41話「彼方にそびえる未来で」
アリーとルイスさんを見送った俺たちは、塔のテラスで馬車の到着を待つことにした。時刻はちょうど朝と昼の間。昼食を摂るには微妙な時間帯ということもあり、テラスで向かい合わせに腰を下ろした俺たちの間には、しばらく気まずい沈黙が流れている。
諸々のことを謝るならば今しかないとは分かっているものの、今ここで言い出すのは少しハードルが高い。まずは当たり障りのない世間話でもするべきだろうかと考えたところで、アンネさんが声を上げた。
「それにしても……あれほど緊張されていたというのに、最後にはご友人まで作ってしまうとは」
「……性別隠したまま女の子の友達になるっていうのは、それなりに罪悪感ありましたけど」
やましい気持ちがあるわけではないとはいえ、何となくネカマと呼ばれる行為に近いものを感じてしまう。もし正体がバレたときには、事情を全て打ち明け、死ぬ気で謝り倒すことにしようと密かに決意した。
「でも、素直に自分の執事の心配もできないようなアリーが『友達になりたい』って言ってくれたんです。取り消されたって友達になりますよ」
どこまでも素直になれない友達の姿を思い浮かべながら言うと、アンネさんは何やら不思議そうな顔で俺を見やる。そこで俺は、三日目の料理教室の途中、ルイスさんが廊下で蹲っていたこと、アリーが明らかに体調の悪そうなルイスさんに掃除を命じ、部屋へ追い返したこと、そしてそれが、姉妹の作ったゲテモノ料理の臭いで気分が悪くなったルイスさんのためであったということを説明した。
集会二日目の朝。姉妹があのゲテモノ料理を作ってきた日、円卓の間にいたはずのアリーとルイスさんは早々にその場を後にし、どこかへと消えたという。責任感の強いアリーが早々に円卓の間を出ることなどあるのだろうかと疑問に感じていたが、あれは人よりずっと鼻が効くルイスさんが限界を迎える前に、彼をあの場から遠ざけようとしたからなのかもしれない。
「まぁ、本人たちに聞いたところで素直に認めるとは思えないので、俺の憶測でしかないんですけど」
「ですが、私からしてもその推測はあながち間違ったものではないかと思われますよ」
アンネさんから飛び出した意外な言葉に、今度はこちらが驚かされる番だった。思えば彼は二人と面識があると言っていたため、もしかすると俺の知らない二人の姿を知っているのかもしれない。
「ここ数日のルイスさんの様子を見ていただければお分かりかとは思いますが、彼はどうやら仕事に対し、あまり真摯に取り組まれる方ではないようです」
「それは確かに……否定できませんね」
「ですが、彼の主に対する忠誠心は本物です。彼は主に害をなすものの存在を決して許さず、常に主の周囲を警戒しています。以前お会いした際も、アレクサンドラ様に害をなす存在を監視し、相手が動き出す前に動きを封じていました。ですので、彼の『ボス以外に払う敬意などない』という言葉は、紛れもない彼の本心かと」
そう言われてみると、ルイスさんが厨房の近くで蹲っていた理由にも納得がいった。あれは自分の主を害する者が現れたとき、誰よりも早く対処するためだったのだろう。正反対に見えた彼らも、ある意味では似た者主従といえるのかもしれない。
だがその関係は、言葉がなくとも通じ合えるほどの信頼があってこそ成立するものだろう。俺とアンネさんが今すぐ彼らのような関係になることはできないかもしれないが、それならばなおさら、自分の気持ちを言葉にしなければならない。自然に解決しそうな空気の中で蒸し返すのはやや気まずいものの、袖の下まで用意した時点で後には引けないだろう。
「あの、アンネさん」
「礼央様、実は」
だが、意を決して口を開くのと、アンネさんが何かを言いかけたのが全く同じタイミング。揃って出鼻を挫かれた俺たちは、互いに発言権を譲り合い、初めにアンネさんが用件を話すことになった。
