59話「説明はランチの前に」
ルイスさんに続きアレクサンドラ様と遭遇し、全ての事情を話さざるを得なくなった私たちは、ルイスさんの助言に従ってひと気のない空き教室までやってきた。
今は昼休みということもあって教師や生徒が授業のためにやってくることもないが、念のため消音の魔具を仕掛け、内部の会話が外に漏れないようにしておく。こうしておかないと、どこかの噂好きな情報屋が交換材料目当てに聞き耳を立てていそうで落ち着かないのだ。
私が消音の魔具を持ち込んでいることについて、アレクサンドラ様は明らかにこちらを警戒している様子だったが、対するルイスさんは「いろいろ始末するときとか楽っスもんね」と妙に納得したような顔で頷いていた。断じて違う。
どこからか飛び出した消音の魔具に、ルイスさんの「始末」という言葉。何をどう手がかりにしても最悪の誤解しか招かないような状況に、何から説明したものかと頭を悩ませていると、不意に礼央様が手を打った。
「じゃあ時間もないので、手短に説明しますね」
そう前置いた礼央様は、浅く息を吐き、ルイスさんとアレクサンドラ様を正面に見据えたまま、ごく簡潔に私たちが置かれている状況についての説明を開始する。
「俺、リオン・シーエルド。正体はレオ・ウサミ。彼女、アンナ・スウォルド。正体はフィリップ・アインホルン。勉強と噂の検証のため、トリス学園高等部一年として潜入中。以上!」
「……何ですの?」
「もう一回言おうか?」
「いえ……結構ですわ」
突然突きつけられた事実を前に、珍しく困惑した様子で額に手をやるアレクサンドラ様。込み入った事情を簡潔に説明したことで情報の密度が一気に高まってしまい、上手く飲み込めないのだろう。
事情を知らないアレクサンドラ様は今の説明でさらに混乱しているようだが、予めある程度の背景を知るルイスさんからすれば好ましい説明だったらしく、彼はにこやかな表情を崩すことなく頷いてみせた。
「本当に手短っスねぇ。分かってること何度もダラダラ説明されるよりいいっスけど」
「彼……いえ、彼女の言っていることは事実で間違いありませんの?」
「匂いからしてほぼ確実っスね。風属性魔法で偽装してるって言われればそれまでっスけど、お嬢と接触するためだけにそこまでする理由がないじゃないスか。オレがフィリッポさんに気付いたのだって偶然だったっスから、正真正銘本人だと思うっスよ」
ルイスさんからそう説明されてもなお、目の前の人物像と自分が知る私たちとが結びつかないのか、アレクサンドラ様は未だ訝しげに私たちを観察している。そんな彼女に対し、礼央様は弁明の手段を暫し考えたのち、困ったような顔で説明を加えた。
「本人じゃなかったら愛称で呼ばないよ。アリーと友達になったのは聖女集会のときだったんだから、部外者がそのことを知ってるはずがないし、友達になろうと思った理由だって、アリーが具合悪くなったルイスさんをこっそり気遣ってたのを見たからだし……」
「もう結構! 十分に分かりましたわ!」
それ以上は言及されたくなかったのか、無理やりに話を打ち切ったアレクサンドラ様は深いため息をつき、私を責めるような眼差しを送ってくる。礼央様は誇らしげな顔でこちらを見つめているものの、私としてはこれによってアレクサンドラ様との関係が悪化しないかということだけが少し気がかりだった。
「……それで、噂の検証とは一体どういうことですの? そんなことのために聖女を派遣するなんて、一国がすることとは思えませんけれど」
「トリス学園に邪属性魔法の使い手がいるとの情報が入ってきたのです。そこで学園に潜入して噂の真偽を確かめ、それが真実ならば対処するようにと。そうは言っても噂に過ぎませんので、実際には礼央様の勉強が主な目的ですが」
「……確かに彼女の魔法は少し攻撃的すぎますものね」
