狼王と奴隷人形
*天歴990年 人間領 スレイン王国 シャケル*
「だ、誰か……助けてくれ……!」
暗闇の中、一人の男が地を這って動いていた。
男は奴隷商人であり、身なりの良い服装をしていたのだが、今はその服は自身の血によって汚れている。
男の後ろからみすぼらしい姿をした少女が姿を現した。
「ひ、ひぃ!」
体格的には大人と子供、しかも少女のほうには、木製の手錠がかけらているはずなのに、男は明らかに少女に怯えていた。
だが、それもそのはず、男が怪我をし、血を流している原因をつくったのが紛れもないこの少女であり、たとえ万全の状態でも目の前の少女に勝てないと思い知らされたばっかりなのだから。
「エクル! モーグ!」
男は外に向かって叫ぶが、音は暗闇に響くだけで帰ってくることはなかった。
「見張りの二人を呼んでも無駄よ。二人とも今日はしこたま酒を飲んで、眠っているもの。
まあ、十年に一度の蒼月祭だし、雇い主としては大目に見てあげるべきなんじゃない?」
なぜ目の前の少女がそのことを知っているのかは男にはわからなかったが、一向に反応がない見張りの様子から少女の言っていることの信憑性が増していく。
「に、逃げるなら、見逃してやるから……頼む、見逃してくれ!!」
恥も外聞もなく、見逃す側が、見逃される側に懇願をする。
「それなら、この手枷を外す鍵の場所を教えてくれない?」
「……見逃してくれるのか?」
「あんたが嘘をつかないならね。あっ! 後、逃げた私を追うのも禁止ね」
「わ、わかった、その条件を飲もう……」
男はまだ神に見捨てられていなかったとニヤリと笑う。
「その枷の鍵だったな、それなら……」
「「裏手の納屋の壁にかけられているから、俺をそこに連れていけ」……って言うのよね?」
「!」
「んで、実際の鍵はあんたのその高そうな服の内ポケットにあると」
「な、な……」
少女に考えを当てられた男は、弁明の言葉も口に出なくなる。
「なんでわかるかって? 何度もやり直してきたから、あんたの手口なんて嫌ってほど知っているのよ……それよりあんた嘘ついたわね?」
「わ、悪かった、許してくれ! 出来心なんだ!!」
「別に謝ることじゃないわよ。あんたがそう言うってわかっていて聞いたことだし……」
「な、なら……!」
男がホッとした表情を浮かべる一方、これは通過儀礼だとクレアは自分に言い聞かせていた。
やり直しをするたび、目の前の男を排除しない限り、彼女に十五歳になるまで自由はない。
そして、十五歳からは勇者としての旅を行わないといけないため、彼女にとって本当に自由な時間は十歳から十五歳になるまでの五年間しかない。
「……あんた相手に許せることなんて何もないから」
(……大丈夫。私ならやれる……私ならできる)
だから迷わないように、手加減をしないように、彼女は今回もまた、自身の手を汚すことを心で決めた。
「一錬習得……奴隷人形」
「ようやくあんたに感じてた違和感の正体がわかったぜ」
「……」
自らの足で剣との鍔迫り合いを行いながら、ヴォルガーはクレアに向かって話しかけてくる。
鍔迫り合いでは、ヴォルガーが少しずつ押していた。
「……あんた、まともに戦う気がねえ……いや、戦いから逃げてるな?」
「……」
クレアは、あえて力を抜き、ヴォルガーが体勢を崩したところで剣を振りぬく。
「ほらな?」
「……」
しかし、それをヴォルガーは裏拳で止める。
手の甲には、赤い光が輝いていた。
「私は相手の強さが匂いでわかる。弱いやつには弱い匂いが、強いやつには強い匂いがする……強いやつが臭いって意味じゃねえよ? ただ、私はそういう強い弱いの雰囲気をかぎ分けられるんだよ」
「……」
ヴォルガーは、剣を止めたのとは反対の手の拳を握り、クレアに向かって振る。
クレアは、それをバックステップで避け、次の攻撃の準備をする。
対するヴォルガーもすでに反撃の準備はできていた。
「けど、これだけ近づいているのにあんたからの匂いは何もねえ。強いとか、弱いとかの話じゃなく、何も感じない……そりゃあそうだよな? あんたはずっと自分を隠して戦っているんだから!」
「……」
そこから先は一進一退の攻防だった。
斬って、避けて、距離をとって、力を受け流す。
受けて、殴って、距離をつめて、力を外される。
息をつく暇もなく行われる攻防は、踊っているような優美さを持っている一方、一撃一撃が地面や空気を震わすほど激しい。お互いに避け続けてはいるが、少しずつ傷は蓄積していった。
「……って、こっちだけしゃべらせてんじゃねえよ! さっきまでの減らず口はどうした!」
「……」
ヴォルガーの蹴りを受けたクレアは、その軽さゆえ、吹っ飛ばされるものの、しっかりと受け身をとり、即座に立ち上がる。
「それとも仮面をつけて、しゃべれない人形にでもなったつもりか?」
「……四界の物語」
「しゃべれるじゃねえか」
距離ができたことにより、クレアは空中に剣を掲げると、その刀身が白く発光する。
「何をする気かしらねえが、みすみすやらせると思うなよ!!」
光を止めるため、ヴォルガーがつっこむ。その判断は正しいが、それでも遅い。
この戦いを終わらせる物語はすでに始まっていた。
「起の章――翡翠の覚醒」
(! 剣の光が緑に!?)
