火狼と左手
「そうかよ……それなら」
「!」
ヴォルガーがやや残念そうに吐いた言葉が耳に届くと同時に、その意味を理解する前にカドルは左手で腹部をガードする態勢をとる。
直後、朝の時と同じ、腹部への拳の一撃がカドルに入るが、魔物と化した彼の左手は、見事にその攻撃を受け切った。
「へえ、今度はちゃんとガードできたんだな……けど」
しかし、当然それでヴォルガーの攻撃が終わるはずもなく、追撃が入る。
「火狼の掌底」
防いだはずのヴォルガーの手が爆発し、カドルの体を後方へと吹っ飛ばす。
吹き飛ばされたカドルの体は、慣性のまま進み、土壁に当たってようやく止まった。
(うぐっ……! わかってはいたけど、青亀のときとは比べものにならないか……けど)
カドルは体勢を立て直し、左手を見る。
爆発をもろに受けたはずの左手は、多少ダメージを受け、毛が焦げていたものの、問題なく動かすことができそうだった。
(これなら獅子爆盗で、自爆しても左手は残っていたかもしれないな)
「さすが私と同じの左手。火狼の掌底くらいは耐えられるか……まあ、それに頼らず反撃したのは良かったよ。あんたの足が後少し長ければ私に届いていたかもな」
ヴォルガーの銀色の髪の毛が数本ハラリと落ちる。
追撃に合わせて放った反撃の蹴りだったが、ヴォルガーの前髪をなでることが精いっぱいであり、これなら受け身に専念するべきだったとカドルは反省する。
「……だけど」
再度、ヴォルガーが肉薄してきた。
(! 何度も同じ手にやられてたまるかっ!)
近づいてきたヴォルガーに対して、カドルはカウンターを合わせる。
同じところに来た拳をカドルは今度は避け、自らの左の拳をヴォルガーに届かすことに成功する。
「なっ!?」
しかし、届いたはずの一撃をくらっても、ヴォルガーは身じろぎ一つもしなかった。
「部分的な魔物化じゃ、いくら届いたところで私をどうにかできねえよ」
カドルは首を捕まれ、後ろの土壁に叩きつけられる。
ヴォルガーに殺す気はないため、気道は確保できているものの、手と壁に挟まれて逃れることもできない。
「……これで実力差はわかっただろ。その力の一部分しか持っていないのだがあんたで、全部を持っているのが私だ。
万が一でも勝ち目がないことくらいわかっているはずだろ? 今なら返事を変えたって……」
だが、言葉で説得しようとしてくるヴォルガーに、カドルは自身の考えが間違い出ないことを予感させる。
「っ、答えは変えない。諦めてくれ……!」
「……トゥリエって子がどうなってもいいのかよ? あんたにとって大事な人なんだろ?」
(ぐっ、やっぱり、こいつは……)
カドルは徐々に首をしめる力が強く感じたが、それが無意識で行われているであろうことが、ヴォルガーの動揺を表していた。
「ああ、そうだよ……けど、お前はトゥリエに手は出さない……いや、出せない」
「! 何を根拠に……」
「朝は、お前は俺のことは見逃さないって言った……けど、トゥリエについては別のはずだ。
トゥリエの処遇については、フィルシーにあって、ヴォルガーにはないはずだろ?」
今回、青亀との戦いをヴォルガーに監視されることは、予想できていた。それでもカドルがトゥリエをこの場に連れて来たのはあのときの二人の会話から、二つわかったことがあったから。
一つは、フィルシーという魔物は好き好んで人を傷つけるような性格ではないこと。
そしてもう一つが、そのフィルシーとの契約をヴォルガーという魔物は軽々しく無視するような性格ではないということ。
そして、朝でのやりとりは、ヴォルガーはカドルに対する扱いの権利を主張したが、トゥリエについては直接ではないものの、それを放棄している。
「……へっ、なかなか鋭いじゃねえか」
もちろん、あの時だけではいまいち確信は持てなかったが、今苦虫を嚙み潰したような顔をするヴォルガーの様子を見るにカドルの考えは間違っていなかったようだ。
