番外編21「Happy Xxxthday」
ご無沙汰しております!8章前最後の番外編として、タビサと礼央の話を書きました。
8章の進捗は本当にダメです!!!!!切実に助けてほしいくらいにはダメです。どうすんですかねこれ。
7月中に再開できたらいいな……という状態ですので、気長にお待ちいただければと思います。楽しんでいただければ幸いです!
教科書の歴史というものは、当然ながら歴史の細部全てを記録したものではない。分かってはいたつもりだが、こうしていざ停戦後の後片付けに奔走していると、あれだけ覚えるのに苦労した歴史も、先人からすれば「こんな簡単な話ではではない」と言いたくなる内容だったのかもしれないと思ってしまう。
五色の塔からネロトリアに帰って、二ヶ月が経つ頃。停戦周りの公務が一区切りついたタイミングを見計らって、俺はアンネさんと共にある人の元を訪れることにした。
そもそも停戦関連の公務は聖女が担当するものではないのだが、政治の主権を王族が握る中、停戦という国家の大事に口を出してしまったことで、良くも悪くも波風が立ちすぎたのだ。その責任を取る意味でも、本来やるべきこと以上に公務が積み上がってしまった。
忙しくしている間は余計なことを考えずに済むため、俺としてはむしろ助かる部分さえあったものの、彼女へ尽くすべき礼儀を欠いてしまったことは反省すべきだろう。
以前より人通りが少なくなった城の廊下を進み、俺と同じか、少し小さな部屋の扉をノックする。応答があったのを確かめてから、隣のアンネさんが扉を開けてくれた。それを合図に中へ足を踏み入れると、そこには以前と何ら変わらない──いや、以前より上等な服に着替えた彼女の姿がある。
「こんにちは、レオ」
目が覚めるような赤いドレスに身を包み、柔らかい笑みと共に迎えてくれたのは、生き神のタビサさん。そばに控えるのは聖騎士のフランさんである。
停戦合意を取り付ける上で、魔具無効化の能力が必要となったことから、グラストニアから連れ出されたのがタビサさんで、彼女を連れ出したのがフランさんだ。どうやらいい関係を築けているようで安心した。
タビサさんの部屋には、俺の部屋にあるのと同じ丸い机と椅子、それからベッドが設置されている。
机はティーカップを四つ置くのが限界、椅子はタビサさんが着席しているものを含めて二脚のみと、最低限の来客しか想定されていないところまで同じだ。
聖女と似た部屋ということは、少なくとも表向きは厚遇されているらしい。前にいたのがグラストニアであることを考えれば、生活水準は大幅に上がったものと信じたいところだ。
部屋の中に目をやり、数秒ほどでタビサさんの暮らしぶりを確認し終えたところで、聞き取りやすいスピードを心がけながら彼女に答えた。
「こんにちは、タビサさん。遅くなっちゃってすみません」
言いつつ椅子の近くまでやってくると、アンネさんが椅子を引いてくれた。さすがに慣れてきたこの流れで腰を下ろし、タビサさんと向かい合う。
タビサさんのことは主にフランさんを通して聞いていたものの、こうして顔を合わせるのは、それこそあの誘拐事件のとき以来だ。少し緊張すらしながら、話を切り出す。
「何ヶ月も経っちゃいましたけど、今日はいろんなことのお礼に来たんです」
「お礼? どうして、ですか?」
「タビサさんにはたくさん助けてもらいましたから。わたしがグラストニアに連れて行かれたときもそうですし、今回の件だって。ちゃんとお礼を言えてなかったのが気になってたので」
心底疑問に思っているらしいタビサさんに対し、できる限り噛み砕いた表現で伝えてみる。理解が追いつくまでに少し時間を要しているようだったが、ややあってタビサさんが小さく頷いたのを合図に、話を続けた。
「戦争を止められたのは、タビサさんのおかげです。タビサさんが切り札になってくれたから、やっと平和に向けて動き出すことができたんですよ」
今度の話は少し難しかったのか、タビサさんはフランさんに視線で助けを求めている。フランさんがそれに応じて、ことの経緯を簡単に説明してくれている様は、まるで通訳のようだった。
フランさんからの説明で理解を補ったらしいタビサさんは、どこか気が引けているような様子で首を横に振る。
「ワタシ……何も」
