただ静かにこちらを見守っている。瞬きがなければまるで等身大の人形のようだという考えが頭を過ぎったことに気付き、慌ててその考えを打ち消してから彼に歩み寄った。
「傷、痛みますか?」
声をかけると、彼はようやく一呼吸。それからいつもの柔和な笑みを浮かべてみせる。
「いえ、大した怪我ではありません。ただ私は精霊からの印象がよくないものですから、取り引きに支障が出ないよう気配を消していた方がいいのではないかと」
気配を消すというのは少し大袈裟な気がしたが、以前影がアンネさんのことを「汚い」とまで言っていたことを考えるに、存在を認知されるとあまりいいことがないというのは本当なのだろう。
他の精霊のアンネさんに対する印象が影と同様であるとは限らないものの、それ以上のマイナスな感情を向けられていないとも限らない。とはいえ護衛として俺のそばを離れるわけにはいかない以上、彼にできるのはそれこそ気配を消すことくらいだったのかもしれない。
そうはいっても手当てくらいはしてほしかったところだと、放置された傷跡を見てため息をついた。上着が汚れることを気にしてか、傷口に触れないように上着を羽織っているせいで、見える範囲だけでも血が滲んでいたり肉が抉れていたりと大変グロテスクである。日本での生活で平和ボケ気味の俺には少々辛い。相手がアンネさんともなればなおさらだ。
「回復魔法はあんな感じなので使えませんけど、手当てくらいはした方がいいんじゃ……」
「それはイーザックへの連絡を済ませた後にしましょう。このままではどのみち潜入捜査の続行は難しそうですので、脱出の手立てを探るべきです」
アンネさんからそう言われ、置き去りにしてきた状況が何一つ解決していないことを思い出す。邪属性魔法の使い手に関する噂を検証しにきたはずだというのに、気付けば俺自身がその噂の発信源になりそうな事態になってしまった。
まだまだ学びたいことはあったものの、こうなった以上は仕方がないと思い、後ろ髪を引かれながらも音響の魔具を取り出す。
「イーザックさん、レオです。聞こえますか?」
アンネさんが教室の入り口に消音の魔具を仕掛けてくれたのを確かめてから、音響の魔具越しに呼びかけると、少しのノイズの後に応答があった。さすがにこれだけ早く連絡が来るとは思っていなかったのか、魔具越しに聞こえる声はどこか意外そうである。
『あれ、聖女様? どうなさいました?』
「いろいろあって潜入捜査を続けられそうにないので、迎えの馬車をお願いできますか? それから傷の手当てができる道具も。フィリップさんが怪我してるんです」
『分かりました。すぐに手配するので少しお待ちください。下宿先から馬車がお迎えに上がります』
俺たちにとってはかなり予想外な状況にも関わらず、イーザックさんはやけに落ち着いている。問題を起こした張本人である俺がいうのも何だが、事態発覚から対処までが早すぎるのではないだろうか。これではまるで問題の発生を予見していたようだというところまで考えて、ふとある可能性に思い至った。
「……話が早くて助かりますけど、もしかしてわたしが何かしでかす前提で準備してました?」
「はは、まさか! 遅かれ早かれこうなるだろうと思いつつ様々な可能性を考慮して策を講じていただけですよ!」
「それもう自白ですよね毎度すみません!」
もはやイーザックさんを始めとした聖騎士から見た俺のイメージは公務のたびトラブルを起こす問題児で確定しているらしく、イーザックさんの言葉からは朗らかな苦労が滲んでいる。悪気があってこのような事態に発展させているわけではないとはいえ、毎度後始末をしてくれるイーザックさんには本当に頭が上がらない。
「あと、肝心の邪属性魔法の使い手については結局何も分からずじまいでした。結構いろいろ調べても噂すら掴めなかったので、再調査が必要だと思います。その場合はまた顔と名前を変えて潜入ってことになりそうですか?」
噂の検証のためには聖属性魔法が必須とはいえ、もうこの学園でリオン・シーエルドの身分は使えないだろう。となるとほとぼりが冷めるのを待って再潜入する形になるのかと思い尋ねると、魔具越しのイーザックさんは暫し沈黙し、それから何かを思い出したように声を上げた。
『……ああ〜! それについては……ちょっと申し上げにくいんですがねぇ』
本当に言いにくそうにそう切り出したイーザックさんは、潜入捜査に関して伝えていなかった事柄について、少し回りくどい表現を用いて話し始める。しかしあまりに遠回りな表現で彩られたその言葉の真意を読み取るのは難しく、結局何が言いたいのかと尋ねたところ、イーザックさんは「要するにですね」と前置いて、話の内容を簡潔にまとめてくれた。
「……潜入先を間違えたぁ!?」
ここに来て思わぬ展開に思わず声を上げれば、側に控えるアンネさんも驚いたようにこちらを見つめた。潜入捜査の準備段階については俺も詳しくないが、潜入に当たっては偽るための身分の用意や偽の手続きなど、多くの段階を踏む必要があるはずだ。その全てで潜入先を間違えたまま計画を進めたというのはおかしな話のようにも思えるが、そうだとするなら邪属性魔法の使い手に関する噂すら掴めなかった理由にも納得がいく。
始末書では済まないレベルのミスをしでかしたイーザックさんだが、魔具越しに聞こえる声はことのほか明るかった。
『いやぁ、本当に申し訳ありません! 邪属性魔法の使い手に関する噂が流れたのは別の学校だったようでして。そちらは既に検証と対処が済んでいるので、そのままお帰りいただいて問題ありませんよ〜』
「『ありませんよ〜』じゃないでしょ……じゃあこれまでの苦労は何だったんですか! 潜入捜査を続けるために決闘にまで参加したのに!」
『ええ、聖女様には本当にご迷惑を……どうしてそんなことになるんです?』
当然のように飛び出した疑問に対し、果たして何からどう説明したものかと頭を悩ませていると、脇にいたアンネさんが音響の魔具を引き取り、イーザックさんの問いかけに答えてくれる。
「詳しい事情は帰った後に話す。フランツェスカにも撤収の旨を伝えておいてくれ」
『分かった。じゃあ二人が今いる場所を教えてくれる? フランは少し遅れて撤収になると思うけど、馬車が到着する場所までは彼女に案内してもらうから』
「場所は東校舎二階の資料保管室だ。それと、イーザック」
いつも通りのコンビネーションで早々と業務連絡を終えたアンネさんは、最後に一言、少し真剣な表情でこう付け加えた。
「帰ったら話がある」
話というのは、どう考えても今回の潜入捜査の件だろう。今回の潜入捜査で得られるものは多くあったが、起こした問題は看過できない。俺自身も何度か危険に晒されたことを考えるに、アンネさんがこのまま黙っているとも思えなかった。穏便に話し合いで済むならいいのだが、アンネさんの口より先に手が出る性格を考えると、そうもいかないかもしれない。
「殴ったらダメですからね」
「それはイーザック次第です」
『僕たち本当に友達なんだよね!?』
友人というより拷問相手に対して放つような言葉に、魔具からはイーザックさんの悲鳴が聞こえてくる。俺としてもできるだけ話し合いで解決するよう便宜を図りたいところだが、俺にアンネさんをコントロールする力がない以上、彼らの友情に賭けるしかないだろう。
『まったく……それでは聖女様、最後までお気を付けて!』
そう言い残したきり魔具は静まり返り、教室には俺とアンネさんのため息が溶けていく。
こうして、俺の学園生活リベンジマッチは早々に幕を閉じてしまったのだった。




