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90話「鬼と狼」前編


 執事とは主人の駒であり、手足である。故に私は主人からの命令に異を唱えることがあってはならず、命じられることが喜びであるとすら思っていた。


 だが、数週間前、お嬢様とルイス君に同行する形でネロトリア王国のお披露目パーティーに出席するよう命じられたときは、さすがに疑問を口にしてしまった。


──「旦那様……なぜ僕なのでしょうか」


 旦那様からいただいたモノクルを、旦那様の手でつけていただく、朝の恒例行事。ボールドウィン家のしきたりとして定められた神聖な時間に、執事に切り替わる前の「僕」が投げかけた質問を、旦那様は少し嬉しそうに受け止めていた。


 疑問はあれど命令は命令。同行しないという選択肢こそなかったが、だからこそ気になったのだ。私にはルイス君のように、いざというとき役立つ戦闘能力など備わっていないのだから。


 元々そうしたことが不得手だったというのもあるが、何より年齢の問題が大きい。人狼族の寿命は長くて四十年。私自身は人間の血が濃いことを考えればもう少し長生きできそうなものとはいえ、それでもあと十年もすれば土の中にいるであろう老骨の身からすると、やはり有事の対応について懸念が残る。


 だがいざ危惧していた事態が訪れてみると、主人の判断が正しかったことを思い知らされた。


「ベラさんもニーアさんもいないとなると、ベルさん結構寂しいんじゃないッスか?」

「子ども扱いしないで。ベラはルイスの何倍も生きてる」

「小さい子たちが頑張ってる姿って可愛いわよね。イツキくんもそう思うでしょう?」

「そう言うあんたこそ可愛くなったらどうなんだ」

「執事殿、人の子らをよそへやるのはまだかかりそうか」

「あと五分ほどお時間を頂ければ!」


 ウサミ様、ヴァール様、アラベラ様が魔物の出所を探るために会場を後にしてから十分余りが経つ。そこで賓客の避難誘導を買って出たのはいいものの、会場に残った聖女三人、同伴者二人の合わせて七人、そこに騎士の方々を加えた数十人のうち、まさか避難誘導に当たるのが私と一部の騎士の方だけとは思わなかった。


 シオン様もアラベラ様も、元々そこまで人間好きというわけではない。彼女たちが駆け付けたのは、恐らく代表者からの後押しがあってのことだろう。


 お嬢様は避難のための時間を稼ぐため、ひと足先に会場へと向かったものの、幼い頃からお転婆娘として使用人だけでなくご家族の手を焼いてきたお方だ。聖女として人々を守るという役目を忘れてこそいないが、手加減なしで戦えるこの状況を楽しんでいる節がある。


 そう考えると、長年旦那様に使える中で荒事にも何度か遭遇した経験があり、しかし前線より一歩引いたところから援護に回ることが多い私の存在は、今回の聖女関係者の中では貴重なものとなるのだろう。


 本当に坊ちゃまは人使い──いや、人狼使いが荒い。幼いお嬢様がどこからかルイス君を連れてきて自らの執事としたのは、生涯仕えるものを自分で選び取るという家のしきたり以外に、旦那様の影響もあるのだろう。親子揃っていつまでも外遊びがお好きで困ると思いながら、会場内に人の姿がないことを確認した。


 パーティー開始後に数えた参加者の人数と、避難場所へ向かわせた人数を照らし合わせてあぶれた一人は、恐らくウサミ様たちが向かわれた場所にいるであろう犯人のもの。それならば私の役目はほとんど終わったようなものだと思いながら、魔物の唸りに負けじと声を張り上げた。


「賓客の避難誘導、完了いたしました!」


 手足を使う人間の喧嘩のようなやり方で戦っていたルイス君は、私の言葉を聞くなり首を鳴らし、それから近くで魔物を投げ飛ばしているイツキ様に目を向けた。


「イツカく〜ん、十分くらい時間稼いでほしいんスけど」

「は? 何でだよ。これくらい普通に片付けられるだろ」

「効率悪いじゃないスか。それにせっかくのオーダーなんで、派手にぱっぱと終わらせたいんスよねぇ。さっきからお嬢もウサギさんのこと気になってソワソワしっぱなしッスから」


 ルイス君が軽口を叩いた瞬間、お嬢様に蹴り飛ばされた魔物がルイス君の方へ。派手な照れ隠しを涼しい顔で受け流したルイス君を、イツキ様は何か言いたげな表情で見つめている。


「十分……できなくはねぇけど、後が面倒だぞ」

「シオン、イツキくんがあれをやるの? わぁ、見たいわ! あれの後ならいくら触っても怒られないの」

「お前が魔物の餌になれば済む話じゃろう」

「嫌よ、服が汚れちゃう」

「それなら裸で向かうことじゃな。吾は構わんぞ」

「あら、楽しそう! そうしようかしら」

「ふざっけんな引っ込んでろ!」


 代表者候補のヒノミヤ様は、イツキ様からの叱責もどこ吹く風。怒られちゃった、とすくめた肩から、当然のように布を取り払った。何枚も重ねている不思議な服も、半分ほどはだけている状態ではすぐに素肌が露わになってしまう。


 私は今さらその程度のことで動じるほど若くはないが、僕よりよほど長く生きているであろうイツキ様はそうではないらしく、目に見えて戸惑っているのが分かる。


 彼の場合はシノノメの代表者という立場上、この場にいるのが魔物を除けば聖女集会の常連やその関係者であるとはいえ、仮にも自分が属する国の権力者たるものが全裸で魔物の群れに飛び込むという事態は是が非でも避けたいはず。


