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116話「知らなくていいこと」


 停戦要求から四週間。今日は一日平和だった。真央が出ることもなく、礼央様の食欲もほとんど元に戻りつつある。昼間はイーザックからの報告を聞くため、結界近くまで自ら出向いており、夕飯もイツキさんが作った「すき焼き」なるものを──私の心配をよそに、生卵を解いたものに肉をくぐらせて──完食していた。


 一つ、気になる点があるとすれば、このくらいだろう。


「今日はたくさん食事を召し上がれましたね。顔色もかなり回復されましたので、安心いたしました」

「ご馳走様でした。イツキさん、ご飯ありがとうございます。夕飯も美味しかったです」

「ああ……塔の中なら材料には困らねぇから、気にせず食えよ」


 円卓の間。円卓を囲むように等間隔に置かれた椅子を一箇所にまとめ、夕食を摂り終えた礼央様に声をかけるが応答はなし。代わりにイツキさんへの礼を述べる礼央様と、気まずそうな顔でこちらを見るイツキさんの顔が返ってきた。


 そんな私たちの様子は気にも留めず、シオン様は満足げな笑みを浮かべて礼央様に答える。


「イツキの料理は絶品じゃろう。それにしても、本当にシノノメの食文化はお前さんの故郷と近いようじゃな」

「たまに見慣れない料理はありますよ。謎のキノコの酢漬けとか。興味はあったんですけど、うっすら発光してる紫のキノコはちょっと怖くて……食べられなくてすみません」

「シノノメ料理は美味とされていますが、中には人が食べられない食材を含んでいるものもありますので、懸命な」

「お腹いっぱいになったら眠くなってきました。そろそろ歯磨きしてお風呂入って寝ますね」


 まるで眠くなさそうな声色で立ち上がった礼央様は、空いた皿をまとめ始める。


 私も手伝おうとしたものの、先回りするようにして片付けられてしまい、結局礼央様から遠いところにある一枚を手に取るに留まった。


 シオン様はそんな私たちを愉快そうに見つめていたが、不自然なやり取りに口を出すことはせず、ただ年長者として当たり障りのない言葉を放る。


「健全な生活じゃな。若者はかくあるべきじゃ」

「まだまだ成長期ですから。それじゃあ、おやすみなさい」


 にこやかに挨拶を残して去る礼央様に続き、私も円卓の間を後にする。


 魔具が使えないことから、正確な時間を知ることはできないものの、恐らく寝るにはまだ早い時間だ。食べ盛りとなれば、数時間もすればまた腹が空くかもしれないと思い、無駄とは思いつつこのような提案をしてみることにした。


「この後はすぐに休まれますか? 少し置いてから夜食をお作りいたします」


 結果は変わらず、礼央様は何か言いたげな顔で踵を返し、廊下を進んでいく。


 そばをついて歩くと、廊下の向こうから見慣れた人影が歩いてくるのが見えた。あちらが私たちに気付くなり、仏頂面だった礼央様がすぐさまよそ行きの顔に切り替えるのが分かる。


「これから夕飯ですか?」

「そうなんです。塔の中だと時間の感覚が鈍くなっちゃって。ずっと部屋にいるのもダメですね」


 そう言って苦笑いを浮かべるニーナさんの両側を固めるのは、ベル様とベラ様だ。これなら共にニーナさんの隣を歩くことができる。公平かつ合理的な立ち位置である。


 ニーナさんに続き、私たちから見て左側に位置するベル様が尋ねた。


「レオたちはもう食べたの?」

「フィリップたちはもう食べたの?」


 それを受けて、反対側に立つベラ様が続ける。毎度ながら見事な連携で放たれた問いに、礼央様は笑顔で応じた。


「はい、ついさっき。イツキさんがすき焼きを作ってくれたんです。料理を食べられるようになったらシノノメ料理を振る舞うって、フィリップさんと約束してたみたいで。おこぼれに預かりました」