聖女集会で礼央様の魔法を目の当たりにしたのか、アレクサンドラ様は妙に実感のこもった表情で礼央様を見つめている。対する礼央様はどこか不満げだったが、こればかりは私にも覚えがあるため、苦笑いで誤魔化した。
「噂の検証のための潜入捜査っスか。オレにはウサギさんの勉強のためって言った癖に、あれは嘘だったんスねぇ」
「嘘は申し上げておりませんよ。あの場で全てをお話しするわけにもいかなかったものですから」
「そうは言っても、ウサギさんがボロ出さなきゃそのまま言わないつもりだったんじゃないんスか?」
ルイスさんからの穏やかな追及に、隣の礼央様はただでさえ小柄な体をさらに縮めて申し訳なさそうにしている。確かにあの場で何事もなく解散することができれば、潜入の目的を白状させられることもなく、学園内においてそれなりに注目を集める存在であるアレクサンドラ様を伴ってどこかへ消えるという目立ちすぎる状況を作り出すこともなかっただろう。
とはいえ、起きたことを悔やんでも事実は覆らず、過去は変わらない。潜入に長けているフランツェスカでもない限り、こうした事態は避けられなかったのだと自分に言い聞かせながら、言い聞かせついでの嘘を一つ。
「私がルイスさんに正体を見破られた時点で、いずれ全ての事情をお話しすることになるだろうとは思っておりました。却ってお呼び出しする手間が省けたというものです」
「アンタがそう言うならそういうことにしておくっスけどねぇ」
わざとらしく言うルイスさんの言葉を笑顔で跳ね返し、「噂といえば」という合図とともに話題を変える。
「アレクサンドラ様は先ほどお話しした邪属性魔法の使い手に関する噂について、お聞きになったことは?」
「少なくともわたくしの耳には入っていませんわ。それに、そういったことはわたくしよりルイスに聞くべきですわよ。わたくしの授業中、学園内をフラフラ歩いているようですから」
「オレの方も特に聞いた覚えはないっスね。そもそも邪属性魔法ってのは悪魔と契約することが前提っスから、普通の人間は魔法を使うどころか、その存在すら知らないのが普通っスよ。オレからすれば、そんな噂があるって噂そのものが眉唾だと思うっスけど」
ルイスさんの言葉はあまりにも無遠慮で、いつも通り彼の本音が剥き出しになっているものだったが、意見そのものは真っ当と言っていいものだ。邪属性魔法に関する噂が上がった時点で検証しないわけにもいかないのは確かとはいえ、何も聖女を調査に向かわせる必要はなかったのではないかという疑問は拭えない。
それはアレクサンドラ様も思い至ったようで、釈然としないような面持ちで口を開いた。
「大まかな事情を聞いても、わざわざ聖女を潜入捜査に向かわせる必要性を感じませんわね。秘密裏に捜査を行い噂の真偽を特定した結果、噂が事実だと断定されて聖女の助力が必要となった場合のみ協力を要請すれば済む話ですもの」
「本来の目的は勉強の方だし、学校に通うにしても聖女って身分があると変に目立つからね。変装のお陰で結構のびのびやれてるんだ。元の世界にいた頃を思い出すよ」
言葉通りに大きく伸びをして、男子用制服をアレクサンドラ様に見せる礼央様。彼にとっては学園生活も男ものの服も久しぶりということもあり、普段よりも少し羽を伸ばせているようだ。そのことは未だ疑問点の多い今回の潜入における数少ない収穫といえるだろう。
召喚によって以前とは違う生活を強いられてきた礼央様が学園生活を満喫しているとなると、アレクサンドラ様としてはあまり今回の潜入の不合理な点を突きつけるのは忍びないらしく、少し言葉を詰まらせる。
しかし友人として礼央様の身を案じていることに変わりはないのか、少ししてから思い直したように忠告を再開した。
「……だとしても、正体が露呈したときのことを考えるならばやはり危険ですわ。そうでなくとも、この学園の治安はあまりよくありませんもの」
「大丈夫だって! そのための変装と護衛と武器なんだから!」
「護衛ったって、フィリッポさんだけじゃないっスか」
