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118話「溝と壁と一方通行」


 気がつくと、張り付いていたはずの壁はずいぶんと遠ざかっていた。


 それが天井だと気付き、次に辺りが明るいことを自覚する。真央を部屋に戻さなければと辛うじて背中を浮かせると、何故か少し離れたところにイツキさんの背中があった。私に背を向ける形で、壁に向かって何かを考え込んでいる様子である。


 その背中に声をかけるべく、どうにか上半身を持ち上げると、瞬き一つする間に硬い床に背中を打ちつけていた。ベッドの縁に手を乗せた瞬間、均衡を崩したようだ。


「あっ、おい寝てろ馬鹿!」


 転げ落ちる音で私が目を覚ましたことに気付いたらしいイツキさんは、荒っぽい気遣いの言葉と共に駆け寄り、私の腕を引っ張り上げてベッドへ促す。


 再びベッドに横たえたが、頭は首だけを取って布に巻き、そのまま振り回しているかのような眩暈を訴えていた。


 何もかも理解が追いつかない。自分がベッドに寝かされている経緯と、イツキさんがここにいる理由。その二つのどちらを先に尋ねるべきかと考えかけて、動かない頭で後者を選ぶ。


「……イツキさん、何故」

「何故ってお前……廊下でぶっ倒れてたお前を運び込んだんだよ。頭から血出してるやつ放置しておくわけにもいかねぇだろうが」


 ベッドのそばに置いた丸椅子に腰を下ろし、どこか疲れた様子で言うイツキさんの言葉で、意識を失う直前のことを思い出す。倒れていたという話からして、私が張り付いていると思っていた壁は床で、頭に広がる温かい何かは血だったのだろう。


 倒れた拍子に運悪く頭をぶつけでもしたらしいが、それらしい痛みはない。思わず頭に手をやると、頭の傷がアレクサンドラ様によって治療済みであることを知らされた。


 体調は未だ思わしくないが、幸い大きな怪我を負わずに済んだ。ここからは降りかかった幸運を胸に、皺寄せとして訪れた不運と向き合わなければならない。


 分かりきった答えを聞くために、恐る恐る口を開く。


「……礼央様は」

「おれを見るなりおばけだ何だって騒いでたぞ」


 イツキさんの声はやけに静かだった。伝えられた情報は最低限だったが、イツキさんの見たものが真央であることは疑いようもない。


 イツキさんを見て、他国の代表者ではなく「おばけ」と認識するのは、私の嘘を鵜呑みにした真央しかいないのだから。


「お前がここ最近、寝ずに嬢を見てたのはそのせいか?」


 前髪に隠れていない片目が、射抜くようにこちらを見つめている。横になった姿勢では、視線を逸らすのが精一杯だ。


 何から話せばいいのか、というより、この期に及んで何も話せないのだった。彼らを信頼していないわけではないが、礼央様はほんの些細な手がかりから真実に辿り着いてしまいかねない。


 しかしこの状況で嘘をつくというのも得策ではなかった。説得力のある嘘など到底浮かばず、却って不信感を募らせる結果になる。


 沈黙以外の選択肢がいつまでも浮かばないままに黙りこくっていると、不意に扉が開く音がした。イツキさんに隠れて姿は見えないものの、バタバタと騒がしい音に嫌な予感を覚えたのも束の間。


「だめーっ!」


 勢いよく飛び込んできた真央が、イツキさんを思い切り突き飛ばした。


 壁に叩きつけられる寸前というところで受け身を取ったイツキさんを、真央は追い討ちとばかりに手のひらで叩く。手加減を知らない中身に、ある程度育った少年の体が加わり、殴打音はかなり容赦がない。


 せめてこれがぬいぐるみのマリーで叩くやり方ならまだよかったというのに、マリーは真央の左腕に抱えられたまま、真央の動作に合わせて情けなく揺れていた。


「真央、」

「食べちゃだめ! あっち行って!」

「真央……彼は、違います……おばけではありません」


 持ち上がらない体を無理やりに腕で押し上げ、イツキさんと真央の間に腕を差し込んだ。ほとんど寝転がるような姿勢からの制止だったが、真央は私に気付くと攻撃を止め、それから私の方へ体を寄せる。こちらを気遣っているようだが、今は吹き飛ばされたイツキさんの方を案じてほしいところだ。