「ちなみに、何を話そうとしたんですか?」
「……今回の件に関する謝罪をと思っておりました」
アンネさんはため息をつくようにしてそう言ってから姿勢を正し、まっすぐに俺の目を見つめる。タイミングだけでなく用件も同じ。重なる部分が多いだけに俺の情けなさが引き立つようだと思いながらも、彼の目を見ることができなかった。
「今回、私は勝手な判断で怪我の状態を偽り、集会に同行しました。ですが礼央様をお守りするという私の役目を考えるならば、あるまじき行為であったと思っております」
「いや、俺の方こそ怪我させたり、無理についてきてもらったり、いろいろ申し訳ないと思ってたので……」
本来ならば治療を施すのは俺の役目であるが、俺の対人魔法は未だに不安要素が多く、まともに使える状態にない。迂闊に回復魔法を発動することで謁見の二の舞になってしまえば、それこそ迷惑になってしまうだろう。他の聖女は聖属性魔法以外にも様々な属性の魔法を操れるというのに、今の俺は一部の聖属性魔法しか使うことができない。他と比べたところで急激に上達することなどないとは分かっているものの、どうしても自分の不甲斐なさに焦りが募ってしまうのだ。
「礼央様が責任を感じられる必要などありません。今回のことも怪我のことも、全て私の独断で……」
「違うんです。アンネさんの怪我が治ってないっていうのは、俺も薄々気付いてたんですけど、アンネさんなしで集会を乗り切るのが不安で……わざと言わなかったんです」
数日前から謝ろうとは思っていたものの、いざこうして本人の前で打ち明けてみると、情けなくて顔が上げられなかった。いっそいつものように怒ってくれたら少しは気が楽になるのだが、膝の上で握りしめた拳を見つめる間、俺の頭に降り注ぐのは沈黙ばかりである。
「……すみません、こんな……ガキみたいな理由で痛いの我慢させて。気が済まなければ一発殴ってもらって、それでおあいことかどうです?」
「私を聖騎士団から追放させるおつもりですか。第一に気が済むも何も、初めから私は──」
「じゃあ袖の下! つまらないものですがお納めください!」
あまりにも馬鹿正直な言葉と共に鞄から焼き菓子を引っ張り出し、アンネさんの目の前に突き出した。どうか彼が無類の甘いもの好きであれと願いながら続く言葉を待つものの、アンネさんは相変わらず沈黙を守っている。
恐る恐る顔を上げれば、そこには何やら呆気にとられたようなアンネさんの顔があった。
「……もしかして、甘いもの苦手だったりします?」
「いえ、そういうわけではないのですが……少し驚いておりました」
一体どういうことかと尋ねるより先に、アンネさんは鞄から竹製の弁当箱を取り出し、蓋を取り払う。その中に詰まっていたのは、もはや懐かしさすら覚える白い物体だった。
「これ、おにぎりですか?」
「礼央様の故郷の料理を再現したものを持っていけば、謝罪の際の袖の下とやらになると、イツキさんが」
つまり、俺たちはお互いに顔を合わせない間にも、まったく同じことを考えて過ごしていたということらしい。初日の宝探し以来、何となく顔を合わせることすら気まずいような気がしていたというのに、揃って同じことを考えていたというのがおかしくて、どちらからともなく笑いだしてしまった。
そうしてひとしきり笑った後、俺たちは互いが用意したおにぎりや焼き菓子を食べながら、あまり顔を合わせていなかった二日目から四日目の出来事について話し合った。
「おにぎりの作り方はシオンさんに教わったんですか?」
「いえ、イツキさんに教えていただいたのです。魔物退治の際にもご協力いただきました」
「薄々そんな気はしてましたけど、イツキさんって口が悪いだけのいい人ですよね」
何だかんだと文句を言いつつ手伝ってくれるあたり、彼には雨の日に捨て猫を拾う不良のような雰囲気を感じてしまう。根はいい人どころか、葉や茎までいい人である。
