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123話「冷たき朝日」

第7章「亜人戦争編」、完結です。

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました!拙いながらもひとまず書き終えることができて、ほっとしています。

次章「幕間編」準備のため、しばらく番外編の更新が続きます。そちらも楽しんでいただければ幸いです。


 およそ二ヶ月ぶりに見た王都中心部は、思いのほか綺麗な状態でそこにあった。


 塔にいた頃、イーザックから聞いた話では、王都もまた礼央様の暴走によって甚大な被害を受けたと聞いている。


 それもあって移動中の馬車では礼央様に外を見せないようにしていたものの、いざ王都にたどり着いてみると──少なくとも城付近だけに目をやれば──被害の痕跡はほとんど綺麗に消え去っていた。


 あの日、建物が乱暴に切り刻まれた聖騎士団本部も、近くに位置する騎士団本部も、そして王城も、攻撃など何一つ受けなかったかのように佇んでいたのだ。


 あまりに早い修復ぶりに、戦争など最初から起こらなかったのではと錯覚しかけたのも束の間、ハナさんを始め、そこで生きる人々の疲れ切った様子を見て、未だ戦争の傷跡は生々しく残るのだと実感したのが三日前。


 停戦に関する手続きや各所への説明にある程度区切りをつけた私は、夜更けも近付く深夜にイーザックから呼び出しを受けていた。曰く、私たちが塔にいた間の出来事について、直接話をしたいのだという。


 魔具を通してでもなく、結界越しにでもない。恐らく喜ばしい内容ではないのだろうと思いながら、聖騎士団本部の一室を訪れた。


 念のためノックをすると、イーザックの声で入室を促される。そうして扉を開けば、そこにはイーザックと、それからフランツェスカがいた。


「やぁ、久しぶり。二ヶ月ぶりになるのかな」

「顔色はちょっとよくなってるね。シノノメの代表者に面倒見てもらったんだって?」

「軽口を叩く余裕があるようには見えないが」


 口ぶりこそ普段の二人そのものだったが、やはり二人とも顔色は悪く、以前目にしたときよりも痩せているのが分かった。


 イーザックの頬はこけ、フランツェスカの足は以前よりずっと細い。塔の中で食べ物などの心配がなかった私とは違い、彼らは開戦からの約半年、まともな食事を摂れていないはずなのだ。たとえ前線に出ていなくとも、何もかも変わらない日常のままとはいられないという当たり前の事実を、突きつけられた気がした。


「空元気でもないよりはいいじゃないか。あまり思わしくない状況であるのは確かだけれどね」


 軽い調子で言いつつ、フランツェスカは私のそばを横切り、見知った魔具を扉にかけた。消音の魔具だ。そうして彼女が私の右前方に佇んだのを確認してから、私から見て左前方にいるイーザックが本題に入った。


「悪い知らせが一つ、さらに悪い知らせがもう一つ。ちょっといい知らせが一つ、ってところかな。どれから聞きたい?」

「この状況でいい知らせがあるということからして疑問だ」

「心配しないで。ちゃんといい知らせだから」


 真っ向から疑う姿勢に苦笑いをこぼしつつ、イーザックはまず「いい知らせ」の方から話し始める。


「聖女様の暴走の件だけど、あれは聖騎士団の大多数を含め、公表されてない」


 示された情報は少し意外なものだったが、なるほど確かにいい知らせだった。城や聖騎士団本部から攻撃の痕跡が消えていたのも、恐らくこの件に付随するのだろう。


 しかし公表されていないとはいえ、あの攻撃を目にしたものは聖騎士団内部でも相当数いるはず。公表せずにいたところで、どれだけ効果があるものだろうか。


 私のそんな考えを見透かしたのか、フランツェスカがこう付け足した。


「あの一件は、あくまでグラストニアによる攻撃の一つということになったんだよ。あれが聖女様による暴走だと知る者はそう多くないし、知っている者にも緘口令が敷かれた」

「停戦の立役者による大量殺戮の事実は、国にとっても都合が悪いということか?」

「それもあるけど、再発防止の意味もあるみたいだよ」

「再発……ああ、なるほど」


 まるでたびたびあの暴走が引き起こされることを警戒しているような物言いに、つい引っかかってしまったが、たとえ礼央様に攻撃の意思がなくとも、あの日を思い出した拍子に同じ魔法を行使する可能性は十分にある。


 塔にいた頃、真央に関する報告も何度か上げていたため、それが上に伝わったことでこのような判断がされたのだろう。


「何にせよ、あの一件は国全体で秘匿されることになった。聖女様が真実を知ってしまう可能性は限りなく低いということだよ」


 絶対ではないが、イーザックやフランツェスカがこう言っている以上、今すぐに事実が露呈することはないと見てよさそうだ。いずれ根本的な解決は必要とはいえ、ひとまずの時間稼ぎにはなるだろう。


