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番外編23「望む」

同人誌を作ってみようと思い立ち、現在準備中です。規約の関係でリンクは貼れませんので、もしご興味のある方はプロフィールに記載の作者Twitterをご確認ください。

しばらく何も出ませんが、通販リンクを貼れるのは現状そこだけになります。

今年上半期目安で1巻(聖女召喚編・誘拐編+書き下ろし番外編)発行を頑張りたい……少しずつやっていきます。


 時折見る顔だと思った。


「…………」

「ご無沙汰しております」


 私が何か、意図せず師匠の予想から外れたことをしでかしたときに見る顔だ。呆気に取られただとか、仰天しているだとか、そのような言葉が相応しい驚きの表情。


 手土産を手に教会を訪れた私を、師匠は頭からつま先までしっかりと存在を確かめたのち、難しい顔で歩み寄り──額に手を当てた。


 そうして、難しい顔でそっと手を離し、呆然と呟く。


「……熱はないわね」

「健康です」

「まさかと思うけど、お金の無心?」

「貯蓄には余裕があります」

「助けが必要なの?」

「いえ、そういったわけでは」

「謹慎でも食らった?」

「休みを取りました」


 矢継ぎ早に飛び出す問いかけの数々を受け流すと、師匠は困惑した様子で眉根を下げた。


「いきなりどうしたのよ。アンタ、五、六年は平気で連絡寄越さなかったじゃない。数ヶ月でご無沙汰なんて言われても困るわよ」

「ご迷惑でしたか」

「そんなわけないでしょ。……上がって」


 まだ納得はいっていない様子だったが、師匠は短く答え、私を中へ招き入れる。


 私の訪問は子どもたちからしても驚きだったのか、廊下を歩くと控えめな挨拶がまばらに飛んでくる。


 それらに挨拶を返す合間を縫って、師匠がそっと問うてきた。


「泊まっていく?」

「いえ、日帰りの予定です」

「そう。転移の魔具があると行き来が楽でいいわよね。魔具がある場所はどうしても城から離れてるから、聖騎士団本部からは遠いでしょうけど」


 師匠が臨時顧問を引き受けてから、教会と王都の行き来は格段に楽になった。


 師匠は元聖騎士とはいえ、仮にも部外者であることに変わりはないため、転移の魔具も城からは離れた場所に設置されているのだ。


 とはいえ、馬車で数日かけて行き来していた頃を思えば、こうして日帰りでの訪問が可能になったというのはありがたい話である。


 人目がない場所で話を聞くつもりなのか、やってきたのは二階にある師匠の部屋。何か困りごとがあって来たわけではないのだが、直近の訪問理由がどれも礼央様の療養であったことを思うと、そう気楽に構えてはもらえないのだろう。


「座ってちょうだい。お腹は空いてる?」


 入るなり着席を促され、同僚たちから預かってきた手土産を掲げてみせた。


「お気遣いなく。手土産を預かっておりますので、よければそちらを」

「あら、そう? じゃあありがたくいただこうかしら」


 師匠に手土産を渡し、双方席につく。師匠はバスケットに被せた布をそっと取り払い、手土産を検めていったが、そこ表情は少しずつ困惑の色に染まっていく。


「果物に、野菜……流動食と、薬草? お菓子もあるけど」

「果物と野菜はユーリアさん、流動食と薬草はフランツェスカからです。口にしやすいものや後々必要になるかもしれないものを贈るべきだろうと。菓子類はイーザックから子どもたちへ。大人の不調は子どもへの影響も大きいと考えたようです」


