18話「大空に叫ぶ」
「えっと……いきなりすみません。騒がしくして」
何故か俺を助けてくれたらしい女性に対して言いたいことは山ほどあるが、その中でもまず真っ先に言うべきと判断した謝罪から先に済ませてみる。
軍事基地にいるということは軍人の家族である可能性もあるが、それにしては服装があまりに質素で、部屋も俺が放り込まれた部屋ほどでないにしても殺風景である。
加えて肌の色がネロトリアやグラストニアでは見たことがないタイプであることから考えるに、彼女もどこか別の国から連れてこられた人なのかもしれない。
もしそうだとするなら、俺はどうするべきなのだろう。彼女には申し訳ないが、今の俺は自分一人が逃げ出すことだけで精一杯、むしろそれさえもまともにできていない状況だ。下手に連れ出して彼女が危険に晒されたとしても責任を取れないし、それならばアンネさんたちにこのことを伝えて、策を講じてもらう方が確実な気もする。
しかしそれを決めるためには、彼女が何故ここにいるのか、そして彼女にここから出る意思があるのかを明らかにする必要がある。俺にできることというのは驚くほどに少ないが、せめて彼女の現状を伝えるという形で恩返しがしたいのだ。
「あの、貴方は何でここに──」
だがそんな問いかけを口にしようとした瞬間、彼女は何故か唐突に自分の服の裾を裂き始めた。明らかに下に何かズボンなりスカートなりを履いていると分かる格好ならまだしも、彼女は見える限りではシャツしか着ていないようである。
下着姿であちこちを歩く姉の姿を見せられているとはいえ、さすがに年頃の男子としては見ず知らずの女性の肌が際どいところまで露わになっていく光景というのは刺激が強すぎるのだ。
「え、あ、きっ、着替えるなら俺、外! 外にいますから!」
訳も分からずそんなことを口走りながら顔を覆ってやり過ごそうとしていると、不意に彼女は俺の腕に破いた布を巻きつけて、それから軽く結んでくれた。その布の下には、俺が先ほどガラスで切った傷が眠っていて、どうやら彼女は俺の傷の手当てをするためにわざわざ自分の服を裂いてくれたらしい。
極めつけにはまるで注射を嫌がる子どもにするように優しく頭を撫でられてしまったものだから、俺はつい数秒前の自分の言動を呪った。ここに来るまでで接してきた者たちが揃いも揃ってろくでなしだったこともあり、彼女の優しさがどうしようもなく沁みてしまう。うっかり気を抜くと泣きそうだ。
だが安心するのはまだ早い。今は一時的に軍人たちがいないとはいえ、またいつ追手が来るとも分からないのだ。どうにかして外にいるアンネさんたちと連絡を取らなければ。
彼女から何か外部との連絡手段になりそうなものを借りられないだろうかと思いつつ、殺風景な部屋を見渡してみる。あるのはこれまでの部屋と同じようにやたらと大きな窓と、硬そうなベッドと机、それから椅子。開け放されたクローゼットもあるが、中にはほとんど服が入っておらず、彼女が今着ている服とそう変わらないものしかなさそうだ。
しかし、手がかりがないなら早々に部屋を出るべきだろうかという考えが頭を掠めたそのとき、机の上に転がる耳飾りが目についた。
「……あれ、誰かからもらったんですか?」
妙に見覚えのある耳飾りを指さして尋ねるが、通じていないようで首をかしげられてしまった。絵か何かを描いて伝えられたら楽なのだが、当然この部屋にそんなものがあるはずもない。
「あ〜、耳飾り、贈り物……?」
仕方なくジェスチャーを交えつつ尋ねてみると、今度は伝わったようで彼女は薄い笑みをたたえて頷いてみせた。
確証はないが、どうもあの耳飾りは俺が持っていた魔具に似ている気がする。連れ去られるときには確かに持っていたはずだが、部屋で目が覚めたときには手元になかったことから、俺を連れ去ったテオドールが持っていたと考えるのが妥当だろう。
魔具であることは分かっていたはずだというのに、わざわざ彼女の部屋に置いておいたとなると、何か仕込まれている可能性が高いが、とにかく今は居場所を伝えることが先決だ。
「あれ、見てみたい。いい?」