「皆様も卵の生食に抵抗がなければ」

「イツキさん、張り切って作ってくれたんですよ。よかったらどうぞ」


 さりげなく発した言葉は、礼央様によって半ば無理やりに打ち切られる。朝からこれを何度繰り返したことか。未だ慣れないらしいニーナさんは、どこか気まずそうに私へ視線をやり、すぐさま礼央様の方へと戻す。


「じゃあ……後で行ってみますね。シノノメ料理は初めてなので、楽しみです」


 ニーナさんはひとまず当たり障りのない答えを返したが、やや置いて意を決したように口を開いた。


「あの、ウサミさん、そろそろアインホルンさんと話してあげてもいいんじゃありませんか?」

「フィリップさんは部屋で休んでるはずなんですから、ここにはいません。いるんだとしたら、それはわたしの忠告を何十回と無視した挙句、今も無視し続けてる人です。やり返されて当然じゃないですか」


 しかし、礼央様は不機嫌な顔でニーナさんからの提案を拒否。何となく察しはついていたものの、朝から礼央様が私を無視し続けていた理由はそこにあるらしい。


 確かに目の下の隈は日に日に濃くなり、目のかすみや頭痛、浮き上がるような眩暈も頻発しているが、慣れてしまえばどうということはない。今はとにかく、自分を優先している場合ではなかった。


 あの暴発の原因が私にあること、そして真央が出てくる条件が、何らかのきっかけで礼央様があの日を思い出すことだと判明した以上、身体が回復したからといって安心はできないのだ。


 とはいえ、それを今まさに不健康な人間から言われたところで説得力に欠けるというものだろう。何より礼央様に真央や暴発の事実を隠している以上、私の行動の真意を明かすこともできないとなれば、より不可解さを増してしまう。


 果たしてどう説得したものかと思案しているうちに、ベル様とベラ様があまり慰めにならない慰めを口にした。


「マカリオはいつまで経ってもニーナをいじめる」

「マカリオはどれだけ言ってもニーナをいじめる」

「……それもどうかと思いますよ」


 マカリオさんへの非難と、ニーナさんへの心配を混ぜたような表情を向ける礼央様。アラベラ様の友人であり代表者のニーナさんは、アラベラ様の信奉者であり代表者候補のマカリオさんから目の敵にされているようだ。


 しかし、頑固さで言えばこちらもいい勝負。マカリオさんへの非難を口にした直後でありながらも、礼央様は意見を変えるつもりはないようだ。


「とにかく、あれだけ頑なならこっちにも考えがあるってことです。ろくに休みもせずにこっちを説得しようだなんて、話になりませんから」


 不機嫌そうに言い、私からあからさまに目を背ける礼央様。護衛に対する行き過ぎた気遣いも困りものだと思い、視線のみでニーナさんに同意を求めるが、困ったような顔ばかりが返ってきてしまう。


 重たい空気を晴らそうと、礼央様は努めて明るい声でこんな提案を口にした。


「そうだ。よければ今度、故郷の料理をご馳走しますよ。シノノメ料理と近いですし、材料が揃えばにはなりますけど。本を読もうにも読めるのが絵本ばっかりで、暇だったんです」

「えっと……楽しみにしてますね。あたしも何か考えておきます」

「ありがとうございます。じゃあまた明日」


 他に解決すべき問題があるのでは、と言いたげなニーナさんの表情には気付かないふりをして、礼央様は廊下を進み、階段を降りて、自室へと向かう。


 時折少し眠たそうにはしているが、足取りはしっかりしており、一ヶ月ほど前のようにふらつくことはない。それ自体は喜ばしいものの、もし部屋の外にいるときに真央が現れてしまった場合には、厄介なことになるだろう。


