魔物狩りと赤狐
*天歴991年 人間領 スペリア王国 ルビー アルガード山脈 麓*
スペリア王国にあるルビーの北の端の領土にアルガードという山脈があった。
アルガード山脈は、スペリア王国のみならず、複数の国に跨っている長い山脈であると同時に、人間領と魔物領の境界でもある。
そうなっているのは、山脈の人間領側と魔物領側では、空気中に漂う瘴気の濃度が異なるからであり、あちら側ではカルマの濃さに並みの人間なら一ヶ月で発狂し、こちら側ではカルマの薄さによって普通の魔物なら徐々に弱体化する。
それゆえに山を境に人間領と魔物領ができるのは当然であったが、一方であくまで山は境界として存在しているだけであり、実際にはあちらに行く人間も、こちらに来る魔物も時々現れるのであった。
狼の災禍から五日後、クレアが生活に最低限の動きができるように回復した日の翌日、カドルはネーブ辺境伯の長男・オルターの十四歳の誕生日から一週間かけて行われる魔物狩りに同行していた。
「カドル殿、見えますかな?」
ネーブ辺境伯の従者であり、オルターの屋敷の執事長であるセンバスが木の上に上っているカドルに声をかける。
「ちょっと待ってください……探知担盗」
照りつける太陽の光が入らないよう、手を目の上で日傘にしつつ、探知の技を発動するカドル。
技が発動されると、魔力は目に集り、その状態で森を見渡すと、視界のところどころに魔核の属性が色のついた点になって映る。
そのうち、赤色の点が重なっているところに注視したところ、目当ての魔物である赤狐の群れを発見した。
「……ここから北西に歩いて、十五分くらいの位置にいます。
数は五匹、今は仕留めた熊を食べているみたいなので、しばらくは動かないようですね」
木の上から降りてきたカドルは地上にいるオルターにセンバス、そしてカドルが住んでいるランディア村の隣にあり、今年の護衛役となっているカルディア村の護衛団の兵士たちに報告する。
「わかりました。では、熊に夢中になっている間に移動を開始いたしましょうか。オルター様、それでいいですね?」
「うーん……しかたねえか」
どこか不満げながらもオルターが許可を出したことによって、一行は探知能力が高いカドルを先頭にして移動を続けた。
「なあカドル、お前が見たのは赤狐だけか?」
移動中、オルターがカドルに聞く。
半年前にクレアが家庭教師として雇われることについてのやり取りで行った決闘以降、カドルはオルターにときどき再戦を申し込まれるようになっていた。
並みの兵士では相手にならないほど強いオルターにとって、(肉体的には)彼より年下なのに彼以上の実力を持っているカドルが珍しく、また手加減しないで済む相手として気に入ったらしい。
カドルとしてもランディア村で鍛えるだけではできなかった近接戦の実戦経験を積むため、畑仕事の依頼が入っていない時々は付き合っていた。
だが、今回の魔物狩りにカドルが同行したことについては、実はオルターから誘ったのではなかった。
「他に魔物はいなかったのかよ?」
苛立っているのか、カドルの返事を待たず、追撃をかけるオルター。
どうやら不満気にしていたのは、赤狐に不足を思っていたらしい。
(他の魔物は確かにいたけれど……)
カドルは顔だけ振り返ると、オルターの後ろに控えているセンバスと視線が合う。
カドルとしても今回のセンバスからの依頼を破り、変に藪蛇をつつくつもりもなかったため、素直に従うことにした。
「……見えている限りはいませんでしたね」
「ちっ、つまんねえな……」
「オルター様、油断されてはいけませんぞ。赤狐とはいえ、相手は熊を倒しているのですから」
「でも、しょせん魔物じゃないしなあ……」
生身の肉体限定であるなら、当然人が束になろうが、熊のほうが強い。
だが、魔力があるこの世界では、魔力をある程度使える人間や魔物であれば、魔力を使えない動物を倒すことはそう難しいことではなかった。
「! 止まってください」
赤狐まで後少しになったところでカドルは一回止めに入り、手を挙げて臨戦態勢に入るように合図を出す。
「おい、まだ赤狐が見えてねえんだけど」
「そうですね。ですが、木々で見えにくくなっているだけでだいぶ近くにいますし、赤狐たちにこちらが気づかれました。
向こうも出かたを伺っている状況ですから、ここは私が先行して場を乱すので、その後に続いてください」
カドルも腰についた二本の短剣を抜き、戦闘の準備に入る。
「い、いよいよなんですね……」
カルディア村の護衛団のうち、そばかすが特徴的な少女が緊張した面持ちをしながら声を発した。
オルターが物足りなさを感じているように赤狐は決して強い魔物ではない。しかし、そう思えるのは多少なりとも魔物と戦った経験のある者だけ。
剣を持つ手が震えているそばかすの少女にとっては、今日が初めての魔物との戦いに違いなかった。
「……昨日も説明した通り、火毛の外装のスキルを持っている赤狐は、火をその身に纏って体当たりしてきます。
体に直接触れず、基本は剣の間合いギリギリの距離をキープ。近づかれたら、盾を使って距離をとってください。それと、複数に囲まれることはないように注意していただければ……十秒後に行きます」
十、九、八――……
魔物の相手には慣れたカドルでも残りの秒数は思考を切り替え、自分のとるべき行動にのみ思考を巡らせる。
今回の目的は赤狐を倒すことではなく、倒させること。
そのために、赤狐を殺さずに無力化させつつ、味方に怪我がでないように敵の注意をなるべく多く集める必要がある。
七、六、五――……
(となると、突っ込んだ直後が勝負。七転八盗を使うか……)
四、三、二――……
「カドル、もし全部倒せそうなら倒してもいいんだぜ?」
「……流石にそこまでは無理ですよ。分はわきまえているつもりです」
一……
ゼロのタイミングでカドルは駆け出し、森の雑木林を抜ける。その先にいたのは大型犬くらいの大きさを持つ赤狐。
敵が反撃するよりも早く、カドルは両手の短剣を振りぬいた。
「七転八盗!!」
「なるほど、アレク殿は怪我をしましたか……」
「はい。命には別状はないのですが、怪我の状態的にルビーまで来ることは難しいので、家庭教師を一ヶ月休ませてほしい……と、妹のクレアが言伝を受けたそうです」
「……それはまあ、構いません。アレク殿が一ヶ月後に復帰できるというのなら、オルター様には先に他の先生の授業を進めていただき、アレク殿復活後に遅れを取り戻してもらうことにしましょうか」
「あ、ありがとうございます。それと、ご迷惑をかけて申し訳ございません」
「貴方に迷惑をかけられた覚えがありませんが」
「あっ、いや、これは、その……妹の……じゃなくて、アレクさんに代わりに言っておいてとお願いされまして……」
「……まあ、いいでしょう。それでカドル殿、貴方はわざわざそれを伝えるためだけに今日ここに来たんですか?」
「……センバスさん、以前断らせていただいたオルター様の魔物狩りの同行。今更ですが、やっぱり行かせてもらうことはできないでしょうか?」
「これまた急なお願いですね」
「申し訳ございません」
「まあ、貴方一人くらいなら追加するくらいかまいませんが、一体どういう心変わりですか?」
「魔核がいるんです」
「魔核ですか? これまたどうして?」
「……力が、いるんです」
「力、ですか? それはどういう……君には少なくともそんじゃそこらの大人よりも強いと思いますが?」
「……それじゃあ駄目なんです。
突然の不幸に屈しないためには、大切な人たちを守るためには、普通に鍛えているだけじゃ到底たどり着けないところに届くためには………………」