 そう判断し、待ち構えている残りの知らせの方へ話題を移す。


「悪い知らせというのは」

「あの一件については、停戦協定を結ぶにあたって結成した同盟国に対しても、グラストニアの攻撃によるものって説明されてる。表向きは納得してくれてるみたいだけど、グラストニアだけはそういうわけにもいかない」


 イーザックが口にしたのは、やはりどうしようもなく悪い知らせだった。国内、せめて今回同盟を結んだ聖女保有国ならばともかく、グラストニアはこちらの事情などお構いなしだ。


 苦々しい顔で、イーザックは続ける。


「これまではネロトリアっていう一つの国を攻撃してた。でも聖女様の暴走以降、矛先は聖女様一人に向いてる。ネロトリアを陥れるためのちょうどいい足掛かりにでも思ってるんだろうね」

「──『千人殺し』」


 突然、フランツェスカの口から飛び出した物騒な単語に振り返ると、彼女にしては珍しく、感情を押し殺すような顔で続けた。


「グラストニアは、聖女様をそう呼んでいるようだよ。さすがに公的な場で口に出すことはないけれど、停戦合意のとき、何度かそんな呼称が耳に入ってきた」

「千人……」

「犠牲者の数なら、厳密にはそれ以上だ。あちらが数を盛っている可能性はあるし、まだ詳しい数は調査中と聞いているけれど、敵味方合わせれば数千になるだろう」


 淡々と告げられた事実は、思っていた以上に重いもの。コルトリカとの国境付近にあるトリス学園から放たれた魔法が、グラストニアとの国境付近まで届いた時点で、ネロトリア全土で壊滅的な被害をもたらしたことは確実だ。


 フランツェスカは視線を彷徨わせ、呟くような声で続ける。


「……こう言っては何だけれど、敵兵の吸血鬼以上に、ネロトリア国民の犠牲者が多かったというのは……不幸中の幸いということになるんだろうね」


 それが誰にとっての幸いなのか、あえて口にすることはしなかったが、少なくとも礼央様にとってではないのだろう。


 犠牲の大小も、種族も国も関係ない。彼の魔法で潰えた命があるという事実。それだけあれば、彼の心は容易く壊れてしまう。そうなってしまえば、あらゆる手段を使って必死に実現した停戦の事実すらも、慰めにはならないだろう。


 突きつけられた事実を前に立ち尽くしていると、今はそうしている場合ではないとでも言うように、イーザックがこう付け加えた。


「コルトリカ以外の国とも同盟を結んだことで、グラストニアへの対抗手段は一気に増えた。でも逆に、グラストニア側にもこっちを攻撃する口実を与えたことになる。これまで以上に警戒しないと、また何を取っ掛かりに戦争を引き起こされるか分からない」


 再び浮上した戦争の懸念に、頭を無理やりに切り替える。起きたことは変えられず、私にできることも一つしかないのだ。


 ここから先、グラストニアはネロトリアを貶めるため、以前よりも礼央様個人への攻撃を強めるだろう。彼がこれ以上傷つけられることがないように、これまでよりもさらに警戒を強める必要があった。


 イーザックが戦争の懸念を示したのに対し、フランツェスカはあくまで現実的な視点から自分の意見を述べる。


「とはいえ、今すぐにというわけでもないはずだよ。今回の戦争で、グラストニアは大きな打撃を受けた。連合軍の大多数は途中で寝返り、停戦間際には人間から吸血鬼に対する報復めいた虐殺まであったと聞くからね。今回の停戦合意は、降伏を避けるための苦渋の決断だろう。とても聖女様には聞かせられない話だけれど……ザック、どうかしたのかい?」


 フランツェスカの話で、私に変装した礼央様から情報を引き出されたことを思い出したのだろう。申し訳なさと情けなさから頭を抱えるイーザックをよそに、次の知らせについて尋ねることにした。


「悪い知らせは二つあると言っていたが、今は二つあるうちの悪い方か?」

「残念だけれど、もう一つが『さらに悪い方』だよ」


 イーザックの代わりにフランツェスカが答え、続く説明をイーザックに引き継いだ。今以上に悪い話があるとは信じ難いが、などという楽観的な考えを、イーザックの言葉が吹き飛ばす。


「ネロトリア国内──それも聖女様に近い立場に、グラストニアの内通者がいる」


 重苦しく告げられたそれは、近い将来への明確な懸念だった。これまでも何度か内通者の存在は明かされていたものの、まさかまだ残党がいたとは。


「内通者や侵入者の類は、粗方排除したはずだが」

「誘拐事件のときはテオドール、お披露目パーティーでの毒殺未遂はあの名前も分からない青髪の少女がそれに当たるね。ただ、今回の内通者というのはどちらかというと……」

「待て、『名前が分からない』?」


 フランツェスカの言葉を遮り、引っかかりを覚えた点について確認を挟む。


 誘拐事件の実行犯であるテオドールは、フランツェスカや礼央様の証言から身元が明らかになった。


 お披露目パーティーでハナさんに成り代わっていた毒殺未遂の実行犯にしても、聖騎士団で身柄を拘束、速やかに尋問が行われたはずだというのに、名前すら明らかになっていないということは。


