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6話「知りたくなかった」


 謁見の翌日。ポーションや祈りによる魔力補給でどうにか魔力欠乏状態を脱した俺は、これから聖女として生きていくにあたり、いくつかの取り決めに従って行動することにした。


「聖女様のお世話を担当いたします、ハナと申します! よろしくお願いいたします!」


 綺麗な黒髪を編み上げ、白いブリムを乗せた可愛らしいメイドさんを前に、できるだけ自然な笑顔を向けてみる。


 男であることを気取られないよう、淑女としての振る舞いを心がけるということについては変わっていないが、それ以外にもいくつか加わった取り決めがあるのだ。


「レオ・ウサミです。よろしくお願いします」


 自分の喉から別の人間の声が出るという奇妙な状態に鳥肌が立つのを自覚しながらも、平常心を装って自己紹介をする。


 これが取り決めの一つ目。人と話すときには首飾り型の変声の魔具を身に着けること。


 これは一昨日アンネさんが言っていたものだ。調達がやけに早いのは、生活必需品になることを見越して大急ぎで用意してくれたからなのだろう。


 思った以上にこそばゆいが、この道具のおかげでアンネさん以外の誰とも話せない状況を脱することができたのだから、感謝しなければ。


「私は主にご支度をお手伝いいたしますが、何か気を付けてほしいことなどはございますか?」

「あ、そのことなんですが……小さい頃にひどい火傷を負って、体を見られたくないんです。なので着替えとかは自分でさせてほしいんですけど、大丈夫ですか?」


 本当は火傷など一つもないのだが、これが取り決めの二つ目だ。


 適当な理由をつけてでも体を他人に見せないようにすること。小柄とはいえ女性と言い張るには無理がある上、風呂まで世話されるとなっては性別を隠し通すことなど不可能である。これからお世話になるであろう人にも嘘をつくというのは心苦しいが、これも自分の命を守るためである。


「かしこまりました。ではお着替えの際には廊下で待機しておりますので、どうぞ安心してお着替えなさってください!」

「……ありがとうございます」


 どこまでも純粋な眼差しを前に良心が痛むものの、男であることが露呈すれば最悪の場合待つのは死。取り決めを守り、何としてでも隠し通さなければならないのだ。


「でもまさか、今代の聖女様が他の世界からいらっしゃるとは思いませんでした」

「確かにそれはお……」

「お?」

「……わたしも、びっくりしました」


 先の二つの取り決めに加えて、最後にもう一つ決めたことがある。


 女性として生きていくために、一人称「俺」は封印し、自分のことは「わたし」と呼ぶこと。他にも様々な取り決めがあるが、実際のところ最も難易度が高いのはこれかもしれない。


 長年染みついた一人称を変えるというのは思った以上に難しく、気を抜いた瞬間につい元の一人称が口をついて出てしまうのだ。これも徐々に慣れていかなければ。


「ではまずお召し物の方から選んでいきましょう! それが終わったら次はアクセサリー類ですよ!」

「お手柔らかにお願いします」


 どこか姉たちを彷彿とさせるようなハナさんに服を選んでもらいながら聞いた話によると、彼女はここで働くメイドであり、慣れない異世界で大人数と顔を合わせるのは俺の負担になるからと、歳が一番近くて優秀──ここについては自称である──なハナさんが俺の世話係として抜擢されたのだとか。


 恐らくアンネさんが気を回してくれたのだろう。何から何までありがたいことだ。


 結局、数時間かけてハナさんが選んでくれたのは、襟元をフリルで彩った長袖のブラウスに、召喚時に羽織っていたケープ、若草色のシフォンスカート、茶色のレースアップブーツという組み合わせだった。


 ハナさんはどうやら髪型もいじりたかったようだが、ウィッグであることがバレたときのことを考えると恐ろしく、今日のところはハーフアップに細かな装飾の施されたマジェステをつけるということで妥協してもらった。


「綺麗な髪ですね。聖女様の故郷の方は皆さんこんな髪色なんですか?」

「いえ、他の人はもう少し落ち着いた髪色ですよ。黒とかこげ茶とか。わたしは母が別の国の出身だったので、髪も目もこんな色ですけど」


 最近は日中でも明るい金髪のウィッグを被って生活しているが、俺の場合はハーフということもあるのか、地毛もウィッグと同じく明るい金髪であり、目も暗めの緑色をしている。


 姉に女装をさせられるとき、同じ色のウィッグを被るとまるで自分の髪が伸びたような印象を受けてしまうため、わざわざ地毛と同じウィッグを選ぶ必要はないと何度か説得したのだが、コーディネートを担当する一番目の姉が言うには、ウィッグを被る前と後で髪色が大きく変化してしまうのは困るのだとか。


 つまり普段の俺を見てコーディネートを決めていたということらしい。弟をそんな目で見ているとは、まったく恐ろしい姉である。


「いいですね〜! まさに聖女様って感じがして素敵ですよ!」

「ありがとうございます……」


 母譲りのこの髪色は良くも悪くも人の目を引くため、幼い頃から何かとトラブルに巻き込まれることは多くあったものの、今ではそれが役に立っているというのだから、人生何がどこに繋がるのか分かったものではない。


