22話「聖女集結」
「お、見たことねぇ顔」
塔の中に足を踏み入れ、外壁と同じ色の壁に囲まれた廊下を進んでいくと、着崩したスーツの男性に声をかけられた。明るい茶髪に金色の目。言葉遣いも相まってチンピラのようだ。
この塔の管理人でないとなるとどこかの聖女の付き添いということになるが、彼もアンネさんと同じく騎士なのだろうか。
「アンタが新入りの聖女さんっスか?」
「はい。ネロトリア王国第十三代目聖女のレオ・ウサミです。よろしくお願いします」
「オレはルイス・バトラー。名前と格好見たら分かると思いますけど、コルトリカ聖女の執事っス」
バトラーという名字は確かに執事になるためにあるような名前だが、執事とはもう少し丁寧な言葉遣いが必要とされる職業だったはずである。さらに服装もアニメや漫画で目にするような燕尾服ではなく、一見すると何の変哲もないスーツだ。こちらの世界の執事は、もしかすると元の世界のそれとはかなり違っているのかもしれない。
「ご無沙汰しております。ルイスさん」
「あれ、アンタとは会ったことありましたっけ」
「以前一度だけ。改めまして、フィリップ・アインホルンと申します」
「ご丁寧にどうも。じゃあさっさと行きますか。うちのお嬢待たせてるんで」
アンネさんからの自己紹介を軽く流し、ルイスさんは行き先も告げないままに歩き始める。確かアンネさんは今日の集会で顔を合わせる聖女のうち一人とは面識があると言っていたが、果たしてどこの国の聖女だっただろうか。
「塔の中もある程度説明しろって言われたんスけど、コロコロ変わるんで最低限だけ教えときますね。フィリッポさんの部屋は三階の赤い扉、ウサギさんの部屋は同じ階の黄色い扉が目印っス。部屋に大体はそろってますし、なくても言えばできるんで、欲しいもんがあったら塔に言ってくださいね」
入り口だけでなく部屋のレイアウトも変更が可能らしいという事実に驚かされてつい言いそびれてしまったが、名前を微妙に間違って覚えられている気がする。もしや俺と同じように人の名前を覚えることが苦手なタイプなのだろうか。執事としてはかなり致命的ではあるものの、もしそうだとするなら少しだけ親近感が湧くかもしれない。
「集会中に集まるのは中央の円卓の間っス。今回はウサギさんと他の聖女さんとの顔合わせの他に、各国で聖女派遣が必要な案件がないかの確認とか、まぁ国から言われてること報告すればいいみたいっスよ」
確かに国を出る前、イーザックさんから書類を渡され、目を通しておくようにと言われていたが、まだこちらの文字を完全に読むことはできないため、報告に関しては全てアンネさんに丸投げ状態となっている。こちらの世界に来てから日が浅く、ここのところ事件続きでゆっくり文字を学ぶ時間がなかったとはいえ、それを他の面々が理解してくれるかというと微妙なところだ。
「後のことは俺よりお嬢とかの方が詳しいと思うんで、そっちにどうぞ」
ルイスさんは本当に必要最低限のこと以外は何も教えてくれないため、扉を開けて通り過ぎた部屋が何のための部屋なのかさえも分からないままに彼の後ろをついていくことになる。
俺たちの部屋は三階と行っていたが、具体的に三階のどのあたりにあるのか。
円卓の間という部屋はどこにあるのか。
今開けたのは廊下に出る扉なのか、それともどこかの部屋に入る扉なのか。
聞きたいことはいくらでもあるが、一体どこに向かっているのかも分からないまま階段の上り下りを繰り返し、外から見るよりも明らかに広い廊下を一切の休憩を挟むことなく歩き続けていると、さすがに疑問よりも疲労の方が勝ってくる。
「あ、そういや聞いてなかったんスけど、聖女さんとそのお付きの人って……あれ、もしかして疲れました?」
「いえ……大丈夫です」
ついそう答えるが、明らかに息が上がっている状態では説得力がないだろう。
一応これでも中学校では運動部に所属していたのだが、高校では部活に入って間もない頃にこちらに来てしまったため、中学での部活引退から高校での入部までのブランクが体力の衰えとなって表れている状態だ。それにしてももう少し体力はあるだろうと思っていただけに、少し歩いただけでここまで疲れてしまうというのはかなり屈辱的でもある。
