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65話「変身と変装のアントレ」中編

 痺れ薬の効果で興奮状態に陥ったベルガーの突進を受け、ハルフリーダが礼央様を引っ張って下がらせたのを確認しながら回避。どうにか直撃は免れたが、先ほど食らった魔法で麻痺が出ているせいもあり、体が思うように動かせない。これでは素手で攻撃を仕掛けるのはおろか、石造りの格子にヒビを入れるようなあの攻撃を避けるだけで精一杯だ。相手が人間より遥かに高い身体能力を持つ人狼となれば、無理もないだろう。


「アンナ様、ご無事ですか!」

「下がっていなさい!」


 格子の向こうから声をかけてきたハルフリーダを一喝し、そのまま後方へ飛びのいた直後、先ほどまで私がいた場所には、ベルガーが落とした拳によって手のひらより一回り大きなくぼみができていた。


 ネロトリア出身者の制服を着ていたせいで、相手が亜人である可能性については考えていなかったが、元々ネロトリアは移民によって構成された国家である。そのことを踏まえて考えれば、人狼が移り住んでいても不思議はないかもしれない。


 それでも、ネロトリアにおいて亜人の存在が稀有なことは事実だ。だからこそ彼は入学してからの一年と少しの間、周囲の誰にも自らの正体を明かさず、学内の全ての情報を握っているといっても過言ではない情報屋にさえ手掛かりを掴ませないまま、人間として学園生活を送ってきたのだろう。


 これが亜人人口の多い隣国のコルトリカであれば違ったのかもしれないが、そのコルトリカにいられない事情でもなければ、わざわざネロトリアにやってくることはないはずだ。この学園にいる者は、誰もがそれぞれの覚悟を持ってここにいるらしい。


 ここまで隠し通してきた彼の秘密を暴いてしまったことは申し訳ないが、各々の秘密のため、負けるわけにいかないのはこちらも同じだ。何とか攻撃の隙を見つけなければと相手の動きを観察しながら、大きく弧を描くようにして振るわれた腕をかわす。興奮しているせいで攻撃そのものは単調だが、一撃一撃の重さは人間の比ではない。現に今の一撃が掠った決闘場の地面は、抉られたような痕が残っている。まともに食らえば腕の一、二本は簡単に持っていかれるだろう。


 近距離での戦闘は悪手。となれば先日イーザックに頼んだ遠距離攻撃用の魔具を出すしかないと判断し、収納の魔具から鞭型の魔具を振るう。柄の部分にある魔石を通して電流を伴ったそれは、どうやらそれなりの効果をもたらしたらしく、ベルガーは獣じみた悲鳴を上げ、痛みを振り払うように頭を振った。このままいけば徐々に相手を弱らせることもできるかもしれないと踏んだ私は、ベルガーの足元に叩きつけた鞭を、そのまま彼の顎めがけて繰り出す。続けて右腕、左肩に攻撃を当てると、痛みの元が鞭であると気付いたらしいベルガーは白く光る鞭を掴むが、直後に流れた電流によってすぐさま鞭から手を放してしまった。


 亜人相手となれば、まともに拳でやり合うよりも魔具を使っての攻撃の方が効果があるらしい。人間の学生が相手ということで、そこまで攻撃的な魔具を使う必要はないと踏んでいたが、結果としてその魔具に助けられることになるとは思わなかった。


 体力勝負に持ち込まれてはこちらがやや不利になるため、早いところ決着を付けようと鞭を振るったその瞬間、飛行の魔具を破壊したあの閃光によって、魔具の源である魔石はあっけなく破壊され、ついでに右手の麻痺が強まる結果となった。ただでさえ制限が多い状況に直接的な妨害工作が加わったことでさらに不利になった状況下、思わず貴族令嬢らしからぬ舌打ちと共に鞭を投げ捨てる。


 しかし審判の介入が予想外だったのはトラレスも同様らしく、場外のトラレスはベルガーに対する叱咤をやめ、審判である妹のエルフリーナに異議を唱えているようだ。


「エルフリーナ、いい加減にしろ! それはトラレス家の者として恥ずべき行為ではないのか!」

「審判の私が手を下すはずがないでしょう、お兄様。仮に手出しをしたとしても、今の私はヘンリー・トラレスの妹、エルフリーナ・トラレスですわ。妹が兄の手助けをして何がいけないのかしら」


 決闘場の外で繰り広げられているトラレス兄妹の口喧嘩など意に介さず、ベルガーは決闘場を揺るがす雄叫びを上げながら攻撃を繰り出してくる。魔法ではなく物理攻撃を用いる相手は本来私にとってやりやすい相手のはずだというのに、相手との身体能力の差に加えて麻痺がある今、不利なのは圧倒的にこちら側である。


 地面に叩きつけるようにして繰り出された右腕を回避し、薙ぎ払うような形でこちらに向かってきた左腕は右側に避けて逃れた。だが背後から迫る右腕からはさすがに逃れられず、左の二の腕に焼けるような痛みが走る。見れば爪が掠った二の腕の肉が軽く抉れていたが、止血のために止まっている余裕はない。痺れの残る体に鞭を打って後退し、ベルガーから距離を取った。その間にも、場外ではトラレス兄妹の言い合いが繰り広げられている。