 いつまでも塔の中というわけにもいかない以上、これについてはいずれ対策を考えなければならないが、などと思案していると、いつの間にか礼央様の部屋の前に到着していた。


 礼央様より少し遅れて立ち止まると、礼央様は自室の扉に向かって小さくため息を一つ。そうして数時間ぶりにこちらに目をやった。


「……いつまで着いてくるんですか」

「ようやく話をしていただける気になりましたか?」

「何で仕方なさげなんですか。フィリップさんが大人気ないからです。わたしが無視してる理由、分かってやってますよね」


 理由は分かっているものの、こちらにも事情がある。それを説明できないのが歯痒いところだと思いながら、遠回しな反論を口にする。


「ええ。お心遣いはありがたいのですが、礼央様のおそばを離れるわけにはいきませんので」

「塔の中なら大丈夫って言ったじゃないですか。そこまで拘束する気はありませんし、今のうちにしっかり休んでおいてください。ネロトリアに戻ってから持ちませんよ」

「お気遣いありがとうございます。しかし本当に問題ありませんので」


 礼央様の気遣いは理解できるが、真央はこれまで昼夜問わず姿を現しているのだ。どこにあの日を思い出すきっかけが転がっているか分からない以上、そばを離れるわけにはいかないというのが本当のところである。


 真央やあの暴発のことを礼央様に知られないためには、それを知る者をできるだけ限定する必要がある。そうなると必然的に、聖女関係者に事情を話して協力を乞うわけにもいかないのだ。


 何より、こうして共同生活を送っていると忘れてしまいがちだが、私たちは別の国家に所属する者同士。情勢を踏まえて考えるなら、個人同士であったとしても、なるべく借りは作らない方がいいだろう。


 前者は絶対に明かせず、後者も少し冷たい理由になってしまう。アレクサンドラ様という他国の友人を持つ礼央様に、このような話は酷かもしれないと考えを巡らせていると、不意に別人のような声が飛んできた。


「……餓鬼が寝言抜かしてると思ってます?」


 凍てつくような声に礼央様を見ると、そこには声に負けず劣らずの視線が居座っている。外交としての交渉を行うときの礼央様から、礼儀としての穏やかさを剥ぎ取ったような顔だ。


「いえ、断じてそのようなことは」

「何も言われても改めない理由、他にありますか? あるなら言ってくださいよ。何か納得できない理由があるんですよね」

「礼央様……そういったわけでは決して」

「じゃあ休んでください。今すぐ」


 ぴしゃりと言い放ち、礼央様は隣にある私の部屋を指差す。


 どうやら思っていたよりよほど怒り心頭に発していたらしいが、それでも私の事情は変わらない。礼央様のそばを離れるわけにはいかないということも、その理由を明かすことができないということも。


 何も言えずに無言で立ち尽くすと、礼央様は痛みを堪えるような顔で言葉を続ける。


「……聞かないじゃないですか。この前から何なんですか? どこに行くにも着いてくるし、寝てるときだってこっそり入ってきて様子見てますよね」

「何故そう思われたのですか?」


 言い当てられたことを悟られまいと、あえて自信がある風を装って尋ねれば、礼央様はその場にしゃがみ込み、部屋の扉を僅かに開ける。


 立ち上がった彼の手には、小さな紙切れがつままれていた。


「ドアと壁の隙間に、糊をつけた紙をくっつけてるんです。人の出入りがないならずれることなんてないはずなのに、何で毎晩きっちり折り目がついたり外れたりしてるんですか?」


 証拠まで揃えられてしまえば、もはや反論は不可能。射抜くような目に貫かれ、とうとう観念したように謝罪を口にする。


「……断りもなく、申し訳ございません」

「そういうことを言ってるんじゃありません。わたしの様子を見にきてくれてるのは分かってます。でも今の状態を見たら、人のことを気にしてる場合じゃないですよね。この話、何回目ですか?」


 礼央様から休養を命じられたことは一度や二度ではない。一週間ほど前からは、一日に二、三度は言われていただろう。


 今度は私を責めるような意図で、再びため息がこぼされる。寒気を覚えるような眼差しと共に、礼央様は攻撃を再開した。


「都合のいいときばっかり、力があるとか役目がどうとか言って、こっちの主張は子どもの言うことだからって無視するじゃないですか」

「礼央様、そのようなことは決して……」

「じゃあ何なんですかあのぬいぐるみ! わざわざ塔に出してもらって置いたってことじゃないですか!」


 どうにか反論をひりだすが、それがさらに癇に障ったらしく、礼央様の激昂を引き出してしまった。


「いえ、あれは……」

「ないと眠れないとでも思ったんですか? そんなによく眠れるならフィリップさんが使ってください! そんな顔色で世話されても休まらないって散々、何回も、言いましたよね!」


