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132話「貴族の子」


 こちらの世界に、温泉や銭湯のような、裸の付き合いという文化がなくて本当によかったと──心の底から、そう思う夜だった。


 夕飯を済ませ、そのままアリーの部屋へ。風呂を別にするという前提をさりげなく確認したのち、入浴前に改めて説得に入る。


「アリー、こっちの世界でどうかは分かんないけど、わたしの故郷だと、初めて来たお宅に泊まり込むっていうのはちょっと失礼なことなんだよ。まして家主の部屋で同じベッドなんて」

「その家主が許可しているなら、問題ないでしょう」


 どうしようもない正論。次。

 風呂から上がり、再びアリーの部屋。借りたパジャマが思いのほかサイズが合っていたことと、縦巻きロールを綺麗なストレートヘアに変貌させたアリーに驚きながらも、怯まず別角度から説得を行う。


「アリー、あんまり外交がどうって話を持ち出したくないけど、仮にも別の国の聖女同士が同じベッドっていうのはよくないと思うな」

「淑女同士の私的な交流にまで口を出す無粋な方なんて、そういないと思いますけれど」


 もしもいたらどうなるのか、そんな疑問を挟む余地すらない。次。

 湯冷めしないうちにとベッドへ促され、最後のチャンスとばかりに説得を試みる。


「アリー、わたしってアリーより背高いしさ、一緒に寝るにはちょっと狭いかも」

「誤差の範囲内でしょう」

「そんなことなくない?」

「客人が一人増えたところで困るような狭さではありませんわ」

「ねぇそんなことなくない?」

「早く寝なさい。ベッドを分けるつもりはありませんわよ」

「誤差ではないんじゃない? ねぇ」


 五センチほどはあろう身長差を誤差と言い張る乱暴な発言に気を取られ、思わず数歩前進。つま先に当たる硬い感触は、ベッドの土台部分だ。


 ベッドを挟んで向かいにあるのは、何やらこちらの出方を窺っているらしいアリーの眼差し。ここで決められなければ、なし崩し的に同じベッドで寝る羽目になるだろう。


 だが、礼儀、外交、身長差を封じられた今、手元に残った手札にはろくなものが残っていないわけで。


「アリー……わたし、その……臭いかもだから」

「そのようなことはありませんわ。安心なさい」


 生理的嫌悪というカードもあっけなく切り捨てられ、いよいよ打つ手がなくなってしまった。


 そもそも、どうしてアリーは同じベッドで寝ようなどと言い出したのだろう。身分で言えば、俺が泊まる部屋はまず真っ先に用意されるはず。いくら騎士や使用人が多く、全員同室というわけにはいかないにしても、聖女が泊まる部屋の確保を後回しにするとは思えない。


 本当は俺が泊まる部屋を用意しているが、それを隠してまで自分の部屋に招いているか、もしくは最初から退路を断つために用意していないか。どちらにしても、アリーにとって俺と同じ部屋で寝泊まりしなければならない理由が思い浮かばないのだ。


 妙に頑なな友達の態度を内心訝しんでいると、アリーはあくまでいつも通りの態度の奥に、ほんの少しの落胆を滲ませながら言った。


「気が進まないなら、無理強いはしませんけれど」

「そういうわけじゃなくて……いろいろ、申し訳ないっていうか」

「恐縮も過ぎれば無礼に当たりますわよ」


 アリーが思っているような申し訳なさではないのだが、やはり何もいえずに黙り込むと、アリーはどこか呆れた様子ながらも追い打ちをかけてくる。


「どのみち、今から他の部屋を手配することはできませんわ。貴方がベッドで、わたくしが床で寝るか、二人ともベッドで寝るかしかありませんわよ」

「家主を床で寝かせられないって」


 慌てて言い返すと、アリーは返事の代わりに肩をすくめ、そのままベッドに横たわった。片側は空いており、掛け布団を引き寄せる様子もない。


 恐る恐る隣に腰を下ろし、ふかふかのベッドに体を沈めた。奇妙に間隔の空いた背中合わせの状態から、気まずさを紛らわすように言葉を発する。


「……友達っぽいことしたくなったの?」

「ここまで渋られるとは思っていませんでしたけれど」

「ごめんって……こっちにも、いろいろ事情があるから。でも、アリーの気遣いは嬉しいよ。ありがとう」


 肝心のところはぼかしながら、心からの感謝を伝えてみる。


 居心地が悪そうにしていたことに、気付いていたのだろうか。それで何故このようなやり方になるのかは疑問だが、きっと気を遣ってくれたのだろう。こういうところは、案外不器用な彼女らしいと思う。


