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番外編1「飯と社畜と町娘」3


「さっきはすみませんでした。嫌な言い方しちゃいましたね」


 賊を騎士団に引き渡し、簡単な手続きを一通り終えて馬車に戻るなり、礼央様が口にしたのはそんな言葉。目下の者相手でも礼を尽くすその姿勢は彼の美点だが、今回ばかりはその判断が正しいものとは思えなかった。


「先に仕掛けたのはイーザックです。礼央様が謝罪なさる必要はありません」

「仕掛けたって、何をですか?」


 私の言葉の真意が分からずに視線を彷徨わせる礼央様の先にいるのは、思惑を暴かれてもなお涼しい顔で肩をすくめるイーザックである。


 賊の出現に関しては完全に想定外、少なくともイーザックが裏で糸を引いていたとは考えにくい。曲がりなりにも聖騎士である以上、聖女の身を危険に晒すような真似はしないだろう。


 だが、イーザックが私たちを人通りの多い場所に誘導してから賊の退治に当たり、かつあのような手段を用いようとしたことについては、何らかの意図が存在していたように思えてならないのだ。今となってはもう隠すつもりもないらしく、イーザックは悪びれることもなく先の不可解な行動の意味について明かし始めた。


「まぁ簡単に言えば、聖女様が聖女として相応しい、慈悲深く聡明な人物であることを広く知らしめようと思いましてね。ちょうど身の程知らずかつ世間知らずな賊たちが出てきてくれたので、これ幸いと利用させてもらいました」

「わたしが聖女であることを不満に思ってる人がいるってことですか?」

「どの代でもそういう輩が一定数いるからこそ僕たちがいるわけですけど、聖女様の場合は十年ぶりの聖女で異世界人、そして先代聖女よりもずっと若いってこともあって、不満というより不安を感じる声が多少なり上がってましたからね。異世界人ならこちらの世界を守る気はないんじゃないかとか、小娘に国防を任せて平気なのかとか、そんなところです。聖女様は立場や公務の関係上、こうして国民と直接触れ合う機会も少ないですし、余計に国民の不安が独り歩きしがちなんですよ」


 先ほど訪れた料理屋で耳にした会話からも、今代聖女への不安、或いは不信感といったものは感じることができた。礼央様は紛れもなくネロトリア王国十三代目の聖女であるが、彼はその肩書きに似合わないほどに若く、町娘と変わらないような見た目をしている。不安の解消方法に不安はあれど、イーザックが言うような事態が存在するということは確かな事実だった。


「じゃあ、今回フィリップさんがわたしを街での食事に誘ってくれたのも、そういう事情だったんですね」

「まさか! フィリップは何も知りませんでしたよ。現にほら、今にも僕を半殺しにして馬車の外に放り出しそうな顔してます」


 礼央様が驚いたようにこちらを見ていることに気付き、慌てて笑顔を取り繕ってみるが、どうやら隠しきれていないようで、隣からはまるで突き刺すような疑いの眼差しが向けられている。


 私が今にも半殺しにして馬車の外に放り出してやりたい相手は、そんな私たちを前に余裕の笑みを浮かべながら肩をすくめた。


「やり方が悪かったのは認めるけど、これもひいては聖女様のためになるんだよ。不満を抱く輩に関してはどうしようもないけど、不安はある程度取り除けるし、上手くやれば聖女様への支持にも繋げられる。こうして聖女様自身の言葉を使った方がより効果的だしね」

「礼央様が一番嫌がる類の脅しを使ってまでか。見上げた聖騎士根性だな」

「君に手放しで褒められるなんて嬉しいな」


 イーザックは礼央様のためと言っているが、実際に彼が見ているのは聖女という道具を通した国家の行く末だ。確かにイーザックの言う通り、今の段階から礼央様が聖女であることへの不安を解消しておくことで、先々の懸念を予め潰しておくことは重要である。しかしそれは礼央様を遠回しに脅してまで実行されるべきことであるとは思えなかった。


「で、でも、わたしもイーザックさんのこと脅しましたし、おあいこですよね。今日の護衛がフィリップさんしかいなかったのだって、わたしが緊張しないようにっていう気遣いだったはずなのに、それ利用して脅すような真似しちゃいましたから……」

「あれは見事な切り返しでしたねぇ。まさかあんな手段でやり返されるとは思いませんでしたよ。意外と口喧嘩は得意なんですか?」

「得意ってわけじゃないと思いますよ。口喧嘩じゃ姉には一度も勝てませんでしたし」


 礼央様はこれまでも咄嗟の機転で窮地を脱してきたが、それがいつ何時も成功するとは限らない。加えて今回のように聖女としての立場を使って相手を従わせることも、彼は好まないだろう。


 元の世界で庶民として生活していた彼にとって、聖女として過ごす時間は大きな負担を伴うものであるはずだ。聖女はその行動、言葉、視線の一つに至るまで、聖女としての正しい振る舞いが求められる。彼はそれに加えて女性としての仕草や言葉遣いまで心掛けているというのだから、聖女として人前に立つという行為自体、彼にとっては大仕事なのだ。


