61話「道楽と噂のオードブル」
「そろそろ来ると思ってたよお」
学園の中庭にある大木の陰。もはや定位置となっているらしいそこに、いつかと同じような足取りで近付いていくと、木の根のそばに腰を下ろしていた情報屋が顔を上げた。
「大変なことになってるみたいだねえ。シーエルド君とトラレス君が決闘するんだって?」
さすがと言うべきか、既におおよその情報は手に入れているらしい。相変わらずの耳の早さだが、もはや驚くこともなかった。学園内のみ通用する名とはいえ、伊達に情報屋を名乗っていないということなのだろう。状況によっては厄介にも思える情報屋の存在だが、今回ばかりはその目敏さと情報収集の迅速さが有難い。
「まさか学園側が生徒同士の決闘にも口を出さないとは……もはや無法地帯ですね」
「決闘の規則については校則で定められてるけど、それも要は『殺さない程度にやれ』としか書かれてないからねえ。決闘そのものを禁止してるわけじゃないみたいだよお。大方、卒業生が決闘騒ぎになったときにその家から圧力がかかって、校則経由で正当化されたとか、そんなところじゃないかなあ」
当然のように言う情報屋の言葉を聞き、思わずため息をつく。後のことを考えれば学園にとって大きな問題になりかねない事柄であっても、学園側は沈黙を守るばかり。問題が揉み消しきれないほどに肥大化したとしても、学園に関わる家の力をもってすれば容易く解決できるとでも思っているのだろうか。
学園側に対する疑念は尽きないが、今それを考えたところで状況が覆るわけでもない。とにかく今は情報屋から有益な情報を得ることだけを考えるべきと判断したところで、情報屋が大きく伸びをしながら立ち上がった。
「さて、じゃあまずは君が知ってる情報について教えてくれる? 今、学園内はシーエルド君とトラレス君の決闘の噂で持ちきりだからねえ。決闘とか、シーエルド君に関する情報は高く買うよお」
さすがに今回はこちらから提供する情報の種類も指定されているらしい。仮にその他の情報について明かしたところで二束三文の明かし損にしかならないことは明らかであるため、そのことを教えてくれるだけ良心的と捉えるべきだろうか。
「ではまず、決闘の経緯から……」
「ああいや、そこはもういいよお。噂には多少尾鰭が付いてるけど、どこまでが本当かの裏付けは取れてるからねえ」
さすがの情報の早さ、そして正確さに感心していると、情報屋は注目を集めるように人差し指を立て、情報屋が掴んでいるという決闘の経緯について簡単に話し始めた。
「決闘を持ちかけたのはヘンリー・トラレス。要求は君の婚約者の座だった。君が自分より強い人としか結婚しないって言ったから、強さを示すために君の婚約者を倒そうと思ったんだねえ」
ここまではいっそ不自然なまでに間違いがない。情報屋のやり方を考えるに、あの場にいた誰かが情報屋に情報を提供したと考えた方がいいだろう。この学園にいる人間の多くは噂好きと聞いていたが、まさかここまでとは思わなかった。
「そこでスウォルドさんは決闘に際しある提案を持ちかける。内容は『決闘は三人制にすること』だった……決闘は明後日の放課後、一人の女子生徒をめぐり、男子生徒同士の熱き闘いが幕を開ける──っていう記事が、学園新聞の一面を飾ってるよお」
「昨日の今日で……人を何だと思っているのですか」
「どっちが勝つのかで賭けてる人も結構いるみたいだねえ。今のところどっちに多く賭けられてるか、知りたい?」
情報屋からの提案を適当に断って話題を変える。興味がない話題について必要のない情報を聞き出していては、時間と対価となる情報の無駄だろう。こうしてこちらが興味を持ちそうな話題の存在を示して情報の対価を得るのも、情報屋のやり方なのだ。
「こちらはどのような情報を提供すればいいのでしょう。私に話せる限りのものであればお話ししますが」
「学園中に噂が広まってるからねえ、君たちに関する情報を買いたい人は結構いるよお。君が来たら聞いておいてほしいって言われた質問がいくつか来てるから、答えられるものだけでも答えていってねえ」