「料理教室には途中からアレクサンドラ様が加わっていたようですね」
「そうなんですよ。料理美味しいし手際もいいし、教え方も上手いので結構天職だと思うんですよね。アリーが路頭に迷うことがあったら真っ先に料理教室の講師を勧めたいくらいです」
「もう少し別の方向から助けて差し上げるべきでは……」
アンネさんは苦笑いを浮かべつつ言うものの、俺は真剣にアリーの料理の腕を認めているのだ。今回のような集会でもない限り、彼女の手料理を食べるというのは難しいかもしれないが、次回の集会のモチベーションとするには十分だろう。
「でも、シオンさんとは初日以降そんなに話せてなかった気がします。さっきも頼みごとを聞きに行ったときに少し話したくらいですし……」
言いつつ思い出したのは、先ほどシオンさんから聞いたネロトリア先代聖女の話。俺が知っている先代聖女に関する情報は、聖女同士の距離を縮めるための取り決めを定めたことのみ。確実なことを知るならやはりネロトリアの人に話を聞くべきだろう。
「そういえば、さっき頼みごとを聞きにいったときにシオンさんから聞いたんですけど、新米聖女に関するこの取り決めを作ったのはネロトリアの先代聖女なんだそうです。これまでのネロトリア聖女って、どんな人たちだったんですか?」
そう尋ねてからおにぎりを一口頬張ったが、口の中のおにぎりを咀嚼し終えるだけの時間が経った後も、アンネさんからの返答はない。結局、アンネさんからの答えが返ってきたのは、俺がさらにおにぎりを一口頬張った頃だった。
「……私は歴代聖女についてはそれほど詳しくないのです。人づてに聞いたことはあるのですが、私が聖騎士としてお守りしたのは礼央様が初めてですので」
恐らく最も聖女に近い職業に就いている人が先代聖女のことを知らないというのは意外だったものの、ネロトリアが長らく聖女不在の状態だったということを考えれば、アンネさんが先代聖女について知らないというのも納得がいく。アンネさんが聖騎士になったのは、ちょうど先代と今代との間の時期だったのだろう。
十二代目と十三代目との間に長い年数が空いていることから、十二代目聖女は代替わり前に亡くなったと考えるのが自然である。となると先代聖女はかなりの高齢だったのだろうか。俺も女装に無理が出る年齢になる前に代替わりしたいところではあるが、異世界から聖女を呼んでいる状態ではそれも難しいだろう。
「もうじき馬車が到着する頃です。参りましょう」
立ち上がったアンネさんに倣い、急いで荷物をまとめて腰を持ち上げた。まだ時間があると思っていたが、どうやら思っていたより時間が経っていたらしい。続きは馬車に向かう途中の道で話すことにしよう。
「聖女の仕事に慣れるので精いっぱいだったとはいえ、もうちょっと自分の国の聖女に興味を持ってもよかったかもしれませんね。聖騎士の中でもベテランの人に聞けば、もしかしたら先代聖女のことだけでも……」
「礼央様」
俺の言葉を遮るようにして発せられた声に振り返れば、そこには俺がこちらの世界に呼び出されたときに見たようなアンネさんの笑顔があった。まるで作り物のように美しく、気高い俺の聖騎士は、あのときと同じように、胸に手を当てて言う。
「歴代聖女について調べるのであれば、私の方が適任です。どうか私にお任せください」
「いや、アンネさんも忙しいですし、ただの興味本位ですから、自分で調べてみますよ」
「そうですか……」
ただでさえ多忙なアンネさんを俺の好奇心で振り回すわけにはいかないと思い断ると、彼はどこか残念そうな表情を浮かべながら俺の隣に並んだ。ここからではまだ結界の向こうの馬車を見ることはできない。
「ネロトリア王国の歴代聖女は礼央様を除いて十二人ですが、代を遡れば遡るほど、資料の入手や解読も難しくなってくるでしょう。そうなると礼央様おひとりで調べるというのはあまり現実的ではないかと思いますが」