「そんなことありませんよ。いろんな人に協力してもらいましたけど、タビサさんなしじゃ作戦の成功はなかったと思います。わたしも含めて、たくさんの人がタビサさんに助けられたんですよ。本当に、ありがとうございます」
改めて礼を述べると、今度は意味を汲み取れていないのではなく、礼をどう受け止めるべきか分からないという顔が返ってきた。どこか後ろめたい、それが自分に相応しくないと思っているような顔だ。
フランさんから聞いた話では、グラストニアから脱出する際、何か嫌なものを見たのだという。タビサさんの表情が晴れない理由もそこにあるのかもしれないが、本人に話す気がない以上、無理に掘り返すこともないだろう。俺に解決できるとは限らないこととなればなおさらだ。
フランさんには、定期的にタビサさんの様子を報告してもらっている。彼女なら些細な異変を見逃す心配はないはずだと考え、ひとまず何も気付かなかった体で話を続けた。
「あと、もう一つ。停戦合意から少し経ちましたし、これからのことを考えてもいいんじゃないかと思って」
「これから?」
「そうです。タビサさんがどうしたいのか、今すぐじゃなくてもいいので、教えてください。できる限り叶えられるように、わたしの方から働きかけますから」
俺の提案を、タビサさんは不思議そうな顔で受け止めている。
タビサさんに会いにくるまでに二ヶ月もかかった理由というのは、停戦周りの公務と並行して、タビサさんの今後を考える上での根回しをしていたというのもある。
タビサさんへのささやかな恩返しとして、彼女がこれからの人生を自由に過ごすためにはどうすればいいのか、自分なりに調べてみたつもりだ。
彼女の魔法は、魔具無効化という、言ってしまえば利害全てを無に帰すことで物事を解決するかなりのパワープレイ寄りのものだ。聖女のように汎用性もないとなれば、国家が手元に置いておく必要はないということになる。
もっとも、生き神の能力を知ったグラストニアが、またタビサさんを奪い取ろうと動く可能性はある以上、護衛のやり方は課題になるものの、今は選択肢があると伝えることが先決だ。
「しばらくはネロトリアで暮らすにしても、その後はどこに行ってもいいんです。外の世界を見てみるとか、故郷に帰るとか。タビサさんの意見を尊重してもらえるように、わたしからも言っておきます。必要な情報は提供しますから、考えてみてくれませんか?」
今日はひとまず提案という形でそう持ちかけると、タビサさんは穏やかな笑みを携え、静かに答えた。それは、俺が思いもよらなかった言葉。
「故郷には、帰りません」
はっきりとした声だった。俺が呆気に取られているのを見て、意味が伝わっていないと思ったのだろう。タビサさんは少し考えて、説明を付け加える。
「ワタシ、みんなのため、──に、なりました。故郷、帰れない。帰っては、いけない」
「すみません、よく聞き取れなくて。何になったんですか?」
間に入った耳に馴染まない単語は、千年前の言葉だろうか。フランさんが間に入り、会話を通してタビサさんの意図を汲み取ってくれる。
何往復かのやり取りを経たのち、フランさんは言いにくそうな顔で口を開いた。
「……意味としては、恐らく『生贄』に近いかと」
「ワタシ、大地に……なる。決まってました」
生贄という言葉を受けて、思わずアンネさんと顔を見合わせる。そこにあるのはやはり困惑したような表情で、あっけらかんとした様子のタビサさんが異様に思えた。どうやら、生贄になることへの拒否感はないらしい。千年前の価値観ゆえか、それとも彼女の性格ゆえか。判断に困るところだ。
突然飛び出した事実に困惑する中、アンネさんがある問いを投げかけたことで、沈黙を破る。
「大地になるとは、どういうことなのでしょうか」
「大地……あげる?」
「大地への捧げ物に近い意味合いらしいよ。豊穣祈願の意図があったのかもしれないね。愚弟を呼べば隅々まで調べ尽くすまで帰らないと思うけれど、呼ぶかい?」
「……ヴァール先生の専門って、魔法学じゃないですか」
「生き神の魔法というだけで興味の対象になりますから、必然的に彼女の生い立ちや遺体の管理方法まで研究対象にするかと」
呆れたようなフランさんの言葉で、あの好奇心の塊のような小さな先生を思い出し、思わず苦笑いがこぼれる。懐かしい名前だ。どうやら彼は元気にしているようで安心した。
蘇生のからくりはよく分からないものの、タビサさんがここにいる以上、千年前の遺骸はきちんと形として残っており、かつそれが生き神だと分かる状態だったということになる。