 ぬいぐるみを置いたのは一週間前。それからずっと燻っていた思いが爆発したのだろう。口では一人の人間として意見を尊重、などと言いながら、実際の態度はまるで子ども扱い。都合よく年齢を持ち出して、礼央様の意見を跳ね除け続けているように見えても仕方ないだろう。


 とはいえ、四六時中ついて回る件も、ぬいぐるみの件も、全ては礼央様に話せない事情に通じている。


 私が何も言えずにいる間に、礼央様は私の反応から何かしらの仮説に至ったらしい。打って変わって諦めたような声色で目を伏せ、小さく呟いた。


「……国から、何か言われたんですか? 妙な気を起こさないように、聖女を見張れとか何とか」


 魔具が使えない今、国との連絡手段は結界越しに行われる定期報告のみ。どうやらそこで国から秘密裏に命を受けていると誤解しているようだが、そのような事実は存在しない。この部分だけは、私も明確に否定することができた。


「そのような命は受けておりません。何より停戦の立役者となり得る方に感謝こそすれ、監視を命じるなどあり得ないかと」

「剣が人を斬れたとして」


 しかし、返事の代わりに飛び出したのはよく分からない例え。


 私が呆気に取られている間に、礼央様は淡々とした声で続ける。


「盾が剣を防いだとして」


 そこまで言って、礼央様は言葉を切り、それから自嘲気味に笑った。


「……誰も道具に、『ありがとう』なんて言いませんよ」


 投げ捨てるようにそう言い残した礼央様は、踵を返して自室へ入り、扉を挟んで私を拒んだ。


「礼央様!」


 数秒遅れて閉ざされた扉を叩き、名前を呼ぶが、応答はない。しまいには鍵まで閉められ、いよいよ扉を蹴破る以外の選択肢がなくなった私の元へ、ため息混じりの声が飛んできた。