「初代聖女とかも気になりますけど、ひとまず身近なところで先代聖女について知りたいんです。それなら今の聖騎士団でも話が聞けると思いますし」
「ええ、探せば不可能ではないでしょう。ですが先代聖女に関わっていた聖騎士全員が今も在籍しているというわけではありませんし、加えてそうした聖騎士は既にそれなりの階級に属しているものです」
確かに日頃から聖騎士と関わる機会が多いとはいえ、階級が高い聖騎士となると言葉を交わすことすら難しくなってくる。どうにか式典や公務の際に会えないものだろうかと思案していると、アンネさんはにこやかにこう付け加えた。
「しかし礼央様の命とあらば、階級など関係なしに全ての聖騎士を集めることも可能でしょう。それから一人一人に話を聞くというのが最も早く疑問を解決できる方法の一つですよ」
「何でそんな大ごとにしようとするんですか! 本当にただ気になったってだけで、何が何でも急いで知りたいわけじゃないんですって!」
俺はただ、聖女集会で自分以外の聖女に会ったことで、これまでの聖女がどのように過ごしてきたのかを知りたくなっただけなのだ。その程度のことのために呼びつけられては、聖騎士側もたまったものではないだろう。
効率を考えるならば、アンネさんのいう手段が最適であることは事実だとは分かっているものの、出来るだけアンネさんや他の聖騎士の迷惑になることはしたくない。果たしてどうしたものだろうか。
「お急ぎでないのでしたら、やはり私にお任せいただくのが一番かと。他の聖騎士と関わる機会も多くありますので、そこで何か情報を得ることができるかもしれません」
今回、怪我をした状態でついてきてもらった手前、これ以上彼に負担をかけたくないという気持ちはあるが、ここでこの申し出を断ってしまうと、またどこかで無茶をするかもしれない。仕事熱心すぎるのも困りものである。
少し悩んだ末、下手に怪我をされるよりはいいだろうと考えて承諾すると、アンネさんは見慣れた笑顔で「承りました」と応じてくれた。よほど仕事が好きなのだろう。
「ところで、礼央様は歴代聖女の何をお知りになりたいのでしょう」
「歴代の聖女がどんな人だったのかについて知りたいんです。例えば三代目聖女は食いしん坊だったとか、九代目聖女は収集癖があったとか」
歴代聖女がどのようにして国や国民に貢献してきたのかも気になるところではあるが、ひとまず俺が知りたいのは、聖女と呼ばれた人々の素顔である。
いくつか適当な例を挙げつつ説明したところで、結界越しに控える馬車が見えてきた。馬車の側で待っているのはイーザックさんだろう。
「さすがに女装聖女はいないでしょうし、代を遡れば遡るほど調べること自体も難しくなるとは思いますけど、何代目聖女ってだけじゃ分からない一人一人の姿を知りたくて」
「……礼央様らしいですね」
遠い先の未来。俺たちが今いる時代が歴史の一部に組み込まれた頃、俺たちの存在はどのような形で未来に残されているのだろうか。きっと俺はネロトリア王国十三代目聖女という肩書だけが抜け殻のように語り継がれ、俺の隣を歩く彼に至っては、聖女を護衛する聖騎士の一人として、名前すら残ることはないのだろう。
それでも、残っていたらいいと思う。この世のどこかでひっそりと存在している紙切れに、歴代聖女の、ほんの些細な素顔のかけらだけでも。
「調べられたところまででいいので、そのうち教えてくださいね」
「ええ、いずれ必ず」
小指の先ほどの期待を込めてそう言えば、アンネさんは強い言葉で返してくれた。
来たときと同じようにカタクナールを拳に載せ、結界に穴を開けて通り抜ける。結界を抜けた先は、またいつも通りの日常。聖女であることが特別とされる日々に戻ってきたことを知らせるかのように、馬車の側で控える聖騎士たちが、声を揃えて俺を迎えてくれた。
「おかえりなさいませ。聖女様!」