何となく、古代エジプトのミイラを思い出す話だ。当時は死後の世界へ辿り着くための体を残すべく、ミイラという形で遺体の保存が行われたのだとか。
死体の腐敗については全く知識がないが、土の中で千年も経てば、骨ごと分解されてしまいそうな気もする。大昔のミイラが発見されて騒ぎになることからして、そう外れてはいない見方かもしれない。
加えて、タビサさんは千年前の人にしてはかなり背が高い。俺やフランさんよりも高く、現代日本における女性の平均身長よりさらに少し高いくらいだろうか。
平均身長がその時代の栄養事情によって変わることを考えると、タビサさんは恐らく食べ物に困るどころか、かなり余裕があるほどだったのだろう。生贄が大地に捧げる意味合いの強いものだとすれば、特別な贈り物として、大切にされてきたのかもしれない。
あれこれと考えを巡らせてみたものの、これらは結局のところ仮説に過ぎず、タビサさんが故郷でどういった立ち位置にあったかは不明のままだ。分かっているのは、タビサさんに故郷へ帰るという選択肢がないらしいことのみ。
代わりに学術協力という選択肢が増えたものの、それを出したが最後、別の意味で不自由する羽目になりそうだ。ここで提案するのはやめておこう。
「それじゃあ、しばらくはネロトリアに滞在して、これからのことはゆっくり考えてみてください。そのままネロトリアに住むにせよ、他のところに行くにせよ、今の言葉を身につけておくに越したことはないと思うので、その辺りは引き続きフランさんにお願いしますね」
「お任せください」
「分かりました。ありがとう」
フランさんはいつも通り頼もしい笑顔で頷き、タビサさんも少し安心した様子で礼を述べた。これはあくまでタビサさんへの恩返しであるため、曖昧に辞して次の話題へと移る。
「それから食事のことなんですけど、タビサさんってお腹は空かないんですか? ここまでほとんど何も食べてないって聞きましたよ」
「大丈夫、です。食べなくても、平気」
「それについては、聖女様がいらっしゃる前に改めて確認を取りました。今までも何度か聞いていたのですが、あまりにも突飛な回答だったせいで、ボクが勘違いしていると思い込んでいたのです」
信じがたい報告をしっかりと肯定するタビサさんと、困惑を隠しきれないらしいフランさん。両者の対比が奇妙に映る状況下、フランさんは信じられないといった風に続けてみせた。
「本人が言うには、彼女の体は完全に時を止めた状態にあるようです」
「時を止めたって……どうやって?」
飛び出したのは、やはり信じがたい事実。魔法があるならば何でもありな気はするものの、そんな世界でも絶対に揺るがないものはある。時間というのはその最たるもので、砂時計を倒すようにして簡単に操れるものではないはずなのだ。
タビサさんを蘇らせたのは、十中八九グラストニア陸軍少佐であるノア・ガーランドによる邪属性魔法だろう。だが、邪属性魔法というものはそこまで規格外な魔法なのだろうか。俺の疑問に部分的に答えるようにして、フランさんが続けた。
「彼女は邪属性魔法により、『死』を『奪われ』、蘇生されたのだとか。しかしそれは、通常の人間に戻ったわけではなければ、不老不死とも異なる状態にあります。今の彼女は、生者でも死者でもなく……」
「人形、です。中尉、言ってました」
言い淀むフランさんの言葉を、タビサさんが引き取った。そこに躊躇いや悲しみはない。ただ客観的な事実を述べたに過ぎないという顔だ。
言葉を補ったあたり、意味は分かっているのだろう。何と言ったものか分からずにいる俺に対し、彼女は俺たちを安心させようとするかのように、にこやかに言ってみせた。
「だから、お腹、空きません。大丈夫」
彼女は、言葉を話している。呼吸をしているのだ。それでも、生命としての営みのどこかに、生物と人形の境界が残酷に横たわっている。
「死」という状態を取り上げれば、休み時間が終わって授業に戻るように、生き物は活動を再開せざるを得なくなる。しかし、それは単に選択肢を取り上げられたというだけであって、生の終着に死があるという自然な流れに反していることに変わりはないのだ。
終わりはない。だからこそ、進みもしない。人形という表現は言い得て妙だが、あまりに乱暴だ。何より今のネロトリアにとって、彼女の存在は都合がいいであろうことに、腹立たしさを覚えた。
