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番外編7「今ここにない今」

エイプリルフール番外編、今年は年齢逆転(シャッフル)です。


 部屋で紅茶を飲むたび、学生の妹たちがアフタヌーンティーを「ヌン茶」と略していたことを思い出す。何ともアジアンテイストな武器に似た名前に、「アフ茶」ではダメなのかと提案したところ、「響きがアホっぽい」と一蹴された。響きが武器っぽいのはよくてアホっぽいのはダメとは、年頃というのはよく分からない。


 しかし、そうだ。年頃の少年少女というのは、そうしたよく分からないこだわりを持ち、大人からすればどうでもいいようなことを大切にするもの。そこに労働などという無粋な言葉は介入する余地もなく、彼らはただ短い春を謳歌するものなのだ。


 改めて目の前にいる赤髪の少年を見やる。クッキーを食べながら紅茶を飲む俺のそばで、銅像の如く佇む少年は、様々な意味で俺の知る十六歳とはかけ離れた姿をしていた。


「時にアンネ君──労働基準法って知ってる?」

「寡聞にして存じ上げません」

「難しい言葉使うね……」


 アンネ・フィリップ・アインホルン。幼さを残す声で大人びた言葉遣いを引き出す彼は、ネロトリア王国聖騎士団に所属する、歴とした聖騎士である。つまりは社会人。十四歳から一年の訓練期間を経て、およそ半年間、聖騎士として尽力してきたそうだ。それはつまり、入社から二ヶ月で失踪扱いになっているであろう俺より、社会人歴でいえば先輩であるということ。


 十六歳の俺が今の時期に何をしていたかといえば、高校に入ったばかりで、来るべき中間考査の足音を聞きながら、毎日友達と遊んで暮らしていたように思う。


 そこから俺がたまに真面目に勉強して、ほとんどは友達と遊んで過ごし、恋人もできないまま大学に進学、その後にやりたいことも分からないまま必死で就活して、どうにか総合職枠に入り込み営業活動に明け暮れる、という具合に過ごした六年という年月があれば、その間にも彼は聖騎士としてのキャリアを形成していくのだろう。


 中学を出て働くと決めた同級生を見たとき、思ったことがある。自分にあのようなことはできないだろうという心からの尊敬と、そう遠くない未来に自分もあの道を行くのだという曖昧な焦燥、今の自分がそうならずに良かったという無礼な安堵。


 最後の二つは決して口にしなかったが、まだ見ぬ労働への恐れが抱かせる感情というのは、相手に払うべき敬意さえもねじ伏せてしまうほどに大きかった。


 だが、いざ大人と呼ばれる歳になって、数ヶ月ばかり社会人を経験した今、感じることは少し違ってくる。


「守られてる俺が言うのも何だけど、俺の地元だと基本的に学生してるくらいの歳の子を働かせていいのかなって思うよ。数ヶ月だけ社会人やってた身からしても、二ヶ月もすると結構擦り切れてくるし、十六歳なんて遊びたい盛りじゃない?」

「私は娯楽の一つも持ち合わせておりませんので、却って時間を持て余してしまいます。その時間で師匠の望みを叶えられるなら、これ以上ないほどに有意義な時間の使い方でしょう」


 返ってくる答えはずいぶんと立派なものだ。家のために十五で働く、師匠のために十四で働く。それぞれままならない事情があるからこその覚悟なのだろう。


 現在進行形でままならない事情から女装生活を強いられている俺がいうのも何だが、一般的に子どもと呼ばれる年頃の彼らには、自分の周りと未来のことだけを考えて、無邪気に人生の春を謳歌してほしいと思う。子どもでいられる期間は短い。子どもが子どもであることは、何にも代え難い彼らだけの特権なのだから。