 もしや聖女召喚の条件には髪色も含まれていたりするのだろうかとも考えたが、髪色が指定できるならばまず性別を指定するはずである。


 この場に俺がいることや成女の素質の有無を見極める必要があるということからも、召喚術において細かい指定が困難であることは明らかだった。


「よし、できました!」


 一仕事終えた風のハナさんの声で顔を上げると、目の前の鏡には未だ見慣れない美少女姿の自分がいる。


 性別を偽って生きていくことを考えれば、この姿にも慣れておくに越したことはないのだが、何となくそれは俺に取って踏み越えたくない一線を超えてしまうようで恐ろしく、ひとまずこの違和感はもう少しの間持っておくことにした。


「アインホルン様、聖女様のご支度が整いましたよ」


 ハナさんに促され、扉の前で待機していたアンネさんが顔を出す。先日の謁見の際とは違い、今は黒い襟付きシャツに濃紺のベスト、白いズボンというラフな格好だ。俺やアンネさんの服装から察するに、今日は誰か偉い人に会うということもないのだろうか。


「今日は何をすればいいんでしょう」

「聖騎士団の中でも魔法を専門に扱う者に会っていただきます。聖女としての役目を全うしていただくためにも、まずは魔力制御のやり方から覚えていただく必要があるのですが、私は言葉でしかお教えできませんので」


 確か以前、アンネさんは魔法が使えないと言っていたが、魔法の器がある人とない人には何か規則性があるのだろうか。


 創作物から身につけた知識が通用しないということも多く、戸惑うこともあるこの世界での生活。そんな状況であちこちを出歩くことは避けたいのだが、魔法専門の聖騎士とやらに会えば少しは疑問も解決するはずだと自分を納得させ、アンネさんに促されるまま部屋を出た。


 宮殿の廊下は相変わらず代わり映えのしない風景が続いているものの、先日と違い謁見という一大イベントがないせいか、少し人通りが多いような気がする。


 通りかかる人は使用人と思しき人だったり、或いはアンネさんと似た服装の人だったりと様々だが、そういった人々が向ける視線の先には必ずといっていいほどに俺がいる。


 この世界における聖女のポジションから考えて、人の目を集めにくいとは考えにくいが、声をかけられないだけまだ幸いだろうかと思っていると、不意に一人の男性がこちらへ歩み寄った。


「失礼。アインホルン様、少しお時間よろしいでしょうか。至急確認していただきたいことがあるのですが」


 突然近付いてくるもので思わず身構えたが、どうやら用があるのは俺ではなくアンネさんの方だったらしい。思えばこの人もアンネさんと似た格好をしている。もしかするとアンネさんの同僚なのかもしれない。


「いえ、今は……」

「大丈夫ですよ。ここで待ってますから」


 そこは真面目な彼らしく、俺の案内を優先したかったようだが、急ぎの用ならばそちらに向かうべきだろうと判断して声をかけると、アンネさんは心配げな顔で俺を見た。


 先日の謁見の件もあって、そばを離れるのが不安なのかもしれないが、今はあのときと違って魔法を使うこともないため、トラブルに巻き込まれることもないはずだと判断したのだろう。アンネさんは詫びの言葉を口にしたのち、騎士と思しき男性に連れられてどこかへ消えていった。


 取り残された俺は宮殿の広い廊下で一人待つことになるのだが、アンネさんがいなくなったせいなのか、周囲の俺を見る目が先ほどより遠慮がなくなっている気がする。


 しかし俺と目が合うと愛想笑いを浮かべるか目を逸らすかされるため、話しかける意思はないようだ。アンネさんがいない状況下で声をかけられたらどうしようかと思っていたが、これならばその心配はないだろうと安堵したそのとき、不意に頭上から声が降り注いだ。


「お一人ですか?」


 まるで不審者のような声がけに退路を確保しつつ振り返ると、紫の瞳がこちらを覗き込んでいる。続いて深緑という珍しい髪色に気を取られ、彼がアンネさんと似たような格好をしていることに気付いたのは、声をかけられてから三十秒ほど後のことだった。


「失礼、驚かせてしまいましたね。僕はイーザック・フォーゲル。こう見えて聖騎士団所属の聖騎士です。以後お見知り置きを、聖女様」


 やはり彼も聖騎士だったらしい。しかしアンネさんは黒いシャツに濃紺のベストを着ていたが、イーザックを名乗る彼は白いシャツに濃紺のベスト、黒いズボンという格好である。同じ聖騎士団でも階級が異なるということなのだろうか。


「……聖騎士団ってことは、フィリップさんの同僚の方ですか?」

「ええ。フィリップとは騎士学校からの付き合いですから、あいつのことなら何でも聞いてくださいね。ああもちろん、聖女様のご要望とあらば、それ以外についてもお教えしますよ?」