頭にこびりついて離れない言葉が蘇ったそのとき、控えめに扉がノックされ、見慣れた制服姿の女性が顔を覗かせた。
「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」
ハナさんである。食糧難の中とはいえ、聖女と生き神が集う場所に茶のひとつもなしというわけにはいかなかったらしいが、今の今でお茶を持ってこられても困るところだ。
とはいえ、この情勢の中でまったく手をつけないというのももったいない。
「タビサさん、飲み物は……」
「……ミカ?」
迷った末にタビサさんの様子を窺ってみるが、そこにあったのは呆気に取られたような顔がひとつ。視線の先にいるハナさんを見ると、彼女も似た顔をしていた。まさか千年前を生きた人から人違いをされるとは思っていなかったのだろう。
メイド服で間違えたのかと思ったが、グラストニアの軍事基地に使用人の姿はなく、何より使用人がいたならば、タビサさんが男物のシャツ一枚で過ごしてしたことに説明がつかない。タビサさんは、ハナさんを誰と見間違えたのだろう。
「人違いじゃないですか? その人はハナさんですよ。ここのメイドさんです」
「ハナ……」
どこか釈然としない様子でハナさんの名前を呟くタビサさんは、じっとハナさんを見つめている。何かを確かめるように、あるいは疑うように。
「知ってる人に似てたんですか?」
「…………」
尋ねるも、返答はない。代わりに、ハナさんが嬉しそうに言った。
「生き神様のお知り合いと間違われるなんて、光栄です」
言いつつ、ハナさんはテーブルに紅茶を並べていく。ハナさんが空になった盆を胸に当てたのを合図に、俺たち以外の視点で見たタビサさんについて、聞いてみることにした。
「タビサさんの話、結構伝わってるんですね」
「はい。生き神様がいらしたおかげで、敵軍が魔具を放棄し、武力と魔法での勝負に持ち込むことができたと聞いております。生き神様は、まさに救世主です!」
ハナさんがどこか得意げに口にした救世主という言葉を聞いて、ふと出会ったときのタビサさんを思い出した。
グラストニアで俺を助けてくれた彼女は、どういうわけかあの部屋を抜け出そうとはせず、自分の意思で俺を送り出したのだ。
粗末な服を着て、明らかにいい扱いを受けていない。どこかから連れてこられたであろう謎の女性。
それが、こうも変わるとは。
「──そうですか」
彼女への賞賛は、彼女が為した功績に対して送られているもの。能力への期待由来でないなら、その賞賛は長く、そして大きな責任を伴うことなく続くことだろう。それはきっと、知らない土地で多少なり不安に駆られるタビサさんを慰めてくれるはずだ。
「そうですか……」
だから、心の底から安堵した。ふと肩の力が抜けたといってもいい。やるべきことをやり終えたような感覚だった。
少しずつ、「平和の象徴」という言葉が、自分から剥がれ落ちていく。多くの人はそれを認めず、俺がそう表すのに相応しい人物でないことに目を瞑っていたようだが、本当はもう限界だった。そう呼ぶことも、呼ばれることも。
そこに現れたタビサさんは、それこそ救世主そのものだったのだろう。
俺の安堵は、負いきれない役割を引き取ってもらえたと、そう思ったからなのかもしれない。誰かがならなければならない立ち位置に、替えがいないからという理由で収まっていた。そこからようやく解放されて、もう一つの役割に専念できる。
俺はもう、平和の象徴とされるに相応しい、「お優しい聖女様」でなくてもいいのだ。ただ、国防という役目を担い、言われた通り公務に勤しむ「聖女」であればいいだけ。
「よかったですね」
褒められていますよ、と伝える意図で、タビサさんに笑みを向ける。するとタビサさんは、嬉しそうな顔でハナさんを見つめて言った。
「よかった、ですね」
前向きな言葉が嬉しいのだろうか。タビサさんは本当に、置かれた環境を考えると奇跡的なまでに善良な性格をしていると思う。だからきっと大丈夫なのだと、自分がいた場所を静かに明け渡した。
誰に引き剥がされるわけでもなく、半ば押し付けるようにして「平和の象徴」を譲り渡したこの日。
それは果たして、誕生日だったのか、命日だったのか。
次回更新予定日《7/27 20:00》*本編更新