 横になってしまってからは、沈黙が続くのが恐ろしく、努めて明るい声でこう切り出した。


「わたしの故郷だと、こういうときは恋バナするのが定番なんだよ。好きな人がいるかとか、そういう色恋の話」

「わたくしはいませんけれど、貴方はどうですの」

「わたしも……いないかなぁ」

「一瞬で話題が成立しなくなりましたわね」

「いやいや、他にも枕投げとか、こういう特別感を味わうイベントがあってさぁ」

「枕を投げてどうしますの……」

「戦うんだよ。そこに枕があるから」

「一つしかありませんけれど」

「……枕をかけて戦おうか?」

「賞品を武器にするなんて、上品な遊びですのね」


 攻撃力の高い嫌味に乾いた笑みを返すと、成立しなくなった話題の先には、夜の沈黙ばかりが残る。冷ややかな静けさが、浮き足立つ気分を鎮め、覆い隠していた罪悪感を呼び起こした。


 一度閉じて、また開いた口からは、最初に言おうとしたこととは別の言葉が飛び出していく。


「そろそろ寝ようか。あんまりうるさくしても迷惑だろうし」


 防音の魔具がなくとも、アリーの部屋の壁はきっと分厚くできているから、多少騒いだ程度ではどうということはないだろう。


 だから、返事が来るより先に布団を引き寄せ、寝る前の挨拶をしてから、再び背中合わせになるようにして寝転がった。


 隣から聞こえるはずの寝息は、様々な感情に急かされて早くなる鼓動にかき消されて聞こえない。


 気まずさと申し訳なさを誤魔化すように身じろぎをして、耐えきれずに沈黙を破った。


「……アリー」


 返答はない。俺にとってはずいぶん長い時間に思えていたが、実際は数分程度しか経っていないはず。案外寝つきがいいのだろうか。


「寝ちゃった?」


 確認のためにと、もう一度問いかけてみる。返事があっても言い訳が立つように、普段と何も変わらない声色で。


 それでもなお、夜のみが静けさを返してきたことを確かめてから、囁くように言い損ねていた言葉を口にした。


「ごめん」


 本当は、もっとたくさん、謝らなければならない人がいる。


「……ごめん」


 それでも、一番に許してほしいのは、アリーなのだ。


 アリーはきっと、俺を許すだろう。彼女がアレクサンドラ・レヴィ・ネイサン・ボールドウィンである限り、感情に任せて友達を糾弾することはあり得ない。


 だが同時に、俺は誰からも許されないとも思っている。アリーは許す、俺は許されない。二つの奇妙な説が、俺の中ではどういうわけか両立するのだ。


 友達の公正さは疑っていないが、相手が俺の場合は、その限りではないかもしれない。それはアリーの公正さを信じていないのではなく、自分自身への不信感から来るものなのだと、誰に聞かれたわけでもないのに、言い訳を用意していた。


 みっともなく弁明ごっこをしている間だけ、息ができると思っていたのだろう。だから、


「──なぜ謝りますの」


 この問いかけが飛んできたときは、息が止まるほど驚いたのだ。


 聞こえないふりをすることもできた。それこそ寝言のふりをすればいい。そうすれば、話したくないのだということを汲み取ってくれる相手だった。


 当然のように顔を出した「逃げる」という選択肢を、そっと握り潰す。慣れた作業だ。


「……起きてるなら言ってよ」

「寝ている隙に謝罪を済ませるなど、卑怯な手は使わせませんわ」


 呟くように言えば、はっきりとした反論が返ってくる。


 卑怯、それもそうだ。こちらで唯一の友達に嫌われることを恐れて、小狡い手を使った。


 もし許されなかったら。そんな最悪の想像を繰り返すことで、罰を受けた気にでもなっていたのだろう。少しでも、今のこの状況を遠ざけるために。


 少しの間に、諦めにも似た覚悟を決める。今回は正真正銘、身から出た錆だ。


「……明日、朝早い?」

「いつも通りですわ」

「そっか。せっかく一緒に寝ようって言ってくれたのに、ごめん。話聞いたら、追い出したくなるかも」


 平静を装ったつもりだったが、ところどころ声が小さくなりかけるのを感じて、慌てて声量を元に戻す。いつも通り、ぴんと張った口調のアリーと比べると、やはり情けなかった。


