2話「DEAD OR LIE」
「仮住まいではありますが、しばらくはこの部屋でお過ごし下さい。何かあれば馳せ参じますので、こちらの魔具からお呼び出しを」
「……あの」
どういうわけか聖女としてこの異世界と思しき場所に呼び出されてから数十分。仮住まいという割にはあまりにも広すぎる部屋に足を踏み入れるなり、やや裏声を意識しながらそう切り出すと、聖騎士団所属だというフィリップさんは柔和な笑顔をたたえたままこちらを振り返った。
「どうかなさいましたか?」
どうもこうも、どうにかなりそうなことばかりなのだが、ひとまず余計なギャラリーがいなくなったところで、そろそろカミングアウトをしておくべきだろう。
フィリップさんを始め、聖女を心待ちにしているらしいこの国の人々には悪いが、嘘を隠すために嘘を重ねる生活などまっぴらごめんだ。既に取り返しがつかなくなっている気はするものの、それならなおさら早い段階で明かしておくに越したことはないだろう。
「こんな格好で言っても、説得力ないとは思うんですけど……」
召喚のタイミングの悪さが災いして、お世辞にも男らしいといえる格好でないことは理解している。しかしここを逃せば、次はどこの偉い人の前で俺の秘密が暴かれるかも分からないのだ。それだけは避けたい。
意を決し、今度はなるべく普段通りの声色を装いながら、喉の奥に秘め続けていた言葉を吐き出した。
「……俺、男です」
ありったけの勇気を振り絞ってそう告げると、フィリップさんは二度三度早めの瞬きをし、俺の顔を見つめ、それから俺の服に目を落として、それから髪に目をやる。
その辺りでもう一度俺の言葉を反芻したのだろう。その上で結論を出したらしい彼は、困ったように笑いながら言った。
「……ご冗談を」
それはそうだろう。
まるでドレスのような落ち着いた雰囲気のワンピースに、骨格を隠すためのケープ、元々明るい色の地毛に限りなく近い色であるブロンドのウィッグはゆるくウェーブしながら俺の腹の辺りまで伸びており、さらに作り込まれたナチュラルメイクも手伝って、今の俺はどこに出しても恥ずかしくないお嬢さんという感じだ。
一人暮らしをしている一番目の姉が実家に帰ってくるときにはいつも完璧な全身コーディネートされる上に、二番目の姉に髪をセットされ、三番目の姉にメイクを施されてしまうため、数時間後に鏡を見ると、大抵そこにはなかなかの美少女が佇んでいる。
よもやこの姿で男であると言われても納得する者はいないだろう。出来ることならここで理解して欲しかったが、そうもいかないなら仕方がない。
なるべくこの手段は使いたくなかったものの、手っ取り早く理解してもらうにはこれしかないのだ。
「そう言うなら触ってみますか」
言いつつ一歩歩み寄ると、何を言われているのか遅れて理解したらしいフィリップさんは一歩後ろへ。
「……いえ、ご婦人の……それも聖女様のお体に触れるわけにはまいりませんので」
「別にいいですよ、減るもんじゃないし。そもそも同性でしょ」
さらに二歩歩み寄ると、フィリップさんは逃げるように二歩後退。
これではまるで部下の女性に迫るセクハラ親父のようだが、同性同士ともなればノーカンだろう。
それに、これ以外に俺が男であると信じてもらう手段となると、それこそ同性相手でもセクハラになりかねないものしか思い浮かばない。
「そ、そのようなことを申されましても、確かめるすべは他にいくらでもありますし、触るまでもなく女性であることは明白で……」
「だから女じゃないっつってんでしょうが! いいから触れ!」
勢いよく三歩歩み寄り、逃げられるより先に相手の腕を掴んで自分の平たい胸へと導く。
半ば叩くようにして他人の胸に手を当てた、もとい当てさせられた経験などなかったのだろう。フィリップさんはしばらく無言で自分の手のひらを見つめて立ち尽くしていたが、最低限の冷静さを取り戻し始めた頃になってようやく、そこにあるべきものがないということに気付いたのだろう。仮にも聖女候補に対する礼儀や長ったらしい形式的な言葉遣いの何もかもを投げ捨てて、ごくシンプルに結論を出した。
「……ない」
あるはずはないのだが、それこそ聖女に対して失礼ではないのだろうか。彼が今後、その正直すぎる言動で女性からの反感を買わないことを祈るばかりである。女性の恨みというものは冗談抜きで恐ろしいのだ。
「分かってもらえたようでよかったです。いきなりすみませんでした」
「いえ……こちらこそ、ご無礼を」
そう言いながらも、先ほどの感触と目の前にいる人間の出で立ちがうまく結びつかないらしく、フィリップさんはどこか放心状態で言葉を返す。
想定していたものと違うものが届いた。状況的にはネット通販での典型的な失敗例だが、恐らくこの聖女召喚は国家を挙げての一大プロジェクトだ。間違えて男を呼びましたなどと言おうものなら、彼を始めとした聖騎士団メンバーの首が飛びかねない。そう思ったからこそ二人きりになったこのタイミングでカミングアウトしたのだ。
今ならまだ聖女召喚が行われたことを知る人間は少なく、ネット通販でいうところのクーリングオフもそれほど困難ではないはず。この手の話には詳しくないが、召喚が可能なら送還も可能だろう。
「誤解も無事に解けたみたいですし、どうでしょう。今のうちに俺を元の世界に帰して、今度こそ本物の聖女を呼び出すというのは」
「……それは出来かねます」
しかし返ってきたのは意外な言葉。それは本物を呼び出すことに対してなのか、それとも考えたくはないが俺を元の世界に返すことに対してなのか、意味合いによっては大問題である。