 手土産の中身に、「大人の不調」という言葉から、師匠はおおよその事情を感じ取ったのだろう。どこか呆れたような表情で私を見やり、次いで籠の中身を指差した。


「……これ、どう見ても病人食よね?」

「ええ。師匠に会うために休みを取ると申し出たところ、何やら誤解を生んだようで」

「分かってたなら、誤解を解く努力をしなさい」

「何度も『心配することはない』『何も問題はない』と説明しましたが、聞き入れられなかったのです」

「その言い方じゃ誤解を解いたことにはならないの!」


 まるで私に非があるような言い方をされ、弁明を試みるが、すぐさま言い返されてしまう。


 仮に師匠が床に伏せていたとして、私がそれを隠す理由がどこにあるだろう。少なくとも同僚たちに隠す必要などないのだから、単に否定すれば済む話だと思ったのだ。


 だが、結果として実質的に見舞いの品である手土産を持たされたことは事実。どうしても持っていくようにと言われて預かってきたが、誤解を解くに至らなかったのは確かである。


 師匠は小さくため息をつき、真剣な顔でこう続ける。


「アンタが目的もなしに会いに来るわけないでしょう。しかも仕事まで休むなんて。何のために行くのか、それを話せば誤解くらいすぐに解けたはずよ」

「…………」


 何のために来たのか。改めて考えてみても、結局のところ自分でもよく分からないのだ。ただ、行かなければと思った。いつからそう思っていたのだろう。


 何かに追い立てられるようにしてこの場所を訪れたことは確かだというのに、私を追い立てた何かの存在だけが掴めないのだ。


 答えを出せないまま、返答に悩んでいると、師匠は「元気ならいいわ」とだけ言って、再び着席を促す。


 双方席に着く頃には、話題はすっかり別のものへと変わっていた。


「最近はどう? レオちゃんはどうしてる?」

「かなり安定しております。各国を巡っての公務も、先日無事にやり遂げました」

「そう、ならよかったわ。病み上がりに無理させて、またぶり返すんじゃないかって心配だったのよ」


 話題が礼央様に移ると、詰まっていた言葉が驚くほど素直に飛び出してくる。


 道中、たびたび真央が出ることはあったが、頻度は緩やかに減っていた。いい傾向だと思う反面、いずれ反動が来るのではという懸念も捨てきれない。


 とはいえ、旅の途中で聖女関係者たち──とりわけアレクサンドラ様と言葉を交わす機会があったことは、礼央様にとって大きかったようだ。


「コルトリカは亜人が多い国なんですってね。ネロトリアとはまた少し違うの?」

「ネロトリアとはかなり雰囲気が違っておりました。公務の前後で見て回った程度ではありますが、コルトリカと比べると、ネロトリアは街の雰囲気が少し淡白なように思えます」


 コルトリカの街並みは、ネロトリアと比べて良くも悪くも雑然としているという印象だった。人も亜人が行き交い、往来には色とりどりの出店や商人の姿が並ぶ。「百の足音が響く街」の異名に相応しい国だった。


「王都の騒がしさに慣れてるアンタが言うんだから、きっと相当ね」


 子どもたちや教会のこともあり、ここを離れられない師匠からすると、他国の話は新鮮らしい。


 現役の聖騎士だった頃も、代表者として各国に同行していたのは、同じく聖騎士であった私の父だったそうだ。


 今も昔も、他国を訪れる機会に恵まれない師匠にとって、旅先で見聞きした話が最高の土産なのだろう。


「ユーデルヤードは? アンタが精霊に追い出されないかって心配だったのよ」

「そのようなことはなく、無事に公務を終えることができました。現聖女のアラベラ様がエルフですので、ひとまずは客人として扱われていたのかと」


 ユーデルヤードは想像していた通り自然豊かな国で、イーザック曰く「尋常じゃない精霊の数だった」のだそうだ。「精霊たちの住まう都」と名高い国ではあったが、私や礼央様の前には終ぞ姿を表すことはなかったため、真偽は不明である。


「アンタはともかく、レオちゃんを放り出させたら公務にならないものね」


 師匠の言葉通り、礼央様を追い出しては公務が成立しなくなってしまう。とはいえアラベラ様が自発的に手を回すとは考えにくいため、もしかするとニーナさんからアラベラ様への要請があったのかもしれない。