「それなら初めからベッドに入れていませんわ」

「隠してたから。戦争が終わる前、塔にいたときから、ずっと」


 アリーがそうしないのをいいことに、体を起こすこともせず、背中合わせのまま語り始めたのは、五色の塔で目の当たりにした事実。自分の中で何度も咀嚼したそれを、少しずつ紐解いていく。


「……今回の戦争って……何で起きたか、知ってる?」

「グラストニアが聖女を奪おうと目論んだからでしょう。今さら亜人が人間を滅ぼそうとしたなどと言われて、信じるほど素直ではありませんわ」

「うん。どっちかっていえばわたしが狙いかな。毒殺未遂とか、その前にも誘拐事件とかあったから」


 もはや懐かしさすら覚えながら言うと、アリーは初めて言葉を詰まらせる。


「……初耳ですわ」

「誘拐事件があったのは集会の前だったからね。言ってなかったかも」

「グラストニアの狙いが貴方だからといって、戦争の責任が貴方にあるということにはなりませんわよ」

「うん、狙いがわたしだったってだけなら、そうだと思う」


 ここまでは、アリーも予想していた通りだったのだろう。グラストニアが聖女──とりわけ、人の国であるネロトリア聖女の俺を狙っていたことは、大陸諸国も認識していることだろう。


 狙われた側に「狙われたお前が悪い」「お前が隙を見せたんじゃないか」などという言葉を投げつけることの理不尽さは、俺とて理解しているつもりだ。


 心の中でアンネさんたちに詫びながら、俺はネロトリアにおける機密にも近い情報を、そっと吐き出した。


「……戦争の前に、グラストニアから要求があったんだって。生き神と聖女を交換しろって。ネロトリアはそれを蹴って、そうしたら宣戦布告。戦争開始って感じだったみたい」


 アリーは何も言わない。矢継ぎ早に続ける話でないことは分かっていたが、その沈黙が恐ろしく、返答を待たずに説明を続けた。


「単にわたし狙いでの開戦なら、領土が聖女に変わっただけだけど、でも……要求を蹴ったってことは、国民とか、敵味方たくさんの命とわたし一人を天秤にかけて、大勢の命の方を差し出したことになる。……もう片方には、アリーの家族だって乗ってたのに」