「んだこの馬鹿力……」

「ああ、可哀想にのうイツキ、怪我はないか?」

「……ちゃんと見とけっつったろ」


 ぶつけた肩をさすりながらぼやくイツキさんに、シオン様が労わるように声をかけ、再び椅子に座らせる。どうやら、私が眠っている間、聖女関係者たちが真央を見ていてくれたようで、彼女たちも少し遅れて駆けつけた。


「すみません……部屋の外に出ようとした隙に、逃げられてしまって……」

「レオ、どうしたの?」

「レオ、何かあったの?」


 駆け込んできたニーナさんに続き、ベル様とベラ様も部屋へ。彼女たちを追って、優雅な足取りでアレクサンドラ様もやってきた。となると当然、ルイスさんもということになる。


 結果、狭い部屋に聖女関係者が一堂に会することになってしまった。


「何を聞いても押し黙ったままでしたわ。この様子を見るに、幼児退行というより、別人格と表現した方がよさそうですわね」


 あまり物がないとはいえ、狭苦しい部屋に辟易する様子もなく、アレクサンドラ様が言う。


 どうやら真央は、他の人と話してはいけないという言いつけを守っていたらしい。当の本人は、自分は言いつけを守ったにもかかわらず、不当な扱いを受けたとでも言いたげに頬を膨らませていた。礼央様なら決してしないであろう仕草だ。


 分かってはいるものの、こうして礼央様とは明らかに違う真央を突きつけられると、後悔ばかりが募ってしまう。礼央様が壊れたのも、真央が外に出られないのも、元を辿れば原因は私にあるのだから。


「どこまで話せる」


 不意に尋ねられて視線を上げると、やはり貫くような目がそこにはあった。


 亜人という括りで扱うべきでないと分かってはいるものの、やはり人間と亜人との間には、同種族間の相性よりさらに大きな壁が隔たっていると思えることがある。


 そんな中、イツキさんはかなり人間寄りの思考を持つ鬼だ。気遣いは細やかで、情に厚い。だからこそ、こちらの事情に土足で踏み込むことはしないのだ。


 私の状態を知ったことで、事情を聞く権利を行使しながらも、こちらに話せないことがあることも承知している。彼からの気遣いに少しでも応えるべく、こちらも話せる範囲で事情を説明した。


「真央のことは、ネロトリアでも一部の者しか知りません。お伝えできるのは、アレクサンドラ様の言うように、真央が礼央様の別人格だということのみです」


 礼央様の名前を出すたび、真央はその名前が何故自分と並べられているのか、不思議に思っているようだ。


 聖女関係者にも真央のことは知らせたくなかったが、今となってはそれも不可能。私にできることといえば、きっとこれくらいだ。


 せめてもの誠意として、頭痛という警報を無視し、体を持ち上げる。


「……不躾な、頼みであることは承知しています」

「おい、寝てろって」

「これは私個人からの依頼です」


 イツキさんの制止を振り切り、どうにか背筋を伸ばした。恐らく土気色であろう顔を聖女関係者たちに向け、勝手と知りながらも頼み込む。


「どうか、真央の存在を礼央様に気取られないよう、ご配慮いただけないでしょうか」


 そんな依頼を提示された各人の反応は様々だった。驚く様子もないシオン様、依頼の真意が理解できていないらしいベル様とベラ様、考え込むアレクサンドラ様、明らかに興味がないルイスさん。


 驚いた様子で固まっていたニーナさんは、恐る恐るといったように尋ねてくる。


「……もしかして、ウサミさんは……知らないんですか? この子のこと」

「そのようじゃな。しかし騎士殿は別人格の存在というより、それが生まれた原因の方を隠そうとしているのじゃろう」


 同意を求めるようにシオン様がこちらを見やった。年長者ゆえか、それとも彼女がシノノメにおいては実質的な為政者に当たるせいか、どうにもシオン様には全てを見通されているような気がしてならない。


