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57話「望まぬ再会」


「ランチセットを一ついただけるかしら」

「おい、横取りすんなよ。そこは俺の席だ」

「はぁ……故郷の料理が恋しいなぁ」


 トリス学園の食堂は、今日も生徒たちでごった返している。加えて毎週この日は、授業の関係で同じ時間帯に昼食をとる生徒が多いのか、いつにも増して大混雑だ。早めに席を取るために食堂に来ておいて正解だったとため息をこぼしながら、食堂の隅に腰を下ろす。授業終了を知らせる鐘がつい先ほど鳴ったため、もうじき礼央様もやってくる頃だろう。


 礼央様が影属性の精霊から加護を受けてから三日が経つが、礼央様は未だ影属性の魔力を受け取ることができずにいる。授業中や聖騎士が控える下宿先に帰った後、食堂で昼食をとる際も隙あらば精霊に呼びかけているそうだが、未だ応答はないのだとぼやいていた。


 元々精霊から敵意を向けられやすい聖女が精霊から加護を得ること自体、既に偉業ともいえるほどの珍しさとはいえ、彼にとって未だ不安の多い異世界を生き抜くことを考えれば、やはり聖属性魔法以外の魔法を会得したい気持ちがあるのだろう。少しでも状況を打破するための手がかりを探せないものかと思い、授業終わりに教師へ質問を投げかけてもみたものの、これといった回答は得られなかった。


 生まれてこの方、精霊とは縁がない私からすると意外なことだが、精霊は一度加護を与えた者の呼びかけにはよほどのことがない限り応えるものであり、無視を決め込むくらいならば最初から加護を与えることはしないのだとか。


 それならば何故加護を与えたのかという疑問は残るものの、礼央様も影の精霊から加護を与えられた理由はともかく、影の精霊が呼びかけに応えない理由には心当たりがあるようで、そこまでの期待はせずに呼びかけを続けているようだ。


 その心当たりが一体どのようなものなのか、それとなく尋ねてはいるものの、私には言いにくいことのようで、いつもはぐらかされてしまう。何か一人で抱え込んでいないといいのだが、と考えたところで、ふと背後に人の気配が降り立った。


 礼央様かと思ったが、それにしては数が多い。いつも無茶ばかりして私を悩ませる主は礼央様一人で十分なのだが、気配からして三人以上はいることだろう。


「スウォルドさん?」


 聖騎士ならばいざ知らず、今の私は一生徒。それも貴族令嬢というご立派な肩書までついている。そんな人間が背後に立った人間の気配を察知していては不自然だと思い、声をかけられてようやく彼らの存在に気付いたかのような顔で振り返ると、そこにはネロトリアの制服に身を包んだ男子生徒が三人佇んでいた。


 横一列に並んだ男子生徒たちのうち、最も左側にいる長身の生徒は、私の顔を見るなり顔を綻ばせる。


「ああ、やはりそうでしたか。入学式以来ですね」

「……失礼ですが、どこかで?」

「覚えていないのも無理はありません。入学式の日に少しお会いした程度ですから。あのときはまともにお詫びもできず、失礼しました」


 入学式、お詫び。その言葉から思い浮かぶのは、入学式の日に礼央様とぶつかった男子生徒のことだが、私はその程度の相手の顔をいちいち覚えていられるほど優れた記憶力を持っているというわけではない。貴族として当たり障りのない回答を捻り出さんと頭を悩ませていると、それよりも先に件の男子生徒が口を開いた。


「向かいの席は空いているでしょうか。ちょうど、あのときのお詫びをと思っていたもので」


 慇懃な態度で言う男子生徒だが、私の周囲にある席は一つしか空いておらず、その席も私が教科書を置いて押さえている。まさかとは思うが、ここに三人で座るつもりなのだろうか。


「申し訳ありませんが、先客がおりますので」

「先客? しかし、姿が見えないようですが……」

「人を待っているのです。じき来る頃かと」

「ああ、もしかして……」

「待ち人はリオン・シーエルドか?」


 長身の生徒の言葉を遮り尋ねたのは、真ん中にいる背の低い男子生徒。ふてぶてしい表情に立ち位置も相まって、三人の中では最も家柄が上であるように見える。恐らく、そう外れてはいない推測なのだろう。