刀身の色が変わったのを認識した瞬間、魔力によって結晶化された風の斬撃が空を切り、ヴォルガーの顔へと直撃する。
「っ……ふう。あぶねえ、あぶねえ……」
だが、ヴォルガーは風の斬撃を尖った犬歯が特徴的な口で噛むことで防いでいた。
「今度はこっちから行かせてもらうぜ! ……狼王の炎腕!!」
ヴォルガーは口で捕まえた風の斬撃を噛み砕き、クレアへと肉薄すると、炎を纏った腕でトゥリエに襲いかかる。
「承の章――青藍の静謐」
だが、顔付近に近づいたヴォルガーの腕は青に染まった剣によって流され、そのまま振り下ろされた切り払いは、ヴォルガーの足を斬る。
「ぐっ……!!」
「転の章――真紅の躍動」
そうしてできた一瞬の隙を見逃さず、赤に染まった刀身がヴォルガーの体を縦横無尽に切り裂き、ヴォルガーの体から氣が噴出する。
体を大きく負傷したヴォルガーは、体勢を崩し、大きな隙を見せた。
「結の章――黄金の君臨」
黄色の輝きを持つ剣が振り落とされ、巨大なクレーターとともに土煙が舞い上がるのであった。
「っ、……はあ、はあ」
クレーターの中心で、クレアは、肩で息をしていた。
いくら能力向上魔法をかけていたとはいえ、無尽蔵に強化できるわけでもなければ、反動がないわけでもない。
その息は荒く、倒れそうな体を、地面に突き立てた魔剣を支えにすることでなんとか保っていた。
「はあ、はあ、んっ……」
戦いは終わったと思ったクレアは、空気を求め、息苦しさの原因にもなっている仮面を外そうと手を伸ばす。
「クレア! まだだ! まだ終わっていない!」
だが、仮面を外す直前、カドルからの声が響き、それと同時に土煙の中からヴォルガーが現れる。
傷は深く、氣を多く噴出している状態ながらも彼女はたしかにそこに立っており、その瞳の闘志はまだ衰えていなかった。
「……だから、言っただろ。匂わねえって……」
「……っ!?」
クレアはすぐに立ち上がろうとするが、四界の物語を使った反動で、上手く力が入らない。
「あんたは強えよ。だけど、それだけだ……これがあんたの最後だ。せいぜい覚えておけよ……狼王の炎爪嵐槍、四指斬!!」
ヴォルガーの体内から溢れ出る炎が、鉤爪の形になって右腕に装着され、片膝をついているクレアめがけて振り落とされる。
「……魔核換装!」
その瞬間、カドルがクレアを庇う様に間に入ってみせた。
(まぐれでもなんでもいい! この攻撃を耐えられるように、俺の腕よ、変わってくれ!)
体をはっただけでは、ヴォルガーの攻撃を止められないとわかっていたカドルは、ヴォルガーの狼王の炎爪嵐槍の軌道上に自身の左腕を置き、それがさきほどのように魔物の腕に変化することを期待する。
しかし、
(……腕が変化、しない!?)
まるで先ほどのことが嘘であったのかのようにカドルの腕が変わることがなく、鋭い鈎爪が肌へと当たる。
カドルは徐々に腕に食い込んでくる火の熱さを味わい、その勢いは腕だけにとどまらず、自身の体も引き裂くことを直感的に悟った。
一方のクレアは、朦朧とした意識の中、カドルの後ろ姿を見たことで、在りし日の彼を、彼の知らない彼の最後を想起してしまった。
『クレア……お前は、死ぬなよ……』
「! ――幕後の章、百錬一撃!!」
炎の爪がカドルの腕の骨に達する直前、彼の後ろから飛んできた斬撃が彼に死を与えるヴォルガーの右手を弾く。
「……ぁぁああアアア!!」
そして、間髪入れずに腹の底から絞り出した最後の力は、叫びと共に放たれる。
斬り上げの剣閃は、ヴォルガーの右手の甲とぶつかり、その結果、魔剣の刀身は金属同士がぶつかったとき特有の高音を発生させた後、真っ二つに折れた。
しかし、
「マジ……かよ……!? 私の……魔核、が……」
そこにある赤い光の根源を、魔物の存在の源である魔核も相打ちで砕くのであった。