「シノノメはどうだったの? あそこの話はあまり聞けないから、アンタが来たら聞こうと思ってたのよ」


 そう問われ、つい言葉を詰まらせる。

 シノノメでの滞在期間は、キオクイが作り出した幻影の中で過ごした印象が強く、シノノメらしい街並みを上げることができなかったのだ。


 もっとも、「魔女の庭」たるシノノメに街など存在しないのだが。


 シノノメで、すり減った家族との思い出を目の当たりにしてからというもの、私の中にはある懸念が持ち上がっていた。


 血の繋がりはなくとも、私にとっての師匠は、この世界において最も「家族」に近い存在のように思えている。


 仕事に明け暮れ、何年も連絡を取らずにいる間に、いつか師匠も私の家族と同じ場所へ行き着くとしよう。


 そうなったときの私に、師匠の痕跡はどれほど残っているのだろうか。


 そう考えたとき、師匠に関する記憶を、できるだけ多く持っているべきだと思った。なぜそう思ったのか分からないまま休みを取り、手土産を手にこの場所を訪れたのだ。


 すぐに会いに行かなければ。そう思った理由が、きっとそこにあったはずだというのに、肝心のところに手が届かないのがもどかしかった。


 私が不自然な沈黙を守っている間、師匠は何も言わずに話の続きを促してくる。急かさず、こちらが結論を出すのを待っているのだ。


 かいつまんで話すのは難しいと判断し、シノノメでの出来事を一つ一つ話すことにした。


 記憶にまつわる幻影を見せるキオクイのこと、家族の幻影を見たこと、動けなくなっていたところを礼央様に連れ出されたこと。


「──結局、キオクイはある程度の捕食を終えて去っていきました。その後は当初の予定通り、シノノメ聖女であるシオン様の邸宅にて滞在を」

「記憶を呼び起こす妖怪ね……」


 一通り話し終えると、師匠はため息をつくようにして呟いた。私を引き取り育てた師匠としても、やはり思うところはあるのだろう。


「他の方のそれと比べて、私の記憶は空間を作り出すほどの大きさはなく、部屋の一角を形取るのがせいぜいだったようです。歳月以前に、思い起こすことが少なかったせいでしょう」


