24話「約束をもう一度」
「……すみません、お見苦しいところを」
所在なさげに佇んでいたニーナさんをラウンジへと招き入れ、着席を促したところでまず飛び出したのはこの言葉だった。
彼女たちが直面している問題の手助けをできればと思って呼んだことは確かだが、さすがに今の今で何があったのかを聞くのは憚られる。相変わらずニーナさんは居心地が悪そうに俯いているし、とにかくまずは緊張を解くところから始めるべきだろうか。
「ニーナさんって、確か国立研究所の研究員なんですよね。何の研究をしてるんですか?」
「えっと……普段は精霊やエルフに関する研究をしてます。まだ新米なので、今のうちにいろんな経験を積んでおいた方が研究にも役立つって言われて、人間では初めて聖女集会の代表者になったんです」
研究対象がエルフなのだとしたら、他の人間よりは彼女たちとの接し方を心得ているはずだと思うのも無理はないが、ニーナさんを代表者に任命した人がこの惨状を見たら、すぐにでもその考えを改めざるを得なくなることだろう。
「確かにこれまでユーデルヤードの代表者はエルフじゃったな。他の聖女や代表者と親睦を深められてはいないようじゃったが」
「元々気難しい種族なので、少しでもエルフと他種族との溝を埋めるためにも、今回からエルフ以外の種族が代表者として選ばれたんですけど……こんな調子で」
「人間以外の種族についてまだよく知らないんですけど、エルフって人間と仲が悪かったりするんですか?」
「そんなことはないです。人間に対してすごく友好的ってわけじゃありませんけど、他の種族に比べれば人間は比較的嫌われていない方なんですよ」
嫌われているかどうかで判断するあたり、どうやらエルフは他種族に対してあまり友好的な種族ではないらしい。言われてみれば確かに、イツキさんとルイスさんが言い争っているときも、ベルさんとベラさんは退屈そうな顔をしながら状況を眺めているだけだった。嫌い寄りの無関心ということなのかもしれない。
「じゃあ何でニーナさんに対してはあんな風に?」
そろそろ緊張もある程度はほぐれてきた頃だろうと思い尋ねてみると、ニーナさんは何か人に知られたくない過去を打ち明けるかのように目を伏せた。
「お二人の中で……少なくとも、ベラさんにとってのあたしは、『裏切り者』ですから」
ただの仲違いではないだろうとは思っていたが、やはり彼女たちの間にはそれなりに因縁めいたものがあるらしい。
沈黙によって続きを促せば、ニーナさんは暗い表情のままで今に至るまでの経緯を話し始めた。
「あたしが育ったユーデルヤード共和国は、切り立った断崖や深い森が領土のほとんどを占める国です。元はエルフの住処だったところを間借りする形で国家を築いたといわれているので、人間はエルフの半分くらいの数しかいません。だから小さい頃のあたしはいつも一人で遊んでいたんですけど、家から少し離れた森で道に迷ってしまったとき、双子のエルフに助けてもらったんです」
「それがベルさんとベラさん?」
エルフで、それも双子となればあの二人しかいないのは間違いなかったが、それでも念のため確認する意味合いで尋ねると、ニーナさんはただ静かに頷いてみせる。
「当時は見かけの歳が近かったこともあって、あたしたちは森で一緒に遊ぶようになりました。それで二人に初めて会ってから一年くらいが過ぎた頃、ベラさんからあるお願いをされたんです。『案内したい場所があるから、明朝に森の入り口まで来てほしい』って。これまであたしから誘うことはあっても、ベルさんやベラさんから誘われることなんてなかったので、あたしは嬉しくなって『絶対に行く』って約束したんです」
話の流れから察するに、ニーナさんはその約束を守れなかったのだろう。そしてそのことがきっかけで、彼女たちの関係にヒビが入ってしまう結果となったのだ。
「約束を破ったから怒ってるってことなんですか? そんな感じじゃなさそうでしたけど……」
「子どもの頃の口約束でも、精霊やエルフにとってそれは立派な契約ですから、あたしがしたことは契約違反。もっといえば『裏切り』になるんです。ベラさんはそれを考えてお願いという形であたしを誘ったのに、あたしが『絶対』と言ってしまった以上、それはどんなに小さくても契約になってしまうんです」
