決心と自信
*天歴990年 人間領 スペリア王国 ランディア村*
「トゥリエちゃん、ちょっといいかな?」
「スティーブさん? 今日はネーブ辺境伯のところに行くんじゃ?」
「ああ、それはちょっとキャンセルしたんだ……それより、カドルは見なかったかな?」
「ふぇっ!? か、カドルですか?」
「どうかしたのかい?」
「いえ、その……最近、わたし、カドルと話せてなくて……」
「そうか……わかった。ありがとう!」
「いえ……あ、あの! カドル……大丈夫ですよね?
その……最近のカドル、いつも帰りが遅くて、どっか行っちゃいそうで不安で……カイルさんみたいに急にいなくなっちゃうんじゃないかって……」
「……大丈夫! カドルはきっと帰ってくるよ。きっと蒼月祭で夜出歩く遊びを覚えてちょっと時間が見えていないだけさ。
約束するよ。今日は俺がちゃんとカドルを見つけて、明日、トゥリエちゃんに心配かけたことを謝るように言っておくから」
「……はい!」
*天歴991年 人間領 スペリア王国 ランディア村 昼*
お昼ご飯を食べたトゥリエは、一人自室にこもっていた。
数時間後には、カドルが青亀が立ち向かうために出発し、ついていくつもりのトゥリエも休むべきなのだが、とてもそんな気分にはなれなかった。
「……どうすれば良かったんだろう」
ベッドの上で膝を立てて座っている状態で思い返すのは、やはり朝の出来事。
まだ子供のトゥリエは、朝のやりとりの理屈や理由を全てわかったわけではない。
それでもあの場にいたヴォルガー、フィルシー、そしてカドルは、それぞれが自分の信念に従って行動していることはなんとなく理解していた。
それゆえにただ状況に振り回され、挙句の果てにはカドルを巻き込みかけた魔法を放った自分の行動に、トゥリエは自責の念を抱えていた。
そしてなにより、
「わたしは、どうして……っ!」
トゥリエの目からポタポタと零れる涙が、彼女の布団に染みを作り始めたとき、コンコンと部屋のドアをたたく音が聞こえた。
「トゥリエちゃん、お部屋に入ってもいいですか?」
「クレアちゃん? う、うん! 入ってきていいよ」
許可を出してから泣いていることに気づいたトゥリエは、心配をかけないように慌てて目元をこすった。
「失礼しますね……泣いていましたか?」
だが、入ってきてすぐにばれてしまう。
クレアは、トゥリエのいるベッドに腰かけてきた。
「理由を……聞いてもいいですか?」
「……クレアちゃんにはお話ししたことあるよね? カドルが約束したときのこと……」
トゥリエに促され、クレアは猪の厄災の日の翌々日のことを思い出す。
傷ついたカドルにトゥリエが回復魔法を成功させたことで彼女の才能を見抜いたクレアは、その翌日に彼女をスカウトしに行った。
もちろんそのときは、軽く様子を伺うだけのつもりだったのだが、クレアの想像以上にトゥリエは乗り気であったため、その理由を聞いていた。
「蒼月祭のときに兄さんが一方的にしたやつですよね? 『自分がいなくなっても笑顔でいてくれ』って感じの……」
それを聞いた時、トゥリエは素直にクサイ台詞だとは思ったが、それでもカドルなら言いそうではあると理解もしていた。
「うん、前も話したけど、そんな約束をした後にカドルがボロボロになってて……わたしビックリして……
スティーブさんのときも……スティーブさんがいなくなったときも、約束をした後だったから……」
トゥリエに約束をしたカドルとスティーブが猪の厄災によって傷ついたことで、彼女にとって彼らとの約束は、別れの挨拶に近いものになっていた。
「だから、一緒にいなきゃって思ったの。カドルがどっかにいかないように、いなくならないようにって……
そう思っていたのに……今日、実際にフィルシーさんとヴォルガーさんに会ったとき、わたしぜんぜん役に立てなくて……ううん、それよりも……!」
トゥリエは服の上から自身の胸のあたりをぎゅっと握る。
話しているうちにもやもやとしていた気持ちが出かけている反面、その手に感じる鼓動は強く振動していた。
「魔物だってわかっているのに、カドルを傷つけていたはずなのに……! わたし、フィルシーさんも、ヴォルガーさんも嫌いになれなくて……嫌いになりたくなくて……!」
なまじ相手と言葉が通じてしまったために、友好を持ってしまったために、その相手から敵意を向けられたり、逆に向けるということは心優しい少女にとって、大きな負担になっていた。
「わたし、どうすればいいのかな……?」
静かな部屋にトゥリエの震えた声がこだまする。
まだ幼い彼女は、信頼できる相手に自身の悩みの答えを委ねられずにはいられなかった。
(これは、私が来て正解ね。カドルじゃ絶対に日和ったことしか言わないだろうし)