 シノノメで目の当たりにしたのは、摩耗し切った家族との思い出。十年余りという歳月の長さを思い知ると同時に、取りこぼしてきたものの多さに愕然とした。


 形を持たない記憶が、封じ込めている間も変わらない姿でそこにあり続けるなどと、どうして無邪気に信じていられたのだろう。


 沈黙が降りると、師匠がそっとそれを破る。


「家族のこと、思い出すのは辛いかしら」

「辛いというと、まるで私が被害者のように見えてしまいますので」

「実際にそうなのよ。アンタが約束を破っただとか、そんなことは関係ない」

「ええ。礼央様も同じことをおっしゃっていました」


 思い返せば、師匠もことあるごとにそう説得を試みてはいたものの、師匠の言葉は優しすぎて、私を覆っていた殻を打ち砕くには至らなかったのだ。


 礼央様のあれは少々乱暴すぎた気もするが、荒療治の効果を実感している身としては、あまり文句を垂れるわけにもいかない。


「もしも本当に、あの結末が私の責でないのだとすれば……私はただ、無意味に自分を罰し続け、家族との記憶をすり減らしたに過ぎないのでしょう」


 シノノメで目にした幻について、既に取り返しの付かなくなっていた後悔と共に締めくくると、師匠はふと何かを思い出したように立ち上がる。


 そうして、部屋にある戸棚の奥の奥から、魔具で厳重に施錠した箱を開け、中から小さな木箱を取り出した。


 厳重な外装の割には小さく、何の変哲もない、かつかなり古いもののようだ。


「渡しておくわ。いい機会だから」


 何とも言えない表情の師匠から、小さな箱を受け取り、そっと蓋を持ち上げる。


 中身を覆う布を取り払うと、そこには私の記憶を呼び起こすような、あるものが収まっていた。


「これは……」

「あの家にあったものよ。床板の下に隠してあったの。絶対に見つからないようにってね」


 師匠の言葉にも納得がいく。これを見られてしまったが最後、家族が必死に隠していた秘密が暴かれてしまうのだから。


 中に入っていたのは、家族写真だった。写真に収めるにはあまりに忙しない子どもであったことを考えるに、これは普通のやり方で撮られたものではないのだろう。


 恐らく、以前礼央様がやっていたのと同じやり方で撮ったのだ。


「光属性魔法で、紙に写し取ったのですね」

「きっとお兄さんね。アリアの妊娠を隠すために暗躍してたのも彼よ。光属性魔法があれば、見た目はひとまず誤魔化せるから」


 師匠の言葉で蘇るのは、自身の光属性魔法を使って、私の遊び相手をしてくれた兄の姿。


 ほんの少し、残り香のように湧き上がった記憶を懐かしみながら、手元の写真に目を落とした。


 笑顔の母、少し堅い表情の兄、緊張した面持ちの父という並びで撮られている。思い返せば、家には大きな鏡があった。時折あの鏡の前で並んでいた記憶があるが、あれは全員の姿を鏡に写し、家族写真を撮るためだったのかもしれない。


 写真をめくると、裏には小さな字が書かれている。


『初めての家族写真』


 なるほど、どうやら兄が家に来てから撮ったたらしい。兄は元々、私の父の兄弟の子であり、私にとっては従兄弟に当たるという。


 だが、実際の関係がどうあれ、生まれたときから一緒にいる彼のことは、「兄」という他ないのだった。


 初めての家族写真の下には、同じ並びで少し日が経ったと思しき別の写真が収まっていた。


『二年目。うちにも少し慣れてきたみたい。魔法にこんな使い方があるなんて! 将来が楽しみね!』

「一年ごとに同じ並びで写してたのね」

「母の提案でしょう」


 師匠と共に、思い出を懐かしみながら見つめる二年目の家族写真。


 一年目と比べて、兄と父の表情が柔らかくなっている。親戚の家に引き取られた兄はもちろん、父としても家族との付き合い方には不安があったのだろう。


『三年目。何を書いているかと思えば』

『思い出よ。何年も経ってから振り返るの!』


 三枚目になると、写真はより家族らしく親密なものになり、写真の裏の文章も、違う筆跡のものが増えた。父が加わったのだろう。両親の筆跡を、十年あまり経って目にすることになろうとは。


 四枚目になると、家族写真に見知らぬ顔が増えていた。厳密にはよく知っている人物ではあったものの、自分自身にこの頃の記憶がないのだから、見知らぬ顔という他ない。


『四年目! 新しい家族が増えたわ。皆でこの日を迎えられて本当によかった。神様を抱きしめて頬擦りしたいくらい! できないから子どもたちにするわ!』

『妹って言っていいの?』

『もちろん。皆で家族だ』

『口下手なお二人さん、そういうことは面と向かって伝えなきゃ』


 写真の裏に添えられた文章の通り、写真には私と兄を抱き寄せて頬擦りをする母と、大笑いしている父の姿が映っていた。


 記憶の中の父は、いつも穏やかに笑っているか──私が何かしでかしたとき、血相を変えて飛んでくるかのどちらかだった。


 それ以外の顔を見たことがないわけではないものの、私からしてもこのように笑う姿は珍しい。きっと誰一人欠けることなく四年目の家族写真を撮れたとあって、安堵していたのだろう。


 五年目の写真が現れた瞬間、向かいに座る師匠からは小さく笑い声が上がる。写真の向こうで、幼い私が父の頭によじ登っていたのだ。


 裏には何も書かれておらず、不思議に思いながら次の写真に目をやると、同じ年に撮ったと思しき別の写真が姿を現す。こちらの私は大人しく父の腕に抱えられており、写真の裏に当時の状況についての説明が書かれていた。


