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55話「リトライ」前編


「君は、影の精霊で合ってる?」


 恐る恐る、しかし相手にみくびられない程度に強い口調で、そう尋ねてみた。影属性の精霊と顔を合わせるのはこれが二度目。だが前回は対面早々に追い返されてしまったため、こちらから言葉を発するのは初めてのことだった。


 元々精霊との相性が最悪な俺は、影の精霊からも当然のように嫌われている。これが俺に対しある程度好意的な光属性の精霊ならばまだ勝機はあったのだが、影属性の精霊相手となると、加護を得ることはおろか、最低限の目標として掲げた疑問の解消を果たせるかどうかすら怪しい。影属性の精霊はそんな事実を裏付けるかのように、俺の質問に対して完全黙秘を貫いている。


 どうやら俺に対する認識は相変わらずらしいが、それならそれで疑問が残る。本来の目的からは少しずれた問いかけではあるものの、まずは身近な疑問を解き明かしつつ、接触を図るべきだろうか。


「君、俺のこと嫌いだろ。一度追い返したのに、何でまた呼びだしたんだ?」


 このままお互いに黙りこくっていても埒が明かないと思い尋ねるが、返ってくるのは不動の沈黙のみ。会話は成立せず、かといって元いた場所に帰る手段もない。一体これをどうしろというのかと早々に白旗を上げそうになったところで、ようやく影属性の精霊が口を開いた。


「……光に、怒られたから」


 拗ねた子どものような口調で語られたのは、やはり子どもじみた答え。その程度の理由でこちらに呼び戻されるこちらの身にもなってほしいと言いたいところだが、今ここでそれを言っても仕方がないだろう。今はひとまず、会話を続けることに専念しなければと思い、続けて質問を投げかけた。


「光って、光の精霊?」

「気安く呼ぶな。光を光って呼んでいいのは影だけだ」

「『光』は名前じゃないって聞いたけど」

「光は影だから、影は光を光って呼んでいい。お前はだめ」


 光こと光属性の精霊と同じように、自らを「影」と呼ぶ影属性の精霊。光もまともに話が通じるタイプではなかったが、別人格の影も同様らしい。人格は違えど、中身は同じということなのだろうか。長い道のりになりそうだと内心ため息をつきながら、言葉を続ける。


「何で怒られたの?」

「……せっかく呼んだのに、影がお前を元居た場所に返したから、光は怒って出てこなくなった。だからお前を呼んだ」

「子どもかよ……」


 あまりにも身勝手な行動に対して思わずそうこぼせば、影は俺を追い返したときのように全身の毛を逆立てながら分かりやすく憤ってみせる。


「光は子どもじゃない! お前と一緒にするな!」

「はぁ? 勝手な都合で人のこと振り回すやつを子どもって言って何が悪いんだよ。あと俺はお前のことも子どもっぽいと思ってるからな!」


 自分より明らかに精神年齢が下のガキから子ども扱いされたことが予想以上に腹立たしく、当初の目的を忘れてそう言い返すと、影は怒りで全身を震わせながら俺を睨みつけた。そんな影を見て我に帰った俺の頭に蘇るのは、つい先ほど保健室で聞いたヴァール先生の言葉。


── 「君の精霊からの嫌われぶりを見る限り、これを逃せば精霊からの加護は見込めない。光属性魔法が扱えるようになれば、働き先にも困ることはないだろう」──


 他の精霊から分かりやすく嫌われている俺が精霊から加護を得るには、この機会を逃すわけにはいかない。しかし目の前にいる影属性の精霊は、目に見えて不機嫌という状態であり、俺を気に入っているらしい光属性の精霊も姿を見せる気配がないときた。


 今さら弁明したところで、俺が発する言葉はどんな内容であれ強制送還のトリガーにしかならないだろう。しかし弁明もせず影属性の精霊が思い直してくれることを期待するには、あまりにも第一印象が悪すぎた。ついでに言うと、今のやり取りで第二印象も地に落ちたところである。絶望的状況だ。