「俺の手助けだと? お前は家の面子を守るためにやっているだけだろう」

「面子は大切よ。家の信頼に関わるんですもの。もっとも、お兄様がトラレス家の名を貶めるような決闘を持ちかけた挙句に追い込まれるようなことがなければ、私が奔走する必要なんてなかったでしょうけれど」


 ヘンリー・トラレスの妹だというエルフリーナ・トラレスが介入してきたのは、彼女が言うように家の面子を守るためなのだろう。トラレス家にとって、私とヘンリー・トラレスとの婚姻に利はない。だがそれでもこの決闘での勝利にこだわる理由があるとすれば、ただただ決闘での敗北という不名誉を被りたくないからというだけなのだ。権力や積み重ねてきた歴史の分だけ、他家からの評判を気にせざるを得ない。だからこそ手段を選ばず、些細な懸念事項に対しても全力で潰しにくる。本当に厄介極まりない身分だ。


「決闘での不正が暴かれれば、家の名に泥を塗ることに変わりはない。それを理解しての行いか」

「不正とおっしゃるけれど、一体どこに証拠があるというのですか? まさか、ご自分の証言が不正の証拠になるとでも思ってらっしゃるの? 勝っても負けても家にとって損しか生まない決闘を持ちかけた四男の言葉より、愚兄の不始末を巻き返した長女の言葉の方が価値を持つことは明白ですわ。それを理解してのお言葉かしら」


 トラレス兄妹が言葉の応酬を繰り広げる間にも、ベルガーの興奮状態は依然として続いている。二足歩行を保ったまま上半身が獣の毛皮に覆われた彼は、私の知る人狼とは少し違った姿をしているようだ。人狼といえばアレクサンドラ様の執事であるルイスさんもそうだが、彼は本気を出せば一匹の狼に変身することができると聞いたことがある。もしかすると一口に人狼と言っても、血の割合などによって変身時の姿に差が出るものなのかもしれない。


 咆哮と共に大きく口を開けたままこちらへ突進してくるベルガーを避け、右肩に牙が掠めるのも構わず首元に剣を突き立てる。しかしさすがに木でできた剣では大した攻撃にはならないのか、却って大ぶりに振られた頭によって吹き飛ばされてしまった。


「いけ! やっちまえ!」

「降参しろ!」

「面白くなってきたなぁ!」


 格子に叩きつけられた背中の向こうからは、観客の声援が聞こえている。トラレス側に賭けている者が多いということもあり、ベルガーに向けられた声援の方が圧倒的に多いようだ。彼が人狼であることは情報屋すら掴んでいなかったというのに、興奮状態の人狼を前にしても狼狽える者はいない。目の前で一人の人間がここまで追い込まれていても、自分たちの元に災いが降りかかることなどあり得ないと思っているらしい。


 幸いにしてまだ致命傷は負っていないものの、麻痺や二の腕と肩の負傷により、武器を振るうのがさらに難しくなってきた。収納の魔具から取り出した武器は、出した途端にエルフリーナに壊されてしまう。今ある訓練用の剣も、果たしていつエルフリーナによって破壊されるか分からない。持っていたところでベルガーに大した打撃を与えられるとは思えないが、それでもないよりはましだった。


 未だ興奮が収まらないらしいベルガーは、薙ぎ払うようにして大ぶりに腕を振る。単調だが重い一撃を避けるべく後ろへ飛び退くが、着地地点がベルガーの攻撃によって抉れた地面だったことで、一瞬ではあるものの体の均衡を崩し、左の脇腹に攻撃を食らってしまった。


 勢いよく振るわれた腕に吹き飛ばされた先で体勢を立て直し、なけなしの武器を構える。左腕、右肩、左脇腹、背中の打撲。決闘に際して負った傷はいよいよ看過し難いものとなり、制服の破損箇所も次第に大きくなってきている。これは一か八かでも勝負を決しなければ、潜入捜査の失敗どころか、性別の露見という最も避けるべき事態にまで発展しかねない。


 学生相手とはいえ、もう手加減はできないと判断し、先ほど投げ捨てた鞭型の魔具を拾い上げ、素早く相手の背後に回り込む。体の痺れは残っているため普段通りの動きはできないが、興奮状態と大きな体のせいで動きが鈍いベルガーに対しては十分な速度だ。


 制服のズボンから伸びる尾を思い切り踏みつけ、のけ反った首に後ろから縄のように鞭をかける。このまま鞭を握った状態で相手と背中合わせになり、体重をかけながら鞭を下に引こうとした、そのとき。


「アンナ!」


 歓声を断ち切るようにして聞こえた声に振り返ると、そこにあったのはこちらに銃口を向ける礼央様の姿。あれは確か、潜入捜査前にフランツェスカから預かっていた、魔力装填式銃だっただろうか。今の礼央様が使える魔法といえば無属性魔法くらいのものだが、それは魔具を介さず堂々と使える魔法の話であり、彼にはもう一つ、とっておきの魔法があるのだ。


 彼が何をしようとしているのかを理解した次の瞬間、決闘場に響き渡る一発の銃声。争いを厭う彼が放ったその弾丸は、彼の意思を表すかの如くまっすぐ突き進み、この決闘を終結へと導く合図となったのだった。


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