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111話「咎」前編


 帰り道は、行きよりもっとずっと気を遣う。人数は倍になり、気を配るべき箇所はざっと三倍に増えた。改めて無茶な作戦を振られたものだと思うたび、ボク以上に無茶な作戦を遂行している聖女様を思う。


 上手くいっていれば、あちらは各国聖女と関係者に向けて、停戦に向けた協議を行なっているはず。聖女様だけで考えた作戦に、勝利の決定打という重要な要素が抜けている以上、協議だけで停戦に導くことは不可能だろう。


つまりこの戦争を終わらせるためには、ボクが任された作戦の成功、即ち魔具無効化の能力を持つ生き神、タビサの奪取が必須条件だ。


 となれば、万一ボクの帰還が叶わないとしても、タビサだけはネロトリアまで辿り着かせる必要がある。そう考えたボクは、姿を消して慎重に廊下を進む傍ら、離れないようにと手を繋いだタビサに呼びかけた。


「この先に転移の魔具を置いてきた。触れれば一瞬でネロトリアへ移動できる。床と色を同じにして分かりにくくしてあるから、注意して……」

「中尉?」


 見知った単語と同じ音に、タビサが反応する。あの狭い部屋で、彼女の知る「ちゅうい」とは、テオドールでしかなかったのだろう。


「気を付けて探してという意味だよ。見逃してしまうかもしれない」


 つい子どもを諭すように言うと、タビサは一瞬だけ握る力を強めて返事とした。


 彼女が頷いたのをいいことに連れ出したが、ボクが見る限り、タビサはテオドールに対して悪い感情は抱いていなかったようだ。


 彼と言葉を交わせば、聖女様のような拒否反応を示すのが普通だとは思うものの、千年前の価値観では違っていたかもしれない。そうでなくとも、彼女の狭い世界で交流のある者はそう多くはなかったはず。情が湧いても不思議はないだろう。


 そこで改めて、尋ねる暇のなかった問いを投げかけてみることにした。


「本当にいいのかい? ネロトリアに着いたら、ここにはもう戻ってこられないよ」


 そう問うが、繋いだ手からは何の反応も返ってこない。代わりにやや置いて、背後から控えめな声が追いついてきた。


「ワタシ、裏切り。もどれません」


 魔法で姿を消しているせいで、彼女の表情を窺うことはできない。ここに留まるつもりなら、テオドールに別れを告げることはなかったと言われればそれまでだが、それは完全に未練がないということではないのだろう。


 たとえ「注意」より先に「裏切り」を教えるような、偏りの激しい男であっても、彼女にとっては誰より近しい相手だったはずだ。それを「裏切っ」てここにいる。彼女にとって大きな覚悟を伴う決断を、これ以上疑うことはできなかった。


 ほんの少しだけ強く、彼女の手を握る。何もかも上手くいくと、そう言えるだけの自信はないから、今の自分にできることをやるだけなのだ。


 何としてもネロトリアに帰還し、聖女様に作戦成功の一報を伝える。一人の少女に伝わった吉報が、いずれ国全体の未来を明るくすると信じて。


「階段だ。気を付けて」


 後ろのタビサに声をかけ、壁側に胸を向けながら、右手を壁に、左手をタビサの手に重ねて階段を降りていく。壁に囲まれた階段に、手すりの一つもないあたりは何ともグラストニアらしいというべきか。そんな考えが頭をよぎったそのとき、ふと上の階から妙な音が聞こえていることに気付いた。


 床を踏み鳴らす音と地鳴りの中間のような、大きな何かが廊下を無理やり進もうとしているような音である。


「急いで。早く」


 嫌な予感を覚え、残り半分ほどという階段を急ぎ駆け降りた。タビサの足が最後の段から離れる頃、頭上からの音は勘違いでは済まないほどに大きくなり、繋いだ手はそのままに、できるだけ距離を取ろうと廊下を駆け抜けていく。


 騒動に気付いたのか、何人か見知った顔の軍人たちが忙しなく走り去った。ぶつからないよう細心の注意を払おうとすると、どうしても歩みは遅くなる。


「何だこの音は……」

「報告はまだか!」


 この明らかな異音は、どうやらグラストニア陸軍内でも認知されていないものらしい。これがネロトリアからの増援ならば心強いのだが、と無理のある期待を持ち出してみるも、後ろの異音は大きさを増すばかり。