「トゥリエ……、逃げろ!」
土壁まで飛ばされたことにより、地下へ通じる通気穴が近くにあることを確認したカドルは、トゥリエに撤退の指示を出す。
たとえ援護があろうが、ヴォルガーを倒すことはできないことはわかりきっており、さらにトゥリエ自身は逃げても追撃は来ないと確信できたため、安全の確保がカドルの最優先事項であった。
「たしかにお前の言う通り、トゥリエをどうすかはフィルシーが決めることだ。
それであいつが朝、見逃すって言った以上、私はもうあの子を狙うつもりはねえよ……けど、お前は別だ」
だが、それはトゥリエの安全であって、カドル自身の安全ではない。
「私もここに来ることがけっこう無茶だったからな。手土産くらいは持って帰らねえといけねえんだよ」
ヴォルガーは首を掴んでいる手に、今度は意識的に力を強める。
「ぐっ、がっ……」
「安心しろ、気絶したら緩めてやるよ」
(このまま、気を失うわけには……)
脳に送られる空気が遮断され、どんどん薄れゆく意識の中、カドルは魔物化した左手で首の拘束を解こうと掴んでいるヴォルガーの手を掴む。
しかし、
「……? おい!」
「っ……?」
「いったい……どういうことだよ?」
なぜか驚いているヴォルガーの理由がわからないカドルだったが、その視線が自分の手に向けられていることに気づき、そこを見る。
(なっ!?)
そこには、人間の手に戻った自身の左手があった。
「なんでお前の手が、戻ってやがる」
訝しげに聞くヴォルガーだったが、当然カドルも自分の手が戻っている理由なんてわからない。
ただ、これでヴォルガーへの唯一の対抗手段がなくなり、焦るカドルであったが、
「! ちっ!」
「!? かっ、はっ……」
再度、何かに気づいたヴォルガーが自ら離れ、結果的に首の拘束が解ける。
(どうして、急に……?)
困惑するカドルだったが、その呼吸が整う前に自身の周囲に漂う黒い瘴気に気づく。
(これは、瘴気!? いったい、どこから……)
すぐに発生源を特定して離れようとするが、カルマはカドルを囲うように、いや、カドルを中心に発生していると気づいたころには遅く、中心にいるカドルを蝕んでいく。
「がああああああ! うぉぇっ……」
脈を打つような頭痛に加え、せり上げてくる吐き気に襲われ、カドルはその場にうずくまるしかなくなる。
そのときに左手から、砕けた魔核の欠片がパラパラと落ちるが、今のカドルにはそれに意識を割けるほどの余裕はなかった。
「おい、ガキ。なんでお前から緑血魚の匂いがしやがる?」
ヴォルガーがいったん離れた理由もどうやらカドルから急に噴出されたカルマが原因だったようだが、その正体がわかると、近づいてくる。
「ぐっ、うっ、おぇ……」
しかし、カドルはそれに対応できず、浅い呼吸を繰り返し、なんとか意識を保つことで精いっぱいだった。
「答えられねえか……まあいい。一部だけでも魔物化したんだ……一度で足りねえなら、もう一度やってやる、群狼の火爪!」
うずくまるカドルに対し、ヴォルガーはスキルを発動し、指から炎を射出する。
炎は、動くことができないカドルの背中に一直線に飛んで行き、彼の背中に再び魔物化のための魔印をつける……はすだった。
「万物を構成する粒子よ。冷と乾によって顕現せよ。土塊よ、敵を縛れ。中土の捕縄」
「なっ!?」
炎が当たる直前、土の鎖がカドルに伸び、その体を後方へと引っ張る。
その結果、目標を失った炎の後は、カドルがいたところの草を燃やし、地面の色を露出させた。
「! お前は……」
ヴォルガーが鎖によって引っ張られた先を見ると、一人の少女が立っていた。
「うぅっ、ぐっ……」
「カドル、指示を守れなくてごめんね……けど、ここは任せて。今度は私が守る番だから……!」
「えっ、あっ……ト、トゥリエ……?」
見慣れた声にカドルが顔を上げる。
そこには、見知った優しい笑顔のトゥリエが立っていた。




