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19話「アウスグスのゆりかご」


「アンネさん!」


 恐らくこの場の誰も知らないであろう名前を叫びながら窓から飛び出す俺を、扉の手前に仕掛けた結界が砕け散る音が追いかけてくる。魔力を吸われているとはいえここまで早く突破されてしまうとは、俺が思っているよりも俺の魔力が大したことないのか、それとも駆けつけた二人が強すぎるのか。どちらにせよここで攻撃されては地面に叩きつけられて死ぬほかない。


 その場しのぎだとしてもとにかく結界を張ろうと後ろに目を向けた次の瞬間、下から飛んできた何かに勢いよくぶつかった。物体にしてはやけに大きく、俺を包み込むようにして腕を回したその何かの正体を確かめる間もないままに聞こえてきたのは、久しぶりに聞くあの人の肉声。


「イーザック!」

「分かってるって!」


 それに応えるように、いつもより少しだけ緊張感のあるイーザックさんの声が聞こえたかと思うと、俺の頭はアンネさんの腕に覆われ、次の瞬間にはクッションのような柔らかいものに着地していた。


 未だ騒がしく響く戦場の喧騒が遠のいていく代わりに、やけに至近距離から鳥が羽ばたくような音が聞こえている。


「礼央様、ご無事ですか?」

「ご無事です……?」


 何が起きたのか未だ見当もつかず、やや疑問形で質問に答えるが、それでもアンネさんはいくらか安心したらしく、俺の頭をしっかりと覆っていたアンネさんの腕の力が少しだけ抜けていくのが分かった。


 少し顔をずらして音のする方を見ると、そこには黒い翼を持った大きな鳥の腹がある。鳥は全部で四羽、鳥たちの足は俺たちが今いるハンモックのような布を掴んでおり、まるでコウノトリのようなやり方で俺たちを運んでくれているらしかった。


「これは?」

「アウスグスと言いまして、普段は彫刻の姿をしているのですが、契約すればこのように人や物を運んでくれる魔物です。宮殿にいたものをイーザックが呼び出したようですね」

「これ、向こうから狙われたりしないんですかね」

「魔法で隠しているようですので、ご安心を」


 ハンモックは丈夫な作りになっているようで、多少動いても不安定になることはない。少し身を乗り出して眼下に広がるグラストニアの街並みを見てみたが、石造りの家が多いせいか、冷たい国という印象を抱いてしまう。


 出来ればもう二度と来たくない国だが、タビサさんのことは少し気がかりだ。自分の意思でこの国に留まりたいと思っているならまだしも、何か事情があって出られないだけなのだとしたら、どうにかして力になりたい。ネロトリアの方で何か彼女について調べることはできるだろうか。


「……それより、礼央様」

「はい?」


 アンネさんの声色がいつもより沈み込んでいることにも気付かないまま振り返った先には、明らかに憤怒を滲ませたアンネさんの顔がある。思わず母に叱られるときのように正座に直って向き合うと、アンネさんは怒鳴ることもせず、静かに切り出した。


「何故、あのような真似をなさったのです」


 あのような真似、というのは、どう考えても窓から飛び降りた件についてだろう。仮にも一国の聖女としては軽率な行いだっただろうかという考えが浮かぶが、彼が怒っている理由というのはそのようなものではないはずだ。


 一国の聖女以前に、俺が彼の制止を振り切って無茶をしたことに怒っているのである。


「すみません……とにかく逃げなきゃと思って」

「私たちが間に合わなかったらどうなさるおつもりだったのですか」

「……そのときはほら、魔法でどうにか」

「触れれば消し炭になるか、よくて弾かれる結界と物理攻撃遮断魔法に、範囲回復、促成魔法でどんな策を講じようとしていたのか、お聞かせ願いたいところですね」

「うっ……」


 いつになく容赦がないアンネさんの言葉を前にして、「カタクナールで窓を割ったのと同じ要領で地面を弾けば死ぬことはないと思った」などという言い訳を口にできるはずもない。言おうものならその瞬間に雷が落ちそうな雰囲気である。


「でも、こうして無事に脱出できてるわけですし……」


 それならば別の角度からと思い結果論で挑んでみるも、言い終えるよりも先に両頬をつねられ、視界の中央に般若のようなアンネさんの顔が固定された。元が美人なだけにとてつもない迫力がある。


