10話「元気出してね」
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時が経つのは早いもので、レオ様が召喚されてからあっという間に一か月が経過した。聖女の公務についても問題なくこなしており、今のところは性別が露見することもなく過ごせているようである。
最近は女性としての言葉遣いにも慣れてきたのか、他の聖騎士や国民と話をする余裕も出てきたようだ。召喚されたばかりの頃は私以外と言葉を交わすことすら警戒している様子だったことを思えば、大きな進歩だろう。
こうして街に降りて作物の成長を早める公務に関しても、相変わらず魔法制御が上手くないせいで、大木と見紛うような大きさの野菜を作ってしまうことも多いが、街の人々には喜ばれているからそれはそれでいいのかもしれない。
「フィリップさん、この後の予定は……」
「あ~! 聖女さまだ~!」
街での公務を終えて帰りの馬車へと向かっていると、どこからか子どもが駆け寄ってきた。それから母親を思しき女性も、慌てた様子で我が子を追いかけてくる。
「こら、失礼じゃないか!」
「構いませんよ」
無邪気な子どもの言動を母親が窘めるが、レオ様はさほど気にしていないらしく、しゃがみ込んで子どもと目線を合わせてやる。話を聞いてもらえるのが嬉しいのか、子どもはやや興奮気味に話し始めた。
「聖女さま! 聖女さまは違う世界から来たんでしょ? 違う世界ってどんなところ?」
初めのうちは国もレオ様の出自については秘めていたものの、どこからか噂が流れ、今ではすっかり周知の事実となってしまっている。こんな幼い子どもが知っているのもその証拠だろう。
「こちらの世界と同じように、たくさんの人が住んでいて、たくさんの街がある場所です。魔法はありませんでしたが……」
レオ様はそこで一度言葉を切り、帰れない故郷の景色を思い出すかのように黙したのち、ゆっくりと言葉を続けた。
「……とても、楽しいところでしたよ」
思えば、レオ様の故郷について私から尋ねることというのはあまりなかった気がする。こちらの都合で別の世界へと呼び出しておいて、元の世界について思い出させてしまうというのが申し訳なく思えて、聞くことを避けてきたのだ。
子どもからの問いかけには渋ることもなく答えているのを見るに、それほど気にしているということもないのだろうか。
「ご丁寧にありがとうございます。ほら、ちゃんと聖女様にお礼言いな」
「……ありがとう」
子どもと母親の背中を見送り、帰りの馬車へと向かう。街といっても道が狭いために馬車が通れず、街の入り口まで歩くことになってしまったのだ。こういうとき、イーザックであれば或いは魔法で移動することも可能なのかもしれないが、私は私なりにこの時間を楽しんでもらえるように努力するべきだろう。
「さすがに人気者でいらっしゃいますね」
「単に物珍しいんだと思いますよ」
それはそうかもしれないが、いかに珍しい場所から来ていようとも、慕われていなければ人々は集まらない。こうして街の人々が声をかけてくるのは、レオ様自身の親しみやすさも確かにあるのだろう。
しかし、そうなると心配になってくるのがレオ様への負担である。近頃は慣れてきたようだが、それでも性別を偽るということには精神的な負担が伴う。私も慣れるまでは人と話すのにも疲れていたし、慣れない異世界暮らしともなればなおさらだろう。余計なお世話であることは百も承知だが、息抜きとしてある提案をしてみることにした。
「聖女様さえよろしければ、どこかで昼食を取ってから帰るというのはいかがでしょう。宮殿に戻ってからでは少し遅くなってしまいますので」
「ですが、皆さんを待たせていますし……」
「たまには休息も必要です。何かお好きな食べ物などはございますか?」
「…………」
「聖女様?」
「聖女様」
唐突に降り注ぐ声に顔を上げれば、そこには私と同じ実働部隊の聖騎士が立っている。街の入り口までは少し距離があるために迎えに来たのだろうが、私と違って筋骨隆々な彼を遠巻きに見る街の人々の視線が少し痛い。できれば入り口で待っていてほしかったというのが本当のところだった。
