83話「聖女探偵」
今日はひたすら、変わり映えのない部屋を何度も行き来している気がする。容疑者たちが集められている部屋に着くなり、考えたのはそんなことだった。
座って物思いに耽っている料理人のモーリッツさんと、先輩メイドであるノーラさんに励まされているハナさん。今回の事件の容疑者はモーリッツさんとハナさん、そこにライナーさんを含めた三名だったが、彼が何者かから脅迫を受けて犯行に加担したことが発覚した今、残る容疑者はライナーさんを除いた二人ということになる。
彼らのどちらが犯人であるかという疑問の答えは、既に俺たちの手の中にあった。証拠も出揃い、あとは本人からの自供を引き出すだけだ。
「お待たせしました。今回の事件の犯人が分かりましたので、報告します」
犯人を含めた容疑者たちを刺激しないためか、にこやかに声をかけるイーザックさん。すると、モーリッツさんは明らかに怪訝な表情を見せた。事件は終わっているものと信じて疑っていなかったのだろう。
「……犯人はあのライナーっていう若造だったんだろう? さっき連れていかれたきり戻ってこないところを見るに、てっきりそうなんだとばかり思っていたんだが」
「そのライナーから話を聞いた上で、真犯人は別にいると判断しました。そしてそれは、お二人のうちのどちらかです」
突然告げられた言葉に狼狽えたのは容疑者の二人だけではない。恐らく後輩の様子を心配してここにいるであろうハナさんの先輩もそうだった。
しかし、今は自供を引き出すことが最優先。イーザックさんもここで手を緩めることはしない。
「まず、犯人とされていたライナーについて。彼が聖女様の飲み物に何かを入れたことは事実ですが、その動機というのは人質に取られた家族を助けることでした。つまり、その時点でライナーの家族を人質に取った首謀者は別にいるということになります。人を脅迫した人間を野放しにしておくわけにはいきませんので、どのみちライナーを捕らえて終わりということにはなりません」
最初に事件が終わっていない理由についての説明。この事件には毒殺未遂と脅迫、二つの事件が地続きとなって存在している。今回の一件を解決するためには、その両方の解決が不可欠なのだ。
「ところで、お二人は数日前、買い出しのために王都郊外に向かったそうですね。その他にも何名かの使用人が同行していたそうですが、そのときにライナーの家族に会ったのでは?」
「王都では基本的に別行動を取っていた。パーティーの準備ほど厳密に単独行動を禁じていたわけでもないから、彼女の動向については把握していない。俺の証言を裏付ける者もいないということになる。その上で、ライナーの家族に会った覚えはないと言っておこう」
「私も、ご家族にはお会いしていないと思います。もし私のこの言葉が嘘だったとしても、私には人を拘束して監禁するすべなどございません。ご存知の通り、私には腕力も魔力もございませんので」
思わぬところから疑いを向けられ、それぞれに弁明を始める容疑者たち。しかし単独行動が許されていた以上、それぞれ確かなアリバイはないようだ。
誰がライナーさんの家族を拘束し、彼を脅迫したか。その点に関して考えるならば、怪しいのはモーリッツさんということになる。単純に性別による力の差もあるが、料理人である彼は聖騎士顔負けの腕力とガタイを誇っているため、人質の拘束に苦労はしないだろう。
果たしてそれが今回の事件で発揮されたかどうかは、これから明かしていくことになる。
「そもそも、ライナーってやつが適当を言っている可能性もあるだろう。自分の罪を軽くするために、脅迫者の存在を仄めかしたとか」
「それは犯人が毒を仕込んだ手段からしてあり得ません」
質問の回答を引き取り、ここからは俺が毒を入れたやり方について説明していく。
俺やイーザックさんが長い時間悩み続けたこの難題も、解けてしまえばどうということはない。今回のトリックは、まるで手品のようなものだったのだ。
「結論から言えば、まずライナーは毒を入れた犯人ではありませんでした。彼は真犯人により脅迫され、飲み物に毒を入れる最後の仕掛けを手伝わされただけに過ぎなかったのです」
「最後の仕掛けというのは……どういうことなのでしょうか。脅迫までしたなら、ライナー様に毒を入れさせればそれで済むのでは?」
「飲み物は毒物の混入を防ぐため、飾りがたくさん載っていただろう? ライナーが毒と思しき粉末を入れるために要した時間は三十秒未満。単純に飾りの上から粉末状の毒をかけただけでは、飲み物に毒が届かず、口に入る量が少なくなってしまうんだ」
「それなら、結局そいつは何を飲み物に入れたんだ」
「塩ですよ」
何でもないことのように言えば、俺とイーザックさん以外の人々は呆気に取られたようにこちらを見やる。
