勝者と英雄
カドルと茶猪王がぶつかった後、立っていたのは茶猪王のほうだった。
最後の攻撃で力を使い果たしたカドルは地面にうつ伏せに倒れ、立ち上がる余力も残っていない。
月明りが勝者と敗者を照らしていた。
「い、いったいなんだったんだ。あのガキは……」
カドルと茶猪そして茶猪王の戦いを森の中で眺めていた緑蝙蝠は戦慄とともに言葉を漏らす。
当初の目論見としては、ただの憂さ晴らしのつもりで始めたハンティングがまさかの茶猪の三分の二を失う結果になったのでそれも当然といえるだろう。
茶猪の行動を制御することが緑蝙蝠が上司である吸血鬼、リッチーからの命令であるため、さすがにこれ以上数を減らすわけにはいかないと考えた緑蝙蝠は、カドルから引き離すために残りの茶猪たちは先に下山させていた。
(できれば茶猪王は使いたくなかったが、これでもう大丈夫だろ)
いくら事情をリッチーに聞かされていなくてもその特異性から茶猪王が自身に与えられた任務の中で最重要となる魔物であるとは推測していたため、茶猪王を失う可能性があることには巻き込みたくなかった。
だが、次々と倒されていく茶猪たちを前に、断腸の思いで茶猪王を投入した甲斐もあってようやく憂いがなくなったと安堵している緑蝙蝠に信じられない音が聞こえる。
「ゲホッ……はぁ、はぁ」
「! まだあのガキ生きてんのかよ……」
地に伏したカドルから聞こえる小さな呼吸音に緑蝙蝠は驚愕する。
その音は虫の息と呼べるほどか細いものだが、緑蝙蝠がカドルに最も恐怖していたのは力でもなければ知恵でもない、魔物に対して燃やす狂気ともいえるその執念。
たとえどんなに追い詰められようと、ボロボロになろうと、カドルは決して諦める様子がなかった。
「何をやっている! 早く、そのガキを殺せ!!」
それは元から断たない限り、安心はできないと判断した緑蝙蝠は動かない茶猪王へと命令を下す。
「ブモォ……」
しかし、茶猪王は、短く鳴くとその巨体が揺れはじめ、最終的には地面へと横倒しになった。
倒れた瞬間、茶猪王の額にあった魔核は割れ、やがて茶猪王の体が風化し、吹き出す瘴気が動くこともできないカドルを包む。
「嘘、だろ……」
相打ちだったという結果に呆然とする緑蝙蝠。
カドルを覆う瘴気は、月の光を遮断するほど黒く、それだけで蝕む相手の精神を絶命まで追い込むには十分な闇を持っていたが、それを待てるほど今の緑蝙蝠は冷静ではない。
「このクソガキがー! よくも俺様の計画の邪魔をしやがってー!!」
月光の下へと飛び出した緑蝙蝠は激情に突き動かされるままに瘴気の中へと飛翔する。
だが、その直前に暗闇の中から少女の声が響く。
「万物を構成する粒子よ。熱と乾によって顕現せよ。火よ。我の敵を討て……火の灯玉」
「へ? ギャアアア!!」
雑木林の中から現れた火球は緑蝙蝠に衝突し、その身を焼く。
その火力は弱く、時間も五秒程度しかもたなかったが、体が小さく戦闘能力もない緑蝙蝠相手ではそれで十分であり、炎が消えると後に残ったのは二つの魔核だった。
「ふう……これで殲滅完了、ではないわよね」
暗い森の中、姿を現したのは、さきほど放たれた炎の魔法より紅い髪を持っている人物、クレアが姿を現す。
「まさかこんなところで地重王の魔核を持った魔物を見ることになるとはね……さて、どうしたものかしら」
地面に倒れたまま身動き一つもしないカドルを眺めながらクレアは、次にとるべき行動を考えるのであった。
「んん……」
「……ようやく気がついた?」
外の太陽が照り付ける中、目を覚ましたカドルの目に最初に飛び込んだのは見知った天井とこちらを覗き込むクレアの顔だった。
「目覚めたんならさっさと起きなさいよね」
「えっ? あ、ああ……うん」
体を起こすと見慣れたベッドと採光を取り入れるための木窓が見える。
カドルは自分の部屋で寝ていたんだということに認識した。
(どうしてクレアがここに? いや、俺はこんなところに……?)
最初は意識が混濁していたカドルであったが、冷静になるについて記憶も徐々に戻ってくる。
「はっ! 茶猪王は!?」
「あんたが倒したんでしょ……って、あの状況じゃ覚えてないか。簡潔に言うと、あんたが勝ったのよ。まあほぼ相打ちだけどね。
んで、茶猪王が出てきたら風蝙蝠が出てきたの。茶猪と風蝙蝠の魔核を持っていたから、おそらくこいつが今回の黒幕ね。
それで『偶然』通りかかった私が風蝙蝠に襲われそうだったあんたを助けて、家まで運んであげたってわけ。どう? 状況はわかった?」
そんな偶然はないだろうとはわかっていたが、クレアのこれ以上は聞くなという意図を理解したカドルは追及を避ける。
「……そっか。俺、やれたんだな」
カドルは勝利の余韻をかみしめるように右手を握る。
右手に結びつけていた短剣はすでに外されていたが、ミサンガは右手で握りっぱなしだったらしい。
昨日もらったばかりのミサンガはすでに落ちないであろうカドル自身の血が付着していたが、それは汚れではなく勲章だ。
(力を貸してくれてありがとう)
だが、達成感に浸れたのもつかの間、もう一つの疑問が脳裏をよぎる。
「……残りの茶猪は?」
逃してしまった残り三体の茶猪を思い出す。
風蝙蝠も茶猪王も失い、戦力としてはほとんど残っていなかったものの、相手が魔物である以上、安心なんてできるはずもない。
(俺の家が無事ってことは、村自体が滅んだのは回避できたんだよな? だったら……)
日が高く昇っている以上、すでに出てしまったであろう結果について、カドルは楽観的に考える、いや、もしかすると願っていたのかもしれない。
しかし、クレアの表情が一瞬険しくなり、カドルの脈拍数は一気に跳ね上げた。
「お、おい……」
「か、カドル!?」
部屋のドアが開かれ、カドルの幼馴染であるトゥリエが姿を見せる。
彼女の体には怪我をない一方で穏やかなその目の下には泣きはらした跡が見えた。
「トゥリエ、どうしたん……」
「カドルー!!」
カドルの姿を見つけた途端、そのままベッドに突撃し、抱き着いてくるトゥリエ。
体がまだ回復しきっていないカドルは痛みに耐えながらもトゥリエを引き離そうととするが、肩に手を置くと彼女の体が、震えていることに気がついた。
「良かった……良かったよぉ……」
胸に顔をうずめ、声を震わせながら泣きじゃくるトゥリエにカドルは罪悪感を覚える。
カドルは今が茶猪王と戦った翌日だと思っていたが、実際にはもっと眠り続けていたことに薄々気づき始めていた。
(心配かけちゃったな……)
村の被害状況は気になったが、カドルはひとまず彼女を慰めることを優先することを決める。
だが、カドルの知りたかったことは予想外の形で知ることとなる。
「スティーブさんが死んじゃって、カドルまで死んじゃったらって思ったら……わたし、わたし……!」
「…………えっ?」
天暦990年、ランディア村に一人の英雄が生まれた。
英雄は、平和の村に襲いかかってきた恐ろしい魔物三体をその命と引き換えに倒した。
村人はこの一件を猪の厄災と名付け、英雄の勇気を讃えた。
その英雄の名前はスティーブというのだった。