立ち止まってごく僅かな休憩を挟むと、ルイスさんは再び元のスピードよりも少し遅めの足取りで歩き始め、目の前の扉を開け放った。相変わらず必要以上の情報について教えるつもりはないらしい。
「それより一つ確認したいんですけど、他の皆さんって今どこにいるんですか?」
「貴方の目の前ですわ」
気の強そうな声に顔を上げると、目の前にはアニメや漫画で見たような円卓が部屋の中央に鎮座しており、俺たちが入ってきた扉から見て左手奥に仁王立ちをしている女の子の姿が目に付いた。ピンクの髪をドリルのようにカールさせた髪型に、特徴的な言葉遣い。まさに向こうの世界でいうところの「悪役令嬢」そのものの出で立ちである。
円卓の各座席には聖女と思しき人たちが座っており、そのそばには各国の代表者と思しき人が控えていた。空いているのは仁王立ちをしている女の子の隣の席──あれが俺の席だろう──だけだ。
「あ、お嬢~、ウサギさん連れてきたっスよ」
各国聖女の中で一人だけ代表者がいないのを見るに、彼女がルイスさんの言う「お嬢」らしい。思っていた方面とは少し違っていたものの、確かに見た目も中身も間違いなく「お嬢」だなどと場違いなことを考えていると、そのお嬢の目が再びこちらへ向けられた。
「早く席に着いてくださらない? 貴方たちが最後ですわよ」
鋭い指摘を受け、急いで空いている席に向かうと、アンネさんが静かに椅子を引いてくれた。公の場でこれをされると、自分がかなり偉い立場の人間になったようで少し緊張してしまう。あながち間違いでないというのがさらに困りものだ。
「さて、これでようやく全員揃いましたわね。それではここに、聖女集会の開始を宣言いたしますわ」
お嬢様然とした開始宣言により、いよいよ今回の聖女集会が幕を開けた。これまでの公務と比べるとこの場にいる人間の数が段違いに少ないが、各国の聖女が一堂に会するとなると、漂う空気が少し張り詰めているような気がする。円卓の間と呼ばれているらしいこの部屋の雰囲気に圧倒されているせいだろうか。
「では始めに、各国代表者による聖女および代表者の紹介を」
「じゃあ言い出しっぺってことで、ウチから始めさせてもらいますね~」
そんな中でもルイスさんは大して緊張する様子も見せず、俺たちを案内してくれたときのような砕けた口調のままで紹介を始めた。
「こちらはコルトリカ連邦共和国の十五代目聖女、アレクサンドラ・レヴィ・ネイサン・ボールドウィン様。そんでオレが代表者のルイス・バトラーっス。お嬢の執事やってます。オレは元々家名がなかったんで、この家名は俺を拾ったときにお嬢が適当に付けたやつなんスけど、執事にバトラーってそのまんますぎて俺としてはもうちょっと凝ってくれてもよかったような気が……」
「ルイス、余計なことまで言う必要はありませんわ。早く次に行きなさい」
「え~、オレとお嬢の馴れ初め大事じゃないっスか~」
ルイスさんは残念そうに言うが、彼の言う「お嬢」ことアレクサンドラさんはその主張をまるで聞こえていないかの如く聞き流している。さすがに主とあって彼の扱いには慣れているようだ。どことなくアンネさんとイーザックさんを彷彿とさせるかもしれない。
「じゃあ次、ニーアさんどうぞ」
「はっ、はい!」
続いて紹介を始めたのは青髪で眼鏡をかけた女性だ。短い前髪と小柄な身長のせいもあって、女の子と呼んでも差し支えのなさそうな年齢に見えるが、それよりも気になるのは彼女の近くに腰かけているエルフと思しき二人の女の子の方である。どちらの髪も黄緑色なのを見るに、姉妹か双子であることは間違いなさそうだ。彼女たちのうちどちらが聖女なのだろうか。
「えっと、こちらはユーデルヤード共和国の八代目聖女、アラベラ様です。あたしは国立研究所の研究員をしている、代表者のニーナ・セラ・パルマと言います。よろしくお願いします。じゃああの、次はイツキさんで……」
「おい嬢、新入りの嬢はあんたんとこの聖女が二人いる理由、知らねぇみてぇだぞ」