 シオン様の後ろでゆったりと服を脱いでいくヒノミヤ様を一瞥し、深いため息。それから何やら覚悟を決めたらしいイツキ様は、ルイス君を振り返ることなく、腹立ち紛れに魔物の腹へと蹴りを叩き込んだ。シオン様の方へ飛んだ魔物は、横から飛んできた岩に殴られ、垂直方向へ飛翔。奇妙な光景だ。


「……十分稼げばいいんだよな」

「やっぱあともう十分追加していいスか? 堪能してからにしたいッス」


 視線をヒノミヤ様から動かさずに言うと、そんなルイス君めがけて再び魔物が放られる。今度は二頭飛んできたそれを華麗に避けたルイス君は、仕方なさそうにため息をついた。


「あ〜もう、分かったッスよ〜、揃いも揃って冗談通じないッスねぇ」


 ずいぶんと真に迫った冗談だ。避難用に張られた結界越しにそんなことを思ったところで、後輩に届くはずもなく、ルイス君は呑気にこんな注文を口にする。


「あ、十分追加とは言わないッスから、十秒追加いいスか? オレも服脱ぐんで」

「……嬢、余計な世話だろうが、こいつを代表者にすんのは集会のときだけにしといた方がいいと思うぜ」

「そうしたいのは山々ですけれど、たまにこうして遊ばせないと、屋敷の中で元気を持て余してしまいますの」


 心底呆れた様子のイツキ様と、すっかり慣れているお嬢様。適当な場所で定期的に遊ばせた方が被害が少なくて済むのは確かだが、時にその有り余る元気が役に立つ場面がある。その数少ない場面というのが今回であり、それこそが今回、お嬢様からの命令が下った理由だった。


「それに問題ありませんわ。十分ほどの短い間はいい子にできるよう躾けてありますから」

「何だってそんなこと……」


 お嬢様の言葉の真意は理解できないまでも、後々邪魔になる服を取り払い、地面に膝をついたルイス君の様子を見て、勝手を言っているわけではないと理解したのだろう。


 イツキ様もようやく納得したようで、視線を眼前の魔物たちへ。それから自身も服の襟を崩し、上半身を露出させるような格好になった。


 首と胴体を覆う黒い下着のようなものに身を包んでいるため、ルイス君のように全身が露わになっているわけではないものの、それでも彼と似た過程を経ることに抵抗があるらしく、表情は晴れない。シオン様の後ろで嬉しそうに歓声を上げるヒノミヤ様の存在もあるのだろう。


「……言っとくが、十分後のおれはそこら辺の虫より役に立たなくなるからな」

「それまでには終わっていますわ」


 魔物の頭に拳を叩き込んだお嬢様の言葉を合図に、イツキ様は頬、首、腕、足にまである全ての目を開き、文字通り数多ある目で魔物を捉えながら、的確に敵の急所を突いていく。突いているのだろう。多くの生物にとっての弱点となる目を魔物に攻撃されるより先に、イツキ様は魔物を打ち倒している。人狼の目でも注意深く見なければ何が起きているのか分からない、そんな速度だった。


 目が増えたことによって、視界を通して得られる情報は格段に増えるはず。しかし手元に情報があるからといって、それを的確に使うには頭を働かせる必要があり、かつそれを一瞬でこなすとなれば、一朝一夕で身につく技術でないことは確かだった。


 左脇から迫る魔物の死角から左足で蹴りを繰り出し、同時に右後ろにいる魔物をかわす。通り抜けた魔物の尻尾を掴んで振り回し、右手前方に開いた魔物の口へ叩き込む。それを一瞬でこなしているのだ。背中に目がなければ、目があっても、そうできることではない。


 なぜ私を。そう尋ねたとき、旦那様は言っていた。理由は三つあると。


──ひとつ。有事の際、アレクサンドラとルイスは前線に立とうとするだろう。言ったところで大人しくするわけもない。何せ俺の娘と、その娘が連れてきた奴だ。手助けは慣れているだろう?


 ええ、旦那様のお陰で。モノクルをかけていただいたことで、執事となった私はそう答えた。


──ふたつ。お前は観測者だ。俺の目となり、情報を集めてくるように。集めるべき情報は言わなくても分かるよな。

 心得ております。賓客のほか、各国聖女の皆様や代表者、同伴者の方々の、


 そこまで続けた時点で、旦那様は私の言葉を遮りこう言った。 


──違う。あの子の友達のことに決まっているだろう。


 私もまだまだということらしい。わんぱくだった坊ちゃまも、今やすっかりお転婆娘を溺愛する一人の父親だった。


──みっつ。もしルイスがあれをやるとしたら、そのときお前は必ず役に立つ。まぁこれは保険だが、ないとも限らんだろう。何せ今のネロトリアは……


「ねぇ見てシオン! あの狼の子!」


 ヒノミヤ様の楽しげな声で顔を上げると、そこには体の三分の二ほどを毛で覆ったルイス君がいる。顔や手足の形は既に変わり始めており、時折漏れる声も既に人のものではなくなっていた。


 一口に人狼といっても、血の濃さによって変身の度合いは異なる。僕のように狼の血が少し混じっただけの者は五感が人より優れる程度だが、ルイス君のように狼の血がある程度濃くなると、完全な狼に変ずることもできるそうだ。


 ただし、完全な狼でない以上、変身には十分という致命的な時間を要する。イツキ様が何らかの理由で今の状態を十分しか保てないように、ルイス君の能力もまた完璧ではない。

だが、そうした不完全な要素こそ、彼の中に眠る「人」の部分なのかもしれなかった。


 前線近くで後輩の奮闘を見守る僕は、「狼」の部分を駆使して結界内を移動しつつ、後輩により近付ける位置を探る。そして自らの役割を果たすために適した場所を見つけたとき、合図を送るような遠吠えが響いた。


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