もし断られたらどうしたものだろうかという俺の心配をよそに、彼女は素直に耳飾りを持ってきてくれた。デザインや重さからしても間違いなく俺が持っていた魔具だ。連絡手段として必要不可欠であるし、何よりせっかく街の子どもからもらった魔石で作ったものであるため、出来れば返してもらいたいが、ジェスチャーでどの程度説明できるだろうか。
気がかりはまだいくつもあるものの、今はアンネさんと連絡を取らなければならない。教わった通りのやり方で、脳裏にアンネさんの顔を思い描き、控えめに声を発する。
扉の外から聞こえてくる足音が、少しずつ増えてきていた。
「アンネさん、礼央です。聞こえますか?」
魔具から聞こえる音に耳を澄ませると、人の怒号や武器がぶつかる音ばかりが聞こえてくる。どう聞いても戦っている最中であり、連絡を取り直すべきかと考えかけたが、それよりも先に周囲の雑音を抑え込むようなあの人の声が聞こえてきた。
『礼央様、今どちらに⁉︎』
アンネさんだ。離れていたのは一日足らずだというのに、実家に帰ったような安心感がある。懐かしい人の声につい油断してしまいそうになるが、今はできるだけ状況を簡潔に伝えなければ。
「グラストニアの軍事基地みたいなところにいます。部屋を抜け出したので見張りはいないんですけど、代わりに追われてます。攻め込んできたネロトリアの人たちっていうのはアンネさんたちのことで合ってますか?」
『ええ、できれば私もそちらに向かいたいところではあるのですが……』
「無茶はしないでください。俺もどうにか脱出できないかやってみるので」
『それこそ無茶です! 我々が向かうまでその場でお待ちください!』
「そうしたいのは山々なんですけど……」
彼なら絶対にそう言うと思ったし、出来ることなら俺もこれ以上恐ろしい思いをしたくないというのが本音だ。
きっとアンネさんたちは、俺がどこで縮こまっていようと必ず見つけ出してくれるだろう。決してそこを疑っているわけではないのだ。
だがその過程でグラストニアの軍人と出くわさないというのはどう考えても無理な話であり、現に扉の向こうから聞こえる足音は先ほどよりもずっと多くなっている。俺がこの辺りにいることがバレ始めているということだ。こうなってしまえばもはやアンネさんたちの到着を待つだけの時間はない。
「……そんな余裕もなさそうなので」
最悪ここで捕まったとして、俺を部屋に引き入れた彼女が匿ったのだと思われる事態は避けたい。どうすれば彼女の立場を悪くしないままここを出られるのかと思案していると、両手首にはめられていた枷が音を立てて外れるのが分かった。
どうやらこの部屋の住人である彼女が外してくれたらしく、彼女は内緒とでもいうように人差し指を立ててみせた。やり方は分からないが、鍵を使った様子がないのを見るに、何か魔法を使ったということなのだろうか。
「……ありがとうございます」
助けてくれて、匿ってくれて、枷も外してくれた。ここまで何かと世話になった彼女の迷惑にならないよう、細心の注意を払ってここを抜け出したいが、情けないことに俺にはそのための策らしいものは何一つ思い浮かばない。
だとすれば、どうするか。
「──よかったら、一緒に来ますか?」
考えるより先にそう口にしてから、慌ててジェスチャーを加えようとするが、彼女はただ静かに首を横に振った。
どうやら俺の言葉が完全に通じているわけではないようだが、完全に通じていないというわけでもないらしい。彼女は俺が何を言っているのかを理解した上で、こう返しているのだ。
出来ることなら連れ出したかったが、彼女には彼女なりの事情があるのかもしれない上に、何より連れ出すことでかえって危険に晒してしまうこともあるだろう。
分かっていても諦めきれず、どうにか説得できないものかと考えていると、魔具からは切羽詰まったようなアンネさんの声が聞こえてくる。
『礼央様!』
「あ、すみません。大丈夫です」
俺たちが今いる部屋には、他の部屋同様に大きな窓と扉がある。フィクションではこうした場面において通風孔から脱出するというものがあるようだが、それらしいものは見当たらず、そもそもいくら小柄とはいえさすがに無理があるだろう。魔法が使えるようになったことを考えれば、何か他のやり方で脱出することもできるだろうか。