「もう一人、別の聖騎士が潜入してるって聞いてますよ」
礼央様が誇らしげに主張した護衛の聖騎士とは、フランツェスカのことだろう。潜入に長けている彼女がいれば私としても心強いのだが、その存在が明らかにされた途端、アレクサンドラ様の目が明確な非難を伴ってこちらに向けられた。
「……彼女の護衛が、聖騎士二人の手に負える仕事とは思えませんけれど?」
耳が痛い。精霊相手とはいえ、まんまと連れ去られた直後となるとさらに。
アレクサンドラ様が言うように、今回の護衛はこれまでの公務に比べて数が少なすぎるようにも思えるのだが、生徒として潜入させることのできる人数に限りが出ることを考えれば仕方のないことなのかもしれない。その分、私とフランツェスカが十人分の仕事をすればいいだけの話だ。
「護衛って言っても、今のところただ勉強してるだけだからね。むしろ危険がありそうな捜査の進捗は全然なんだよ。ただの噂とはいえ、火のないところに煙は立たないっていうし、何かしら収穫があってもいいはずなんだけど」
「話を聞く限り、火どころか煙さえも掴めていないようですわね」
「煙に巻かれたってことなんじゃないんスか? ウサギさん、公務はいいから勉強してこいなんて言ったところで素直に聞く感じじゃないっスから、適当な理由つけて公務に仕立て上げたとか」
「うっ、微妙に否定できない……」
イーザックとは面識がないはずの二人から飛び出した妙に説得力のある仮説に、私も思わず頷いてしまう。公務の内容全てをイーザックが決定するわけではない以上、この仮説がそのまま正解というわけではないはずだが、当たらずとも遠からずといえる程度には当たっていそうで恐ろしい。
的を射た指摘に神妙な面持ちで唸っていた礼央様だったが、ふと何かを思い出したようにこちらを振り返った。
「そういえば、フィリップさんは何も聞いてないんですか? イーザックさんから公務の詳細聞いたときも反対してましたよね?」
「ええ。普段の公務であれば事前に話を通すはずなのですが、何故か今回に限っては私への連絡が来たのも直前だったもので」
私が今回の公務に対して違和感を感じたきっかけといえば、間違いなく事前連絡の遅さだった。私もイーザックも、聖騎士団における階級についてはそこまで変わりはない。しかし魔導部隊は後方支援や指揮を担当する部隊であり、イーザックは礼央様との距離も比較的近い聖騎士であるということも相まって、度々公務の内容について意見を求められることがあるようだ。
そのため、私はいつもイーザックを通して一か月から数週間前に公務の内容を聞き、それを礼央様に伝えていたのだが、今回の公務についての連絡が来たのは一週間前。潜入という公務内容からして、数か月前から連絡があってもおかしくないはずだというのに、これはさすがに不自然だろう。
これについては礼央様も同意見と見えて、首を傾げながらあれこれ仮説を口にし始める。
「噂が発覚したのが入学式の直前とかだったんですかね? 入学式の直後に編入ってなったら目立ちますし、潜入捜査に差し支えるってことで」
「本来の目的は勉強なのでしょう。それなら事前に準備を進めておいてもおかしくはありませんわ。噂が発覚したのが入学式直前だったとしても目的が増えるだけで、連絡が遅くなる理由にはなりませんわよ」
「あれ? じゃあ連絡がギリギリだったことを考えると、噂の検証が最初の理由で、勉強は後付けの理由ってこと?」
「それならお嬢が言った通り、わざわざウサギさんを潜入させる必要がないっスよね。手間かかる上に危険で面倒なんて最悪じゃないっスか。騎士サマってのは意外に仕事できないんスかねぇ」
あちらを立てればこちらが立たず。組み立てられては崩されていく考えを比較してみると、今回の公務における不自然な点がいくつも浮かび上がってくる。