『五年目。アンネが大人しくしてる一瞬を写したけど、実際は父様の頭によじ登って大騒ぎだった』

『いつも本当にありがとう! 今年の仕上がりも最高よ!』

『よじ登っているところも残してもらった。これが見られるのも、きっと最初で最後だろう』


 改めて先ほどの写真を見てみると、私によじ登られているときの父は、心配げであると同時に、微笑ましそうな笑みを浮かべている。


 親の心は分からないものだと思いながら六年目に移ると、一転して怪訝そうな顔の父が姿を現した。頭には少し成長した私がしがみついており、傍らには今にも笑い転げそうな母と兄が映っている。写真の裏にも、釈然としない様子の父が痕跡を残していた。


『六年目。おかしい、これを写すのは二度目だ』

『登り方が上手になってる。大きくなったら、きっと人形遊びよりも木登りが好きな子になるわ』

『妹に教わることになりそう。今のうちに覚えておこうかな』

「幼い頃は忙しなかったようですね」

「みたいね。アタシからするとちょっと新鮮だわ。アンタは誰より大人しかったから」


 師匠が微笑ましげに笑みを浮かべたそのとき、不意に師匠の部屋の扉が叩かれる。私が箱の蓋を閉じたのを確かめてから、師匠がそれに応じると、やってきたのは二人の子ども。ばつが悪そうにしている少年を、もう一人の少年が引っ張って連れてきたようだ。


 言われるまでもなく覚える。嫌な予感。


「せんせー! エドが床に穴開けた!」

「ねぇ違うよ、だってベアティが……」


 案の定、予感と違わぬ事態に、師匠は呆れ顔で肩をすくめた。


「……見ての通り」

「ええ」

「好きに見ててちょうだい」


 師匠はそう言い残し、子どもたちの元へ。

 礼央様は聖属性魔法で天井に穴を開けたものだが、礼央様よりさらに幼いながらも、魔法で床に穴を開けるとは。将来が楽しみな反面、監督する大人たちは気が気でないだろう。


「エド? 魔法の練習は大人がいるところでって言ったでしょう」

「ベアティが魔法見せてって言ったから」

「穴開けたのはエドだし」

「はいはい、向こうで聞くわね」


 そんなやり取りが遠ざかり、扉の閉まる音が聞こえたのを合図に、毎年撮られた家族写真に目を通す。


 私と兄が少しずつ成長し、両親の背に迫っていく。同じ並びで撮ったこともあり、年月を経るごとに重ねた成長が顕著に表れていた。


 家族写真は十五年分、十六枚にも渡って撮影されていたようだ。母が始めたこの習慣は、母が亡くなると共に終わったのだろう。


 きっと母が想定した形とは違っているが、この写真は確かに家族との記憶を呼び起こしてくれた。


 人に見られれば一家を滅ぼすと分かっていてなお、残していたのだろう。聖女という特殊な、家庭を持つことを許されない立場でありながら、一つの家族であることを大切にしていた母らしい習慣だ。


 家族としての思い出であると共に、その家族が必死に守った秘密。大切にしまっておこうと、写真の束をそっと箱にしまったそのとき、ふと箱の底板が浮き上がるような感覚を覚えた。