 真ん中の生徒は横柄な態度を崩さないまま、こちらを見下ろす形で言葉を続ける。


「貴様は常にあいつと行動を共にしているだろう。聞くところによれば、幼馴染だそうだな」

「それが何か」

「別に。女に席を取らせて自分は後から来るなど、情けない男がいたものだと思ってな」


 言いつつ、嘲笑うような顔で私の向かいの席を一瞥する彼。私がこうして席を取っているのは、主に対する当然の礼儀であり、幼馴染としても手が空いている方が席を取ることで時間を節約できるだろうとの考えからだ。


 しかしここでいちいちそれを指摘するのは、貴族令嬢としてすべきことではない。ここはあくまで遠回しに、相手の機嫌を損ねることなく誤りを指摘するべきと考え、口を開いた。


「他人の情報を本人から聞く度胸もなく、わざわざ情報屋から買う腰抜けよりはマシでしょう」


 淡々と、落ち着き払った態度で言うと、彼は僅かに頬を引き攣らせ、何が言いたげな顔でこちらを見つめている。


 初対面にもかかわらず、やけに私や私の周りのことを知っていると思い鎌をかけてみたつもりだったが、どうやらそう大きく外れてもいなかったようだ。


 情報屋から私に関する情報を買ったのが彼でないとしたら、彼が「情けない」と言った礼央様の名誉を少しは回復できる。そうでなかったとしても、決して目の前の彼が他人のことをどうこう言えた立場でないことをそれとなく指摘できる。


 我ながらいい案だと思ったのだが、相手の反応を見るにそうでもなかったらしい。貴族間の礼儀作法というのは、やはり一朝一夕で身につくものではないようだ。


「まさかとは思うが、その腰抜けとは俺のことを言っているのか?」

「いえ、以前そうした情けない人間の話を耳に挟んだだけです。お気になさらず」


 とはいえ、私の情報を買ったのが彼であるという確たる証拠があるわけではない。もしかすると彼はただ、「他人の情報を本人から聞く度胸もなく、わざわざ情報屋から買」ったことがあるだけかもしれないのだから。


 そんな考えから、あくまで目の前の彼を名指しで貶そうとしているわけではないことを冷静に伝えようとしたのだが、どうやらそれが気に障ったらしく、彼は怒りで顔を赤くしながら私を指差し、魚の如く口を開閉し始めた。


 どうにもまずい。良かれと思って口にした言葉が、悉く裏目に出ている気がする。


 これが普段であれば、この先関わることはないであろう他人に対し、印象回復に努めることはしない。相手が私と付き合いたくないのなら、最低限の交流に留めておけば大きな問題には発展しないと考えるからだ。


 しかし、潜入捜査においては何を発端として予想外の出来事が発生するか分からない。ここはひとまず謝罪して、現状の「無礼者」という印象を「有象無象」くらいには戻さなければと思ったそのとき、割り込んできた声。


「や〜っと見つけたっスよ」


 明らかに礼央様ではない口調と声に、事態がややこしくなる気配を感じながら振り返ると、そこにいたのは潜入捜査において最も避けるべき「想定外の出来事」だった。


「どこ行ってたんスか。授業終わったからってフラフラあっちこっち行かれたら困るっスよ」


 学園の制服ではない燕尾服に身を包んだ明るい茶髪の彼は、こちらに向かって親しげに手を振りながらやってきたかと思うと、そこでようやく私のそばに佇む男子生徒たちに気付いたかのような顔で、彼らに目をやった。


「あ〜、アンタは確か……ラストレーだか何だかって家のボンボンっスよね」

「トラレスだ! ヘンリー・トラレス!」

「そうそう、そんな名前っス」


 名前を間違えられた挙句に「ボンボン」などという悪口を手の前で口にされ、抑えていた怒りを爆発させるトラレス。しかし茶髪の彼はそれを意にも介さず、私と彼らを見比べ、小さく肩をすくめた。


「食堂で女引っ掛けようとして失敗するなんて、仮にもネロトリア屈指の貴族がやることじゃないじゃないっスか。ほどほどにしておかないと痛い目見るっスよ」

「勝手なことを抜かすな。貴様、どこの家の者だ」

「どこの家って言われても、オレ自身は孤児なんで、生まれたときから持ってる家名とかはないっスね」


 茶髪の彼が大して気にした様子もなく自分の生い立ちを口にすると、トラレスは彼の言葉を鼻で笑い、それを両脇の仲間へ共有するようにわざとらしく目配せをした。長身の生徒は苦笑い、大柄な生徒は無反応である。