そこまで説明されて、ニーナさんの言った「裏切り者」という言葉に納得がいった。エルフや精霊にとって約束がそれだけ重要視されている背景にはまだ何か別の事情がありそうだが、さすがに異世界人が俺だけのこの状況で説明してくれるはずもない。
「軽い気持ちでエルフと約束を結ぶこと自体が褒められたことではないが、当時のお前さんは恐らくそのことを知らなかったのじゃろうな。とはいえお前さんには友人との約束を平気で破るだけの度胸などないであろう。何か事情があったのではないか?」
「あたしの父はずっと病気を抱えてたんですけど、約束をした日の前の晩に容体が急に悪化して、お医者様を呼びに行っていたんです。街に行くのに半日はかかることもあって、ベルさんたちに声をかける余裕もなくて……」
「不可抗力じゃないですか。仕方ないことですよ」
想定していたよりもずっと重大な事情に思わず声を上げるが、ニーナさんは困ったような顔をするだけだった。
「一か月前に再会してから事情を話して謝ろうとしても、話すら聞いてもらえなくて。あたしが二人にしたことを考えれば、当たり前なんですけどね」
いくらエルフにとっての約束が大事なものだとしても、ここまで融通が効かないというのは少し違う気がする。当時のニーナさんにとって、約束を守ってベルさんたちのところに向かうということは自分の父親を見捨てるということでもあった。ベルさんたちはニーナさんに自分の家族を見殺しにしてまで会いに来いとでもいうつもりだったのだろうか。
「そこまで行ったなら関係修復すんのは無理だろ。話聞いてる限りあんたに非はねぇんだし、向こうがそんでも嫌いの一点張りならさっさとオサラバすりゃ済む話じゃねぇのか?」
確かにあまりにも頑ななベラさんたちの態度も不自然だが、それ以上にニーナさんがそこまであの二人にこだわる理由が分からない。ここまで理不尽な態度を取られたら、仲直りを諦めてもおかしくないはずなのだ。
イツキさんからの指摘を受けても黙り込んでいるニーナさんを前に内心首を傾げていると、そんな俺の心のうちを見透かしたかのようにシオンさんが声を上げた。
「相手の態度や言動は、表面的なものに過ぎぬ。そうじゃろう、新米研究者殿」
「……二人の立場を考えるなら、イツキさんの言う通りにするのが一番いいっていうのは分かってるんですけど」
二人の立場やエルフの事情に関しては未だによく分からないものの、シオンさんの口ぶりからして、この件には何かまだ他の事情があるのかもしれない。言葉を交わすことさえできないとなると、イツキさんが言うように諦めた方が賢明な気もするが、本人にそのつもりがないならどうにかしたいところだ。
そのためにはまずどこまでも頑固に話を聞こうとしない二人を説得するところから始める必要があるが、かつての友人からの言葉さえも跳ね除ける二人に対し、俺が何か働きかけることなどできそうもない。何もできないのは歯痒いものの、やはり時が解決してくれるのを待つしかないのかと考えかけたそのとき、シオンさんから聞いたあの話を思い出した。
「エルフにとって約束は絶対──」
約束がきっかけで拗れてしまった三人の関係。
取り戻すには、約束しかない。
「つまり約束さえ取り付けてしまえば、とりあえず話だけは聞いてくれるってことですよね」
そこまで頑なに約束を守り続けて何もかもを壊してしまった二人を相手にするのなら、いっそのことその頑固さを逆手に取ってしまえばいいのだ。我ながらなかなかに冴えた案だと思うのだが、アンネさんは早くも漠然とした不安を覚えているらしく、胃痛を堪えるような顔で辛うじて言葉を捻りだした。
「……何をなさるおつもりですか」
グラストニアのときとは違って、別に大それたことをしようとしているわけではない。彼女たちに足りないのは言葉を交わす機会のみ。それさえ用意してしまえば、後はなるようになるだろう。俺はただそのための手段を持つ者として、関係修復の機会を彼女たちに提供したいだけなのだ。
しかし彼が知りたいのはそんなことではなく、どのようにそれを実行するかという点であるはずだ。この場にいる全員と作戦を共有し、かつアンネさんが抱えている胃痛をいち早く和らげるため、俺はその手段について話し始めた。