トゥリエの様子からして、彼女が何らかの答えを欲していることは明らかで、クレアはその答えはいくつか浮かんでいた。
その中で一番合理的なのは、彼女の考えに沿い、かつクレア自身にとって都合のいいことを言うことだ。
そうすれば、トゥリエの悩みもなくなるし、今後旅をするときにもずっと楽になるだろう。
(けど、それじゃあ、奴隷ね……私は奴隷なんてほしくないのよ)
怯えるトゥリエの琥珀の目にクレアは自身の真紅の目を合わせる。
今はまだ眠っているけれど、たしかにその奥に宿っている可能性にクレアは賭けてみることにした。
「……どうするかは、トゥリエちゃんが決めることだと思います」
「! そう、だよね……ごめんね! 変なことを言っちゃって……わたし、ちゃんと自分で考えて決めるから……」
「いいえ、頭で考えて決めちゃいけません。トゥリエちゃんの心で決めてください」
「心で……?」
「はい……頭で考えて決めようとすると、どうしても正しいか、間違っているかが基準になってしまいます。
けど、何をするかを正しいかどうかで決めてはいけないんです。だって人生に正解なんてないから。
だから、トゥリエちゃんがどうするかは、何が大切なのかは、頭ではなく、心で決めてください」
トゥリエは自身の胸を再び掴み、クレアの言葉を反芻する。
先ほどまで強く感じていた振動は、ゆっくりになっていた。
「……クレアちゃんは……クレアちゃんの大切なものは、もう決まっているの?」
「はい。私にとって大切なものは、か……夢です」
「夢?」
「……トゥリエちゃんは、魔物が支配した世界ってどうなると思いますか?」
「ふぇっ? え、えっと……その……いつも空が曇ってて、地面や川が変な色をしてて、悪そうな魔物たちが「わっはっはっ」って言っている感じかな?」
魔物の世界と言われてトゥリエが空想するのは、おとぎ話にもなっている話。
五百年ほど昔、今の人間領のほとんどが魔物に支配されているときは、海は汚れ、地は荒れ、空が淀んでいるという光景だった。
「ふふっ、たしかにそうかもしれませんね。
……けど、私はこうも思うんです。もし魔物が世界を支配したとしても、大して変わらないじゃないかって。
魔物が支配した世界にも秩序があって、社会があって、そこで生きる者たちがいる……ただし、それは全部「魔物の」が頭につきますが……」
まるで魔物に支配された世界を見たことがあるかのように喋るクレア。
「簡単にいえば、現在の人間の魔物の立ち位置が変わるってことですね。
人も完全に滅びることはないでしょうけど、今まで築いてきた文明……今の私たちの生活はは全て捨てざるをえないでしょう。
魔物にとって人間は食料なんですから」
「……クレアちゃんがカドルと一緒に行くって決めたのは、皆が魔物に食べられないようにするため?」
「それもあります……だけど、私の一番の理由はもっとわがままですよ……私は今の、いや、今よりもっと楽しい生活をしたいんです。
例えば、美味しい料理が食べたいし、オシャレもしたいし、夜はぐっすり眠りたいし、それともっと友達と……トゥリエちゃんと一緒に笑いあえる日々を過ごしたい……ただ生きていることは嫌で、私は自分の人生を楽しみたいんです。たとえそのために、何を犠牲にしてでも……」
最後の言葉は、トゥリエが良く知っているクレアとは違った感じはあったが、それでも嘘は言っていないことはわかった。
「と、まあ、だいたいそんな夢が私にとって大切なことです。ね、とってもわがままですよね?」
「ううん、わたしも同じだよ。同じだけど……」
そう言って言葉が途絶えるトゥリエ。だが、それは良い兆候だとクレアは考えていた。
クレアの人生観に完全に同調しなかったのは、トゥリエには彼女の人生観があり、それが完全に重なることなどないからだ。
言葉の続きが出なかったのは、彼女自身の人生観がまだ定まっていないからであったが、それは今すぐ決められるようなものではない。
(これで、トゥリエちゃんのほうは大丈夫そうね。後は……)
クレアは座っていたベッドから立ち上がる。
日はまだ高いが、すでに下り始めていた。
「それじゃあ、私はそろそろ行きますね。お邪魔してすみませんでした」
「! ……いってらっしゃい」
どこかに行こうとするクレアにトゥリエは最初こそ、驚いたが、すぐに彼女は持ち前の柔らかい笑顔を見せて見送ることにした。
「……私が青亀から一人逃げるって考えないんですか?」
「クレアちゃんがそんな子じゃないってことぐらい、わたしにだってわかるよ……何か理由があるんでしょ?」
「……兄さんのことをお願いします。私は、兄さんが魔物を倒すまでに戻ってくるのは難しいと思いますから」
「うん! だからクレアちゃんも気をつけてね?」