 震えそうになる声を、必死に制御した。アリーが今、何を思っているのか。走り出す思考を殺して、淡々と事実を述べる。


「わたしが天秤から降りれば、他の大勢は……アリーのお兄さんも、助かったかもしれない」


 役には立つが、この世界の誰からも愛されていない俺と、必ずしも役に立つとは限らないが、大切な人に愛されていた多くの人々。


 国家規模で見るなら、優先されるのは確かに前者だ。だが俺は、後者の犠牲を飲み込めるほど、この世界の人々を憎めない。


 言うべきことを言い終えてしまうと、その先は言い訳がましい言葉ばかりが続いた。


「ずっと言わなきゃって思ってて。アリーとは公平でいたいから」


 ここまで黙っておいて、対等も公平もないだろう。心の内か、外か。自らを突き刺す声から逃げるように、上半身を持ち上げた。


「……話っていうのは、これ。遅くにごめん」


 それだけ言って、掛け布団をそっと払いのける。床に足を下そうかという頃、ようやくアリーが声を発した。


「今夜は冷えますわよ」


 俺の手を止めたのは、どこまでも遠回しな一言。思わず振り返れば、そこには普段あまり目にすることのない背中が転がっている。


「いていいって言ってくれてる?」

「床で寝た方が頭は冷えるかもしれませんけれど」


 一転して冷たい口ぶりに、身の程知らずな落胆と、納得。無言で足を下ろせば、動きを感知したらしいアリーからは抗議の声が上がる。


「なぜ出ていきますの」

「床で寝ろって意味でしょ」

「そうは言っていませんわよ」

「言ったよ。別に理不尽だとか思ってないし。顔見たくないのも分かるから、」


 言い終えるより先に、襟首を掴まれていた。視界が回転し、後ろに捻られた上半身につられて、床に下ろした足もベッドへ舞い戻る。


 顔面に、柔らかい感触。首裏に回された腕が、温かかった。


「…………アリー、近い」

「こうしていないと、貴方は出ていくでしょう」


 抱きしめられているのだと理解するなり、体を離そうと身動ぐも、腕の力が強まるばかりだ。


 苦しいと言えば、離してくれるだろうか。そんな考えが浮かんだが、口にするより先に、静かな声で問われた。


「妙に目が合わなかったのは、これが原因ですの?」

「……どういう顔していいか、分かんなかったから」


 話題が元の軌道へ戻ったことで、いくらか頭が冷静さを取り戻す。様々な意味での気まずさはあれど、これが彼女の優しさからくるものなのか、それとも逃がさないという意思からくるものなのか。答え合わせをするまでは、ここにいなければと思った。


「父も母も、わたくしに友人ができたことを喜んでいましたわ」

「──戦争の火種になる友達ね」

「火をつけたのはグラストニアですわ。灯されてしまえば、小枝にはなす術がないことくらい分かりますもの」


 自嘲気味にいえば、すぐさま客観的な意見が飛んでくる。家族を失ってなお、ここまで理性的であれる人というのは稀だろう。


 理解できることと、受け入れられることは別だ。理不尽だと分かっていても、正しい態度を取れないこともある。


脳裏に浮かぶのは、仏頂面以外の表情を見せなかったカルロスさんの姿だ。


「お父さんは、歓迎できないみたいだったよ。前は喜んでくれてたのかもしれないけど、あんなことがあった後なら、あの反応が普通だと思う」

「普通ではありませんわ」

「いいって、気遣わなくても」

「父が今、普通の状態でないことは分かるでしょう」


 薄々感じてはいたことをはっきりと口にされ、思わず答えに窮した。


 どこの家庭にも、長い時間をかけて凝り固まった問題はあるものだ。この家のそれは、戦争によって生み出され、そしてこの先もずっと続いていくものだろう。


 何を言えばいいか分からずにいると、アリーは返答を求めていないとでもいうように話を続けた。


「停戦以来、父は何度も飛び降りや自傷行為を繰り返しましたわ。魔法で全快させれば、父はいずれ悲願を果たしてしまいかねないと、ルーカスから頼み込まれてあのように」

「──ごめ、」

「わたくしの父だけが、そういう目に遭っているわけではないでしょう」


 思わず飛び出した謝罪は、すぐさま上書きされる。固くなった体を、柔らかい腕が包み込んだ。


「戦争の傷跡は様々な形で現れますわ。自責の念に駆られる者、戦場の幻に取り憑かれる者、戦時に得た万能感を忘れられない者……その全ての原因が貴方にあるなどという戯言を、わたくしやわたくしの家族が本気にすると思っていますの」


 いつもと何も変わらない、遠慮などない強い口調。だがそこには、彼女なりの優しさがあって、それから俺が置かれた環境への怒りも少し、混じっている。


 アリーに許されたとしても、他の大勢が同じように思ってくれるとは限らない。彼女はごく稀な例なのだと、つい油断しそうになる自分を戒めながら、彼女の話に耳を傾けていた。


「単純に、国民その他大勢と貴方を天秤にかけたわけでもないでしょう。貴方の力によって守られる命と、貴方を差し出すことで守られる命、両者を比べて前者を取った。それだけの話ですわ」

「それだけって……」

「それだけの話ですわよ。わたくしの兄のことを気にしているなら、それこそおかしな話ですわ。貴方を差し出せば兄が助かる保証なんて、最初からどこにもありませんもの」


 兄の死を避けられたかもしれないという話を軽く一蹴したアリーは、俺の首に回した腕を、少しだけ強めて言う。


「それでも、ネロトリアが貴方を差し出していたら、今日のわたくしは確実に冷たいベッドで眠る羽目になっていたでしょうね」


 あまりにもお嬢様然としたわがままな発言に、思わず笑い声が漏れた。


 よくもまぁ、ここまで心にもないことを言うものだ。暖かいベッドで、俺を湯たんぽにしている友達が、その気になれば石畳の上で寝泊まりできるような強さを持っていることを、俺はよく知っている。