「アンネさん、そっちにイーザックさんっていますか?」
『ええ、おりますが……何をするおつもりですか?』
「イーザックさんなら、魔法である程度人を追い払うこともできるのかなと思って。下にいると危ないですし」
『礼央様、本当に何を……』
一度そこでアンネさんは言葉を切り、それから少しの間沈黙する。下にいると危ないから人を追い払ってくれと頼む時点で、俺がやろうとしていることはある程度絞られてくる。アンネさんは恐らく、その中から最悪の選択肢を想定したのだろう。
『……礼央様、お待ち下さい』
「窓ぶち破るので、それを場所の目安として追い払ってもらえると助かります」
『いえ、そうではなくて、居場所を伝える手段があるなら最初から応援の到着を……』
「あ、でもガラスとかいろいろ落ちてきたらさすがに避けますかね? その辺りどうです?」
『その程度なら問題ありません。それよりも貴方様の身の安全の方が優先です!』
「下に結界張ると最悪俺が消し炭になるので……やっぱり怪我人が出ないよう調整するのはそっちにお任せします」
『礼央様! まず私の話を……』
アンネさんはどうしても俺を止めたかったようだが、俺が聞く耳を持たないと分かるとさすがに諦めたようで、最後には怒鳴るような声でイーザックさんを呼んでいた。
下の準備はアンネさんたちに任せるとして、俺は脱出の際の気がかりを潰しておくことにしよう。伊達に毎度毎度強すぎる結界を張って呆れられていないのだ。
扉の手前に結界を張り、敵と味方の侵入を防ぐ。魔力を多少吸われたせいでいつもの強度は出ていないようだが、よほどのことがない限り破られることはないだろう。
「隠れて、気絶したフリして」
余裕がないせいでジェスチャーも雑になってきたが、彼女は理解してくれたらしく、素直に頷いてくれた。あとは外れた枷を持ち出せば、彼女が俺を逃がしたと思われる事態は防げるはずである。
「あと、耳飾りなんですけど……」
さすがに無断で持ち出すわけにもいかずそう切り出せば、黙って突き返されてしまった。いらないのか、それともこれが俺のものであることを理解してくれたのか、何にせよ話が早くて助かる。
お陰で少し、時間に余裕ができてしまった。本来であれば必要のない質問を口にできてしまうほどに。
「名前、教えてもらえませんか」
出来るだけゆっくり話すことを意識しながらそう問いかければ、彼女は首をかしげることもなく、まっすぐに俺の目を見つめて答えてくれる。
「タビサ」
「──タビサさん?」
確認の意味で繰り返せば、タビサさんは嬉しそうに頷いてくれた。どうやらこれが俺の恩人の名前ということらしい。イーザックさんあたりに調べてもらえば彼女の素性も割り出せるかもしれないが、そのためにも今はアンネさんたちと合流しなければ。
もうじきここには軍人たちが押し寄せてくるだろう。最後に何か言い忘れたことはないだろうかと思案していると、そんな俺の思考を断ち切るように結界に亀裂が入る音が響いた。
結界越しに見える扉は既に本来の役目を放棄してただ大きいだけの板に成り果てており、俺から侵入者の姿を隠してしまっているが、弱まっているとはいえ俺の結界を破ることのできる者など限られている。
よりによって俺が今、一番会いたくない二人──ノアとムルが駆けつけてしまったようだ。
「覚えておく。ありがとう!」
タビサさんへの礼もそこそこに、窓際へ駆け寄って自分の拳にカタクナールを発動する。喧嘩などろくにしたことのない善良な市民の俺は、拳のどこでどう殴れば上手にガラスを割れるのかなどまったく見当もつかないが、天井すら破る俺の魔法を前に、ガラスなど紙きれも同然だ。
「……それじゃあ、後は任せますよ」
魔具で呼びかけつつ拳を振り上げ、窓を大破する。残ったガラスはある程度金具で砕き、そのまま数歩後退。背後の結界が破られようとしている音に急かされるように、助走をつけて窓へと走る。
床を蹴った勢いのまま窓枠に飛び乗ると、遅れて事態を理解したらしい恐怖心が腹の底から沸き上がったが、それを再び腹の底へ押し込めるべく、俺は俺に勇気をくれるあの人の名前を、目の前に広がる大空へ向けて放ってみせた。
「アンネさん!」
 