 質問をしてから、その真意に気付いた私を見て、イーザックが小さく頷く。


「彼女は口封じなのか何なのか、尋問の直前に殺された。もう一人の犯人だったグステル・エーレンベルクの暗殺と同じ、手口の分からない毒殺だよ」

「そこに、今回の戦争でネロトリアから亜人連合軍に向けた魔具の横流しが加わったんだ」


 フランツェスカが補足したことで、ようやく全容が掴めてきた。


 人間陣営の魔具が亜人陣営側に横流しされ、戦場で使用されているという話は聞き及んでいる。それがネロトリア国内に潜伏した何者かによるものだとするならば、これまで内通者だと思っていた者たちは、あくまで以前から潜伏していた誰かからの手引きによって侵入を果たしたに過ぎず、本命は未だネロトリア国内に潜んでいるということらしい。


 魔具の横流し単体で見れば、ネロトリアではなくコルトリカ側に内通者がいる可能性はあった。だが、それで先の誘拐事件や毒殺未遂事件を完全に終わったものとするのは楽観的すぎる。それら三件は繋がっていると考えたほうがいいだろう。


 戦争が終わっても、未だ問題は山積み。ここに別の懸念が加わるとなれば、「さらに悪い知らせ」としたのも頷けた。


「魔具の横流しはともかく、誘拐事件と毒殺事件を考えると、内通者は聖女様に近い立場の誰かの可能性が高い。騎士団、城の使用人……下手をすると、聖騎士団関係者ってことも。怪しいところはさらったけど、正直絞りきれない」


 言いつつ、イーザックは魔具で施錠された箱から紙束を取り出した。内通者候補の一覧と、各候補者の情報がまとめられた資料だ。疑わしい名前が挙げられ、疑いが晴れた者の名前には線が引かれている。


 ページを捲ってみると、そこにはライナーにユーリアさん、私の名前もある。それからメイドのハナさんやノーラさん、料理人のモーリッツさんまで。おかげでこれまで知る機会のなかった彼らの家名を知ることになった。中には線が引かれている者も、そうでない者もいる。


「この名簿は容疑者から外れた聖騎士にしか見せてない。まだ疑いが晴れてない人が聖女様と二人きりにならないように、くれぐれも気を付けて」

「ああ。分かっている」


 真剣な表情のイーザックから念を押され、強く頷く。恐らくこれは聖騎士団内部でも重要機密に該当するはずで、本来であれば私が目にすることなどないものだ。


 それでも私の目の前にこの文書があるということは、礼央様に最も近い立場の私に注意を促すため、イーザックが許可を取り付けたということなのだろう。私の名前には、既に容疑が晴れたことを示す線が引かれていた。


 資料を粗方確認し、内容を頭に叩き込んでからイーザックに返却する。伝えるべきことを全て伝え終えてしまうと、話題は自然に礼央様の近況へ移った。


「聖女様の様子はどうだい? 何か変わったことは?」

「やはり、少し疲れた様子だった。塔で体を休めることはできたようだが、精神的な負担はあるのだろう」

「そっか。ゆっくり休んでほしいところではあるけど、今回の停戦はどうしても聖女様と大陸国家って構図になるからね。ここからは停戦協定関連の公務も増えると思う。それでも負担が大きい場合にはなるべく調整するから、ちゃんと見ててあげてね」


 どこか申し訳なさを滲ませながら、イーザックは言う。恐らくこれが、今の彼にできる最大の気遣いなのだろう。


 イーザックもフランツェスカも、停戦関連の事務処理や生き神のタビサさんのことで、やるべきことは山積みのはず。その上でこうして礼央様を気にかけているのは、決して当たり前のことではない。だが。


──『一緒に逃げようって言ったら、どうします?』──


 脳裏に、礼央様の言葉がよぎる。あのとき、ほんの一瞬だけ明かされた、礼央様の本当の願い。


 どれだけ彼を気にかけていても、守るべき存在として見ていても、ここにいる誰も、彼の本当の望みを叶えることはできないのだ。


 最良ではない。だが、きっとこれが最善なのだと、言い聞かせる日々。


「──ああ」


 様々な感情を飲み込んで、ただそう答えた。


 千人殺し、グラストニアからの刺客、真央。過去から持ち越した問題も、未来への懸念も、尽きることはない。


 いずれ私たちが生きるこの時代も、歴史に組み込まれていくのだろう。そうなってしまえば、私たちが頭を抱える問題も、歴史の行間へと吸い込まれて消えてしまうのかもしれない。


 それでも、今を生きる者として、見えているものを見過ごさず、見えないものを見逃さず、取りこぼさずに生きていけたらと思う。


 彼から「全てを捨てて逃げる」という選択肢を取り上げた以上、私もまた逃げることは許されないのだから。


 人々が、来るかも分からない明日を待つ夜。登り始めた朝日は、あの日を思わせるような眩い光を放っていて。


 その光に、少しだけ寒気を覚えた。


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