果たしてどこから聞いたものか決めあぐねていると、そんな俺の様子を察したらしいフィリップさんは近くにあった椅子を引き、着席を促した。
人生で初めて経験する賓客扱いに驚かされつつ、高そうな椅子に恐々腰を下ろすと、フィリップさんは向かいにある椅子には座らず、その場に起立したまま説明を始めた。
「ええと……出来かねるって、どういうことですかね」
「貴方様を元の世界にお帰しすることも、新たな聖女を召喚することも出来かねるという意味です」
フィリップさんから聞いた話をまとめると、どうやらこの世界の召喚には、中身だけを呼び出して召喚した側の体に憑依させるものと、実体を呼び出すものがあり、俺の場合は物理的な送還が必要になる後者であるため、元の世界に帰ることはできないということらしい。
そんな理不尽な話があるのかという怒りは当然あり、元いた世界に帰れないという事実はそれなりにショックだったが、そうなると俺はこの先の一生をこの世界で過ごすことになる。
今の懸念事項は帰郷が叶わないことよりも、今後の俺の処遇だと半ば無理やりに頭を切り替え、押し寄せる感情を一度排除して頭を整理した。
「聞きたいことはいろいろあるんですけど、まず聖女っていうのは何なんですかね」
「聖女とは聖属性魔法の使い手を指します。魔法にはいくつかの属性がありますが、その中でも聖属性は魔力供給の手段や発動方法が他の属性の魔法とは大きく異なっておりまして……」
フィリップさんがかなり噛み砕いて説明をしてくれるものの、元の世界にはなかった抽象的な概念をすぐに理解するのは難しく、俺の頭は早々にショートしてしまった。姉からゲームの話はたびたび聞かされてきたものの、属性だとか相性だとか、そういったものの話はほとんど聞き流してしまったのだ。
俺の頭の上で舞い踊るひよこでも見えたのか、フィリップさんは「他者とは大きく異なる特殊な魔法を使える人間であるということですね」と簡単に説明を終えた。
要するに、この世界におけるレアで強力なキャラクターというのが聖女ということらしい。
「でも俺、明らかに聖女ではないですよ。性別だって男ですし……」
「これまで男性の聖女が登場したことはありませんが、聖女や聖属性魔法についてはまだ明らかになっていないことも多くありますので、こうした想定外の事態そのものは珍しくありません」
つまり、この事態は想定外だが、想定外の事態が起こること自体は想定内ということのようだ。
となれば今回の件も、詳細について不明な点の多い聖女召喚の一例として片付けられるのだろうかと呑気に構えていると、フィリップさんは突然、深刻な面持ちで「ただ」と続けた。
「……男性の聖女誕生となると、話は別です」
名称に食い込む性別にすら逆行していくとなると、通常とは異なる扱いを受けることは必然だが、どうやら彼の口調から察するに、その異なる扱いというのも、いい意味合いのものではなさそうである。
「貴方様には五日後の国王陛下との謁見の場において魔法を発動していただき、そこで聖女の素質の有無を判断することになります。そこで聖女の素質がないと判断されたなら、その場合は恐らく国賓として扱われることになるでしょう。そうなれば性別を明かしていただいてもさほど問題はありません」
現状では最も可能性の高い結末における懸念事項が除かれ、ひとまず安堵する。どうやら聖女でなかったとしても、用済みとして放り出されることはないらしい。
「じゃあもし、聖女の素質ありと判断されたら?」
「正式にこの国の聖女として迎え入れられることになりますが……それは貴方様が女性であればの話です」
「男の聖女が出たと知れたら、国中の混乱を招く……みたいな話ですか?」
「いえ、聖女に男性が選出されたとなれば、招くのは混乱ではなく反乱です」
はっきりと言い放たれた「反乱」という言葉が、未だ日本の平和ボケした雰囲気を引きずっている耳を打つ。
「原理主義的な処女信仰を掲げる者からすれば、男性の聖女の出現ほど都合の悪いものはないでしょう。先ほど、男性の聖女は例がないとは申しましたが、かつて存在していたのだとしても、見つけ出される前に──というのも、あり得ない話ではありません」
難しい話や単語はよく分からない俺でも、ここまで丁寧に説明されれば何となく察しはつく。
少なくとも俺が呼び出された異世界は、俺が思うほど楽しいだけの場所でも、姉が言っていたようなスローライフを満喫できる場所でもないらしいということだ。
「……つまり、それって」
「ええ。最悪の場合ではありますが……」
この世界に来てから、言葉を交わしたのは彼のみ。そんな状況で彼の言葉を鵜呑みにするというのは危険なことかもしれないが、彼がこのような嘘をつく理由がどうしても見当たらない。
事情はよく分からないが、とにかくこの国は聖女を必要としている様子だった。そんな状況で聖女かもしれない人間が来たなら、性別を問わず迎え入れてしまえば聖女不在の問題は解決するのだ。仮に彼の言葉が嘘だとして、俺に性別を偽らせるメリットなどありはしないだろう。
十六年と少しばかりの短い人生の中で、俺は学んでいた。
悪夢と見紛うような最悪の状況というものは、大抵の場合、本物であるということを。
「聖女として認められた後に性別が露呈すれば、貴方様は殺されるでしょう」
重苦しい口調で吐き出されたのは、元の世界では決して向けられることのなかった殺意の存在。
そこまで告げられて、ようやく俺は理解した。
俺はどうやら、とんでもない世界に来てしまったようだということを。