 俺の脳みそがいつになく速いスピードであれこれ考えを巡らせ、いくつもの策を講じ、その全てが実践不可能という結論を出した頃、影属性の精霊が口を開く。


 ああ、さようなら。俺の安定収入とイージーな異世界就活。


「お前嫌い! 出て……」


 覚悟を決めてから三秒後、予想通りの言葉が飛び出すのを聞きながら落下の衝撃に備えるが、上下がひっくり返る感覚や腰を打ちつける痛みが襲ってくることはなく、目の前には依然として不機嫌顔の影属性の精霊がいる。


 決して本人の気が変わったわけではなさそうなところを見るに、もしや追い出さないのではなく、追い出せないのだろうか。そうと分かるなり、先ほどよりは少しだけ慎重に言葉を選びながら、影属性の精霊に声をかけてみた。


「……出ていけって言わないんだ」

「光が怒るから……」

「怒られるのが怖いのか?」

「怖くないけど、嫌だ。光が怒るのは、光が嫌だって思うからだ。光が嫌なのは、影も嫌」


 俺に尋ねられると、影は少し俯きながら、小さな声でそう答える。


 影の発言はそのほとんどが支離滅裂だったり意味が分かりにくかったりと散々だったが、これは俺にも少し理解できる気がした。


 要するに影は、光が気分を害するのが嫌なのだろう。それによって怒られるかどうかではなく、単に光が嫌な思いをするのが嫌なのだ。そういう気持ちは俺にも心当たりがある。


 今の俺にとって、怒られるといえばアンネさんだ。怒ったときのアンネさんは怖い。それはもう、怖い。声を荒げることなく淡々と敬語で責められるのがどうしてあれほど恐ろしいのかと思うほどである。


 だが、俺がアンネさんを怒らせたくないと思う理由は、単に怒ったときの彼が恐ろしいからというだけではない。影と同じように、アンネさんに悲しい顔をされると、怒られるとき以上に困ってしまうからだ。


 毎度無茶をしては彼に怒られての繰り返しでは説得力などまるでないものの、出来れば俺も彼を困らせたくはないのである。人であれ精霊であれ、どうでもいい相手に対してそのようなことは思わないだろう。


「影は、光が大事なんだな」


 ひとまず、前回のようにすぐさま追い出されることはないと判断し、その場に腰を下ろす。俺が今いるこの空間も、恐らく景色を上書きすることによって真っ白な空間に見せているというだけで、実際はどこかの空き教室なのだろう。種さえ分かってしまえば、手をついた床の感触も、心なしか覚えがあるものに思えてくるから不思議だ。


 とにかく、思わぬ形で訪れたこの好機を逃さないよう、言葉には気を付けなければ。


「双子……とは違うにしても、やっぱり片割れは大事?」

「片割れ、はよく分からない。光は影だけど、影とは違う。光はすごい。影よりもずっと」


 俺の視線の高さまでゆるやかに降下した影は、体育座りの要領で膝を抱えてそう呟く。双子にしても二重人格にしても、全く同じでない以上は、何かと事情も複雑になってくるのかもしれない。


「俺にはどっちも同じに見えるよ。どっちも人の話を聞かない上に、勝手な都合で人を振り回すだろ」

「光を悪く言うな。光はお前と遊んでやってるんだ」


 不満げに言い返す影に対し、遊んでほしいと頼んだ覚えなどないと言ってやりたくなったが、それでは前回の二の舞だ。子ども相手にムキになるのも大人げないため、ここは大人の俺が譲歩してやることにしよう。そう、俺はこいつより大人なのだから。