ライナーさんが犯人から渡されたという粉を見せられたとき、まず感じたのは粉──というより粒と呼んだ方がよさそうなそれの──の粗さだった。粉末というより結晶に近いそれは、それを見るまでただの仮説でしかなかったトリックを裏付ける手がかりとなる。
そう考えて舐めようとした結果、イーザックさんから止められたわけだが、水に溶かして鑑定魔法をかけた結果は俺の予想通り。調理のために使われるような、ごく普通の塩だった。
「犯人は氷に封じた花に毒を仕込み、ライナーに塩をかけさせることで氷を溶かしたのです。そうすれば毒は氷が溶けたことによる水と共に、飲み物まで到達します」
「ですが、花を凍らせた者と、飲み物をトレイに載せた者は別でした。トレイに飲み物を載せる担当は私でしたが、渡されたものを無作為に置いただけですので、そうなると毒が仕込まれた飲み物を確実に聖女様の元へ届けるのが難しくなるかと」
「何も特定の飲み物にだけ毒を仕込む必要はないよ。犯人は全ての花に毒を塗り、それを凍らせたんだ。その証拠に、聖女様以外の手に渡った飲み物にも、時間差で毒物反応が出た」
イーザックさんと飲み物を調べながらトリックを考えていたとき、それまで何の反応も見せなかったドクネズミが、突然毒が入っていないはずの飲み物にも異様なまでの興味を示した。
飲み物の飾りの中で、時間を置くと状態が変化するものといえば、花を封じた氷だけである。
「魔法についてはあまり詳しくないのですが、氷に封じてしまえば、鑑定魔法での毒物検査は通過してしまうのですか? 厨房を出たのち、ライナー様が聖女様の飲み物に載っている氷のみをすり替えたというのは」
「それは脅迫者の存在そのものが嘘であったという条件の元に成り立つ説だね。仮にそうだとして、ライナーは花を封じた氷をどこかに保存して、頃合いを見計らって取り出す必要がある。彼は実働部隊の聖騎士で、使える魔法は炎属性のみだ。炎で氷は冷やせないよ」
ハナさんはあくまで脅迫者の存在そのものを否定し、ライナーさんが犯人であると言いたいようだ。
しかしライナーさんが嘘をついているとは思えず、脅迫者の存在を示す証拠からしても、彼が脅されていたことは紛れもない事実だろう。あれが偽造されたものだったとしたら、さすがに準備がよすぎる。
聞くところによると、ライナーさんはここ数ヶ月、まともに妻子の元へ帰れていないようだ。他の証拠はともかく、黒髪を偽装するには無理があるように思えてならない。
「それなら、氷を生成した水に毒が混ぜてあったということはないのか?」
「毒が仕込まれていたのは花です。それは間違いありません。花を氷に封じる際、飾りに触れていたメイドが一人、体調不良を訴えています。名前はヘルミーナ。彼女の指先から検出された毒物から解毒方法を割り出して試したところ、症状の回復が見られたと連絡がありました」
モーリッツさんが口にしたのは、まさに俺が検討してイーザックさんから却下された案だったが、それを否定する手がかりを探す過程で、思わぬ手掛かりも手に入った。
手に毒を仕込むというやり方は、聖女関係者から話を聞いたときにいくつか上がった説である。ヘルミーナさんに中毒症状が出た理由は、恐らくその説と似た原因だろう。
「パーティーの事前準備の際、飾り用の花は水洗いしたのち、一つ一つ丁寧に拭いていたそうです。そうなると花を拭く布に毒を染み込ませたのかもしれません。残念ながらこの推測を裏付ける証拠というのは何一つありませんが、十分に実行可能なやり方ではありますね」
誰が犯人であれ、パーティーの準備段階で毒が仕込まれていたとすれば、証拠の処分は容易だったはず。こればかりは探す時間がなかったために確たる証拠は掴めなかったが、それでも花に毒が仕込まれていたという事実は揺らがない。反論がないことを確かめてから、ここが正念場とばかりに語調を強めた。
「つまり犯人は、ライナーの家族を人質に取ることができ、パーティー準備のときに飾りの花に触れた人物ということになります。誰が担当していたかは、既に調査が済んでいます」
言いつつ取り出したのは、取り調べ室を出る直前に依頼した調査の結果をまとめたメモ。具体的には事前準備の担当者リストだ。
俺はほとんど読めなかったが、イーザックさんに読み上げてもらったところ、俺が知りたかった情報──犯人の名前が、あるべきところに記されていた。
「そしてその人物は、飲み物の飾りとして、花を封じた氷を入れることを提案していたそうです。これだけ揃えば、答えは明白でしょう」
そこで一度言葉を切り、掲げた資料を下げる。
そうして、今回の事件の犯人へと目をやった。
「──犯人はキミだね」
人生で一度は言ってみたいこのセリフが、こんなにも胸を刺すものだと思ってはいなかった。
俺が指す犯人というのが自分であると理解したのだろう。今回の事件の真犯人──ハナさんは、驚いたように目を丸くした。