 不思議に思い、写真を取り出して箱を逆さまにしてみると、底板だと思っていたものと共に、一通の手紙が机に着地する。


 封蝋は劣化しているが、砕けてはいない。今日に至るまで、誰もこの手紙を暴こうとはしなかったのだろう。いや、存在そのものに気付かなかったのかもしれない。


 毎年撮った家族写真をしまうこの箱に、母は密かに手紙を隠していたのだ。


 少しの逡巡、それを取り払って封蝋を砕き、封を開けると、中の手紙には写真の裏にあったものと同じ筆跡で、それより少し長い文章が書かれていた。


『これを見ているのは、一体誰かしら。

 子どもたちかもしれないし、もしかしたらウィリかもしれないわね。レオじゃないといいんだけど。わたしの旦那さんね、とっても強くて、同じくらい泣き虫なのよ』


 レオ、という名前につい反応するが、これは私の父、レオナードの愛称なのだろう。紛らわしさを憂うべきか、運命と感じるべきか。悩ましいところだ。


 和やかに始まってはいるものの、この書き出しからして、恐らくこれはいざというときのために残した手紙なのだろう。言い換えるなら──。


 つい浮かんだ言葉を打ち消し、続く文に目を走らせる。


『この手紙は、わたしが無事におばあちゃんになって、このまま天寿をまっとうできると思ったら、燃やそうと思ってるの。

 誰かがこれを見てるってことは、そうはならなかったみたい。

 でも、見つけてくれたのね。ありがとう。

 書きたいこと、聞きたいことがたくさんあるけれど、必ず伝えておきたいことはこれだけ』


 そこで一枚目の手紙が終わり、二枚目を繰る。

 これは遺書だ。だが、続く言葉はあくまで力強く、死者の儚さはそこにない。


『わたしは幸せだった。神様に誓ったっていい。この先の未来で何があっても、わたしはわたしのこれまでを悔いることはないの』


 実際のところ、どうだったのかは分からない。今際の際まで、この考えを貫けたのかどうか。心の底から幸せな人生だったと感じて幕を閉じることができたのか、知りたくても知る術はない。


 だからこそ母は、この手紙を残したのだろう。永遠に答えが出ない問いかけに、一つの終わりを見出すために。


『晴らすべき無念はない。償うべき罪もない。わたしが未来に託す願いは、わたしの大切な人たちの幸せだけよ』


 残されたものたちへの、祈りのような言葉で織られた遺書は、ほんの短い言葉で締め括られていた。


『お願い、きっと叶えてね』


 手紙から視線を上げ、そっと息を吐く。

 復讐や贖罪に囚われている間は、いっとき悲しみを忘れられた。それを取り上げられてしまえば、残されたものたちは自分の感情と向き合うほかなくなってしまう。


「……償うべき、罪も」


 身に覚えのある、見事に見透かされていた一節を口にする。


 ありもしない無念や罪を清算するより、現実と向き合い、受け入れること。本来はそれがあるべき姿なのだろう。


 時間は痛みを和らげるというが、起きてしまった過去から逃げることはできないのだ。


「床、とりあえず応急処置だけしてきたわ。帰りに踏み抜かないように気を付けて」


 ちょうど席を立ったところで、修繕を終えたらしい師匠が戻ってきた。手紙を渡しにいこうと思っていたのだが、手間が省けた形になる。


「母が手紙を残していたようです。何かあったときのためにと」


 母の手紙を差し出すと、師匠は少し驚いたような顔でそれを受け取り、やや迷ったように手紙から顔を上げた。


「アタシが読んでもいいものなの?」

「師匠に向けたものでもありますので」


 心配げな眼差しと共に問われ、迷わず答える。師匠はこれを家族へ向けたものだと思っているようだが、実際には母にとって大切な人たちに宛てたものだ。


 両親と師匠が幼馴染同士でもあることを思えば、師匠に手紙を見せたところでとやかく言われることはないだろう。


 師匠は神妙な面持ちで手紙に目を通し、厳しい表情で封筒にしまいこんだ。


「何故、今になってこれを?」


 静かに尋ねれば、師匠は見慣れた優しげな笑みに戻って、同じく静かに返す。


「これはアンタにとって、家族の思い出でしょ。でも、これまでのアンタは思い出を懐かしむことさえ禁じてる節があった。そんなときにこれを渡したら、自分で処分してたかもしれないじゃない。それも一つの受け入れ方でしょうけどね」


 妙な説得力のある答えに、何も言えず黙り込む。あの小さな家で過ごした十年余りを経て、凝り固まった思い込みに気付かされてばかりの日々だ。


 家族との記憶は不変ではない。捨てれば戻らず、思い起こさなければすり減る。そのことを知らずにいた頃の私なら、確かに師匠が言うように極端な手段に出ていたのかもしれなかった。


