特訓と齟齬
空に月が昇り始めたころ、夕暮れの山に二つの影があった。
一つの影は少女のもので、動きや向きの変更はあるものの、あまり位置が変わらないように踏ん張っている。逆にもう一つの影は少年のもので、相対する影と何度も位置を変えながらもその向きは常にもう一つの影の正体であるトゥリエに向かっていた。
「怪盗乱麻!」
カドルはすでに発動している水属性の魔法に向かって短剣を振り下ろす。
その一撃はもう一つの影の正体であるトゥリエには届かなかったものの、二人を隔てる水の壁はその形を破壊され、飛び散った水は地面へと吸収されていく。
「っ、万物を構成する粒子よ、冷と乾によって顕現せよ。土よ……」
自身を守る壁がなくなったトゥリエは、次の魔法の詠唱に入るが、それが終わる前にカドルの短剣の刃が喉元に当たる。刃は落とされているため、金属特有の冷たい感触はあるものの、肌が傷つくことはない。
「……今日はここまでですね。トゥリエちゃん、兄さん、お疲れ様でした」
木々の陰からクレアが姿を現す。
今日はカドルとトゥリエの特訓として手合わせを行う日だった。
手合わせをわざわざ夕暮れの山で行っているのは、カドルは基本的に朝から夕方まで畑仕事をしているのと、トゥリエが魔法を使えることを他の村の人に知られないためである。
ちなみに手合わせの日はトゥリエがカドルの家に泊まりに来る日のため、多少遅くなっても問題はない。
「わずか二ヶ月でちゃんと魔法を使えるようになるなんて、トゥリエちゃん、凄いです!」
クレアはどうやらトゥリエの前でも猫をかぶり続けるようで、三人だけのこの場でも設定通りの振る舞いを徹底していた。
カドルとしては、クレアが本来の振る舞いをしたとしてもトゥリエは周りに言いふらすような子ではないし、何より一緒に旅をすることになるんだから隠さなくてもいいのではないかと言ったのだが、クレアの意志は変わらなかった。
「そ、そんなことないよ。水の薄膜は下級の魔法だし、実際に破られちゃって負けちゃったし」
「それは兄さんのほうがちょっとだけ力が強かっただけですよ。ね? カドル兄さん?」(ちょっと、何トゥリエちゃんの自信を削ぐような真似をしているのよ!)
「……ああ。そうだな」(本気でやるっていうのがルールだし、長引かせてもお前は時間をかけすぎって文句言うだろ)
「そうそう、兄さんもいつも通りカッコ良かったですよ」(当然でしょ! 前回の経験の分、今はあんたのほうが強いのは当たり前なんだから、いつもいつも同じ戦い方せずに少しは頭を使って戦いなさい)
「あ、ありがとう」(ぐっ、わ、わかったよ)
数ヶ月一緒に暮らしていた甲斐もあり、表と裏の両方を使って会話することにすっかり慣れてしまったカドルとクレア。
ただまあ、この会話をするときはたいてい精神が削られることになるのだから、カドルにとってプラスであるかは微妙である。
「わ、わたしも! カドルのことカッコいいって思っているよ!」
「あ、ああ……」
一方でそんな二人の関係を攻防を知らないトゥリエは素直に好意をぶつけてくれるため、嬉しくもあるが、その純粋さをだましていることに罪悪感をカドルはたびたび感じている。
「わあ。トゥリエさんと兄さんは仲が良いんですね」(デレデレするんじゃないわよ。このロリコン)
「まあ、幼馴染だしな」(デレデレした覚えはない)
「えへへ、そうかな?」
トゥリエの屈託のない笑顔をカドルは直視することができない。
それは罪悪感だけではなく、やり直す前の記憶でトゥリエと一緒に過ごした記憶がない理由がわかっていないから。
カドルが前回と今回の記憶の齟齬に気づいたあの後、改めて自身の記憶をたどったのだがやはり結論は変わっていない。
今のカドルがわかっているのは、今回の記憶と前回の記憶に対してトゥリエに関するものだけが、異なっているということ。
前回では、蒼月祭は一人で回った記憶はあるが、そこにトゥリエはいなかった。いや、もっといえば、カドルの隣にトロンやマーリン、そしてトゥリエという人物は存在していなかったのだ。
もしクレアの言った通り、やり直しをしても基本的には世界は前回のなぞるというのならこの違いは明らかにおかしい。
そのため、クレアにも相談を持ちかけたものの、逆にクレアのほうは十歳以前の記憶で齟齬が起きたことはなかったと返され、逆にすごい訝しがられた。
『やり直す前のトゥリエちゃんたちを忘れただけじゃないの?』
『忘れられるかよ。前から、今も、すごくお世話になっている人たちなのに』
『……だからかもしれないわね』
『?』
『お世話になった人だから、前回の猪の厄災で失ったことのショックが大きくて、自己防衛的に記憶を忘れたってことよ』
『ま、まさか……親父とお袋が死んだときのことは覚えているんだし……』
『さすがに両親のことを忘れていたら記憶の整合なんてとれないわよ。
けど、隣に住んでいる人なら話は別でしょ。特に村が壊滅するまで破壊されたという状態なら、それに隠れて忘れられたこともあっておかしくないわ』
『……そんなはずは』
『どう捉えるはあんた次第よ。私が言ったのも所詮予想でしかないし。
もしかすると、単純に時間逆行の魔法の副作用で記憶がなくなったって可能性もあるし』
『そんなことがあるのか? 俺はトゥリエのことを忘れて……』
『真相がどうであれ、その答えが時間逆行前にしかない以上、確かめる術はないんだから、あんまり思いつめないことね』
結局相談したときも解決はできず、かといって現状のカドルでは考えたところでクレアの言う通り事実を確認のしようがないため、カドルの記憶の齟齬については一旦保留という結論になった。
「カドル?」
記憶を思い起こし、物思いにふけっていたカドルを心配してトゥリエが声をかける。
「……ん? あ、ああ、どうかしたか?」
「また、何か難しい顔をしているよ」
「そ、そうだったか?」
「うん……わたしにはカドルが何を考えているのかわからないし、解決もできないかもしれないけど、もう勝手にどっか行っちゃったら嫌だよ……?」
震えているトゥリエの声に、カドルは大切なことに気づかされる。
それは自身を気づかい心配してくれる大事な幼馴染とその家族が与えてくれた無償の優しさ。
それがこの世界でどれほど温かいものかは、やり直した後のカドルだからこそひしひしと感じる。
(事実が何であるにしろ、今のトゥリエは確かにここにいる。だったら今度こそちゃんと守らなきゃな……)
カドルは吹っ切ることに決めた。
真実が何であれ、目の前の少女に笑っていてほしいという気持ちだけは真実なのだから。
「うん、約束するよ……もう二度と勝手にトゥリエの前からいなくならないから。ずっとトゥリエのこと守るから。これからよろしくな」
「ふぇっ、ず、ずっと!? う、うん……よろしくお願いいたします……?」
だが、そんな本人の心の移り変わりは当然他者にはわからず、突然真剣な表情で告白まがいのことをするカドルをやっぱりロリコンではないかとわりと本気で心配するクレアであった。