「死んでもそれが言えますか」

「……ごめんなひゃい」


 気付けば俺は子どものようにそんな謝罪文句を口にしていて、アンネさんはしばらく俺の目を見つめた後、小さくため息をついてから俺を解放した。


「いくら魔力の器が大きくとも、それを覆っているのは生身の体です。魔法があるから、男性だからといって、過信するのはおやめください。性別や魔力の有無に関係なく、命とは等しく守るべきものであり、守られるべきものなのです」

「……気を付けます」


 こんな風に誰かから大真面目に説教を食らったのはいつぶりだろう。これまで問題児扱いされることこそなかったものの、人並みの悪戯をして大人に叱られたことは一度や二度ではない。それでも彼からの説教が記憶にある限りのどの言葉よりも堪えるのは、彼の説く命についての話がやけに重たい説得力を持っているからか、それとも自分がしたことの重大さを理解しているからなのか。


 とにかく俺が彼の言うことを理解したことを悟ったらしいアンネさんはようやく緊張を解き、いつもの穏やかな彼に戻った。


「申し上げたいことは他にいくらでもありますが、今回のことは貴方様から目を離した私の責任でもありますので。──恐ろしい思いをさせてしまい、申し訳ございませんでした」


 そう口にすると、アンネさんは深く頭を下げる。連れ去られる機会を作ってしまったことに対してではなく、あくまで俺が恐ろしい思いをしたことに対して謝ってくれるのはどこまでも彼らしいが、何も今回のことは彼だけの責任というわけではないだろう。


「いや、元はといえば俺が相手の変装に気付けなかったのが原因ですから! 部屋に入れる前に疑うべきだったんです……俺の方こそすみません」

「敵もそれを想定して私に化けていたのでしょう。入り口に護衛をつけておけばこのような事態は防げたはずです。……連れ去られる際にまで敵の攻撃が私に及ばないように結界を張るのはいかがなものかと思いますが」

「黒い炎とか明らかに危ないじゃないですか。どう考えても火傷じゃ済みませんよ」

「……お心遣いはありがたいのですが、まさに誘拐されようとしているあの場面では私どもよりご自分の身を案じるべきかと」


 その言葉はもっともだが、あのときは大事に抱えられている俺よりも、無防備に飛び込んできたアンネさんの方が危ないと判断したから結界を張ったのだ。俺のことを守ってくれるという彼らのことを、俺が守りたいと思うのはそれほどおかしなことではないはずだろう。


「でも、俺のことはアンネさんたちが守ってくれるじゃないですか」


 命に代えない程度に、と付け足すと、アンネさんは何か言いたげな顔をこちらに向けたが、それを言わせまいと続けざまに言葉を吐き出す。


「さっきだって、アンネさんたちを信じてたから飛べたんですよ」


 恐らく死んでいないとはいえ、目の前で人が落ちるのを見てしまった直後に飛べる高さではない。それでも俺が迷いなく飛べたのは、下にアンネさんたちがいることを確信できていたからだ。同じ状況、同じ手札でも、直前にアンネさんの声を聞けていなければ、あそこで飛び降りる覚悟まではできなかったかもしれない。


 アンネさんは呆れたように小さくため息をついたが、そこからまた説教が始まることはなく、代わりにあるのは、彼が俺を甘やかすときに見せる少し困ったような笑みだけだった。


「……信用されすぎるのも困りものですね」


 信用しているというよりは信頼していると言いたかったのだが、その言葉は噛み殺しきれなかった欠伸に上書きされてしまって、外に飛び出すことはない。あまり眠れなかったせいか、気が抜けた途端、一気に眠気が襲ってきてしまった。ネロトリアに着くまで起きていられるだろうか。


「少し横になられますか?」

「いや、起きてます。今寝るとしばらく起きられない気がするので」

「到着までまだ時間があります。今のうちにお休みください」


 ネロトリアとグラストニアの間にどれだけの距離があるのかは分からないが、確かにこのアウスグスというらしい鳥たちに運んでもらうとなるとそれなりに時間がかかりそうであるため、ここはアンネさんの言葉に甘えて横になることにした。


 布団がないとはいえ、ハンモックはクッションのように柔らかく、あの硬いベッドと比べればまるで天国のようである。俺としてはこのままでも十分に寝られそうなのだが、しかし体は正直なもので、少し控えめなくしゃみがこぼれ落ちた。


