9.遊歩道
夕陽ヶ丘高校校舎から部室棟へ行くには、数百メートルほどの遊歩道を歩かなければならない。夕刻大学の部室棟と敷地を共有しているためだ。
遊歩道はところどころ蛇行しており、見通しは良くない。一部緑地の中を通るため、特に今の時期は茂った木々に陽光がさえぎられて薄暗い。照明がないわけではないが灯りと灯りの間が離れていて、しかもそれが蛇行した道の奥に設置されていたりすると、行く手が真っ暗に見える。
大勢でわいわい言いながら通る分にはいいけれど、夕方遅くに一人で歩くには不気味な道だ。
芽衣の所属する写真部の部室へも、この遊歩道を通っていく。
初めて歩いた時にはおっかなびっくり歩いたこの道も、今となっては通い慣れた……はずだったのだが。
嫌な話を聞いたなぁ。
芽衣はカメラを抱きしめて、周囲を注意深く見まわしながら進む。
前述の通り見通しの悪い蛇行した歩道ゆえ、魔女を目撃したというその先輩は、気付かぬうちに曲がり道の奥からきた生徒を見て“何もないところから急に現れた”と勘違いしたのだろう。
それよりも猫の首である。ニャーと鳴いたというのはどうせ聞き間違いであろうが、そもそも首が落ちていたらそれだけで嫌だ。芽衣にとっては魔女云々より、死んだ猫の首のほうがよほど怖い。
首が落ちてたってことは、身体もどこかにあるのかなぁ。もし見つけたら、かわいそうだし埋葬してあげたいけど、触れないだろうしなぁ。暑い時期だし、腐敗してたらどうしよう。嫌な想像をして、身震いする。
件の先輩が登校していない以上、魔女出現現場を特定して張り込むことくらいしか芽衣にできることはなさそうだった。
どうして魔女は遊歩道に出現したのか、魔女と猫の首に関連はあるのか、そもそもその先輩が見たのは本当に魔女だったのか。
意地と好奇心と怖いもの見たさと、それから多少の後悔が頭の中でグルグル回る。
茂みの下の隙間も忘れずに覗き込む。ついでに、見つけたカラスノエンドウやヒメウズ、ニワゼキショウなどの写真も撮った。
小さい花をドラマチックに撮影するなら、やっぱりマクロレンズが必要かな。お小遣いを貯める算段を立て始めたとき聞こえた音に、芽衣の意識がさっと現実へ戻される。
かさり。
ささいな音だった。
かさり。
植物の揺れる、小さな音。しかし確かな重量をもって、芽衣の耳に届く。
かさ。
芽衣は周囲を見わたした。目に映るのは鬱蒼とした木々ばかりで、音の発信源を特定できない。
かさ、かさり。
それでも確かに聞こえるのだ。何かの足音が。少しずつ、距離が縮まっているのが。
かさ、かさ、かさ、かさ、
迫る。見えない誰かが、芽衣に、
かさ、かさ、
確かに近づいて
「っ!」
芽衣は駆け出した。動かずにいることなんてできなかった。だって、そうだ。確かに聞こえたのだ。誰もいないはずの空間から、人間の息遣いが。生ぬるい生き物の吐息を、首筋に感じたのだ。
遊歩道を走り抜け、やっとの思いで高校の敷地にたどり着いた芽衣は、乱れた息を整えながら、今来た道を振り返った。まだ硬い革靴のせいで、踵が靴擦れを起こしている。
西日で赤く照らされる木々の隙間に、一瞬誰かが見えたような気がした。
あれが、魔女なのだろうか。
確かめに戻る勇気は、芽衣にはなかった。