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番外編15「商人オリヴァーと戦後」

この番外編でようやく7章が終わった気がしています。

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました!

『聖"女"として召喚されましたが、俺は"男"です!』はまだまだ続きますので、これからも見守っていただければ幸いです!


 瞬く間に、見た目ばかりが元通りになった王都。以前と変わらない街並みに、久しく見ていなかった浮浪者の姿を捉えながら、記憶の中の街をなぞっていた。


 家具も何もなく、本当に外側だけを取り繕ったハリボテのような家の外に腰を下ろす。そうしてあちこちから漏れ聞こえてきた会話を繋ぎ合わせると、戦争が終わって二週間ほど経つ頃、騎士様たちが敵の攻撃によって壊れた建物を綺麗さっぱり直してしまったのだという。まるで戦争の痕跡そのものを消し去るように。


 本音を言えば、俺たちのような兵隊上がりの浮浪者や死に損ないの老いぼれどももまとめて片付けてしまいたかったのかもしれないが、さすがに戦後の混乱にあっても生きた人間を手にかけるのは難しかったらしく、燃え残った遺体の山を掃除するに留まった。


 何日かに一度、それも到底全員には行き渡りそうもない配給には手を付けず、だ。


 食べ物をくれ、助けてくれと何人かは呼びかけたらしいが聞き入れられず、戦場を忘れられない奴が斬りかかって返り討ちにされたそうだ。取り付く島もない。


 働く場所を探そうにも、店はおろか家も少し前までは瓦礫の山でしかなかったのだ。城の近くにいけば働く場所もあるかもしれないが、こことそう変わらない景色が広がるばかりかもしれない。


 動かなければ死ぬ。だが生に明確な希望を見出すこともできないまま、俺たちは戦争に勝ったのか負けたのかすら知らず、ただ整備された街の一角で食べ物を漁り、或いは奪いながら、命を消費していた。


「……父ちゃん」


 六つになる息子が、情けない顔で俺を呼ぶ。数日前まではやれ腹が減っただの寒くて眠れないなどとほざいたものだが、少し躾けてやれば大人しくなった。


 それでもまだ自分の飯を自分で見つけてくることすら覚えられないらしく、家の前に腰を下ろしたままの俺を責め立てるようにこちらを見つめている。妻もきっと、こいつの役立たずぶりに嫌気がさしてこいつを捨てたのだ。


 俺が戦場で必死に働き国を守っている間に、役目を放り出すとはいい身分である。結局女というものは、大事な局面になるとすぐに自分の責任を他者に押し付ける卑怯な生き物だ。


 今となっては、一度でもあれに思いを向けた過去を煩わしいとすら思う。それによって生まれた、目の前にいるこいつも、今はただの穀潰しとしか思えなかった。


 視線に耐えかね、灰色の街を当てもなく歩く。すると、どこからか騒がしい声が聞こえてきて足を止めた。


「何ぼさっとしてんだい、さっさと立ちな! さっさと立つんだ。ほら! おまんま食いっぱぐれたくなきゃ立つんだよ!」


 年老いた女がいる。誰かと思えば、この辺りで飯屋をやっていたババアだ。だらしなく出た腹に似合わない三つ編みの二つが揃うのはあのババアしかいない。気前のいい女主人のそれとして捉えていたその声が、今はどうしようもなく耳障りだった。


 ババアは鼠の群がるごみ溜めを蹴り飛ばし、素手で物色しては舌打ちをこぼす。何かを探しているようだ。まさか食い物だろうか。


 目当てのものは見つからなかったらしく、そこらに散らばる浮浪者に向かって声を荒げた。


「まったくろくなもんがありゃしないね。あんたたちも手伝いな。何も騎士サマみたいに建物を直せってんじゃない。その辺から使えそうなもんを拾い集めるだけだよ。ババア一人働かせて、まともな飯にありつけると思ってんのかい」


 全く偉そうな口ぶりに、苛立ちが募る。


 女や子どもは戦いもせずただ耐えていれば助かった。俺らはどうか。ろくに食うものもない戦場で、病に倒れていく奴らを見ながら必死に敵とやり合ってきたのだ。それをまるで働きもしないゴミ同然の扱いとは気に食わない。