妙に遅い連絡に、聖女を潜入させた理由も不明瞭。公務の目的は勉強のためと聞いているが、それだけのために聖女を魔法学校へ送ることが許可されたとは思えない。
「それなら……さっきルイスさんが言ってたみたいに、聖女を勉強のために学校に送り込むなんて案は普通じゃ通らないし、どうしようかな〜って思ってたとき、ちょうど入学式直前に邪属性魔法に関する噂が発覚したから、それにかこつけて送り込んだとか?」
「潜入捜査という目的がないのなら、わざわざ時期を入学式に設定する必要もないでしょう。そんな噂があるとなれば、なおさら時期をずらすはずですわ。貴方の魔法は放置しておくには危険すぎますもの。時期が多少遅れようと、訓練のための就学となれば、国も諸手を挙げて賛成しそうなものですけれど?」
「えっ、わたしの魔法ってそんなに危険物扱いされてるんですか!?」
唐突に投げかけられた問いに思考を遮られ、頭の中でこねていた疑問が、横から割り込んできた質問によってかき乱される。押し黙る私を不思議そうに見つめる礼央様の顔を前に、彼からの問いかけを手繰り寄せ、急拵えの答えを導き出した。
「……規模によっては設置型の災害になりますので」
「そんだけ悩んだならもうちょっと言葉選んでくれませんかね!」
どうやらこの答えは不服だったようで、礼央様が不満げに声を上げたのと同時に、昼休みの終了を知らせる予鈴が鳴り響く。予想外の出来事が重なったせいで、全員揃って昼食を摂り損ねてしまった。私はともかく、礼央様などは昼食抜きでは午後の授業に差し支えるだろう。
「ごめん、長話しすぎたね。お昼大丈夫?」
「呼び止めたのはわたくしですもの。休み時間にでもルイスに買ってこさせますわ」
「お嬢~、オレも昼飯抜きなんスけど~」
「携帯食料ですが、よろしければどうぞ」
栄養補給に特化した携帯食料を取り出すと、礼央様からは何か言いたげな顔で見つめられ、アレクサンドラ様からは憐みの目を向けられたが、ルイスさんは嬉々として受け取ってくれた。この際、食べられるものなら何でも構わないらしい。
アレクサンドラ様はそんなルイスさんの様子を見てため息をこぼし、それから壁の時計に目をやった。授業開始まであと十分もない。
「潜入捜査中となると、堂々と話すことさえ難しそうですわね。学年が違えば会う機会もそう多くはないはずですけれど、注意しておくに越したことはありませんわ」
「せっかく会えたのに残念だけど、ここでは基本的に面識はないってことにした方が良さそうだね。次に会うときはちゃんとそれらしく振る舞えるように頑張るよ」
名残惜しそうにしている礼央様とアレクサンドラ様の会話を聞きながら、消音の魔具を取り外し、扉を開ける。
教室の外は次の授業に向かう生徒たちでごった返しており、そのうちの少ない視線がアレクサンドラ様と、彼女と共に教室から出てきた見知らぬ生徒へと向けられていた。
本人が言うように、この学園におけるボールドウィンの影響力は侮れないものがある。とにかくこれ以上注目を集めないよう、早々に解散すべきだろうかと思ったところで、礼央様がアレクサンドラ様を振り返った。
「ご指導ありがとうございました、先輩。礼儀作法については入学式前に覚えられるだけ覚えてきたつもりだったのですが、まだまだだったようですね」
そう言って苦笑いを浮かべるその姿は、誰がどう見ても礼儀作法について先輩から指導を受けた後輩である。
突然、教えてもいない礼儀作法について話し出した礼央様を前に、アレクサンドラ様はほんの一瞬言葉に窮したようだったが、すぐさま食堂で見せたような気高く優しい先輩の姿を演じてみせた。
「後輩を教え導くのは年長者の務めですもの。またいつでもいらっしゃい」
「……では、失礼します」
見覚えのない友人の姿にやや戸惑いながらも、行儀良く頭を下げる礼央様。それに倣い私も深々と頭を下げ、未だ私たちを興味深そうに眺めている生徒たちを尻目に、次の教室へと足を運んだのだった。




