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湯舟と魔法書

 ウェラスト山での特訓を始めて半年が経った。

 緑が生い茂っていた山もすっかり黄色に色づき始め、着る服も変わるころ。

 その日の特訓も終わり、クレアとトゥリエは湯船に浸かって疲れを流していた。


「ん~、気持ちいいですね~」(あ゛~、生き返るわぁ~)


「うん、気持ちいいね~」


 お湯につかり、リラックスをしながらクレアはカドルとトゥリエの半年間の成果を振り返る。


(魔力量の多さは予想していたけど、魔力コントロールがここまで伸びるとはね。単純比較はできないけど、才能だけなら今まで会った神職の中でもトップクラス。あー、どうして今まで見逃していたのかしら)


 クレアが素直に惜しむほどトゥリエの評価は高い。

 それは戦闘面はもちろんだが、精神的な成長も含む。

 最初の頃は、入浴しているときも常に周りを気にしていて、かえって疲れをためていたが、今では短く結われた亜麻色の髪の下にある顔は幸せそうに口角が下がっている。


(後は魔物にちゃんと魔法で攻撃できるかどうかだけど……これは、今考えても仕方ないわよね。

 ひとまず、トゥリエちゃんの目下の目標としては……)


「ねえ、トゥリエちゃん。この村に魔法書ってありませんか?」


 クレアは水を両手で掬い、水面にこぼすという動作を繰り返しながらそれとなく尋ねる。

 魔法書とは、一冊が各属性と等級(クラス)の組み合わせでまとめられた本であり、その価値は魔法を使える人は人口の二十%に届かないにも関わらず、一冊で一般の村人の年収一年分に相当するほど高い。


「魔法書? ……ううん、ごめん。聞いたことないや」


「いえ、謝らないでください」


「魔法書が欲しいの?」


「欲しいかって聞かれると……そうですね、欲しいです。私自身、もっと強くなりたいのもそうですけど、トゥリエちゃんなら魔法書があれば私が教えるよりももっと魔法が上手に使えるようになると思いますし……私、教え方が下手ですよね?」


「そ、そんなことないよ? ……教え方がちょっと独特だなぁとは思うけど……」


 熱気による汗か冷や汗かわからない汗を水面に落としながらトゥリエはフォローを入れる。

 だが、クレア自身が教える下手さを自覚している。


 クレアのスキルである一錬習得(ワン・フォー・オール)がどんな技や魔法でも発動する方法さえ分り、肉体的・魔力量的に条件を満たしていれば必ず成功させてしまうという特性を持っている。

 それ自体は本人にとってどんな困難な技・魔法であっても労することなく習得できるという素晴らしいものだが、それは反対に他人が技を習得することの苦労がわからないことも意味している。クレアにとっては練習をしてできるようになるということは、物を掴むときに指を一本一本を意識して曲げることと同じくらいまどろっこしく思えるのだ。


 それゆえにクレアにとって技術があることは教えることができても技術のコツを誰かに教えるということは苦手であった。

 それでも難易度の低い初級(ノービス)の魔法は実演を見せるという形で教えられたが、中級(キ・クラス)以上の魔法の習得と魔法陣の使い方を習得してもらうためには魔法書があったほうが変な癖がつくこともないと判断していた。


「あっ! そ、そういえば、ネーブ辺境伯のところには魔法書があるって聞いたことあるよ!」


「そうなんですか? 教えてくれてありがとうございます」(貴族か……やっぱり、そうなるわよね)


 貴族の屋敷に行けば魔法書があるだろうと予想していたクレアだったが、できればその選択肢を取りたくないのが本音だ。

 それは魔法書が貴族の管理しているところにあるため、そう簡単に閲覧できず、それでも無理を通そうとすると足が出た場合に現在はただの村人でしかないクレアたちでは容易に叩き潰されることは想像に難くない。

 しかし、多少のリスクを冒しても魔法書を求める目的は、トゥリエの魔法能力を強化する以外にもある。


カドル(あいつ)のほうが問題なければトゥリエちゃんの成長を気にせずにすむんだけど……)


 クレアの悩みの種であるカドルの実力について思考を巡らせる。

 力は確実についているし、本人も真面目に取り組んでいるものの、現状の成長スピードだと魔王を倒すまでには到底及ばない。


(私の全盛期まではいらないとしても、その二分の一(魔王と同格)程度、いや、せめて四分の一の実力がないと勝負にすらならないのよね)


 カドルが今のまま順調に成長したところで、最終的な実力では、その四分の一でさえ届かないというのが今のクレアの見立てだった。

 もちろん、カドルの強さが単純な戦闘能力だけではないことはわかっていたが、魔法が使えないことを考えるとはそこまで期待できるものではない。

 やり直しのたびに魔王と戦い、倒してきたクレアだからこそ力の差の残酷さはわかっていた。


(うてる手としては、能力向上魔法(バフ)カドル(あいつ)の実力に下駄をはかすしかないけど、生半可なものじゃ焼け石に水だし……エルフの里に行ってみるしかないわね)


 魔法について人間以上に知恵を持ち、この世で唯一神託文字を解読できる種族であるエルフを頼ることにクレアは決める。

 ただエルフの里は魔物領の中にあり、かつ現在は人間との交流を経っていた。エルフは知性が高く、好戦的ではないが、人間と敵対していることは間違いため、そう簡単ではないことは予測ができていた。


(エルフの里に行ったときに上級(メ・クラス)いや、超級(ギ・クラス)の魔法を習得できるようになるまでトゥリエちゃんの実力をあげることを考えると、やっぱり魔法書は必須。とするなら、ネーブ辺境伯の懐に飛び込むしかないわね……っ、長く入りすぎたわね)


 考えを巡らせていたクレアの頭に一瞬もやがかかる。どうやら長湯をしすぎたようだ。


「私はそろそろあがるけど、トゥリエちゃんは大丈夫?」


「だ、だいろうぶだよ~」


 ろれつの回っていないトゥリエを見ると、すでに顔が真っ赤になっており、クレアはぎょっとする。


「ちょ、ちょっと! 全然大丈夫じゃないじゃない!」


「ら、らいようぶ。さっきまであつかったれど、いまはろうでもないし……」


「そういうのを大丈夫じゃないって言うのよ!!」


 すっかりお風呂にのぼせてしまったトゥリエを介抱しながら、クレアは呆れたようにため息をつくのであった。

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