魔物化と兄妹
「はあはあ……っ、嘘、だろ……っ!」
突然の自身の体の変化に驚いたのはカドル本人も困惑していた。
灼けるような熱を持った左手は、全く見覚えがないものに変貌していたものの、ピクリと動く指の感覚が、それが間違いでないことを教える。
(どうしてだ!? なんで? どうする? これは魔物化か? どうすればいい? 一日も経ってないはずなのに? どう対処するのが正解だ? 青亀を倒せたのか? トゥリエにはどう説明する?)
人の形を外れた自らの手に、現状の把握と、次の行動の決定ができず、カドルはその場で立ち尽くしながら考えるしかなくなる。
「……カドル、何かあったの?」
そんなカドルをトゥリエの不安げな声色が現実に引き戻した。
(しまった! 地下への穴はここにもあったんだった……)
トゥリエへの指示を送るための穴は、通気口の役割もあるので、一つの穴が塞がれてもいいように、事前に複数の穴を作ってもらうように指示を出していたのはカドル本人だったのだが、それが裏目に出た。
浅い呼吸と動揺の声色がトゥリエに届いてしまい、彼女から心配の声が聞こえてきた。
(! 何をやっているんだ、俺は!!)
カドルは、まだ変化していない右手にあるミサンガを見つめると覚悟を決めた。
「……いや、なんでもない。こっちは大丈夫だ」
「……青亀って、もう倒せた?」
ようやく、落ち着きを取り戻したカドルは、青亀に目を向ける。
彼自身、倒した手ごたえはあり、実際に見てみると、魔核を砕かれた青亀の体のほとんどが消えかかっていた。
「バカ、ナ……海時王に、ナルハズの……我がコンナ……トコロで…………」
そして最後の断末魔が静かに呟やかれ、青亀の体は風へと還る。
青亀の瘴気が完全に消え去り、安全を確認したカドルはおもむろに口を開く。
「まだ、倒せていない。けど、止めをさすだけだから、もうちょっとだけそこで待っていてくれ」
トゥリエにそれだけを言い残すと、カドルは移動を開始した。
(痛たたた……やっぱり、いくら戦っても痛みはなれないな……)
雲のせいで月明かりがところどころになっている草原をカドルはゆっくりと歩く。
青亀から受けた攻撃こそほとんどなかったが、自分で犠牲にした右手と能力向上魔法によって無茶を強いた体が今になって悲鳴をあげていた。
けれど、それを嬉しさの代償といえるほどにカドルの胸は達成感と満足感で満ちている。
(青亀の戦いについては、うまくやれたほうだよな……トゥリエも傷つかずにすんだし、村もちゃんと守れた……後は……)
カドルが向かったのは先ほど、緑血魚を快盗乱麻で倒したところ、そして、緑血魚の残骸である魔核が残っているところである。
(俺自身のけじめをつければ、それで終わりだ)
カドルが足を進めると、草原にある緑血魚を倒したところにある真白い菱形の魔核が目に入る。
緑血魚自体は風属性を持っているが、まだ生まれて日も浅く、カルマも十分にとっていない魔物の魔核は、無属性である白色なのが一般的であり、それゆえに属性持ちの魔核の価値は高い。
(無属性とはいえ、本来は倒した直後の魔核はカルマが抜けていなくて不安定だから危ないけど……まあ、さっきも青亀の止めに使ったし、今さら気にする必要なんてないよな)
カドルが行おうとしているのは、獅子爆盗による後始末。
魔印を受けてまだ一日も経っていないが、一部分でも魔物化が始まった以上、人間に戻る術はないとカドルは考えていた。
(トゥリエ、ごめん……クレア、ごめん……)
魔物化による自殺だと知られてしまえば、トゥリエは瘴気解呪が使えなかったことを悔やむだろうし、クレアも表にこそ出さないだろが、責任を感じるだろう。
だからこそ、自爆死を選ぶことにより、青亀と相打ちをしたかもしれないという可能性を残す必要があった。
(けど、ちゃんと魔物化した部分は残さないようにするから……)
やがて目的の場所につき、魔核に手を伸ばした……その時、
「……驚いた。まさか、そんなに早く魔物化するとはな」
女性のやや低い声が、カドルの動きを止める。
「よお、ガキ。さっきぶりだな。なかなか元気そうじゃねえか」
声のした方に視線を向けると、そこにはカドルに魔印を植え付けた張本人である銀髪を毛と耳を逆立てた人狼・ヴォルガーがいつの間にか数メートル先に立っていた。
「……おかげさまで。どうしてここに?」
「そりゃあ決まっているだろ。お前を迎えに来たんだよ。ようこそ、魔物の世界へ」
朝とは違い、やや上機嫌な口調で話すヴォルガー。
それは、夜行性の彼女にとって今のほうが普段の活動時間であることもそうだが、フィルシーへの手土産が一つ増えたことも理由の一つだ。
彼女自身、青亀のほうが勝つと思っていたし、万が一カドルが勝つにしてもその後、魔物化するまでにもっと時間がかかると思っていた。そのため、今こうしてカドルの魔物化が始まっていることは、ヴォルガーにとっても嬉しい誤算だった。
「まあ、いろいろあったけどよ、これからは同じ魔物なんだし、仲良くしようぜ。
しかも私とあんたは珍しく同族の魔物になったわけだし、姉弟といっても……いや、私は六年前に生まれたばかりで、あんたはさすがにそれより年上だろうから兄妹か?」
カドルの左手に生えた銀色の毛を見て、同じ色の毛を持つヴォルガーは同族になると推測する。
一方のカドルは、目の前にいる人狼は、人間の見た目的に二十歳以上に見えるため、実はまだ六歳であることに驚いてくが、魔物は人間と違って見た目の年齢と実際の年齢が異なることはよくあることなので、納得した。
「断る、と言ったら?」
「……あんまりおすすめはしねえな。私はあんたを殺さないといけなくなるし、土の中に隠れているガキ、トゥリエって言ったっけ? そいつもどうなるかわからねえし」
頭を掻きながら、気乗りしない風ではあったが、先ほどの口調から一変、ヴォルガーの声のトーンは落ち、あえてわかりやすい殺気を飛ばしてくる。
カドルにとってヴォルガーからの提案を受け入れる理由はいくらでもあった。
彼自身、死にたくはないという気持ちは持っているし、魔物になって人間の社会で暮らしていけるとは思っていない。なにより、ヴォルガーに下る代わりに、今この場のトゥリエの安全を保障させる取引ということにも考えは巡っていた。
けれど、カドルの心は最初からすでに決まっている。
「誘ってくれて、ありがとう……悪いけど、断るよ。
俺にとっての兄妹は、俺の妹はすでに埋まっているんだ……口も性格も悪い、大切な仲間が、さ」