 そしてその直感は、恐らくそう外れてはいないのだろう。こちらの回答を待つまでもなく、シオン様は笑顔を崩さずにこう続けた。


「吾は塔に来る前に聞いた情報と、お前さんの今の態度でおおよその察しがついておる。それがネロトリアにとって、他国に知られては都合の悪い事実だということもじゃ」


 いくらここで緘口令を敷こうとも、礼央様が引き起こした殺戮は、敵側に少なからず打撃を与えたはず。それが礼央様によるものとまでは断定されていなくとも、一瞬にして数百、数千もの犠牲を生む攻撃があったことは伝わっているだろう。


 この事実は、仮にも各国と手を取り停戦を実現せんとする立場のネロトリアからすれば、確かに都合が悪い。使いようによってはネロトリアを貶めることもできる切り札だ。


 果たして口を封じることはできるのかという私の懸念を感じ取ったのだろう。シオン様はにこやかな笑みを浮かべ、何も心配はいらないというように言った。


「とはいえ、新米は実に上手く各国の弱みにつけ込んだ。事情を知ったとて、同盟締結が覆ることはないじゃろう。新米かグラストニアか、どちらの獣を懐に入れるかの違いしかないのじゃからな。一人と一国とでは比べ物になるまい」


 今回の件は言ってしまえば礼央様の独断によるものであるため、ネロトリアかグラストニアかではなく、礼央様かグラストニアかという構造になるのは理解できる。


 追い詰められた末に暴発を起こした礼央様と、大陸全土を巻き込んで戦争を起こしたグラストニアを一口に獣扱いというのは釈然としないものの、ここでそれを口にすることはできなかった。年長者というものは、意見一つで場の流れを変えてしまうものなのだ。


 不満を滲ませながらも何も言わない私を眺めていたシオン様は、やがて満足したように意見を述べた。


「今さら誰も無傷でこの戦を終えようなどとは思っておらぬ。吾は構わぬよ。若者の奮闘を見守るのも年長者の務めじゃ」

「ひとまず事情は分かりましたわ。友人として、証拠の隠滅を含めた協力を約束しましょう」

「あ、あたしも……できることがあれば、言ってください。ベルさんとベラさんも、それでいいですか?」


 礼央様の友人として当然というように頷くアレクサンドラ様と、恐らくは礼央様の現状に気付くことができなかった罪悪感から同意を示すニーナさん。ルイスさんは何も言わないが、アレクサンドラ様に背くことはしないだろう。


 イツキさんに関しては、それこそ今さらである。各々の意見を聞き、これで問題は片付いたと判断したらしいイツキさんは、私のそばに控える真央に目をやった。


「話はまとまったな。それじゃあ、しばらく嬢を借りるぞ」


 イツキさんの言葉の意味は分かりかねているようだが、視線から自分のことを指していると分かったのだろう。真央は少し怖がるように私の手を握った。


「しかし、」

「しかしも案山子もねぇよ。嬢がいる限り、お前は休もうとしねぇだろ。今回みたいなことはごめんだぜ。おかげでこっちは寝不足だ」

「鬼も寝ないと調子出ないもんなんスねぇ」


 思わず反論しようとするが、苛立った様子のイツキさんに遮られる。ルイスさんが言うように、私が倒れたことで、各所に迷惑を振り撒いている形だ。


 理解はしているものの、やはり受け入れ難い。私があのとき、約束を守って礼央様のそばにいれば、今のような事態にはなっていなかったはずなのだ。それを無関係の聖女関係者たちに丸投げしてしまうのは、どうしても気が引ける。