「公務の息抜きに来た先で、礼央様の負担になるようなことを仕掛けてどうする。聖女も一人の人間だ。礼央様への負担も少しは考えて動け」

「君もいい加減にその固い頭どうにかした方がいいんじゃないの? この先で負担になるであろう懸念を解消するために必要なことなんだってば」

「機会を選べと言っているんだ。何も今日である必要はなかった。作戦を事前に知らせていればこちらで用意もできただろう」

「賊がいつ襲ってくるかなんて僕に分かるわけないでしょ。賊も追い払えて聖女様への不安もある程度は解消できる。一挙両得ってやつだよ」


 自分の主張が国家に関わるものであるせいか、冷静に真っ当な意見を返してくるイーザック。


 彼と違い、私はあまり議論や口喧嘩の類が得意な方ではない。そんな私にも理解できるほどにイーザックの意見は聖騎士として正しいものであるが、それでも自分の意見が間違っているとはどうしても思えなかった。果たしてどう反論したものかと思案していると、剣呑な空気を前に沈黙を守っていた礼央様が声を上げた。


「……フィリップさんとイーザックさんは、友達なんですよね。今でも」


 確かめるように、見極めるようにそう口にした礼央様は、緑色の瞳をまっすぐにこちらに突き刺してくる。聖女としての威圧感こそ感じられないものの、それなりの攻撃性を持って放たれたその視線を前に、これ以上議論を続けることなどできはしなかった。


 イーザックに目をやると、そこには仕方なさそうに肩をすくめるイーザックの姿がある。今回ばかりは彼も私と同意見のようだ。


「友人であり相棒であり同僚であり、とにかくそういう関係ですよ。だからこそ譲れないものもあるんです。こうして意見をぶつけ合えるのだって、友達だからこそですしね」

「ええ。友人相手でもなければ一発殴るだけでも職務規定違反になりますから」

「友達相手でも殴るのは普通に駄目だからね! 普通は手を上げる前に話し合うの!」


 まるで幼い子どもを諭すような口調で言ったイーザックは、その後も何やら不満げに文句をこぼす。「友人であり相棒であり同僚」という言葉はどこに行ったのだろうかと責めるような視線を送ると、イーザックはわざとらしく咳払いをしたのち、言葉を続けた。


「フィリップは聖女様に、僕は国家に忠誠を誓った身です。立場や意見の違いから衝突することもありますけど、フィリップが聖女様のことを国家そっちのけで考えてくれるからこそ、僕は国家を第一に考えられるんですよ」

「逆もまた然りです。意見や価値観が異なるからこそ、私たちは互いを監視し、矛盾を指摘することで互いの暴走を抑制しあうことができるのです」

「……そういうものなんですか? 友達っていうにはだいぶ殺伐としてるような気がしますけど」


 イーザックの言葉に同意する形で説明してみたが、礼央様は未だに疑わしげな眼差しを向けている。


 あのようなやり取りを見せた後となると、さすがに言葉だけで納得してもらうのは難しいらしい。果たしてどう説明したものだろうかと思案していると、私が結論を出すより先にイーザックが手を打った。


「お疑いでしたら僕とフィリップの騎士学校時代の話でもしましょうか。彼とは騎士学校時代からの仲ですからね~。友達しか知らないようなことまでいろいろ知ってますよ~」

「あ、それ気になります! 騎士学校時代のフィリップさんってどんな感じだったんですか?」


 私とイーザックの騎士学校時代の話と聞くなり、予想以上の食いつきを見せる礼央様。そこまで面白い話でもないだろうと思ったが、思えばこれまで礼央様に騎士学校時代の話をしたことはほとんどなかった。身近な人間の知らない一面を知ることができるというのは、礼央様にとってそれなりに魅力的なものとして映るのかもしれない。


「いや~、騎士学校時代のフィリップは今以上に融通が利かない奴でしてね~! 今ほど表情豊かでもなかったせいで、この赤髪はこれまでに殺めた人間の血で染まったものなんじゃないかとまで言われてたんですよ」

「この髪色は生まれつきだ。それにその噂は初めて聞いたぞ」

「まぁ騎士学校時代のフィルは聖騎士になること以外に興味なんてなさそうだったからね。その割に野心燃やして他を蹴落とそうとしてるわけでもないし、聖騎士に対して憧れがあるわけでもないしで、周りから見てもかなり得体の知れない存在だったってことなんじゃない? 原動力もなしに動ける人間なんていないんだから」


 得体の知れない存在と言われても、私はただ目標達成のためにやるべきことをこなしていただけだ。他を蹴落としたところで聖騎士になれるわけでもない。必要なのは鍛錬と経験、それによって生み出される実力のみ。原動力なしに動ける人間がいないというのなら、私の原動力というのは、そうした小さな目標を達成することそのものにあったのかもしれない。