「それならいいけど、上からパワハラ……無茶振りとかされてない? 何かあったら早めに相談するんだよ。先輩でも同期でもいいし、俺でもいいし」

「無茶振りであれば、心当たりが。とあるお方から、自分のことは命に代えない程度に守ってほしいとの要請を受けたことがあります」

「それは大人として譲れないから、悪いけど我慢してね」

「有意義な相談の時間でした」


 従順かと思えばしっかり嫌味を飛ばしてくる。年上相手にも怯まずに説教をかます彼には、無用な心配だったかもしれない。


 それでも年上としては気になるものなのだがと言い訳をしながら紅茶を一口。するとアンネ君は、何か言いたげな顔で口を開いた。


「礼央様は何かと私のことを、子どもだからと言う理由で守ろうとなさいますが」

「そりゃあ、六つも年下なわけだし。集会でも他の国の人たちにびっくりされてたでしょ。十六で代表者なんて珍しいって」


 他国の聖女や代表者の中には、十八歳のルイス君、十九歳だというアリーやニーナさんもいたが、アンネ君はその中でも最年少。それも代表者としての参加である。


 他にも熟練の聖騎士がいる中での抜擢となると、やはり意外だったのだろう。


 しかし一人の聖騎士として同行したアンネ君からすると面白くなかったのか、真剣な表情でこう問われた。


「もし私と礼央様の年齢が逆だったとしたら、いかがですか?」


 俺は今、二十二歳。社会人を数ヶ月ばかり経験して、早くもくたびれ始めている大人だ。


 アンネ君は今、十六歳。二年ほど社会人をしているはずだというのに、若さが眩しくて目に染みる。


 逆転したら、どうなるかといえば。


「……二十二歳のアンネ君、考えるだけで怖いね。十六の俺に耐えられると思えない」

「二十二歳の私はどうなるとお考えなのですか」

「そりゃあ……」


 尋ねられて、思わず目の前の少年を見やる。


 初めて見たとき、綺麗な子だと思った。少年に対してそのような感想を抱く自分に驚きもしたし、大人としてどうかとも思う。


 六年後のアンネ君は、きっと今より磨きがかかって、完璧な大人に成長するのだろう。


 人は案外変わらないものだが、仮に彼が時折見せる子どもらしい一面をそのままに大人になったとしても、それは彼を引き立たせる要素の一つにしかならないはずだ。


 そこに十六の俺をぶつけるとなると、やはり少し恐ろしくなったが、それを口にできるはずもなく。


「まぁ何にせよ、君がどんな大人になるのか楽しみにしてるから、ちゃんと長生きしてってこと」

「見届けるおつもりなら、礼央様にも生き延びていただかなくては困ります」

「本当にね。影属性魔法があるとはいえ、女装が厳しくなる歳だから。魔法学校では男の格好できたけど、制服がコスプレみたいに見えないかヒヤヒヤだったし」


 この歳で制服を着るとは思わなかったとこぼしながらクッキーを口に放り込むと、アンネ君は怪訝そうな顔でこちらを見た。


「厳しいとは?」

「女性になるために努力してる人ならまだしも、俺は妹たちから実験台にされてただけの素人なわけだから、いつまで誤魔化せるのかなって」


 妹たちから定期的に女装の実験台にされてはいたものの、俺は女性になりたいわけでも何でもなく、さらにどちらかといえば可愛い彼女と付き合いたいタイプである。自分から女性になる努力をする必要がないまま二十年余りを過ごしてきたため、自分の女装技術には自信が持てないままなのだ。


 空になったカップに紅茶を注ぎながら、アンネ君が言う。


「礼央様はいつでもお綺麗ですから、お姿を見て見惚れこそすれ、性別を疑うものが現れることはないかと」


 思わず、礼を言うことも忘れて紅茶を飲んだ。一口、二口、余計な分まで飲んでからカップを置く。流れ出した奇妙な沈黙に身じろぎしたそのとき、入室許可を求めるノックが届く。


 慌てて変声の魔具を取り付け、自分の声が女性のそれになっていることを確かめてから、入り口へ向かうアンネ君に合図を送った。


 アンネ君が扉を開けると、そこに立っていたのは見覚えのある三人。


「ほら、やっぱりボクの言った通りだろう? フィルが仕事中に姿を消すとしたら、聖女様のところにいる」

「『モグラは土の中にいる』くらい意味のない予言だったね」

「聖女様、よろしければアフタヌーンティーでもいかがでしょうか」


 アンネ君の同期だというイーザック君にフランさん、俺がこちらに来てから何かと面倒を見てくれているハナさんだ。


 全員俺より年下もしくは同年代ということもあって、何となく世話されっぱなしというのも落ち着かない。そこで俺は、訪問ついでにこんな提案をしてみることにした。


「ちょうど今お茶してたんだ。よかったら一緒にどう? 部屋にあるものを使えばサンドイッチくらいなら作れると思うけど」

「聖女様、僕たちが部屋に来るたび何か食べさせようとしないでくださいね〜」

「そうでもしないと何も食べないからだよ。ほら、座った座った。毒味も仕事のうちだからね」

「観念するんだザック、君が朝から携帯食料しか食べてないことは知ってるんだよ」

「フランさんも食べる。若いうちから食事制限なんてしてると、後々大変なことになるんだから。ハナさんも、仕事に余裕があるなら食べていって」

「恐れ入ります。お手伝いいたしますね」


 言いつつ、これは一種のセクハラなのではという懸念が脳裏をよぎったが、今は飲み込んでおくことにした。鬱陶しい年上と思われたとしても、彼らの健康には代えられない。


「しかし聖女様、肝心のもう一人をお忘れでは?」

「フィリップ君、どさくさに紛れて逃げない。戻ってきて」


 フランさんに言われて呼び止めると、こっそり部屋を抜け出そうとしていたアンネ君は、少し不満げな顔で扉の影から顔を出した。その表情はまるで十六歳の子どもそのもので、先ほどの大人びた発言の主とは思えない。


──「礼央様はいつでもお綺麗ですから」──


 同性をも落としかねない爆弾発言を気軽に落とす彼は、いずれ必ず誰かからの勘違いを招くだろう。それが彼を害する方向に向かないことを願いながら、部屋に備え付けられているキッチンに立ち、コッペパン状の細長いパンに、レタスとハム、薄く切ったチーズを乗せた。


 十六歳であれとは、まったく末恐ろしい。俺が彼より年上だったからよかったようなものの、アンネ君が言うように、もし十六歳の俺が二十二歳の彼と出会っていたら、人生の決定的な部分が変わってしまっていただろう。


 そんなもしもを封じ込めるように、具材を乗せたパンをもう一枚のパンで挟む。


 十六歳の俺が二十二歳のアンネ君に出会うだとか、それによって様々な歯車がおかしな方向に回り出すとか、そういうものは全て、今ここにない今の話なのだから。


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