「ご迷惑をおかけしていることは承知しています。ですがこちらは問題ありませんので……」

「なぁ、手段の選択肢があるうちに決めたほうがいいぜ。その気になれば、おれは嬢を担いでお前から無理やり剥がすこともできるんだぞ」


 私の説得にもならない説得を一蹴し、イツキさんは唸るような低い声で言った。真央が怯えたように私の腕にしがみつくが、イツキさんは手を緩めない。


「お前から嬢を離すのは変わらねぇ。それならせめて、自分で説得して距離を置くか、力尽くで引き剥がされるか、好きな方を選ばせてやるって言ってんだ」


 刃を突き立てるような視線を向けられ、言葉を詰まらせていると、シオン様が微笑ましいものを見るようにイツキさんの肩に手を置いた。


「言葉は荒いが、つまりはお前さんを心配しておるのじゃ。人間の友人をこうも早く亡くすのは惜しいのじゃろうな」

「黙ってろっての」


 肩に置かれた手を鬱陶しげに払う頃には、イツキさんの表情は普段通りに戻っている。


 彼が何故私を友人と思っているのかは不明だが、何にせよ他国の代表者に気を遣わせるわけにもいかない。迷った末、腕にしがみついている真央に目をやった。


「……真央」


 名前を呼ばれてこちらに目をやった真央は、私の表情が真剣なものであると気付いたのか、私にしがみつく腕を少し緩める。


 どこか不安げな真央に対し、きっとさらに不安にさせてしまう言葉を放った。


「しばらくの間、一緒にいられなくなるかもしれません」

「……なんで?」


 分かってはいたものの、心当たりがまるでない様子の真央に尋ねられ、言葉を詰まらせる。


 意識が途切れる直前、真央は私に「眠たいのか」と尋ねていた。恐らく私が倒れたことも理解できていなかったであろう真央に、どう説明したものかと思案していると、こちらも必死に考えていたであろう真央が先に答えを出す。


「……真央、おばけさん叩いたから?」

「叩くのはいけないことですが、それが理由ではありません」

「じゃあ……お外出たいって、わがまま言ったから?」


 ふと、見覚えのある文言が飛び出してきて、否定の言葉も逃げ帰ってしまった。


 沈黙を肯定として受け取ったのだろう。真央はところどころ声を震わせながら、懺悔のように自分の罪を告白していく。


「フィル……だめって、言ってたのに……真央、お外出て……知らない人と、ちょっとだけ、お話したの」


 真央が言葉を紡ぐたび、頭の中に、かつての我が家が蘇る。何度も何度も、外に出ようとする自分を引きずり戻し、家の外にいた男に声をかける自分の口を塞ぎ、剣を手に記憶の中の自分を見つめていた。


「真央が、だ、だめって、言われたこと、しちゃったから……一緒にいられないの?」


 自分を許さずにいることと、真央を許すこと。果たして両者は矛盾なく成立するものなのだろうか。


 真央が大粒の涙をこぼし始めてもなお、何も言えずに固まっていると、不意に別の声が割り込んできた。


「ちげぇよ。こいつが飯も食わずにずっと起きてたからだ」

「……めし?」


 イツキさんだ。真央が耳馴染みのない言葉に聞き返すと、イツキさんはどこかやりにくそうに訂正する。


「あ〜……ご飯だ。分かるか? 何か食べろって言われたことあるだろ?」

「……ある」

「いつまでも起きてたら、何か言われなかったか?」

「早く寝ましょうって、フィルが」

「こいつはずっとそれをやらなかった。だから……『だめって言われたこと』をしたのはこいつの方だ。こいつが言うことを聞かなかったから、お前も嫌な思いをすることになってる。お前はもっとこいつに怒ってもいいと思うぜ」


 イツキさんからの後押しを受けて、真央は考え込んだのち、ほんの少しだけ不満を表に出しながら言った。


「……ちゃんと食べないとだめ」

「はい……」


 礼央様からも同じことを言われた気がする。まさか主人格と別人格から同じことを言われる羽目になるとは。


 これがもし礼央様なら、返事ばかり立派、だとか、言葉だけではなく行動を、だとか、二、三小言が続くのだが、真央は言いにくそうに俯いたのち、やや置いて小言ではない言葉を続けた。


「……フィル、もう一緒にいられない?」

「こいつがちゃんと飯を食って、しっかり寝たら元通りだ」


 私の代わりにイツキさんが回答を引き取る。それを聞いていくらか安心したらしい真央は、覚えたての言い回しで念を押した。


「フィル、ちゃんとめしくってね」

「ご飯だ、ご飯。『ご飯食べてね』くらいにしとけ」

「ご飯食べてね。真央も食べるから」


 すぐさま訂正する様は、まるで兄のようだ。ルイスさんはいつもより柔らかい言葉遣いのイツキさんを揶揄いたくて仕方がない様子だったが、先手を打つようにイツキさんが短く尋ねてきた。