「お帰りなさいませ。宮殿までお送りいたしますので、馬車へどうぞ」
「いえ、今日は街で……」
「フィリップさん」
昼食を、と続く言葉を遮られて振り返ると、そこには穏やかに微笑むレオ様がいる。
そのどこか作り物めいた笑顔に、違和感を覚えなかったといえば嘘になる。嘘になるが──。
「わたしは大丈夫ですから。帰りましょう」
私にとって、その言葉は何よりも抗いがたく、つい口から飛び出しかけた言葉さえも容易く封じられてしまったのだった。
しかしその言葉にただ頷くだけというのも躊躇われて、何か言えないものかと思案していると、不意に背後から私を呼ぶ声が響く。
「騎士さま!」
振り返った先にはこちらに向かって走ってくる子どもの姿があり、よく見ると先ほどレオ様に声をかけた子どもだった。
何か言い忘れたことでもあったのだろうかと思って待っていると、子どもは私たちから少し距離がある地点で石か何かに躓き、そのまま体勢を崩して顔面をしたたかに打ち付ける。
近くに親の姿はなく、泣き出してしまうのではと思い慌てて駆け寄ると、子どもは痛がる様子もなく、すぐに立ち上がってみせた。
「大丈夫ですか? 怪我などは……」
「平気! それよりね、これ、聖女さまにあげて!」
そう言って子どもが懐から取り出したのは、親指の先ほどの美しい石だった。しかもただの石ではなく、磨けば魔具の部品としても使うことのできる魔石である。この辺りではよく採れると聞いていたが、貴重なものであることに変わりはない。
「ありがとうございます。ですが本当にいただいてよろしいのですか?」
「いいよ。その代わり、聖女さまに言ってほしいことがあるんだ」
「ええ、私でよろしければ。何とお伝えしましょうか」
まだ何か聞きたいことがあるのだろうかと思いながら尋ねると、返ってきたのはまったく別の言葉だった。
「あのね、『元気出してね』って言ってほしいの」
「…………」
まるで私の懸念をそのまま感じ取ったような言葉に、何と言ったものか決めあぐねていると、子どもは無邪気に、こう続ける。
「聖女さま、元気なかったから」
「──分かりました。確かに、お伝えしておきますね」
「ありがとう! 絶対だよ!」
弾けるような笑顔を向けたまま走り去る子どもの背中を見送りながら、あちこちで飛び交う言葉に耳を澄ませてみる。
街を歩いていても、たびたびレオ様の話をしている人々を見かけることはあったが、思えば確かに、称賛の声以外にも、レオ様の身を案じる声が聞こえていたことは事実だ。
「聖女様っていうからどんな人かと思ったら、噂よりずっと若い子じゃないか。あの歳で違う世界から連れてこられたんじゃ、少し可哀想な気もするけどね」
「可哀想なもんか! 違う世界ったって、お城で何不自由なく生活できるんだぞ? 俺だったら喜んで聖女になるね」
「男じゃ聖女様にはなれないし、第一あんたみたいな飲んだくれが聖女様だったら国が滅んじまうよ!」
その男性が聖女になったと知れたらそれこそ国は大変な騒ぎになるであろうことを考えると、レオ様の性別についてはくれぐれも隠し通す必要があるが、やはり少なからずそのことが負担となっていたらしい。
召喚から一か月。ここまで大きな問題もなく公務を続けることができているのは、私たち以上にレオ様自身の努力があったからだ。
時期的にもそろそろ疲れが出てきてもおかしくない頃であるし、この辺りで休養を取った方がいいのは分かっているものの、果たして何をすればいいのだろうか。好きな食べ物については聞くことができず、街での昼食も断られてしまった。
この一か月、レオ様の側で過ごす機会が多かったとはいえ、レオ様自身について知っていることというのはあまりにも少ない。果たして何なら気分転換になるのかは分からないが、とにかく何か考えておこうと思いながら馬車へと戻る。
待たせてしまったことを謝罪しても、レオ様は相変わらず、聖女然とした笑顔で答えてみせただけだった。