 これはいよいよ交戦も視野に入れるべきかと振り返ると、ちょうど二階から転げ落ちるようにして降りてきた軍人が、青い顔でこの場に報告を持ち帰る。


「伝令! 伝令! 二階から得体の──」


 しかし、続くはずだった言葉は「どしん」という耳障りな音に遮られ、声の主もろとも巨大な毛玉のような何かに押し潰された。


 階段の上から降ってきたのは、高さはボクが縦に二人、幅はボクが横に七人ほどありそうな大きさの得体の知れない生物。落下の勢いのまま、階段を降りた先の壁に激突したことで、何人かが巻き添えを食ったようだ。壁と生き物の隙間から、赤黒い血が広がっていく。


「…………」


 場を包む静寂の中、それは不気味に蠢いていた。


 巨大なハゲワシの胴体、暴れ回る翼の隙間に、胴体から突き出す人のような四肢や骨の先が覗いている。胴体越しに見える右翼が、鳥ではなく巨大なコウモリのそれであることに気付いた瞬間、胴体が蠢き、壁と胴体の隙間に挟まれていた頭部が持ち上がった。


 赤、灰色、黒。色とりどりな三匹の、ヒルだろうか。首のように伸びるそれの先にある頭には、見覚えのある青髪がぶら下がっていて、しばらく言葉を失い立ち尽くしていた。


「ぴい」


 ようやく壁の隙間から頭を引き抜いたそれは、こちらに顔を向け、口内を一周する様にしてひしめく牙を剥き出しにしながら、ひよこの如く可愛らしい鳴き声を上げて威嚇行動を取る。


 知らない、見たことのない生き物だ。けれどその頭部には、妙に見覚えがある。


「中尉……?」


 感情が抜け落ちたようなタビサの声を聞き、ようやく冷静さを取り戻したボクは、咄嗟にタビサの手を引く。その瞬間、謎の巨大生物──変わり果てた姿のテオドールは甲高い悲鳴を上げ、周りのものを轢き殺しながらこちらへ前進を始めた。


 攻撃の意思ありと判断するなり、タビサを後ろに逃し、魔法を放ちながら叫ぶ。


「走れ!」


 氷柱を首元に食らったテオドールは、やはり図体に似合わない悲鳴を上げ、頭部から血を流しながら体を揺らし、翼をばたつかせて周囲の壁を破壊していく。天井いっぱいにひしめく巨体のせいで、動きそのものは遅いものの、一度囚われれば逃げ場がない。袋小路にでも入ろうものなら、あとはテオドールと壁の隙間に押し潰されるのを待つのみだ。


 彼が何故あのようなことになったのか、心当たりといえば一つしかない。もう手の届かない場所まで行ってしまったテオドールに背を向け、廊下を走るタビサを追いかけるボクの頭に、ある男との会話が蘇る。事実を確認するだけの、会話と呼ぶべきかも分からないやり取りだった。



──「邪属性魔法を扱うには悪魔との契約が必要。それは何故だと思う?」


 実験体の悲鳴を縫って、その男は言った。陸軍少佐、ノア・ガーランド。悪魔との契約を交わし、邪属性魔法の使い手となった、グラストニアでも稀有な吸血鬼だ。潜入における要注意人物でもある。


 とはいえ潜入に際し、報告などの些細なやりとりが発生することは避けられない。簡易ベッドと実験器具が並ぶ、気味の悪い実験室にいるのも気が滅入るため、できるだけ早く済ませるには何と答えたものかと思案していると、やがて彼の方が勝手に続きを話し始めた。


「魔力を得るだけなら、ぼくたちには吸血という手段がある。もしくは別の術者から得るでもいい。聖女様を捕まえて魔力を分配するのだって、血を媒介にしようとしてるわけだからね」


 彼が口にしたのは、同僚のハンスからの報告にもあった内容だ。要注意人物と多数接触したことで、彼は既に潜入捜査から外されている。


 もしやこれはボクの正体を既に見破っていて、揺さぶりをかけているのだろうか。そんな疑いが首をもたげる中、彼はこちらを振り返る。


「それでも、邪属性魔法を使うには使役者の種族に関係なく、契約が必須になる。何故だと思う?」


 まるで教師のように質問を投げかけるノア。強制的に机に座らされたボクは、部下ではなく生徒としてその問いに答えた。


「魔力の希少性を高めるためでしょうか」

「残念。甘く見ても半分しか当たってないね」


 大して残念でもなさそうにノアは言う。そもそも、悪魔という得体の知れない生き物が、契約という見知った概念を持ち出してくるというのが分からない。契約とは提示する側に利があって初めて成立するもの。悪魔の利とは一体何なのだろうか。


 目の前にいるのは、可能な限り接触を避けるべきとされている要注意人物。だが彼からもたらされる情報は、ネロトリアにとって少なからず益になるはず。どこまで見抜かれているかは分からないものの、足を留める理由としては十分だ。