 だが、自分たちの会話に割って入ってきたのが自分よりずっと格下の相手であることに気をよくしたらしいトラレスは、仲間の反応を不満に思うこともなく言葉を続けた。


「話にならんな。平民のなり損ないが貴族同士の話に口を挟むものではないぞ」

「まぁまぁ、アンタも俺もここじゃ一生徒。家柄がどうこうって話は言いっこなしっスよ」

「家無しの負け惜しみか? 見苦しいな」

「別にそういうわけじゃないっスよ。対等に話そうって言ってるだけっス」


 茶髪の彼が口にしたのは、この学園においては最も縁遠い言葉。建前上はこの学園の生徒は皆平等に教えを乞う者であり、対等ということになってはいるものの、そこに潜む本音は決してそのような小綺麗なものではない。そのことを誰よりもよく知っており、それによる恩恵を最大限に享受する側であるトラレスは茶髪の彼の言葉を笑ったが、茶髪の彼は強気の姿勢を崩すことなく、口元に笑みを携えたままこう口にした。


「それとも何スか? 自分は家の名前を取ったら何も残らない空っぽな人間だって自覚があるって意味で言ってます?」


 少し意地の悪い口調で飛び出したのは、トラレスの言う「家無しの負け惜しみ」とも呼べるものだったが、彼が再びそれを口に出すことはなかった。


 代わりに、トラレスは苦虫を噛み潰したような顔で私たちに背を向け、唸るような声で捨て台詞を吐く。


「……薄汚い孤児と話していると飯が不味くなる。行くぞ」


 言うなりさっさと歩き出すトラレスと、そんな彼の様子にやや困惑しながらも後を追う残りの二人。それを確かめると、茶髪の彼はこちらを振り向き、勝ち誇ったような笑みを浮かべてみせた。


 一難去ってまた一難、次はこちらの問題に対処しなければと思い、今度こそ貴族令嬢として相応しい言葉遣いを心がけながら、礼の言葉を口にする。


「どこのどなたか存じませんが、助かりました。ありがとうございます」

「いやいや、困ったときはお互い様っスよ」


 私からの礼に対し、あくまで紳士的に応じる彼。先程よりよほど付き合いやすい態度に、もしや懸念していた問題はそもそも発生していなかったのではという期待が首をもたげるが、そんな期待は彼の言葉によってすぐさま刈り取られてしまった。


「で? 何してるんスか、フィリッポさん」

「人違いです」


 相変わらず微妙に間違えてはいるものの、今最も口にされたくない名前を出され、即座に否定する。しかし彼にとってはそれが決定打となったようで、茶髪の彼──ルイス・バトラーは小さく笑いながら、私の向かいの席にやってきた。


 席を確保するために置いていた教科書も当然のように返却され、反論を諦めた私は素直にそれを受け取り、着席を促す。


「フィリッポさんに女装趣味があったなんて意外っス。知らない人間から覚えのある匂いがしてまさかと思ったっスけど。ああ、別に言いふらしたりしないっスから、心配しなくていいっスよ。ランチセットのデザートくれれば黙っておくんで」


 着席するなり、穏やかなゆすりとも取れる提案を口にするルイスさん。元より助け船を出してもらったことへの礼をしたいと考えていたため、その可愛らしい要求を断る理由はない。というより、ここで渋って下手に騒がれる方が困るため、一刻も早く彼の要求を飲んでこのやりとりを終わらせたいところだ。


 これ以上想定外の事態が発生する前に、速やかに最低限の事情を説明し、何事もなかったかのように解散する。そのためならば口止め料としてデザートの一つや二つ差し出すことも厭わない。


 自分が今すべきことを確認し、さりげなく両隣の席に目をやる。両隣の生徒は昼食を取りに行っているのか、戻ってくるまでにはまだ猶予がありそうだ。


 潜入先で出会した知り合い、周囲には噂好きの生徒たち。


 一体どこから訂正したものか、この場でどこまで話していいものかを考えた末に、私はひとまず、ごく基本的な情報のみを明かしておくことにした。


「……今はアンナ・スウォルドです。以後はその名前でお願い致します」


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