ニーナさんの声を遮るように声を上げたのは、彼女のすぐ隣に佇んでいる黒髪の男の子。彼に悪気があるわけではないのだろうが、指摘されたニーナさんは軽くパニックになってしまっている。どう見ても人前で話すことが得意なタイプではなさそうだ。
「あっ、えっと、それは……」
「二人で名前を半分こ」
ニーナさんが指摘された内容について説明を始めるより先に、俺から見て左側、釣り目の女の子の方が短く言葉を発する。大きさも見た目もまるで人形のように見えるせいで、何となく目の前の光景が現実味を帯びていないが、彼女の言葉に呼応するように、今度は俺から見て右側、垂れ目の女の子の方が言葉を発した。
「一人の名前を半分こ」
「二人で一つ」
「一人で二人」
「「双子のエルフはそれがしきたり」」
双子の姉妹だからという理由で集会にも同行しているのかと思ったが、どうやら二人で一人という扱いだからという理由で二人セットでの出席だったらしい。結界を抜けてきているのを見るに、どちらかではなくどちらも聖属性魔法が使えるということなのだろうか。
「そ……そういうことです。彼女たちのことは、皆さんから見て左側にいるお姉さんの方をベルさん、右側にいる妹さんの方をベラさんと呼んでいます。すみません、説明不足で……イツキさん、お願いします」
イツキ。これまた日本でよく聞く名前が登場した。これは先ほどの男の子の名前だろう。男性と称するにはあまりに若く、俺と同じか少し年下くらいの年齢に見える。隣の女性と比べると、息子か、弟と言われても納得できてしまうかもしれない。
「シノノメ国第六代目聖女、シオン・タチバナ。そんでおれは代表者のイツキ・タチバナだ。一応はこのババアの孫ってことになってる」
ババアという場違いな単語に思わず飛び出しそうになった声を押し留め、先ほどまで親子か姉弟と思って見ていた二人に目をやる。
和装に身を包み、浅葱色の髪を簪でまとめているシオンさんはどう見てもババアと呼ばれるほど高齢とは思えないものの、もし仮にイツキさんくらいの孫がいるとなると、果たして彼女の年齢はいくつなのだろう。
「これイツキ、吾は人をババア呼ばわりするような子に育てた覚えはないぞ。昔はよく吾の後ろをついて回りながら『お姉さん』と呼んでいたではないか」
「うるっせぇ! ガキの頃の話だろうが! 大体、あんときはまだあんたの歳も知らなかったし……今年できっちり五百のババアを嬢なんて呼べるわけねぇっての!」
「ごっ……⁉︎」
とうとう抑えきれなかった言葉を遅れて封じ込めるように口を塞ぐも、シオンさんは穏やかな笑みを浮かべるばかりだ。
今年できっちり五百。話を聞いている限りではシオンさんの年齢として受け止められるのだが、異世界とはいえ寿命の長さが明らかに人間のそれではない。もしや彼女は聖女である以前に仙人か何かなのだろうか。
「それなら孫らしく『おばあちゃん』と呼べばそれで済む話であろう?」
「うるせぇババア! おい赤髪! あんたの番だぞ!」
他国聖女の紹介にいちいち驚かされ続け、そうして気付けばとうとう俺の番である。特にここで俺が何か言葉を発することはないが、ネロトリア王国の聖女としてこの場に来ている以上、だらしない姿は見せられまいと思い、気付かれない程度にさり気なく背筋を伸ばしてみた。
「こちらはネロトリア王国十三代目聖女、レオ・ウサミ様でいらっしゃいます。礼央様は召喚の儀にて異なる世界からこちらの世界にいらっしゃいました。私は代表者の聖騎士、フィリップ・アインホルンと申します。以後、お見知りおきを」
異世界から来たことまで言う必要があったのかと思ってしまったが、もし俺が異世界から来たことを知らない人がいたとするなら、今後の意思疎通に様々な無理が生じてきそうだ。もしかすると、これはアンネさんなりの気遣いなのかもしれない。
「フィリッポさんって真面目っスね~。ネロトリアの人って皆そうなんスか?」
「いえ、必ずしも全員がそうというわけではありません。公私はきちんと分けている者が多いという印象ではありますが」
「それを真面目って言うんスよ」