 周りの奴らも同意見だったのだろう。抜け殻のようだった目に殺気が宿り、戦場を思わせるような怒号があちこちから上がった。


「クソババア! 誰のおかげで助かったと思ってやがる!」

「偉そうなこと抜かすな。ぶっ殺すぞ!」

「いつまでそんなこと言ってんだい! もう剣振り回しても国は養っちゃくれない。アタシを殺せばアンタら全員、野垂れ死にだよ!」


 だが、少しも怯む様子のないババアに押され、一同は思わず黙り込む。飯にもありつけない中、どこにそんな声を出す余裕があるのかというほどの大声だった。


「いいかい、よく聞きな。アタシは何十年もこの辺りで商売をやってきた。アンタたちの中にもそういうのがいるだろう。どいつもこいつも見覚えのある生意気な面だよ。ケツの青いガキどもと違って、アタシは生き残る術ってものを心得てるんだ」


 そこらに転がる大人を十把一絡げにガキ呼ばわりしたババアの言葉は、戦場ぶりの新鮮な怒りを湧き上がらせる。


 国内で働いていれば飯にありつけたような女どもに、偉そうな口を叩かれる筋合いなどない。俺たちは命懸けで戦い、国を守ったのだ。


 いいだろう。生き残る術を本当に心得ているのが誰なのか、この老いぼれに思い知らせてやろう。


 剣はなく、魔力も底をついた。だがそれで十分だ。同じことを考えているらしい男たちが獣のような目を携え、亡霊の如く立ち上がったそのとき、どこからか蹄の音が聞こえてきた。


 遠くからやってきた数台の馬車に目をやったババアは、驚くどころか呆れたように鼻を鳴らす。


「ようやくお出ましだね。何度かここに来た騎士様に言ってやったんだよ。『その辺に転がってる奴らを人手としてくれてやるから、闇市で押収した物資を寄越しな』ってね。人手になると分かれば、国だってアタシらを死なせるわけにはいかなくなるはずだ。対等になりたきゃ、相応のものを差し出す。それが商人のやり方だろう?」


 そこまで言い終えると、ババアは再び声を張り上げた。呆気に取られて停止する頭を、染み込まない事実が横滑りしていく。


「戦争は終わった! 勝ったか負けたかなんざ知らないが、ここからは必死で考えて働いて、飯食ってクソして寝たやつが生き残るんだよ!」


 ババアがそんなことを声高に叫んでからは早かった。そこらの浮浪者連中の尻を叩いて働かせ、料理のための道具を集めさせる。そうして魔法が使える者を総動員。届いた物資は闇市で扱われていただけあってろくなものではなかったが、ババアに散々口を出されながら、どうにか無駄なく料理へと変えていく。


 俺は手伝うつもりなど微塵もなかったが、ババアと目が合ったと思ったら、魔法を使えることを見抜かれ、あっという間に手伝いに回された。正確には見抜いたというより、単に俺がポーションを売っていたことを覚えていたのだそうだ。


 ババアに乗せられるのは癪だと思っていた奴らも、空腹に耐えかねて、あるいは率先して働く者が騎士様から声をかけられ、就職先の斡旋を提案されているのを見て、ようやく重い腰を上げた。


 生きるためには働かなければならない。ここにいる奴らは、生きていたいというより、ただ漠然と死が恐ろしいのだった。


 最後の瞬間、訪れるその一瞬が恐ろしく、生という苦しみを甘んじて受け入れざるを得ない。死が安らかなものであるなら、どうして最後の瞬間、彼らはああも苦悶に満ちた表情で時を止めたのだろう。


 死が穏やかなものであるなら、どうして彼らの死は俺たちの頭に焦げ付いて、記憶や理性を食い潰してなお消えないのだろう。


 そんな風に物思いに耽る暇もなく、馬車馬のように働かされた末、手元に来たのはスープが一杯。器は息子が探してきた、どこの誰が使っていたものとも知れないものだ。


 器についた埃の臭いが混じったスープは、報酬とするにはあまりに粗末なものだった。それを、息子と二人で交互に啜る。量は少なかったが、久方ぶりの温かい──とするにはずいぶんとぬるかったが──食事だった。