「怒らせたなら謝ればいい話なのに、何でわざわざ俺を呼び出すんだよ」

「謝るのは人間みたいに弱いやつがやることだ。人間は弱いから、自分でどうにかできない。だから謝って許してもらおうとする。影は弱くない」

「ああ……謝るくらいなら失敗を取り返せってことか」


 謝るのは弱いやつがすること、というのは釈然としないが、取り返せることならば取り返した方がいいというのは事実である。ごめんで済むなら警察はいらないというやつだ。


 怒らせてしまった相手が光ならなおさら、素直な謝罪の気持ちよりも、追い返してしまった人間を呼び戻した方が喜ぶのかもしれない。


「ガキ扱いしたり弱いって言ったり、どうも影は人間を目の敵にしてるみたいだけど、影は光が好きだから人間が嫌いなのか?」

「影は人間が嫌いだから、光が好き。光はすごい。人間が好きだから」


 相変わらずの影構文はいまいち意味を捉えにくいが、光構文よりかはいくらか分かりやすくできている。話を総合して、俺なりの言葉で言うなら、つまりはこういうことなのだろう。


「……人間が好きな光はすごいから、好きってこと?」

「そう。人間は嫌い。大きくて、腕とか足が長いから」


 俺を一瞥し、吐き捨てるように「変なの」の付け加える影。世界で一番、影にだけは言われたくないセリフだという言葉は、すんでのところで飲み込んだ。


 勝手なイメージで、精霊とは人間に近いような見た目をしていると思っていたのだが、思えば実体を持たない彼らがわざわざ人間の容姿を模る理由はない。彼らなりのセンスでいえば、このキメラファッションが最先端なのだろうか。


「人間嫌いね。でも別に、嫌いなものは嫌いなままでいいんじゃないか? 俺だってミニトマト嫌いだし」


 死にはしないからといって無問題というわけではないものの、ここまで嫌いなものを克服するというのはあまり現実的なことではない。ここはいっそ、嫌いなものから遠ざかることを選ぶ方が無難なのではないかと思い尋ねると、影は相変わらず暗い顔でかぶりを振った。


「……魔力を与えないと、エルフになれない。人間じゃなくてもいいけど、人間は数が多くて弱いから、加護を与えやすい。だから影も人間に慣れないと、光もエルフになれない」


 魔力を与えなければエルフになれない。これはヴァール先生の魔法学基礎の授業で扱った部分だ。


 精霊は他種族に魔力を与えることでエルフに変化するそうだが、影の口ぶりからして、エルフになるにはノルマのようなものがあるのだろうか。二重人格が基本の光属性と影属性の精霊は、どちらかではなく両方がノルマを達成しない限り、エルフにはなれないのかもしれない。


 コンプレックスと隣り合わせの憧れを拗らせた結果、積もり積もった焦りと光への執着心が邪魔をして、却って目標から遠ざかるような真似を繰り返してしまうのだろう。


「じゃあそのヘンテコな恰好は、君なりの武装ってわけか。怖い人間に立ち向かうために」

「怖いんじゃない、嫌いなんだ!」


 図星ど真ん中という反応を微笑ましく思いつつ、「はいはい」とだけ返す。影はこの上なく不服そうな顔をしていたが、ここまでしても俺を追い返す気はないらしい。全ては、光に嫌な思いをさせないために。


 前回、影に追い返されてから、ずっと引っかかっていた。元より精霊からは嫌われる方とはいえ、何故ろくに話もしていないはずの俺を、影が追い返したのか。それを聞くためにここまでやって来たが、話を聞く限りではいくつかの理由がありそうだ。


 一つは単純に、影が人間を嫌っているから。二つ目は恐らく、大好きな光が他の人間にうつつを抜かしているのが気に食わなかったのだろう。俺がどうやら光のお気に召す人間だったとなればなおさらだ。嫌いな人間が大好きな光に気に入られているという事実は、影にとって耐えがたいものだったのかもしれない。


「要するに、同担拒否ってやつ?」

「何だ、それ」

「俺もよく分かんないけど、俺の三番目の姉ちゃんがたまに言ってた。他の人が自分の推しを好きになるのが気に食わないのがどうとか。ああ、推しっていうのは、影にとっての光みたいな存在のこと。憧れだったり、好きだったり? そういうのを言うんだって」


 推しという概念は俺にも理解の及ばないものということもあり、ところどころ自信のない説明になってしまったが、少なくとも影は納得してくれたようで、傾けた首を元の位置に戻してくれた。