「契約を交わしてでも魔力を得たいと願う者はいるでしょう。しかし、契約を交わしてまで魔力を与えたいと願う悪魔はいるのでしょうか」

「いるよ。むしろ自分の魔力を振り撒きたい悪魔の方がずっと多い。もっとも、目的は魔力の分配じゃなく、契約で得られる代価の方だけど」

「代価?」

「魂だよ」


 あっさりと告げられた単語を、口の中で転がしてみる。神はいる。悪魔もいる。聖女もいる。だが、魂という概念はどうにも明確な輪郭を帯びず、ただボクの中に漂うばかりだ。


 悪魔が欲しがるのだから実在するのだろうという考えと、悪魔が欲しがるものが実在するとは思えないという考えが交差して、どこにも辿り着かずに通り過ぎていった。


 肝心の部分には何も説明を加えないまま、ノアは自分が話したいであろうことを好きなように話し始めた。


「あらゆるものを奪える悪魔でも、魂にはそう簡単に手を出せない。魂の譲渡に必要な契約を結ぶために、悪魔は他種族へ魔力を与えたがる。悪魔が他種族にへこへこ頭を下げて、自分のもたらす力が魂と引き換えにできるだけの魅力あるものだと伝えようとするなんて、面白い絵面だと思わない?」

「ええ。溜飲が下がる思いです」

「そうだよね。でも、それだけ強い立場にある他種族でも、悪魔の力を手にしようとした以上、契約を避けて通ることはできない。邪属性魔法を安全に手に入れるには、自分の魂を差し出すほかないんだ。何故だか分かる?」


 再びそう問われ、沈黙をもって否定する。ノアにとって解答の有無はさしたる問題ではないのか、機嫌を損ねる様子もなく、ただにこやかに言葉を続けた。


「悪魔の力は、他の生き物には強すぎるんだよ。契約を交わしていない者が悪魔の血を吸ったり、もしくは他の術者の血を吸ったりして邪属性の魔力を得たら、悪魔の力に支配されてしまう」


 ノアが淡々と説明を加える間に、実験体の悲鳴は聞こえなくなっていた。実験台に寄りかかり、足を交差させてから、ノアは感情の乗らない声で続ける。


「精神、時間、死さえも自由に『奪える』悪魔の力を誰もが扱えたら、世界は一瞬で崩壊するよ。だから悪魔の魔力を無断で手にしたものには罰が下る。そう決められているんだって」

「決められているとは……」

「ムルが言うには、『神』が決めてる」


 ムルというのは、ノアが契約を交わしたという悪魔の名前だ。彼もまた、魔力を求めて魂を差し出す契約を交わした一人らしい。


 悪魔の言うことをどこまで信じていいものかは疑問だが、神が決めたという答えには一定の説得力がある。理屈ではなく、そういうものなのだ。ボクたちの頭上か背後か、どこかに座す神という存在は。


「神は世界の管理者として均衡を保ち、そこから外れるものを矯正する。ムルの話だと、悪魔っていうのは不純な魂の持ち主が神殺しを試みることで生まれるものだとか……まぁ、それはいいや」


 ノアは興味深い話題を退屈そうに打ち切り、悪魔の持つ力について説明を加えた。


「世界の均衡を保つ上で、悪魔の持つ力は強すぎる。それでも『神』は悪魔の存在そのものを消すことはせず、契約という抜け道を残した。それが均衡を保つために必要だったからだろうね」


 善と悪、どちらに傾いてもそれは均衡が取れていることにはならない。


 思考という概念を当てはめるべきかも分からない神の考えを推し量ることなどできないが、総括すると、契約者でない者が邪属性の魔力を手にした途端、神罰が下るということらしい。


 もっとも、邪属性のポーションなどという代物が開発されていない以上、これは実質的に吸血鬼に限った話にはなるのだろうが、とまで考えたそのとき、ノアが不意に自らの手をボクの顔の辺りまで掲げてみせた。


「ねぇ、ぼくの血を吸ってみてよ。悪魔と契約は交わしてないよね? 検体の母数が少なくて、傾向の推測には至ってないんだ」


 相手の持っている玩具をねだる子どものような顔だった。だがそれは、神罰を受け入れろという、行きすぎた上官命令。


 そもそもボクの正体が吸血鬼でない以上、吸血による魔力供給など到底不可能なのだが、ノアはそれを知ってか知らずか、ボクが見た中で最も楽しそうな笑みで言う。


「きみが一体どんなことになるのか、知りたいな」──


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