 その友達は、「貴方は悪くない」というためだけに、ここまで回りくどく時間をかけて、俺のために言葉を紡いでくれるのだ。


「……高級であったかいベッドに寝てるのに、お嬢様は贅沢だなぁ」

「『恵まれた環境には責任がある。故に責任がある立場の者は恵まれた環境に置かなければならない』……お菓子を余分に食べたいとき、兄がそう言い訳をしていましたわ」

「言い分は一丁前なのに。貴族って小さい頃から口が回るの?」

「貴方ほどではありませんわ」


 俺の舌先三寸は性別詐称が高じている気はするのだが、やはり明かせない以上は笑って誤魔化す他ない。


 すると、アリーは不意に真面目な声色でこう切り出した。


「これは、あくまでわたくし個人の独り言ですけれど」


 聖女でもなく、貴族でもない個人の、それも独り言。かなり保険をかけた前置きに、一体何を言うのかと身構えてみれば、飛び出したのは案の定、激しい意見だった。


「わたくしが怒りを向けるとすれば、貴方ではなくグラストニア帝国やネロトリア王国に向けますわ」

「グラストニアだけじゃなくて?」

「貴方の理屈で言えば、この戦争が起きたのも、わたくしの兄が命を落としたのも、ネロトリアが貴方を差し出すことを拒んだからなのでしょう。そうした事柄において、決定権を持つのは貴方ではなく国の方ですわ」

「まぁ、それはそうなんだけど」


 アリーの意見は真っ当なものだったが、戦争で大切な人やものを失った人が、皆一様にそう考えるとは思えない。もしこの事実が知れ渡れば、「あの聖女さえいなければ」と考える人はいるだろう。


 俺のそんな考えを見透かしたのか、アリーはため息をつくようにして、話題を締めくくる。


「少なくともわたくしは、国を相手取ることを恐れて、手近な相手に石を投げるような真似はしないということですわよ」

「……うん。ありがとう」


 俺の置かれている状況や投げかけられる言葉の存在を理解して、その上でこう言ってくれる人がどれだけいるだろう。生まれて初めて、人生のどん底というものを垣間見た気でいたが、こうして友達に恵まれているなら大丈夫なのだと、そう思える気がする。


 ずっと抱えていた問題がいくらか和らぎ、気まずさの原因となっていた一つが消えた。そうなるとどうなるかといえば、もう一つの原因の方が存在を主張し始めるわけである。


 端的に言えば、友達の胸が顔面に直撃していて大変気まずい。冷静になって考えると、俺は今、友達に抱きしめられた状態でお悩み相談をしていたのだ。問題の深刻さに気を取られていたが、大抵のことはそれどころではない状況である。


 友達とはいえ女性の体、それも胸。その時点で申し訳ないというのに、アリーはそれなりにスタイルがよく、豊かな方だと思うからなお悪い。豊かな方だ。現在進行形で実感してしまっている。申し訳ない。


 話がひと段落した今なら、自然な流れで離してくれるだろうか。そんな期待を抱きながら、さりげなく体を離してみると、首に巻きついた腕が容赦なくそれを阻んだ。


「……どうして逃げようとしますの」

「してない」

「していますわ」


 適切な距離を保つことを「逃げ」と見なすのはやめてほしい。女性同士だとしても、完全に密着した状態で寝るというのはそうあることではないはずなのだ。


 だが、ここでそれを指摘してしまうと、アリーに友達がいない事実を突きつけてしまうことになる。さすがにそれは気が引ける上、距離を保ちたい理由を明らかにできないとなると、必然的にこうした言い方になった。


「ちょっと、距離置かない? 逃げないから」

「矛盾していますわよ」

「そういう距離を置くじゃなくて、ちょっと離れて寝ないかってこと。ベッドからは出ないから」

「それならこのままでも同じですわ」

「違うって。ほら、大きいベッドだし。家主が真ん中で寝るべきでしょ?」

「客人をもてなすのが務めである以上、揃って中央で寝るのが最善ですわ」

「だから、アリー……力つっよ……待って待って、折れる! 首折れる!」

「どうしてそう逃げたがりますの!」

「逃げてないって!」


 どうにかして距離を取りたい俺と、半ば意地になって俺の頭を胸の前に固定するアリー。


 彼女ならばそのようなことはしないだろうと、分かっている。来るともしれない未来の話だ。それでももしいつか、性別を明かすときが来た場合、果たして半殺しで済むのだろうかと、考えられずにはいられない夜だった。


次回更新予定日《9/28 20:00》

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