アンネさんが真面目というのは最もだが、それ以上にルイスさんが軽すぎる気がする。半年に一度しか会わないとなると覚えていられないのかもしれないが、それでも今回の集会を穏やかに終えるためにも、そろそろ指摘するべきなのかと思ったそのとき、不意にイツキさんが声を上げた。
「……お前、ここに来るの初めてじゃねぇだろ」
てっきり俺に言われているのかと思ったが、イツキさんの視線はどちらかというと俺の左隣──ルイスさんに向けられているようだ。
「コルトリカの執事は人の名前もまともに覚えらんねぇのか?」
果たしてどう訂正したものかと迷っていたことについて言及してくれたのはありがたいが、できることならもう少しマイルドに指摘してほしかったところである。内心冷や汗をかきながら当のルイスさんを見やれば、退屈そうな横顔が返ってくるばかりであり、彼の心中を読み取ることはできなかった。
雲行きが怪しくなってきたことを悟ったのか、ニーナさんは既に居心地の悪そうな表情で視線を彷徨わせている。
「育ちが悪いのは認めるっスけどね」
「育ちの問題じゃなく敬意の問題だろ。さっきからいちいち微妙に間違えやがって」
「ボス以外に払う敬意なんてないっスよ」
「仮にも聖女に対しての物言いじゃねぇっつってんのが分かんねぇのか?」
「アンタは聖女じゃないじゃないっスか。え~と……イツカくん?」
「イツキだ!」
言葉を交わせば交わすほど空気は重さを増していくが、ニーナさんは事態を青い顔で見守っており、ベルさんとベラさんは全くの無関心。シオンさんに至っては微笑ましそうに見つめるばかりで、アレクサンドラさんは明らかに不機嫌と分かる顔で二人を睨みつけている。彼女の雷が落ちるのも時間の問題かもしれない。
「大体、アンタだってちゃんと覚えられてるんスか? シノノメは集会の常連っスけど、アンタが出席するようになったのって割と最近っスよね。ベルさんとベラさんの見分けつきます?」
「あ、当たり前だろ……姉貴の方が右で、妹の方が左」
「逆です! 左がお姉さんのベルさんで、右が妹さんのベラさんです!」
二分の一を見事に外したイツキさんは罰が悪そうな顔で頭を掻き、小さな声で謝罪の言葉を口にする。正直、俺もどちらがどちらかを確実に当てられるかと聞かれたとしても外す自信しかないため、ここで彼を責める気にもなれない。
「髪と目の色は同じですけど、ベルさんは少し癖毛で、ベラさんはまっすぐなんです。それから目の形も少し違ってますし……よく見るとそれぞれに特徴があるんですよ。そうですよね」
確かめるようにニーナさんがベルさんとベラさんに話を振るが、明らかに聞こえているであろう距離から声をかけられても、二人はノーリアクションである。どうやら代表者というものは、必ずしも聖女との相性を重視して選び出されるわけではないようだ。
「人のことをとやかく言う前に、まずは自分が覚えなきゃダメじゃないっスか。何ならオレと一緒に覚えます?」
「全員の名前少しずつ間違えてるお前に言われたくねぇっての……どうしてもって言うならおれが教えてやろうか?」
売り言葉に買い言葉とはまさにこのことか。円卓の真向かいに位置しているから取っ組み合いの喧嘩には至っていないものの、これが隣同士だったらと考えるとぞっとする。今でさえ隣のアレクサンドラさんからは隠すつもりのない殺気が溢れだしており、もういつ爆発してもおかしくない状態だ。
「貴方たち、いい加減に……」
「あっ、あの!」
とうとうこの険悪な空気に耐え兼ね、アレクサンドラさんの言葉を遮るように声を上げると、それまで騒がしかった部屋は一瞬にして静まり返り、部屋中の視線が俺に集中する。
メンバー同士の相性がどれだけ最悪だとしても、ここから五日間、このメンバーで過ごさなければならない事実は変わらない。一日目の最初の数時間からこうして仲違いをしていては始まらないだろう。となればまず必要なのは、この重苦しい空気を一掃し、仕切り直しの機会を作ることだ。
そこで俺は十秒ほど悩んだ末に、頭をフル回転させて導き出したある案をぶつけてみることにした。
「お昼休憩にしましょう!」