「フィリップさんってそんな謎多き人物みたいな扱いだったんですか? 話を聞いた限りでは、ただ表情が硬くて融通が利かなくて行動基準が不明確ってだけですよね?」

「要約に悪意すら感じますけど、実際その通りでしてね。それに加えて彼は私生活も謎に包まれてましたから。僕たちは入学以来ずっと寮生活なんですが、フィリップは部屋数の都合とやらで騎士学校時代から一人部屋で、訓練や仕事以外で顔を合わせることもほとんどなかったんですよ」


 本当は部屋数の都合などではなく、性別を隠すための措置なのだが、まさかそれが妙な噂の発生源になっていたとは思わなかった。私の知らないところでまことしやかに性別詐称の噂が流れていた場合にはどう対応したものだろうかと思案していると、ふと何かに気が付いたらしいイーザックが声を上げる。


「あれ? 私生活といえば、君を寮の風呂場で見かけた覚えがないんだけど、君っていつもどこで──」


 唐突に飛び出したその問いかけを封じるべく、すくいとった氷菓子の一口を慌ててイーザックの口にねじ込んだ。突然得体の知れない食べ物を口に入れられたイーザックは不満げな顔でこちらを見つめていたが、ねじ込まれたものが決して劇物の類ではないことを理解すると、いくらか眼光を緩めて言葉を発する。


「いきなり何。美味しいけどさ」

「サルナシを凍らせた氷菓子だそうだ。もう溶けているから、ただ細切れにした果物だな」

「ああそう……ところで僕は何でいきなりその氷菓子をねじ込まれたわけ?」

「もう一口いるか?」

「フィル」


 強引に誤魔化そうとするも失敗し、今度は子どもを叱るような口調で名前を呼ばれてしまった。正面突破は困難。となれば話題を変えるか、そうでなければ別の手段を用いるのみである。


「お前も少し目を離すと携帯食料で済ませるだろう。たまにはまともなものを食え」

「ええ……君にだけは言われたくないなぁ……」

「イーザックさんも社畜飯で済ませてるんですか⁉︎」


 礼央様に言われたことをほとんどそのまま繰り返しながら言うと、礼央様は案の定食いついてきた。策にはまったことを理解したらしいイーザックが「これは聖女様を利用することに含まれないのか」とでも言いたげな視線を向けてくるが、お前のやり方を真似ただけだと心の中で言い返しておく。


 どのみち今の食生活を続けていれば、いずれ必ず礼央様にそれを咎められる日が来ていただろう。それが少し早まったというだけだ。


「社畜飯って……もしかして携帯食料のこと言ってます? 食事としては簡素ですけど、家畜の餌ほど酷くはありませんよ~」


「食事として簡素な時点でダメなんですよ! フィリップさんといいイーザックさんといい、聖騎士団ってゆっくりご飯も食べられないくらい忙しいんですか?」


「少しの油断が命取りになる職業ですからねぇ。食事中は隙が多いですし、できるだけささっと食べたい者も多いんです。もちろん、職務に影響が出ないように必要な栄養分はしっかり摂取していますから」

「携帯食料からですか?」


 ものの見事に言い返され、笑顔を保ったままで言葉を詰まらせるイーザック。何かそれらしい理屈をぶつけて追及を逃れようとしているようだったが、それを見越した礼央様が言葉を発する方が早かった。


「決めました。今度の食事は三人で来ましょう! 聖騎士が二人もいれば隙もなくせるはずですし、ちょうど行きつけ候補の店もできましたから!」

「三人の予定が合うのを待ってたら、いつになるか分かりませんよ」

「明日にでも予定が合うかもしれないじゃないですか。それに今回は追い剥ぎのせいで楽しい気持ちも吹き飛んじゃいましたし、仕切り直しがしたいんですよ。そういうことなら付き合ってくれますよね?」


 三人のうち、一人は聖女、二人は聖騎士。仮にも暇とは言い難い私たちの予定が合う日というのは、恐らくそう簡単にはやってこないだろう。


 だが、それだけの理屈で納得してくれる方であれば、私もここまで苦労はしていなかったに違いないのだ。


「とにかく約束しましたから、覚えておいてください」


 半ば無理やりに約束をこぎつけた礼央様は、満足げな笑みを浮かべて反対意見を封じてみせる。


 聖女は護衛対象であって主ではないとしていたイーザックも、ここで礼央様に反論する気は起きなかったらしく、呆れたような笑みを浮かべてため息をつく。


「……参ったな。思った以上に強かだ」

「礼央様は一度言ったら聞かないぞ。料理を口にねじ込まれたくないなら、少しはまともなものを食べることだな」

「フィリップさんも人のこと言えませんからね」


 言うなり礼央様からそう返され、返事の代わりに氷菓子だったものを礼央様の口に滑り込ませる。そんな私たちをどこか微笑ましそうに見守るイーザックを見た私は、せめて週に一度くらいは携帯食料以外のものを食べようと決意したのだった。


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