 騎士学校というと耳慣れない言葉だが、恐らく日本での防衛大のようなものなのだろう。通常の学校とは異なるようだが、この世界にも学校という概念はあるらしい。


「ありがとうございます。じゃあ早速聞きたいんですけど……聖騎士って具体的には何をする仕事なんですか?」


 とりあえずは今最も気になっている質問を投げかけると、イーザックさんは驚いたように目を丸くし、それから小さく吹き出してみせた。


 この世界に住む人からすれば当たり前のことなのは分かっているが、フィクションの世界でしか聖騎士というものに触れてこなかった俺からすれば、当たり前に抱く質問のはずである。


「……笑わないでくださいよ。来たばかりで何も分からないんですから」

「いや失礼、そういうことではなくて……普通こう言われたら相手の弱みの一つや二つ握っておくものだというのに、さすがは聖女様だと思いましてね」


 一頻り笑った後、ようやく落ち着いたらしいイーザックさんは「いいですよ、お答えしましょう」と前置いて、聖騎士について説明してくれた。


「この国における聖騎士とは、大雑把にいうと騎士の中でも聖女様の護衛などを担う騎士のことを言います。言葉通り身を挺して聖女様の剣となり盾となり、聖女様に降りかかる災厄を退ける役割を担う者たちのことですよ」


 フィクションから何となく身につけた知識ではエリート騎士のイメージが強くあったものの、この世界における聖騎士というのは聖女専属騎士とでもいった方が正しそうである。

 聖女不在の間は何をしていたのかも気になったが、召喚の際のあの反応から察するに、次代の聖女を血眼になって探していたのかもしれない。


「まぁそれにしても、あいつがあんな手段を取るなんて、僕も予想できませんでしたけどね」

「あんな手段って?」


 異世界からの聖女召喚のことかとも思ったが、アンネさんは魔法が使えないはずである。となると残るは謁見の場だが、俺が魔力欠乏を起こした以外に何かあっただろうか。


「あれ、聞いていない? ダメですねぇ、聖女様に隠し事なんて。じゃあ隠し事が上手なあいつの代わりに、僕が教えて差し上げましょう」


 どことなく信憑性の薄そうな口調に警戒しながらも、好奇心に負けてイーザックさんの言葉に耳を傾けると、彼は見るからに楽しそうな顔でこう続けた。


「実は僕も先日の謁見の場におりましてね、一部始終を見ていたのですが、実は聖女様が倒れられた後──」


 イーザックさんの口から紡がれたのは、俺が知る由もない事実。


 というよりは、知りたくなかった事実といったほうが正しいのかもしれなかった。


「聖女様、お待たせいたしました。準備が整いましたので、改めてご案内を……どうかなさいましたか?」


 背後から近付いてきたアンネさんの声を振り払うように回れ右をした次の瞬間、湧き上がる熱を置き去りにせんと走り出す。取り残されたアンネさんがどんな顔をしているのかは想像がつく気がしたが、今はまともに顔を見られる気がしなかった。


「うんうん、思った以上に初々しい反応。揶揄い甲斐があるね」

「イーザック! 聖女様に何を吹き込んだ!」

「真実をお伝えしただけじゃないか~。噂以上におもしろ……おっと、可愛らしい人だねぇ」


 後ろから聞いたこともないようなアンネさんの怒鳴り声が聞こえてくる。それから揶揄うようなイーザックさんの声も。

 スカートであることすら忘れて廊下を全力疾走する俺を、ハナさんが驚いたような顔で見ているが、正直そのどれにも構っている余裕はなかった。


 俺の頭は、イーザックさんから聞かされたある事実に占拠されて、とっくに許容量を超えていたから。


──「魔力欠乏の応急処置にはポーションを口に含ませるというものがあるのですが、聖女様が倒れられたとき、フィリップは口移しでポーションを飲ませたんですよ」──


 考えなかったわけではない。意識がない状態で、如何にして魔力を回復させたのかという疑問がなかったといえば嘘になる。


 けれどその疑問の答えがあんなものだというのなら、出来ればこの先一生、知りたくなかった。


 あんなことを言われて、明日から一体どんな顔で彼と接すればいいのだろう。自室に飛び込むなり鍵を閉め、蹲った扉の前。明らかに焦って扉を叩くアンネさんの声を聞きながら、必死に記憶を押しとどめる。


 あれは人命救助だ。分かっている。アンネさんのあの口ぶりからして、そうしなければ本当に危なかったのだろう。彼の立場を考えても、俺を早々に死なせるわけにはいかなかっただろうし、誰かがやらなければならないことを、彼がやったというだけなのだ。


 分かってはいても、少し探れば覚えていないはずの感触が蘇ってしまいそうな気がして恐ろしい。


 あのとき焼け付きそうなほどの熱を持った喉に負けないくらい顔が火照っているのが分かり、たまらなくなって顔を覆った。


 本当にどうしてくれるのかと、扉の向こうから聞こえてくる楽しげな声の主に心の中で投げかけてみる。


 けれど廊下からは相変わらず、楽しそうなイーザックさんと、彼の胸ぐらを掴みそうな勢いで怒るアンネさんの声が聞こえてくるだけだった。


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