荒野と火狼
*天歴985年 人間領 スレイン王国 シャケル リンカーワルド荒野*
エルフが魔法を言い終えると、玉の中の赤い光が弱まりながらゆっくりと地上へと落ちてくる。
赤い光が消えた後、玉の中にいた一体の魔物が姿を現した。
「……お目覚めに、なられましたか…………?」
「……あんたは? …………いや、私は……?」
産声(実際には違うのだが)というには、落ち着いた声で話す人狼の魔物。
新たな狼王として現れたその姿は、同じ銀色の毛を持っているものの、先ほどまでの獣の姿とは違い、人型になっている。
そして、右手に埋め込まれた狼王の魔核によって、知識はすでにインストールされていたのだが、意識が追いついていないせいか、受け答えはどこかぼんやりとしていた。
「フィルシーは……フィルシー、と申します……あなた様の名前はございますか……?」
「名前……」
母体の中にいた子に、名前を聞いたところで返ってくるはずがないことはわかったいたが、フィルシーは尋ねた。
もし目の前の人狼が前の狼王の名前を言えば、それは魂の大部分が前の狼王で占められているからだ。
魔物としては間違っていないとはいえ、人間びいきのエルフにとっては、狩り半分で人を襲う前狼王は好きではなかった。
「……駄目だ。わかんねえ……っていうか、あんたが私をつくったんじゃないのか?」
そして、目の前の人狼はそうでないことにフィルシーは勝手な安堵を覚える。
どうやら前の狼王の知識は受け継いでも記憶は受け継がなかったようだ。
「……いえ、フィルシーは契約に従ったにすぎません……あなた様が生まれてきたのは、あの方の……あなた様の母君の願い……からです…………」
フィルシーにつられて人狼は、その視線の先にあるものを見る。
そこにはすでにこと切れた女性が、安らかな顔で眠っていた。
「私、人間……だったのか……」
「はい……」
さっき生まれたばかりの人狼は、現状すら把握できているか怪しいのに目の前の女性が自身の母親だと言われても実感はわかない。
ただ、それでも女性を見ていると、彼女の胸は言葉で言い表すのが難しい複雑な感情でざわついていた。
「……彼女を埋葬、いたしましょう」
「……いいのか? こいつ人間だろ?」
「はい……それでも……あなた様の母親です…………」
「そっか……ありがとうな……」
それから、フィルシーは人狼に女性の体を持たせると、移動を始めた。
二人は荒野の中を半日ほど歩くと、やがてウェラスト山につき、山の麓の月がよく見える土地に女性を埋めた。
移動もそして、遺体を埋める用の穴を掘るのも魔法を使えばすぐにすむのだが、フィルシーがそれをすることはなかった。
「あいつは、何で荒野で死んだんだろうな……」
暗い山道を下る途中、人狼はポツリと呟く。
移動中のフィルシーの説明と、半日以上時間が経ったおかげで、彼女の中にある知識も整理され、自身の現状と魔物、そして人間については、最低限の理解ができていた。
「それは……フィルシーのせいで、ございます……あなた様の前の狼王が、フィルシーとの契約を破ることをわかって……目を離していたいました…………」
「あー、そういうことじゃねえんだ……あいつ、どうして一人で荒野になんかいたのかなってさ」
「……」
「その、私を身籠っていたってことは、あいつには夫が……もしかすると、兄か姉だっていたのかもしれねえってことだろ? なのに、なんでこいつは一人、荒野で死ぬことになったんだろうってな……」
それはフィルシーにもわからない。
彼女が女性を発見したころには、すでに女性は四肢をもがれて虫の息であった。
前狼王なら知っているだろうが、今の狼王の意識が上書きしてしまった以上、彼女らが知る方法はなかった。
「……よし、決めた!」
「? 何を……でしょうか?」
「目標だよ。ただ生きるだけなのも味気ないしな。
人間だったころの私を見捨てた家族を一発殴る。それが私にとっての最初の目標だ」
カラッとしているようで、物騒な目標を掲げる人狼。
