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108話「獅子と魔女」


 重たい沈黙ののち、シオンさんは張り詰めた空気を解くように笑みを浮かべた。嘲笑よりは優しく、しかし微笑みと呼ぶには鋭利な笑顔だ。


「初心の割には駆け引きに慣れておるな。懸念を上手く覆い隠して他国を引き込むとは、見上げた手腕じゃ」

「大先輩に褒められるなんて嬉しいです。シオンさんみたいに手練手管とまではいきませんけど」

「言葉選びに可愛げがないのう。一体どこで覚えてくるのやら」


 明らかに皮肉と分かるそれを可愛らしく喜んでみせたのだが、どうやらお気に召さなかったらしく、シオンさんは呆れたように肩をすくめる。


 隣のイツキさんは、先ほどからずっと息を止めたような顔をしていた。俺も言葉を発する必要がなければそうしただろう。言葉こそ普段通りに柔らかいものの、シオンさんは今も、巨岩を思わせるプレッシャーを放っているのだ。気を抜くと無理に押し上げた口角が引き攣りそうである。


 押し潰されそうな俺を慈しむように眺めながら、シオンさんはさらなる一手を打つ。


「此度の戦、籠城戦によって構造そのものを作り変え、要求を通すという点はひとまずいい。手段としては悪くないじゃろうな。問題はグラストニアへの対抗策として、聖女保有国同士の同盟を結ぶとした点じゃ」


 そこまで言って、シオンさんはため息を一つ。それからどこか憐れみすら滲ませながらこう続けた。


「若造、少しでも考えなんだか。見知った顔ぶれが並ぶせいで忘れたのやもしれぬが、ここにいる者は皆、それぞれの形で戦地に立ったものばかり。言い換えるなら戦に加担し、敵兵を屠ってきた者たちじゃ。何百では効かぬ数を殺した挙句、突然武器を放り同盟を結ぼうなどと、そう簡単に罷り通るとは思えぬな」


 シオンさんが言うようなことは、俺も理解している。現に俺も何百人では効かない数を殺しかけ、そうでなくとも戦場に兵を送り込む形で戦争に加担してきた。それはここにいる誰もに当てはまることだ。


 シオンさんなどはもしかすると、土属性魔法で生成した岩を結界の破壊や敵兵の殺害に使っていたのかもしれない。そうなれば間接的どころかその手で直接手を下したということになる。聖女といえど、看過できる事実ではないだろう。


 戦争に直接的に関与した可能性があるにもかかわらず、シオンさんの態度に余裕が見えるのは年の功か種族ゆえか、もしくはそもそも停戦に反対している立場だからなのだろうか。


 味方に引き込んだはずのユーデルヤードは何も言わない。この沈黙が、ユーデルヤード側の意見が覆りかけている証でないことを祈る俺を見ながら、シオンさんは落ち着いた笑みを浮かべてこう問いかけた。


「よしんば吾の首を縦に振らせたとして、いざ各国の説得に移るとする。どの国も一枚岩ではない。同郷の者を大いに殺した者たちを許し、新たな仲間として迎え入れようなどと、皆が一様にそう思うとでも?」

「それは……」


 思わず言い淀んだのは、自分の中にある答えを、素直に口に出せない立場にあったからだ。


 元の世界にいた頃、少なくとも俺から見た限り、かつての敵国との垣根は見る影もなかった。だがそれは、大戦から何十年という時間が経ったからという理由も大きいだろう。


 もし自分の家族を殺した相手が「こんなことは間違っている。武器を捨てるから今この瞬間からは仲良くしよう」などと言ってきたら、素直に応じる気になるだろうか。なるはずがない。相手が捨てた武器を拾い、その場で相手を殺しにかかったとしてもおかしくはないはずだ。俺がやろうとしている歩み寄りというのはつまり、そういうことなのである。


 まして俺の作戦はネロトリアすら知らない。自国の説得も後回し、それで大陸国家へこのような無茶な要求を通そうなど、確かにシオンさんからすれば思い上がった若造の夢物語としか思えないだろう。


 いつもは柔和な笑みで年少者を見守るシオンさんの眼差しが、今は痛いくらいに冷たかった。


「答えよ。皆が手を取り合えば戦は止まるなどという下らぬ空想は聞き飽きた。それを語れば、望み通り新しい戦を広げてやろう。今ここでな」


 殺意にも近い威圧感に圧される俺を、アリーとルイスさんが見守っている。彼らと俺、アンネさんの頭には、一時間ほど前に俺が口にした言葉が渦巻いているに違いない。


── 「んー……負けたら最悪、殺し合いとかになるかもね。そうなったら勝てるかどうか……」──


 あれは冗談でも、あらゆる可能性を考えた上での最悪でもなかった。すぐそこにあるバッドエンド、駅のホームを歩いていたら無線イヤホンの片方を落とす、程度の確率で起き得る話として上げていたのだ。