「お前は、光のことが『推し』なのか?」

「たぶん違うよ。むしろちょっと苦手かも」


 人間の子どもに似た話し方に、人間の子どもを超越した力。あのような相手と遊んでいてはこちらの体力が持たないと思いそう答えると、影は怒りこそしなかったものの、少し不満げに目を細める。


「……影、『同担拒否』だけど、お前が光のこと嫌いなのは嫌だ。何で?」


 何故と言われても、生まれてこの方、推しどころか何かに熱中したこともない俺からすると、その質問は少々難解である。この手の質問は自分の経験に基づいて答えた方が説得力が増すことは百も承知だが、そうした経験がない以上は、一般論を話しておくのが無難だろう。


「誰かを好きになるのって、いろいろ複雑なんだと思う。皆にすごいって言われてるところを見たら嬉しくて、貶されてるのを見ると腹が立つのに、皆がその人を好きになると、何となく気に食わない……みたいな。影は光を俺に取られたような気がして、俺のことが気に食わない。でも俺が光を苦手なままでいるのも嫌なんだ。俺は光のすごさを分かってないのに、勝手なことを言うから」


 辿々しく影の質問の答えを並べ立てると、影はとうとう反論もせずに俯くだけになった。当たらずとも遠からず、もしくは正解ど真ん中という反応だ。


 影本人にはとても言えない話だが、影は光と比べて、かなり話しやすい印象を受ける。意味を捉えにくい話し方は光も影も共通しているとはいえ、少なくとも影はこちらの言葉に耳を傾けさえすれば、ある程度は俺の言葉を正確に理解することが可能だ。光が相手ならばこうはいかなかっただろう。


 喜怒哀楽くらいしか感情のレパートリーがなさそうな光に対して、影が抱える感情はグラデーションのように豊かで幅が広い。光の極端で単純な感情が眩しく見えるほど、影の感情は人間と同様に複雑なのだ。今はコンプレックスとして影自身を阻むその特性も、上手く言語化して扱えるようになれば、行く行くは人間を理解し、苦手を克服することにも繋がるはずである。


 それさえ分かってしまえば、やるべきことはシンプルだ。


「じゃあ、俺に光のすごいところ教えてよ」


 影の悩み解決の糸口を見つけてそう提案するが、そこはさすがの同担拒否、影は羊の頭でも明らかなほどに顔を顰めた。


「何でお前なんかに……」

「光のことが好きになるやつが増えたら困るって?」


 影が渋る理由を先回りして口にすれば、影は相変わらず不満げにこちらを睨みつけこそすれ、反論まではしてこない。今は会話をスムーズに進めるため、こうして俺が影の考えを代弁しているが、これを影自身ができるようになれば、問題解決にも繋がるはずだ。


 つまり、影に必要なのは言語化のトレーニング。自分の感情を言葉にするすべを学ぶことで、これまで自分の中で持て余していた感情の全貌を知ることができ、相手に自分の気持ちを正確に伝えることができる。そうなれば、今ほど人間を恐れることもないはずだ。


「大丈夫だよ。少なくとも、俺は君ほど光を知らない。それに俺に教えてるって時点で、君は俺より光のことに詳しいんだ。それなら、俺より君の方が光を好きってことになるだろ?」


 知識量が必ずしも相手への好きを示す指標になるとは限らないが、言語化のトレーニングの題材としては、光に関することを喋らせるのが一番だろう。


 影としても、自分の推し語りを聞いてくれる相手は逃したくないのか、相変わらずの不機嫌顔から、少し上擦ったような声を吐く。


「特別に教えてやる。お前が教えてほしいっていうから、教えるんだからな!」


 古典的なツンデレのような返答に思わず苦笑いを浮かべつつ、「はいはい」とだけ返す。


 アニメ好きと仲良くなるには、相手の推しを知ることから。いつだったか、そんな助言をくれた三番目の姉に心の中で礼を述べ、影の推し語りに耳を傾けるのだった。


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