既に他者からの質問が来ているというのは妙な感覚だが、前回同様質問に答えていくやり方の方がこちらとしてもやりやすい。答えられるものだけとは言うものの、全ての質問を撥ねつけていては得られるものも得られないため、なるべく機密に触れない範囲でこちらの情報を提供しなければ。
そう意気込む私に対して投げかけられた最初の質問は、こんなもの。
「トラレス君とシーエルド君、結婚したいのはどっち? 金貨五枚」
「……その金額は、もしやこの情報の価値ということですか? 気心の知れた相手の方が結婚には向いていると思います」
「いや、この質問してきた人たちが提示してきた金額の合計。シーエルド君のことどう思ってる? 銀貨六枚」
「人を何だと…………いつも人のことばかりを気にして、自分のことは疎かになりがちな人です。その優しさは美点ですが、時折危うくもあります。幼馴染であるかどうかは関係なしに、誰かが見守っていなければ無茶をしそうで、放っておけない人です」
「銀貨二枚追加」
「……何故追加したのですか?」
「需要があるからだよお。もし自分が結婚を申し込んだら受けてくれますか? 金貨十枚」
「聞く前に名を名乗れ」
「スウォルドさんって結構はっきりしてるよねぇ」
褒められているとも貶されているとも取れる言葉だが、どちらでも構わない。潜入捜査にしろ日常生活にしろ、仕事をするにあたって差し支えない程度に友好な関係を築くことができていれば、それで問題はないのだから。
だからこそ、情報屋の口から飛び出した次の質問には、少々困ってしまった。
「シーエルド君とは恋愛結婚? 政略結婚? 金貨十五枚」
思わぬ質問に、暫し考え込む。数日前、情報屋と会った際にも似たようなことを聞かれたが、その際には政略結婚したところで何にもならないと答えてしまった。しかし想い人がいないということも伝えてしまっているため、どちらの選択肢を選んでも辻褄が合わなくなってしまうのだ。そのことに気付かない情報屋ではないが、トラレスのことを考えると結婚そのものが嘘だと明かすわけにもいかない。果たしてどうしたものだろうかと頭を悩ませていると、不意に情報屋が口を開いた。
「まあ、君たちの婚約の話が出まかせだっていうのはこっちも知ってるからねえ。そこまで深く考えなくていいよお」
当然のように飛び出した言葉に、どこかで口を滑らせたのかと記憶を辿ってみるが、心当たりといえばトラレスに求婚される前の礼央様とのやり取りくらいのものである。あのときはまさかその直後に結婚を申し込まれるなど考えてもみなかったとはいえ、さすがに周囲の目がある中でその話題について触れるのは迂闊だっただろうか。
「それが分かっているなら、この質問は意味をなさないのではないのですか?」
「この情報を買う人たちはね、君たちが結婚しようが何しようがどうだっていいんだよお」
ますます意味が分からないと思いながら情報屋を見やると、情報屋はどこか楽しそうな表情で中庭を取り囲む校舎に目をやる。視線の先では、貴族家の令嬢や令息などが噂話の種を探して耳をそばだてているのだろうか。
「日頃から懇意にしている名家の分家同士の婚約。片や元平民のシーエルド家養子、片や分家とはいえスウォルド家の一人娘、本来であれば絶対に結ばれるはずのなかった二人を結びつけたのは、運命のいたずらか、それとも両家を取り巻く陰謀か……そんな妄想をあれこれこねくり回してる時間が一番楽しいんじゃないかなあ」
人を、何だと思っているのか。
今日三度目になるその言葉を口にしかけて、やめた。
一介の聖騎士である私はともかく、礼央様は仮にもネロトリア王国聖女という身分であり、それこそ貴族程度が勝手な噂を吹聴していい存在ではない。だがそれを彼らに伝えたところで、学園中で囁かれる噂がさらに白熱するだけなのだろう。
トリス学園の情報屋として、顧客の需要を誰よりも熟知している情報屋は、どこか楽しげとも取れる笑みを浮かべてみせる。情報屋からすれば、今ほどの書き入れ時はそう訪れない。今のうちに出来るだけ多くの情報を仕入れて、後々役に立ちそうな情報を対価として得ておきたいという顔だった。
「情報を買う人は自分が信じたいものを信じる。今回の場合も、スウォルドさんを巡るシーエルド君とトラレス君の戦いを見たいんじゃない。一人の女子を巡る男子同士の争いだとか、許嫁である男女の関係だとか、そういう部分にある物語を見たいんだ。君はその当事者として、観客が喜びそうな信ぴょう性のある手がかりを一つまみ提供してくれれば、それでいいんだよお」
