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36話「五色の塔の火薬庫」


 出来たての厨房を逃げるように飛び出し、目についたベンチに腰を下ろした。


 勢いで料理教室の講師を引き受けたはいいものの、いざ二人に料理を作ってもらうと予想していた以上に味が酷く、ここ数時間で出来上がったのは食べ物状の草と、液状の草のみである。進歩したものといえば草の生成速度が上がったことくらいだろうか。


 ベルさんとベラさんから話を聞いたところ、エルフは必ずしも食事をとる必要があるわけではないらしく、結果として料理への執着や味覚が未発達なままここまで来てしまったらしい。彼女たちの料理の腕はそれ以前の問題がありそうなものだが、根本的な原因にたどり着く前に俺の気力が尽きてしまった。


 野菜を入れても草の味、果物を入れても草の味。いっそ何かの呪いなのではないかと疑うレベルである。


 一体あの惨状をここからどうしたものかと頭を抱えていると、どこからか品のある足音が聞こえてきた。


「報告に顔を出さないと思ったら、こんなところで何をしていますの?」


 アレクサンドラさんである。側にルイスさんの姿はなく、どうやら主を置いてどこかでサボっているようだ。さしもの彼女もとうとう注意することを諦めてしまったのだろうか。


「ベルさんたちのお願いってことで、料理を教えてたんですよ。こっちの料理はわたしもよく知らないので、ひとまず基礎の基礎からですけど。料理は調味料を使うとか、人間は基本的に野草を食べないとか」

「どうやら長年の問題は解決したようですけれど、そういうことは友人である彼女の役目でしょう」

「ニーナさんとは一緒に作りたいんじゃなくて、一番に食べてほしいみたいですよ。無事に仲直りはできて、これまでの態度についても謝ることはできたみたいですけど、これまで酷い態度を取った分を少しずつ取り返していきたいんだそうです」


 食べさせたい相手がいなければ、職に無頓着な二人があそこまで努力することはなかったはずだ。ここまでの進歩具合を見ている限りではかなり厳しい道のりになりそうな気がするものの、モチベーションと調味料があれば少しは上達するものと信じたい。


 そう願う間にも皿か何かが割れる音が響く厨房を一瞥し、ため息をつくアレクサンドラさん。さしもの俺も少し無謀な気がしてきた。


「自身も代表者と仲違い中だというのに人の世話を焼くなんて、よほど世話好きですのね」

「代表者って、フィリップさんとですか? 特に喧嘩とかはしてませんけど……」


 意外に思いつつそう返せば、何やらさらに意外そうな顔をされてしまった。確かにお互いの頬をつねりあっている光景というのは、端から見れば喧嘩をしているように見えてしまうのかもしれないが、実際のところ、俺たちは喧嘩ができるような仲ではないのである。


「喧嘩してないっていうか、できないんですよ。フィリップさんはわたしよりずっと大人なので」


 喧嘩に見えたあれは、単に俺が駄々をこねただけなのだ。現に今朝のアンネさんは護衛対象から理不尽な怒りをぶつけられたことを咎めるでもなく、普段通りに接してくれていた。それほど歳が離れているわけではないはずだというのに、そういったところで自分がいかに餓鬼なのかを思い知らされてしまう。


「……大人は仮にも上の立場の人間に対して、頬をつねるような真似はしないでしょう」

「かなり手加減してましたから、全然痛くありませんでしたよ。何だかんだで甘いんです」


 彼はいつでも自分の言動に責任を持っていて、俺のように自分の主張が理屈として正しいかどうかさえ確かめずに不満を爆発させるような真似をしたことなど一度もない。今回のことも、元を正せば原因は俺にあるはずだというのに、彼はそれを指摘することもせず、いつも通りの態度で接してくれていたのだ。


「怪我のことだって……薄々、大丈夫なのかなとは思ってたんです。でも、フィリップさんなしで集会を乗り切るとなると不安だったのもあって、フィリップさんが言い出さないのをいいことに、わたしもその件については詳しく聞きませんでした。怪我の原因はわたしなんですから、フィリップさんが何て言おうと追い返すべきだったんですけど」


 彼の代わりなど他にいくらでもいるのだと言いたいわけではない。彼と同等の実力を持つ聖騎士は数多くいるかもしれないが、その中で俺や彼の秘密を知る者はいないだろう。


 互いにとって秘密の共有者であるということを抜きにしても、この世界で再構築された人間関係の中で、彼が最も長い付き合いであることに変わりはない。


 だがそれは、彼自身に関する懸念を置き去りにしてまで自分の事情を優先していい理由にはならないのだ。


「怪我の存在を黙認したことについては貴方にも非がありますけれど、従者が身を挺して主人を守るのは当然のことですわよ」

「わたしはたまたまこっちの世界に呼ばれて聖女になっただけの半人前ですし、魔法の扱いだってまだ下手です。そんなわたしが聖女だからって理由だけで守られることを、当たり前だとは思えません」


 聖女は人を守るもの。その聖女を守るために人が死んだり傷付いたりしていては本末転倒だ。その意見は未だに変わっていない。変わっていないはずだというのに、今回の俺は怪我の原因を作っただけでなく、怪我が完治していないことを言い出せない環境を作ってしまった。自分の立場が誰かの意見を殺してしまうことは理解していたはずだというのに、相手より自分の事情を優先してしまったのだ。


 今回はどうにかなったとはいえ、これがもし別の場所──グラストニアのような環境だったとしたら、このことが命取りになっていたかもしれない。


 誰も頼らず自分の力だけで物事を解決することが不可能だということはこちらに来てからすぐに理解させられたが、それでも周囲に甘えるべきでない場面はある。今回のことはその判断を誤った俺の落ち度だろう。


「──聖女って、難しいですね」


 特に同意を求めるでもなくそう言うのと、厨房から何かが崩れる音が聞こえてきたのがほぼ同時。恐らくまた棚から物を出そうとして失敗したのだろう。これまでの食材爆発に比べればどうということはないが、更なる面倒ごとを起こされる前に厨房へ戻ることにした。


「そうだ、アレクサンドラさんのお願いをまだ聞いてなかったんですけど、何かありますか?」

「……そう言われても、すぐには思い浮かびませんわ」

「ゆっくりでいいので、考えておいてください。時間はまだありますから」


 そう口にした矢先、厨房から響く爆発音。聖女集会は残すところあと三日。アレクサンドラさんが俺への頼みごとを考えるには十分すぎるほどの時間だが、姉妹が料理の作り方を習得するには短すぎる。


 姉妹から俺への頼み事という時点で断るという選択肢はないものの、早くも俺は講師としての限界を感じ始めていた。できればこのあたりで助っ人の手を借りたいところである。


「……アレクサンドラさん、料理とか得意だったりします?」


 ひとまずだめ元で隣の助っ人候補にそう尋ねてみるものの、返ってくるのは呆れたようなため息ばかり。


 料理下手というにはあまりにも壮絶な料理を作る二人を前に、俺の料理センスがどれだけ役に立つかどうかは分からないが、いよいよ手に負えなくなったときにはアンネさん以外の人を頼ろうと決意し、再び地獄の釜と化した厨房へと足を踏み入れたのだった。


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