「……母ちゃんはどうした」


 スープの入った器を、五往復はした頃。ふと気になって、息子にそう尋ねてみた。虚ろな横顔から器を離し、こちらに寄越しながら、暗い声で答える。


「仕事。おれも一緒にいたけど、母ちゃんはぴかってした後、黒くなって、何も言わなくなっちゃった」

「そうか」


 それだけ言って、またスープを口にした。


 こいつを除けば、子どもの姿はまばらだ。戦時下の王都は、戦場に引けを取らないほどの過酷な環境だったのだろう。


 本当は、分かっていた。大人が死に物狂いで群がる配給は、子どもには過酷すぎる。中には配給をあの手この手でかき集めて、闇市で売り捌く奴もいると聞くほどだ。飯にありつくのだけでも一苦労だろう。


 それならどうして、大人に守られて生きていたこいつが、ここまで飢え死ぬことなく生き延びられたのか。


「母ちゃん、お腹空いてるかな」


 スープを渡してやると、口をつけるより先に、息子がそう呟いた。寂しげな声で。


 本当は、分かっていた。妻がもう、飢えや寒さが永遠に届かない場所に行ってしまっていること。


「……持ってってあげようか?」


 拭いきれない期待と、俺に怒鳴られるのではという恐怖を混ぜたような表情で、息子が尋ねる。それに何と言葉を返したものかと考えている間に、どこかから人影が飛び出した。


 反射的にその小さな人影を掴み、地面にねじ伏せると、薄汚い餓鬼は罠にかかった鼠のように身を捩り、息子の手に握られた器へと手を伸ばす。なるほど、孤児はこうして生き延びてきたようだ。


 見たところ息子より少し年下だろうか。枯れ枝のように痩せているせいで、年齢の判断がつかない。汚くとも生きようとするこの餓鬼の姿は、戦場にいた頃の俺に重なって見えた。


 知っている奴も知らない奴も、武器を持っている奴も持たない奴も、構わず魔法で結界の外に放り出してきたのだ。殺した敵の数より、見捨てた味方の方が、多かったかもしれない。


「……父ちゃん」

「少し食わしてやれ」


 不安げな息子には構わず、餓鬼の首根っこを掴んだまま持ち上げる。そうして、器に手が届く距離まで近付けてやった。


「妙な真似すんなよ」


 言うが早いか、餓鬼は息子から器をひったくり、小さすぎてカスのような具でむせるのも構わず、あっという間に平らげてしまった。少し、の定義が壊れている。


 いつまでも持ち上げたままにしておくのも疲れるため、程々のところで手を離してやった。それでも餓鬼はいなくなるでもなく、何を期待してかこの場に留まろうとしているようだ。到底恩返しのためとは思えないが、などと思いながら、大して意味もない問いを放つ。


「お前、親は」

「燃えた」


 感情の読めない声で、餓鬼は言う。黒くなったでも、炭になったでもなく、燃えたと。飢餓や病で死に、遺体の山の一部となり焼かれたのだろう。


 ありふれた不幸に、今さら驚きもしなかった。戦場で敵に斬られ、熱い傷口と冷たくなる体に絶望しながら死ぬよりはマシだとすら考えて、そんな自分に愕然とする。帰ってきたのに、違う世界に来た心地だった。


 変わり果てた自分と、上辺ばかりが元通りになった街に、少しでも元と同じ部分を探そうとして、ふと戦争が始まる前のことを思い出す。


 魔石売りのイーヴォと、終戦までどれだけかかるかで賭けをしたのだった。俺は半年、イーヴォは一年。俺は賭けに勝ったのだ。


 また会えたら、賭け金ということにして飯でも奢らせようと思った。人参料理に悲鳴を上げながら、他愛もない話をしよう。そんな願望が、何故だか途方もないことのように思えた。


「ほら! 食ったら働きな! ぼさっとしてんじゃないよ!」


 ババアの怒鳴り声に追い立てられるように立ち上がり、息子と、それからどういうわけかついてくる餓鬼と共に騎士様の元へ。


 あの戦場で、俺は生き残った。敵味方問わず積み上がった骸をよじ登り、死の届かない高みまで逃げ延びたのだ。


 だが、戦争が終わっても、死は依然として俺の後をついて回る。それから逃れる術というのは、やはり走り続ける他にないのだろう。


 歴史は、文と数字でできている。


 十三代目聖女は、大陸亜人戦争を半年という速さで停戦へと導き。

 これは文。


 ネロトリア国内の死者は、数千人にもおよび。

 これは数字。


 そして、今ここにある現実は、歴史の数字にならなかった俺たちの物語だ。


次回更新予定日《3/30 20:00》*番外編更新*

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