 となれば当然、回避策も講じてある。握った拳の中に汗が滲むのを感じながら、数ある表情の中から「真剣な顔」を選び取り、顔に貼り付けてからシオンさんの言葉に応えた。


「『皆が納得する答え』なんて、それこそ空想ですよ」


 一つ間違えれば、次の瞬間この場にいる大半が岩塊に押し潰されて床の模様になっているかもしれない。からからに乾いた喉にこっそりと唾を流し込み、自信を演出する。俺の主張を疑われないようにするには、自信に彩られた言葉で勝負するほかない。


「そんなものもうどこにもありません。全員で間違えた結果が今なら、全員が妥協して一斉に立ち止まるか、存在しない正解を探して全員まとめて滅ぶかしかないでしょう」

「妥協? 仇と手を取り合うことを妥協と言うか。なるほど、お前さんからすれば容易いことじゃろうな。故郷、家族、友人。すっかり捨てて身軽な身の上じゃ」

「おい!」

「シオン様」


 さすがに度を越した発言に、イツキさんからは非難の声が、アンネさんからはおよそ外交相手に向けるとは思えない声が上がる。


 ここまで言われては俺も黙ってはいられなかったが、後ろから聞こえてきたアンネさんの声があまりにも殺気に満ちていたこと、イツキさんが声を上げたことへの驚きで、どうにか飲み込めた。


 顔より少し低い位置まで手を上げ、後ろのアンネさんを静かに制する。


「大丈夫です。イツキさんも、ありがとうございます」

「……言い過ぎだ」


 もう一度イツキさんから咎められると、シオンさんは仕方なさそうに肩をすくめた。


 シオンさんの発言は人として──たとえ魔女でも──どうかと思うものではあったが、俺がこれから多くの人に強いようとしていることを考えれば、ある程度の正当性があると捉えられなくもない。


 自分が言われて嫌なことを人に言うべきではない。この常識を今ここで発揮できるか、つまりは自分が言おうとしていることを、人に言われて怒るかどうか、それを見定めようとしたのだろう。


 つい感情的になりかけた俺を押し留めたのは、アンネさんやイツキさんの反応のほかに、アリーの存在が大きい。彼女は戦争で兄を失い、直接的であれ間接的であれ、兄を奪った敵国相手に、少なからずいい感情は持っていないはず。


 それでもアリーは、俺の夢物語のために力を貸してくれた。途方もない平和のために、私情を排して俺の隣に立ってくれた。ここで俺が憤っては、そんな彼女の心遣いを裏切ることになる。


 すんでのところで踏み止まった俺をどう解釈したのか。シオンさんは何かに納得したような笑みを浮かべ、鷹揚に頷いてみせる。


「停戦という正義の前では些事か。いいじゃろう。個人はどうあれ、聖女に籠城されては国家としては飲まざるを得まい。お前さんなりの意趣返しか?」

「可愛い負け惜しみですね。納得してもらえたってことでいいですか?」

「いいや、もう一つ問おう。なに、そこな双子の片割れと同じ問いじゃ」


 意地の悪い笑みにすかさず撃ち返せば、シオンさんはあまり構える必要はないとでもいうようにそう前置いて、短く問うた。


「勝てるのか?」


 同盟締結に当たって、結局のところ重要なのはこの一点なのだった。


 どのような理屈を並べて、いかに俺の誘いが魅力的なものであるかを説明したところで、戦争に負けては意味がない。犠牲ばかりが膨れ上がり、思い描いた以上に最悪な未来が襲ってくる。


 とはいえ、急ごしらえの作戦に絶対的な安心材料などあろうはずもない。せいぜい勝率を引き上げる提案でしかない以上、ここをどう切り抜けたものかと思案していると、シオンさんがこう付け加えた。


「ユーデルヤードとシノノメが、グラストニアについたのは何故だと思う? お前さんが言うようなことは双方承知の上じゃ。いずれ奴らは此度の戦で得たものを元に戦を起こし、我らを滅ぼさんとするじゃろうな」


 そう問われて、改めて亜人連合軍が生まれた理由について考えてみる。


 俺が気付く程度のことを、国家の中枢を担う者たちが気付かなかったというのは到底あり得ない話であるため、全て理解した上でグラストニアの味方になったというのは納得できる。分からないのはその理由の方だ。