だがそれは、彼女のすでに成人している体に反して、記憶はほとんどないゆえに自身のアイデンティティを確立させようとするものだとフィルシーにはわかっていた。
「そういえば、お名前は……いかがいたしましょうか?」
「名前? 別になんでもいいよっていうか、あんたが決めてくれよ」
「そういうわけにもいきません。人間にとって名というのは、親から子に贈る最初の想い……あなた様にもきっと、それがあるはずです」
「? そんなこと言われても私は生まれてすらいなかったんだぜ? 名前なんてあるわけ……」
『……女の……ホ゛ル…………た゛ら……カ゛…………どう……ら?』
人狼の脳にある記憶が過ぎる。
それは、彼女がまだ人間であり、お腹の中にいたころに聞いた言葉であったが、フィルシーの言う通り、たしかに想いは残っていた。
「……ヴォルガー」
「?」
「私の名前だ……ヴォルガー。今そう決めた」
「! ふふっ……」
「な、なんだよ」
「いえ、はい……とても良き名だと思います…………」
「……そういえばさ、あんたの左手どうしたんだよ。包帯巻いているけど、普通に動かしているし、怪我しているってわけじゃないんだろ?」
「それは……秘密、でございます……」
*天歴991年 人間領 スペリア王国 ランディア村の外れ ワンダル(元)平原*
カドルたちに回復魔法をかけた後、フィルシーは今だ氷漬けのヴォルガーのところに戻っていた。
「ヴォルガー様………」
氷に触れ、冷たさを感じながら、その中で眠っているヴォルガーを見て、フィルシーは悩む。
状況は、カドルから聞いていたものの、たしかにヴォルガーの右手の甲にあった狼王の魔核はなくなっていた。
(どう……いたしましょう…………)
フィルシーにとっては、魔核がなくなったことは問題ではない。
一方で、生まれてから六年しか経っていないヴォルガーが魔狼族の代表として立ち振る舞えたのも狼王の魔核を持っていたという理由が大きく、それがなくなったとなれば、地の一派で内部分裂が起きる可能性がある。
(とかく……まずは氷を融かしてヴォルガー様を、解放することが第一……)
「万物を構成する粒子よ。熱と乾によって消失せよ。蛍火よ、水に滅びを与えよ、不火の熱膜」
フィルシーが触っている氷を熱の膜が覆うと、氷は融けていき、やがてヴォルガーの体は氷から出ることができた。
「ケホッ、ケホッ………」
「……お目覚めに、なられましたか…………?」
「フィルシー……!? ………そうか、悪いな……狼王の魔核、壊しちまったよ」
「はい……存じております……ヴォルガー様……再度、契約をしていただけますか…………?」
「? 何をだ?」
「これ以上、カドル様たちに手出しはしないこと……そして、今宵のことを皆に……メルシー様とリッチーにもご内密にすることを……で、ございます…………」
「!!」
「幸い、狼王の魔核がなくなったことは、誰にも知られておりません………今後のことは、お二人のところまで戻られたときにまた………」
「……いいのかよ。それってあんたが二人とした契約を破ることになるんだぜ」
フィルシーは他者と約束するとき、契約という形で口にする。
それは、嘘が嫌いな彼女が相手にも、そして自分にも、決められたことを守るという決意の表れとしてあえて強い言葉を用いたものだ。
しかし、それはあくまで形式的なものでしかなく、破ったところで何かしらのペナルティがあるというわけではない。
けれど、だからこそ、フィルシーは他人とした契約に対し、彼女自身は絶対に破らないようにする。
「はい……ですが、ヴォルガー様の命には……代えられません…………」
そして、そんな彼女がポリシーを曲げようとしている。
その行動は決して保身からではなく、狼王の魔核と共に力の大半を失ったヴォルガーを守るため。
だから、ヴォルガーも再度自身の覚悟を貫くことを決めた。
「フィルシー、悪かったな……私が勝手なことをして」
「いえ、そんなことは………」
「だから、これが最期のわがままだ」