「冷えますか?」

「……ちょっとだけ」


 遥か上空を飛んでいるということもあり、吹きすさぶ風も冷たいが、さすがにアンネさんの前とはいえスカートを被るわけにもいかない。横になれるだけありがたいというものだろう。


「上着があればよかったのですが……」

「いえ、そこまでは。でも朝までは着てましたよね? 脱いじゃったんですか?」

「礼央様を受け止める際、踏み台にしたまま置いてきてしまいました。あの上着にかけられた物理攻撃遮断魔法を使って、礼央様のいる階まで飛びましたので」

「ああ、それで下から飛んできたんですね……」


 寝る前の雑談程度に尋ねれば、少し意外な回答が返ってくる。アンネさんがあまりにも自然な流れで言ったせいで一度は流しかけたが、冷静になって考えてみると少し違和感のある言葉だ。


 俺がカタクナールと呼んでいる物理攻撃遮断魔法は、触れたものを一時的に物理攻撃の一切を跳ね返す強靭な鎧にするというものだ。しかし俺の物理攻撃遮断魔法というのは、防御を極めすぎた結果、かなり攻撃的な性格の方が強くなってしまったという少し厄介な面も持ち合わせている。攻撃は最大の防御ならぬ防御が最大の攻撃になってしまっているというわけだ。


 アンネさんは確かに、俺を受け止める際にカタクナールをかけたあの上着を踏み台にしたと言った。触れたコインが天井を突き破り、俺の拳に窓を大破するだけのエネルギーを乗せるあの魔法ならば、理論上は恐らくそのエネルギーを利用して上に飛び上がることも不可能ではないのだろう。


 だがそれは、エネルギーの大きさそのままの負荷が踏んだ人間にもかかるということでもあるわけで。


「えっ、あれ……踏んだんですか?」

「助走をつけて」

「……跳び乗る感じで?」

「勢いよく」


 思わずアンネさんの足を見た。男性とは思えないほどに細くて長い綺麗な足だ。この足があれだけのエネルギーと自身の体重を支えようとしたらどうなるのかということくらいは、俺でも分かる。


「折れ……折れちゃいますよ足!」

「こちらの台詞です。礼央様の場合は骨折で済みませんよ」

「アンネさん足! 足は⁉︎」

「折れてはいないようですので、二、三日もすれば治るかと」

「治します! 責任持って治しますから!」

「結構です! 今は休むことだけをお考えください!」


 慌てて起き上がろうとしたところ、半ば転がされるようにして寝かされ、挙句の果てには子どもを寝かしつけようとする親のように添い寝までされてしまった。


 目撃者がいないとはいえかなり恥ずかしいのだが、しこたま怒られた直後では文句を言うわけにもいかず、何より布団のないこの状況での人肌の温もりというものは、さながら正月のこたつと同じくらいに離れがたい。


 羞恥心と安心感、申し訳なさと温かさ。それらを比べてしまえば当然、後者を優先したくなってしまうのは仕方のないことだろう。そう自分に言い訳をして、大人しく添い寝されたまま眠りにつくことにした。


 それにしても、まさか魔法をかけた上着を踏み台にあの高さまで跳んできてしまうとは、イーザックさんが言っていた「脳筋部隊」という呼び名もあながち間違いではなかったのかもしれない。


「アンネさんの方が無茶苦茶じゃないですか……」

「主に似てきたのでしょうね」

「誰ですかそんな無茶苦茶な人……」


 国王陛下だろうかと思いつつそう言えば、アンネさんは少し驚いたように目を丸くして、それから何か大切なものの話をするような顔で答えてみせた。


「どこまでも人を想い、気遣うことのできる、危うくも可愛らしい方です」


 人を想い、気遣うことのできるという部分まではもしかすると当てはまるのかもしれないが、可愛らしいとなると女王陛下だったりするのだろうか。どちらもあまり面識はない上に、押し寄せる眠気の中ではアンネさんの言う主が誰なのかをそれ以上考え続けることは困難である。


 緊張状態からの解放と、程よい揺れ、そして温もり。それが揃ってしまえば、眠気を抑え込めという方が無理というものだろう。


「……いつか会ってみたいですね」


 欠伸を一つこぼしながら目を閉じると、意識が途切れる直前、子守唄のようなアンネさんの声が聞こえた気がした。


「──いつでも会えますよ」


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