 グラストニアが聖女を奪うことを目的として戦争を仕掛けたと知っているなら、少なくともグラストニアに手を貸す道理はないはず。そうなると何かリスクを帳消しにするだけのメリットがあったのだろうと考え、とりあえずの答えを口にする。


「……相手を内側から崩すことが目的だったからですか? 食事に毒を盛ったり、指揮権のある軍人を戦のどさくさに紛れて、とか」

「腹を決めたお前さんは本当に容赦がないのう。この同盟締結の目的がそういったものでないことを祈るばかりじゃな」


 仕方なさそうに笑うシオンさんを見て、失言だったと自覚する。これはユーデルヤードに不信感を抱かせかねない回答だ。


 便宜上、国の代表である彼女たちが頷いたことで、停戦交渉と同盟締結への同意を得られたと解釈しているが、所詮は口約束。撤廃される可能性は十分にあった。


 さすがに一瞬動揺を見せた俺を面白そうに眺めながら、シオンさんは質問の答え合わせをした。


「勝てぬ戦と思ったからじゃ。聖女保有国であることを理由に人間側についたとて、我らが勝てる保証などどこにもありはせぬ」

「それならせめて、グラストニアに手を貸さずにいるって選択肢はなかったんですか? 戦争に加担しなければ、グラストニアに情報を与えることもなく、自国の犠牲も抑えられたはずです」

「此度の戦、きっかけはネロトリアによるグラストニアへの侵攻であったと聞き及んでおる。とはいえあちらも問答無用で開戦に踏み切ったわけではあるまい。事前に提示された要求を拒んだ結果、開戦に至ったのじゃろう?」


 問いかけというより、単なる事実の確認としてそう問われ、無言で肯定を示す。俺は開戦の詳細な経緯について聞かされていないが、アンネさんからの訂正が上がらないのを見るに、事実だと考えて差し支えないだろう。


 グラストニア侵攻というのは、恐らく俺の誘拐事件の際、奪還のために聖騎士たちがグラストニアまで押し寄せたことを言っている。その後すぐに開戦とはならなかったことからして、何らかの要求を踏まえたやり取りがあったと考えるのが自然だ。


 シオンさんが続ける。


「シノノメやユーデルヤードは亜人の数が多く、個々の戦力でいえば人間を上回るが、グラストニアと真っ向から対立して勝てるほどの戦力はない。以前からコルトリカと同盟関係を結んでいたネロトリアと違い、シノノメなどは頼れる仲間もおらぬ。一か八か、人間側を引き込んだとて勝てるかどうか分からぬとなれば、長い物に巻かれておくのが無難じゃろう」


 シノノメ、ユーデルヤードは人間側からすれば強国だが、グラストニアと比べると決してそうではない立ち位置のようだ。そうした相手に対し、味方にも敵にもならないという立場は取れなかったということらしい。


 国がより長く生き残るために、吸血鬼と人間、どちらを選ぶかという選択を迫られ、グラストニア側につくことを選んだのだろう。先延ばしにした期間の中で、後の戦での勝ち筋が見えると信じて。


「グラストニア、シノノメ、ユーデルヤード。三国は利害の一致でようやく同盟を結んだ。それと比べてお前さんの提案はどうじゃ? 妥協で結ばれた団結ほど脆いものもあるまい。よしんばユーデルヤードとシノノメがグラストニアに与せぬとして、こちらの戦力全てがそちらにつくわけでもなし。もしグラストニアが大人しく停戦に応じず強行突破に出れば、四国共倒れじゃ。勝てぬ賭けには乗れぬぞ。勝てる算段があるなら別じゃが」


 人間と、一部の亜人だけでは力不足。亜人の身体能力に加え、人間と同じ魔法や魔具を使う吸血鬼の軍勢をねじ伏せるには至らない。


 俺の考えた作戦はここまでだ。聖女保有国を引き込み、籠城戦を通して停戦を要求する。年少者が頭を捻って考えた作戦など、五百歳の魔女には到底及ばなかったらしい。


 だが、そのようなことは最初から分かりきっていた。


「あります。こちらには切り札がある」

「ほう。窮鼠の頭数か? それとも得意の魔法道具か。後者はあちらも使ってくるぞ」

「どっちでもありません。切り札は一枚、それでも十分に強力なものです」


 断言すると、余裕を保っていたシオンさんの表情が変わる。


 たかが十六年生きただけの知恵では、五百年の積み重ねには及ばない。俺の考えた作戦だけでは到底届かなかった。


 だからここからは、イーザックさんとフランさんの考えた作戦を、我が物顔で展開することにしよう。


「──千年前の生き神を甦らせます」


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