「? 何を……」
フィルシーの返答を待たず、ヴォルガーは自分の胸に向かって腕を突き立てた。
「ぐっ……」
「! ヴォ、ヴォルガー様!? 万物を……!」
「もう、遅えよ……」
とっさに駆け寄り、回復魔法をかけようとフィルシーをヴォルガーは手で制す。
その手はすでに風化が始まっており、少しずつ風に還っていく。
「どうして……」
「……これで契約の通りだろ?」
「え?」
「私が命令を無視して暴れて、あんたはそれを粛正した。それで私が死に、狼王の魔核だけは無事だった。
何もおかしくねえ、契約の通りだ……なあに、肝心の魔核が私のだってことも、五年も一緒の体を相乗りしていた魔核だし、見抜けるやつはいねえよ」
「そういうことではございません……!」
「それに、これであんたが力を失った私のお守りをする必要がなくなるしな」
「……っ」
回復魔法は万能ではない。
人相手でも魔物相手でも、本人の生命力を活性化させることで回復させるという性質上、消えかけていく命を救うことはできない。
自分の無力さに下唇を噛みながらもフィルシーは、ヴォルガーの提案を受け入れることにした。
「最後に……一つお聞きしてもよろしいですか……?」
「なんだよ?」
「ヴォルガー様は、なぜあの方に……カドル様に、あれほどご執心なされたのですか…………?」
六年来の付き合いがあるフィルシーが、終ぞわからなかったこと。
それは、朝の時からヴォルガーがカドルに執着を見せていたこと。
短気なところはあれど、さっぱりとしたヴォルガーの性格を知っているからこそ、今回の件についてフィルシーは彼女の行動を予測することができなかった。
「……さあな。どうしてあのガキを狙ったのかは、自分でもわかんねえや……」
ヴォルガーの体の崩壊は進み、漏れ出る瘴気は空気へと溶けていく。
「……そろそろ私を殺さねえと、カルマが流れ過ぎて魔核から属性が抜けちまう……だから、頼む」
「ヴォルガー様……申し訳、ございません…………万物を構成する粒子よ……」
顔を下に向け、詠唱の準備をするとともに、フィルシーは自身の左手に巻いている包帯をゆっくりと外していく。
「!! 包帯の下、そんなことになっていたのかよ……そりゃあ、秘密にするわけだ」
空に浮かぶ月明かりの下で、白日の下に晒される彼女の左手を見て、ヴォルガーは自分の体が消えていっていることも忘れて驚き、一人納得していた。
「冷、湿、冷によって顕現せよ」
詠唱が進むにつれ、周囲の気温は徐々に下がっていき、フィルシーの左手に宿った青色の魔核は、その輝きを増していく。
「これが、私の最期か…………まあ、悪くはなかったよ……家族をぶん殴るっていう目標を達成できなかったのは、心残りだけどな」
「悲哀の氷よ。その爪をもって我が敵を裂け」
詠唱が最終段階に入る。
漂う冷気は一点に集中し、フィルシーの手には、氷で形成された剣が握られていた。
「……極氷の凍刃」
詠唱が終わり、自身の手にできた白い剣をフィルシーはヴォルガーの胸にめがけて突き刺す。
「痛っ……く、ねえ……?」
その剣の特徴は、斬りつけたところを凍り付かせること。
一瞬で凍るため、痛覚は痛みを伝えることすらできない。
「……そうか、気を使わせちまって悪いな……それと、ありがとう」
突き刺さったところから伝播していく冷気は、ヴォルガーの体内から凍らせていく。
「…………じゃあな、フィルシー」
切っ先が震えている氷の剣の主を安心させるように、ヴォルガーは優しい声色で別れを告げる。
「はい……ヴォルガー様……さようなら…………」
やがて全身が凍り、その場には一体の魔物と命だった生物の氷塊が残る。
氷の塊は、彫刻のようにも見えるほど、白く美しかった。
「……また、お会いする日まで…………」
氷の刃を引き抜くと、ヴォルガーの体が雪解けのように崩れ、地面には赤い魔核が、空気中には月の光を反射する氷の粒が漂う。
こうして、荒野となったその土地に夜の静寂が戻るのであった。