「何の騒ぎですの」


 アレクサンドラ様である。隣には当然のようにルイスさんがおり、面白そうにこちらを観察しているのが分かった。


「いえ、何でも」


 揉め事の詳細を明かすわけにもいかず、咄嗟に誤魔化そうとした瞬間、閉ざされていた扉が開き、中から飛んできたぬいぐるみが私の顔面を直撃した。


 桃色の犬が床に落ちる。扉が再び閉ざされる。それから鍵が閉まる音まで聞いて、私はようやく続きを口にした。


「……ございません」


 無意味である。アレクサンドラ様からの疑いの眼差しを受けるまでもなく、そのことを理解した。


「あ〜、とうとう我慢の限界って感じッスねぇ。今度は何したんスか?」

「聞くまでもありませんわ。また彼女からの要請を拒んでいたのでしょう」


 アレクサンドラ様から呆れ顔でそう言われ、無言で肯定を示す。常時痛む頭が、さらに痛みを増す思いだ。


 アレクサンドラ様は、貴族や聖女として自身の立場を弁えている方だ。他国の事情に口を出すわけにはいかないと、きっと誰より理解している。


 それでもやはり、友人に関することとなると看過はできないのか、少し迷った末にはっきりと自身の意見を述べた。


「客観的に見ても、彼女の言うことには正当性があると思いますわ。あれだけ言っていても、いざ貴方が倒れれば、彼女は自分に責任があると思い込みますわよ」

「あ〜、やりそうッスねぇ。ウサギさんのことを考えるなら、さっさと寝た方がいいんじゃないッスか?」

「心に留めます」

「微塵も留めてねぇ物言いッスけど」


 ルイスさんからの反論を後押しするように、アレクサンドラ様が尋問のように続ける。


「まともに寝たのはいつですの」

「昨日は四時間半ほど」

「続けてッスか?」

「……一時間半を三度」


 扉越しに礼央様が聞き耳を立ててはいないか、言ってからその可能性に思い至る。私の答えを聞いたルイスさんは、皮肉混じりの感嘆を漏らした。


「よくそれで動けるッスねぇ。イツカくんに寝かしつけてもらったらどうッスか?」

「いえ、それには及びません」

「そのような休み方をしていると知れば、彼は貴方の襟首を掴んで無理やり寝かしつけようとしますわよ」


 あまりにも想像できる光景に閉口する私を、アレクサンドラ様が救いようのないものを見る目で見つめている。


 種族や性別の差もあり、イツキさんが本気で私を取り押さえようとした場合、逃れるのはそれなりに苦労するだろう。礼央様のそばにいる時間をできるだけ確保したい今、そのようなやり取りは回避した方が賢明というものだ。今の時点でその可能性に気付けたのは大きいだろう。


「……お気遣い感謝します」

「いや、オレはアンタがどうなろうが知ったこっちゃないんスけど、ウサギさんがしつっこいんスよねぇ。アンタが休むように言ってくれって何回も頼み込んできてるんスよ」


 私からの礼を、ルイスさんは軽い調子で笑い飛ばす。イツキさんやアレクサンドラ様はともかく、ルイスさんが休むようにと声をかけてきたのは確かに意外だったものの、まさか礼央様からの根回しがあったとは思わなかった。


 それにしても、あのルイスさんが主以外の依頼を聞くとは、一体私の目を盗んでどれだけ頼み込んだのかと感心すらする私をよそに、ルイスさんはにこやかに続ける。


「ただまぁ、口では命令だ何だっつってるやつが、主人の言うことガン無視ってのは気に食わないんスよねぇ」


 口元の笑みはいつも通り。しかし鋭くこちらに向けられたその眼差しは、まさに狼のそれだった。


「アンタの忠義ってのは、所詮口だけなんスか?」


 二歩ほどの距離を置いてなお、瞬き一つで首元に食いつかれそうな雰囲気に気圧され、思わず目を逸らす。何より、今の私に忠義を語る資格がないことは、覆しようのない事実なのだ。


 沈黙を経て、かけられた声に浮かぶのは、少しの失望。


「……まぁ、そうならそうで別にいいんスよ。勝手に自己満拗らせて浸ってりゃいいんじゃないッスか」

「ルイス、口が過ぎますわよ」

「お嬢も否定はしないじゃないッスか」


 ルイスさんの言葉に対し、アレクサンドラ様は小さくため息をついて答えた。実質的な肯定とも取れる。


「他国の者から忠告を受けることの意味を理解できないわけではないでしょう。身近な者の言葉にも、もう少し耳を貸すべきですわよ」

「そういうことッス。それじゃあ、ちゃんと伝えたッスからね〜」


 各々の助言を言い残し、アレクサンドラ様とルイスさんもまた自室へと消えていく。


 いつまた礼央様があの日を思い出すとも分からない以上、できればそばにいたい気持ちはあるものの、鍵がかかっていてはどうしようもない。いざというときは礼央様と私の部屋を仕切る壁に穴でも開けようと考え、ぬいぐるみを拾い上げた。


 礼央様の体調は少しずつ回復しつつある。しかし睡眠時間が足りていないというなら、礼央様も同じことなのだ。彼が眠っていると思っている時間の何割かは、真央が表に出ている、つまり体は活動している状態にあるのだから。


 そしてその直前には、いつもあの日の恐怖が蘇っている。礼央様が忘れているだけで、それは彼の精神にかなりの負担をかけているはずなのだ。


 礼央様の眠りが少しでも穏やかであるように、私は私にできることをするのみ。願うことをやめた私にできることは、成すべきことを自ら手繰り寄せることだけなのだから。


 自室の扉を開き、ぬいぐるみを手に仮眠の準備を始める今は、十八時か、十九時か。


 始まりも終わりも分からないまま、今日も長い夜が幕を開けた。


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