「これ、どうしたい?」


 不意に尋ねられ、質問の意図が掴めないまま師匠に目をやる。この反応は想定通りだったのか、師匠は仮の選択肢をいくつか提示した。


「手元に置いておきたいか、ここで保管しておくか。それ以外でもいいわ。好きなようにしてちょうだい」

「では、預かっていただければと。私の手元に置いておくには、少々危険ですので」

「そうね、分かった。また見たくなったら来てちょうだい」


 当然のようにそう言われ、答えに窮してしまう。こういった場合の師匠は、「どうしたいか」より、「どうするか」と尋ねてくることの方が多かった。


 自分がどうしたいのかが分からない私が、戸惑わないようにという配慮だったのだろう。


「見たくなったら、とは……何ヶ月おきが目安でしょうか」

「見たくなったら、よ。正解の頻度なんてないわ」


 戸惑いを隠さず、素直に尋ねると、やはり正確な答えは返ってこなかった。どうしたいのか、自分で考えろということなのだろう。


 私の願いが家族を壊したのでないのだとすれば、何かを望むことを禁じる必要もないということになる。となるとこれは、封じ込めていたものを呼び起こすための訓練らしい。


 訓練の本質は、自身の課題を見つけ、それを改善すること。とはいえ、自分の願いを持たないからといって、これまで職務に支障をきたしたことはない。訓練をしてまで回復させる必要はあるのか──などと疑問に思ったそのとき、不意に師匠が尋ねてくる。


「今日だって、アタシに会いたくなって来てくれたんじゃないの?」


 放られた言葉を、受け取る。

 師匠に会いたいから、ここに来た。私が?


 私は単に、師匠に会うべきだと思ってここへ来たのだ。その明確な理由は分からないながらも、そうすべきだと思ったから。


 実のところ、会いたくなった、ただそれだけだったというのだろうか。


 師匠に、会いたくなったから。


「…………」

「違った?」


 困ったような顔でそう問われたところで、私にも分からない。


 会うべきだと思った。なるべく多く師匠の記憶を残すために。それは何故? 師匠に関する記憶の量が、一体何に影響するというのだろうか。


 教わった技術は頭と体に叩き込んでいる。教会を管理する予定はない。子どもとの付き合い方も、礼央様に発揮すれば機嫌を損ねるだけだろう。


 分からない、だとすれば私はどうしてここに来たのだろう。


 本当は来るべき理由などなく、他国での出来事によって思いのほか混乱していたのだろうか。そう考えれば辻褄が合う。


 頻度が減ったとはいえ、未だに真央が出ることも多い不安定な礼央様を置いてなど、混乱していたという理由でもなければ不自然ではないだろうか。


 きっとそうだ、今の私はどこかおかしい。そうでなければ説明がつかない。


 分からない、話せないのではなく説明ができない。そのようなことなど、これまでなかったというのに。


「……仕事を残してきましたので、失礼します」

「えっ、ちょっと。休み取ったんじゃないの?」


 うわごとのように無意味な嘘を呟き、師匠の問いにも答えず廊下を進む。


 このまま階段を降りて、教会を出て、魔具を踏んで王都へ。聖騎士団本部に向かい、手土産を預かった人への報告と──。


「そこさっき穴開いたところ!」


 ここからやるべきことを一つ一つ列挙し、思考の流れを普段通りへ戻そうとするが、踏み抜いた床板に右足を取られ、計画が頓挫した。


 駆け寄ってきた師匠が慌てた様子で何かを言っているが、まるで頭に入ってこない。


 足を引き抜き、床を修繕、会いたくなったから? 王都へ戻り、師匠に会うために、報告を、どうして無意味な嘘を?


 やるべきことと、浮かんだままの疑問が入り混じる。


 望んではならない。願ってはいけない。そう思って生きてきた。十年以上ずっと。


 礼央様は、責められるべきは私でないと言っていた。


 母の手紙には、償うべき罪はないと書いてあった。


 私の願いが周りを不幸にしたわけではないのだとして、今さら自分が「どうしたいか」など分からない。


 群がる子どもたちを制しながら、床にはまった私の足を引き抜こうとする師匠。いつもの道筋をなぞるだけだというのに、どういうわけか上手くいかない。


 制約のない道筋は、驚くほど不安定だ。


次回更新予定日《未定》*番外編更新

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