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64話「影と黄昏のソルベ」


 何段階かある最悪のうち、下から三番目くらいの、まだいくらかマシな最悪具合だと思う。どうにか事態を前向きに捉えようとしても、それくらいが限界だった。


「戦闘に使える魔具をいくつか寄越せって……」


 二日ほど前、トリス学園に潜入中の友人が寄越した連絡を思い出し、聖騎士団本部のひと気のない廊下で壁に寄りかかりながら、密かにため息をこぼす。


 潜入捜査に差し支えないよう、連絡は最小限に留めるよう言ってある。そのため魔具が必要になった経緯について聞き出すことはできなかったものの、要請の内容から推察するに、あちらは随分と厄介な状況に置かれているらしい。あの人選ではさもありなんという気もするが、あのフィルがこちらに物資供給での応援を要請するとなると相当なのだろう。


 例えば、聖女様が学園内で誘拐されたとか。


 例えば、フィルが妙な難癖をつけられて乱闘に発展しかけているとか。


 例えば、フランが正体を見抜かれたとか。


 とりあえず考えられる最悪の可能性をいくつか列挙してみたものの、結局はどれもあり得ないことだと首を横に振った。


 普段ならばまだしも、今の聖女様はトリス学園の一生徒であるリオン・シーエルドだ。貴族の分家の養子である彼を誘拐する人はいないだろう。


 同じ理由で、フィルに難癖を付ける人間がいるとも思えない。女装が完璧すぎて、今の彼はなかなか近寄りがたい雰囲気を放っている。普通の人間なら声をかけるのにも勇気がいる風貌だ。乱闘騒ぎに発展する前に鎮火できそうな勢いである。


 フランが正体を見抜かれるというのは、それこそ起こり得ない可能性だ。フランはこれまでに何度も潜入捜査を担当しており、魔法だけでなく潜入の技術も他の聖騎士と比べて頭一つ抜けている。フラン自身が正体を明かしたならともかく、他人から暴かれることはまずない。下手をすると、同じ場所に潜入している聖女様とフィルすら変装した彼女の正体を見抜けていない可能性すらあるだろう。


 だからきっと、大丈夫だ。フィルが戦闘用の魔具を寄越すよう言ったのも、きっと護身のために違いない。潜入先が魔法学校とあっては、魔法を使う相手に対抗するための手段がほしいのだろう。何せ同行者はあの聖女様だ。いずれ大なり小なり問題を起こすであろうことを考えると、魔具の一つや二つ持っておくに越したことはないというのは最もな理屈であるように思えた。


 あちらにはフィルがいて、フランがいる。そしてこれまでいくつもの問題を起こしながら、思いもよらない手段で解決してきた聖女様がいるのだ。彼らがいる限り、あちらで僕が想定するような「最悪の最悪」は起こり得ないはずだと自分に言い聞かせ、食事を拒む口に無理やり携帯食料を押し込んだ。


 最悪中の最悪を避けるために奔走し、気付けば足元に伸びる影は随分と長くなっている。聖女様からはきちんとした食事を摂るよう釘を刺されているというのに、ついまた昼食を抜いてしまった。近頃は単純に時間がないというより、食べる気が起きないのだから、どうしようもない。


 ひとまず携帯食料一つくらいは腹に入れなければと意気込み、残りの携帯食料を無心で消費していると、何やら僕を探しているらしい同僚と目が合った。


「ああ、イーザック。悪いが少し来てくれ。団長が次の公務について話したいと」

「公務って、聖女様の? 今はそんなことしてる場合じゃないと思うけど」

「今だからこそ必要なんだそうだ。慣習としてではなく、他国との交流の場としてな。特に今はそうした名目なしに他国と接点を持つことが難しい状況にある。使えるものは何でも使いたいとのことだ」


 同僚からの報告を受け、どうやらネロトリアもなりふり構っていられなくなってきたようだと思いながら、つきかけたため息を封じるように残りの携帯食料を平らげ、同僚の後について団長室へ向かう。


 窓の外の日は傾き、一日の終わりが近付いていることを知らせていた。潜入中の三人はとうに授業を終えた頃だろう。聖女様とフィルなどは、真面目に邪属性魔法の使い手に関する噂を探っている頃かもしれない。あの二人ならその途中で何か別の問題を引き起こしそうなものだが、そこはフランがどうにかしてくれるはずだ。そう願うしかない。


「飯時に悪いな。ここのところ働き詰めだろう」


 どこか疲れたような声で言う同僚の隣を、別の聖騎士が慌ただしく通り過ぎていく。今のこの状況下、聖騎士団本部でのんびりと食事を楽しむことができる人間などいないだろう。


「いや、気にしなくていいよ。食欲もなかったから」

「気持ちは分かるが、そんなんじゃこれから持たないぞ」

「ごもっとも。家畜の餌でも何でも、食べるものがあるうちに食べておかないとね」


 家畜の餌という言葉に分かりやすく疑問を覚えたらしい同僚がこちらを振り返るが、それについて説明するためには、まず以前聖女様が街へ出かけたときの話から始まり、携帯食料での食事をとがめられたことまで話さなければならないため、肩をすくめて誤魔化しておいた。


 聖女様が来たことで、様々なことがいい方向へと進んでいる。国防や作物の供給は安定し、この国は様々な意味で強くなったといえるだろう。


 だが、聖女とは強大すぎる存在感ゆえに、国家に対していい影響だけでなく悪い影響ももたらすものだ。今はまだ待望の聖女に沸いているこの国が、今後も聖女の存在を好意的に捉えることができるかどうかは、僕たちの働きにかかっている。


 気を引き締めなくてはならない。聖騎士としての役割だけではなく、何も知らない彼女を異世界から呼び出した責任が、僕たちにはあるのだから。


「団長、フォーゲルです。招集に応じ参上いたしました」


 団長室前に到着し、ノック代わりに名を名乗ると、扉の向こうから短く入室の許可が下りた。扉越しでも分かる緊張を帯びた声に背筋を伸ばして中に入れば、同じように集められたと思しき聖騎士数名と、剣呑な表情の聖騎士団団長が迎えてくれる。


 いつも通り公務の内容を知らされるだけだというのに、今回に限っては妙に胃が痛い。それが団長室を取り巻く空気のせいなのか、それともネロトリアを取り巻く情勢のせいなのかは、考えるまでもないことだった。


 様々な意味で前線に立ち、きっと誰よりもそのことを理解しているであろう団長が、重苦しい顔で口を開く。


 いずれ来る最悪を避けることができないのなら、最終的に至る結末が少しでもマシなものであればいいと、願ってやまない。


 沈む夕日も、僕たちも、後戻りができないのは同じなのだから。


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