「こいつに関して、知らせておきてぇことは」

「真央から礼央様への切り替わりは、主に睡眠を取ることです。逆はまた勝手が違いますので、様子がおかしいと思った際にはお呼びください」


 最低限の伝達事項を知らせると、イツキさんは小さく頷き、それからアレクサンドラ様に目をやった。


「それなら、嬢の寝かしつけ頼めるか。いつまでもこうだと調子が狂う」

「ええ。行きますわよ」


 寝かしつけは礼央様の友人であるアレクサンドラ様が適任だと思ったのだろう。真央は始めこそ知らない人間を警戒しているようだったが、少ししてアレクサンドラ様の髪色がぬいぐるみのマリーと同じ桃色であることに気付いたようだ。ぬいぐるみのマリーを掲げ、アレクサンドラ様とマリーを見比べた真央は、感心したように呟いた。


「お姉ちゃん、マリーにそっくり」

「マリーじゃないッスよ」

「別に、そう呼んでも構いませんわ」


 すかさずルイスさんが訂正を挟むが、意外にもアレクサンドラ様はその呼称を快諾。恐らく、呼び方で人格の区別をつけようと思ったのだろう。


 ルイスさんもすぐにそのことを理解したようで、それ以上は特に口を挟むことなく、二人と共に部屋を後にした。


「イツキは騎士殿の寝かしつけか?」

「ほとんど監視だな。先に出てていいぞ」

「じゃあ、あたしたちは朝ご飯の用意してますね」


 こちらを気遣ってか、ニーナさんやシオン様、ベル様とベラ様も続いて部屋を出てしまうと、私とイツキさんのみが残された。


 横になるようにと促され、素直に毛布を被る。なるべく私一人でも思っていたが、結果的にかなり助けられてしまった。放っておいたところで何も困らないはずだというのに、やはり彼はどこか人間臭い一面がある。


「……ありがとうございます」

「礼言うくらいなら、最初から任せておけばよかったんじゃねぇのか」

「皆様が信用ならないというわけではなく……真央の件は、私が判断を誤ったことで起きた事態ですので、自分で始末をつけなければと」


 言い訳がましく言うと、イツキさんは感情の読めない顔でこちらを見つめ、それからややあって口を開いた。


「何が起きたかは知らねぇが、それならお前がぶっ倒れたのは、飯時にお前の口に物を突っ込まなかったおれのせいか?」

「いえ、決してそのようなことは」


 突然、飛躍した論理を展開され、慌てて否定する。しかしイツキさんは納得していないようで、不満げな眼差しを向けていた。


「結果を知った後はどうとでも言える。他の奴にそれをやらねぇなら、自分にも許すな。後悔するのは勝手だが、それで自分を追い詰めて帳消しにしようとするのはちげぇだろ」


 疲労のせいか、彼の言うことはよく分からない。取り返しのつかない過ちを犯してしまったとして、取り戻せないからと責任を放棄していいことにはならないはずだ。やり方を違えるなという話なのかもしれないが、私にはこれ以外に方法が浮かばない。


 私の願いが家族から全てを奪った。だから願うことをやめた。


 私の約束が礼央様を壊した。だから今度こそは約束を守ると決めた。


 それすら人に迷惑をかけるというのなら、私は一体どうすればいいのだろう。どうすれば、私は本当に正しくあれるのだろう。


 答えの出ない自問を、終わらない頭痛と眩暈が遮ってくる。


 見かねたイツキさんが、呆れたようにため息をついた。


「くだらねぇこと考えてる暇があったら寝ろ。眠れないってんなら昔話でも聞かせてやるぞ。記憶を食っちまう妖怪の話、森を守る狐の話、あとは……人に育てられた鬼の話か」


 シノノメの昔話というのは多少なり興味があったものの、しかし今は睡眠を取ることが先決。これ以上イツキさんの時間を使うわけにもいかないと思い、今度は自らの意思で意識を閉じた。


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