つまり、彼らはただ現実に起きた物語性のある出来事を消費しているに過ぎない。図らずも貴族の道楽として遊ばれる立場になってしまった私たちの前には、どの選択肢を選んだとしても面倒な結末しか残されていないというわけだ。それならば、深く考えることすら時間の無駄というものである。
「……では、恋愛結婚ということで」
「うんうん、盛り上がりそうな手がかりどうも。対価としてはこのくらいで十分なんじゃないかなあ。スウォルドさんが知りたいのは、大方トラレス君側の決闘参加者についてかな?」
「ええ。相手がどのような魔法を使うのかを把握しておけば、勝負を有利に進めることができますので」
魔法学校である以上、相手も何かしらの魔法を使ってくるのは間違いない。万が一礼央様が戦う事態に発展した際、なるべく戦力の差がない相手と当たらせるためにも、相手の手札は知っておきたかった。
情報屋はほんの少し考えるような素振りを見せたのち、対戦相手についての情報を提供し始めた。今回に限らず、情報屋はこうして取引に使われるような情報をいくつも抱えているはずだというのに、紙やノートを見ながら情報を提供する姿を見たことはない。秘密保持のためにそうした記録媒体は使わないのだと言われれば納得はできるが、そうしたものに頼らず全ての情報を記憶できる者は稀だろう。情報取引における言葉の巧みさ、情報を集める洞察力や観察力、そしてそれを記憶する頭脳。そういった一つ一つの要素こそ、情報屋が情報屋たる所以らしかった。
「……と、こんな感じで、トラレス君側の決闘参加者について分かってるのはこのくらいかなあ」
「助かります。良ければもう一つ聞きたいことがあるのですが」
「追加の対価を払ってもらえるなら何でも答えるよお」
情報屋から得た決闘の参加者に関する情報を頭の隅に留めながら、今日の取引における本命ともいえる質問を投げかける。対戦相手の手札を探るというのも目的の一つではあるが、今回はそれよりさらに重要な問題を解決するべく、ここへやってきたのだ。
「決闘への参加を希望している生徒を知りませんか?」
最大の目的である決闘への参加希望者について尋ねると、情報屋は楽しそうな表情から一転して、どこか困ったような苦笑いを浮かべてみせた。
「……うん、え~と、シーエルド君の他に二人必要ってこと?」
「いえ、私とリオンが参加することは決まっているのですが、あと一人参加者が足りないのです。私が二人分相手をすると言ったのですが、リオンに危険だからと反対されてしまいまして」
「ええ……人が足りなくなることくらい分かってたのに、何で三人制に?」
「二人制ではリオンが必ず戦うことになってしまうので、三人制を提案しました。それならどちらかが二勝した時点で勝負がつくと思ったのです」
「なるほどねえ……」
噂好きの貴族相手とはいえ、さすがに今回の決闘に参加したいという生徒は思い当たらないのか、情報屋は少し長めの思考を経て、お手上げというように肩をすくめた。概ね予想通りではあるものの、情報屋の情報網をもってしても見つからないとなると、私や礼央様が参加希望者を見つけるのは至難の業だろう。
「う~ん……参加希望者は思い出せる限りではいなかったと思うよお。一応こっちでも参加希望者は募っておくけど、あんまり期待しないでねえ」
「問題ありません。そのときは私が二人分の相手をするだけです」
「君、シーエルド君のこと危なっかしいとか言ってられないと思うよお」
「危うい人だからこそ、このような事態を避ける努力が必要になってくるのです」
潜入中とはいえ、礼央様はネロトリア王国聖女、つまりは国を挙げて保護するべき方である。決闘への参加はもちろん、本来であればこうして潜入捜査に駆り出されていい身分でもない彼を、これ以上危険な状況に置くわけにもいかないだろう。
何より、礼央様は追い詰められると敵味方にとって予想外の動きをすることがままある。それによって危機を脱することができた場面もあったのは事実とはいえ、それを今回の決闘で発揮されるのはこちらとしても困るのだ。
