1話「聖女?召喚」
──一番目の姉曰く「アンタはロングドレスにケープ羽織って黙っていれば超絶美少女で通る」と。
石を投じた水面とでも表現すればいいのか、初めは囁く程度だった声が、次第にどよめきへと姿を変えていく。
──二番目の姉曰く「そこに長めのウィッグ被せて、軽く編み込んでアレンジすれば完璧」と。
しかしそのどよめきは戸惑いに由来したものというわけではないようで、喧騒を構成する一人一人の人間たちの表情に浮かぶのは笑顔か、それに似た安堵ばかりだ。
──三番目の姉曰く「髪と目の色で華やかさは十分だから、メイクはナチュラルめで落ち着いた雰囲気を出した方がいい」と。
世界遺産のような格調高い建造物の一角。そこはつい先ほどまでいた殺風景な自室の景色とはまるで異なっていて、降り注ぐ言葉もまた非現実的なものばかり。
「聖女様だ……本当に」「ああ、聖女様だ」「聖女召喚に成功したぞ!」
あちこちから聞こえる、聖女、聖女、聖女。
アニメかゲームの世界でしか聞いたことない言葉だが、聖女と呼ばれるからにはきっと絶世の美女に違いない。
寝ぼけているにしろ疲れているにしろ、どう考えても幻を見ているとしか思えない状況ではあるが、幻というならば多少都合がいい展開を用意してくれても許されるというものだろう。
果たしてその聖女とやらはどこにいるのかと辺りを見回したそのとき、人混みの中から悠然とこちらへ歩み寄ってくる人影があった。
燃え盛るような赤い髪に、夜闇の静寂を抜き出したような深い青の瞳。軍人のような出で立ちに中性的な顔をくっつけたような青年の登場で呆気に取られていると、青年は不意に数歩分ほど距離を取った位置で足を止める。
それから座り込んだままのこちらに気を遣ったのか、洋画で騎士が見せるような仕草で跪き、口を開いた。
「私はネロトリア王国聖騎士団所属のフィリップ・アインホルンと申します。突然このような場所にお呼び立てする無礼をお許しください」
聖騎士団。
ゲームに関しては二番目の姉から熱烈な布教を受けていたが、それにしてもたかが幻程度でここまで細かい設定を作れるほど影響を受けていたとは想像以上である。門前の小僧習わぬ経を読むとはよく言ったものだと、目の前にある林檎のような頭を見ながら呑気に考えていた。
聖騎士団所属だというフィリップさんとやらは、淡々と何やら難しそうな話を続けている。正直この手の難しい話は得意でないために、断片的に単語を拾いながら聞いたところ、どうにも神だとか精霊だとか、そういったスピリチュアルな単語がところどころに登場しているようである。
それなりにファンタジックな話を聞かされて育ったとはいえ、やはり素人に毛が生えた程度の知識ではファンタジーな異世界の設定を練るのもこれが限界らしく、だんだんと話が怪しい宗教めいたものになってきた。
せめて聖女とやらの顔くらいは拝みたかったところだが、この人混みでは見つけられそうもない。それよりも今はこの小難しい話から解放される方が先決だと思い、次第に退屈になり始めた幻を終わらせるべく、軽く右頬を引っ張ってみるが──頬が痛む以外の変化が訪れることはない。
「…………」
夢の中にいるとき、状況の不自然さからそこが夢であると自覚することがある。そういうときは大抵の場合、頬をつねることで現実に引き戻されるか、そうでないにしても痛みがないことからそこが夢であるという確証を得るということが多い。
しかしどういうわけか、反対の頬をつねってみても夢から覚めるどころかただただ痛いばかりである。
もしやこれは痛みまで忠実再現の有り難くない夢なのだろうかとも思ったが、恐らく、違うのだろうという確信が持てていた。
夢幻してはあまりにも、背景のギャラリーが作り込まれ過ぎている。
一番目の姉から人間の服の組み合わせを何百通り、何千通りと見せられてきたものの、さすがにこの場にいる全員の服装を鮮明にイメージし、それらに緻密な動きをつけることは果たして可能だろうか。
ここが夢の中だとするならば、いかに脳みそが活発に機能していようとも、視覚情報もなしに見たこともないはずの風景をここまで詳細に思い描くことなど、絶対に不可能だ。
脳裏を過ぎる、アニメや漫画好きな三番目の姉から聞かされたある言葉。平凡な毎日を送る主人公が、ある日突然異世界へと飛ばされるところから始まるファンタジージャンルの名前は、何だったか。
「この国の民は、心の拠り所を欲しております。このように一方的にお呼び立てする形になってしまったことは、大変心苦しいのですが……」
フィリップさんはそこで一度言葉を切り、真っ直ぐにこちらを見つめた。星空のような色の瞳の横で、灼熱の赤い髪がさらりと揺れる。
そして、男性に対し美人だという感想を抱いたのはこれが初めてだという現実逃避めいた考えを柔らかく端へ押しやるように、言葉を続けた。
「どうか我々に、力をお貸しください──聖女様」
それはもはや疑うべくもなく、彼の目の前にいる人間に対して投げかけられた言葉で、ようやく受け入れざるを得ない現実の存在を認識させられる。
生まれて初めての異世界召喚、見るもの全てが新鮮に映るであろうことはいうまでもないが、呼び出されるなり聖女としての扱いを受けるなど、誰が予想できただろうか。
異世界からの聖女召喚。この手のジャンルではそれほど珍しくないことだと言われた覚えがあるものの、さすがにこのケースは前代未聞だろうと、愛想笑いを返しながら思う。
場を繋ぐためではなく、困惑を表すためでもなく、あまりにも場違いな笑みを浮かべてみせたのは、先ほどから喉の奥に控えている言葉がうっかり飛び出さないようにするためである。
待望の聖女だったと見えて、控えめなお祭りムードに包まれる聖堂らしき場所の中央。作り物と見紛うほどの美人を前にして密かに滝のような冷や汗をかきながらも、心の中は騒がしくある事実を主張していた。
──俺、宇佐神礼央は男である。