今回の潜入捜査では、礼央様の本当の身分が明らかになる事態を避けるべく、聖属性魔法の使用は禁じている。そのため、追い詰められた礼央様が聖属性魔法を発動したが最後、身分は露見し、ついでに彼の魔法によって引き起こされる事態の解決に奔走する羽目になるというわけだ。
元々争いを好まない礼央様が人を傷つけかねない聖属性魔法を発動するとは考えにくいが、それを真っ向から信じるにはこれまで積み重ねてきた行いが悪すぎた。どうにかして礼央様が追い詰められるような事態になる前に決闘を終わらせるか、そうでなければ決闘そのものを潰すしかない。
これが決闘を受ける前ならばまだいくらか手段はあったのだがとため息をついていると、情報屋は私の心情を見透かしたような笑みを浮かべてみせた。
「シーエルド君が決闘を受けた理由が理由だもんねえ。スウォルドさんじゃ止められないか」
「ああいったことを一度決めると頑として聞かない人ですので、説得は早々に諦めました。最終的な決定権はリオンにある以上、私にできることいえばリオンの出番が来る前に勝負をつけることくらいのものです」
礼央様が決闘を受けた理由は、決闘を通してトラレスに要求したいことがあったからに他ならない。そしてその要求というのは、礼央様本人より私に関わることだったのだ。
──「俺が勝ったらアンナのことは諦めて、もう彼女には近付かないでください」──
突然突き付けられた決闘の申し出に驚きながらも、礼央様は目の前の上級生相手にそう啖呵を切った。礼央様は争いを好まず、人が傷つくことも嫌う方だ。だが彼の望みを実現する過程で、どうしても争いを避けられない状況に置かれたなら、彼は覚悟と共に武器を取るだろう。
彼は自分が強大な魔法を操るという点において、多くの他者より優位に立てることを知っている。そんな強者である自分ならば、誰よりも他者を傷つけることなく穏便に問題を解決できると思っている。だからこそ彼は一人の強者として前線に立つのだ。その身が脆く細い人の身であることすら忘れて。
強大な魔法に裏打ちされた慢侮と傲慢、そうしたものを無意識のうちに抱えている限り、彼はいつまでも危ういままなのだ。そんな彼をこちらの都合で呼びだした以上、私にはどんな手段を使ってでも彼を守るという責任がある。たとえ相手が学生であろうと貴族であろうと、私がやるべきことは変わらないのである。
「では、決闘の参加希望者が見つかった場合には私までご連絡ください」
「いい感じの人がいたら声かけてみるよお。頑張ってねえ」
ひとまず必要な情報については問題なく得られたため、最後に決闘の参加希望者について念押ししてから、中庭を後にした。次の教室へ移動する道すがら、改めて情報屋から得られたトラレス側の決闘参加者についての情報を整理してみるが、分かったことといえば、礼央様が聖属性魔法なしで勝てる相手ではないということくらいのものである。
魔法学校に通っている以上、相手は全員何かしらの魔法を操ることができるため、現状では無属性魔法しか使えない礼央様が太刀打ちできる相手とは思えない。礼央様に加護を与えたという影属性の精霊との接触も見込めないとなると、やはり頼みの綱は三人目の決闘参加者のみということになるが、そちらが望み薄な以上、やはり私が二勝を勝ち取る他ないだろう。
仮にも聖騎士としては学生に後れを取るわけにはいかないものの、魔法が使えるか否かの差は見過ごし難い。こうなればイーザックに連絡して戦闘向きの魔具をいくつか手配すべきだろうかと考えたとき、どこからか私を呼ぶ声が聞こえてきた。その声の主が誰であるかは、もはや考えるまでもない。
「アンナ! 聞いて聞いて! 転移魔法上手くなってきて、目標地点の隣の机くらいには飛ばせるようになったよ!」
興奮気味に話しながら特訓の成果だと嬉しそうに報告してくる礼央様を、呑気と言うべきなのか、泰然としていると言うべきなのか。
決闘を明後日に控えた今、授業で習った魔法の練度を報告している場合ではない気もするが、明後日に迫る決闘への不安を募らせるよりよほどいいのかもしれない。
少しの逡巡の末にそんな結論に辿り着いた私は、ひとまず彼の魔法の上達を素直に喜んでおくことにしたのだった。




