17.陰日向
時刻はもう夜の九時を回っていた。電車通学の芽衣とは駅前で別れ、海斗と冷音は夕陽ヶ丘地区の自宅へと並んで帰る。聞きたいこと、話したいこと、確かめたいことはたくさんあるはずなのに、何から言葉にすればいいのかわからずに無言で歩くしかなかった。
商店街はまだ人通りが多くあまりにも日常で、先ほどの体験がただの夢のように思えてくる。
「さっきのあれってさ……」
海斗はぽつりと言う。
「……明日は学校、行っても大丈夫なのかな」
「悪い夢みたいなものだからね。普通にしてれば問題ないよ」
冷音の答えにほっとする。心も体も、疲労が限界に近かったのだ。何の根拠もなかろうと、冷音の「大丈夫」というその言葉が今の海斗にとっては唯一の拠り所だった。
冷音と別れ帰宅した海斗は、姉に一言「ごめん」とだけ言い残し、泥のように眠った。
翌日も、何事もなかったかのように朝は来た。全身が筋肉痛で辛い。昨夜は気づかなかったが、身体のあちこちに擦り傷ができていて、シャワーが沁みた。
冷音はともかく、芽衣は大丈夫だったろうか。帰りの時間が遅くなってしまったことも含めて心配である。
……が、海斗が思っていた以上に、河野芽衣という少女はたくましかった。
「ごめん!」
昇降口で早速鉢合わせた芽衣は、海斗を見つけるや否や駆け寄ってきて開口一番言った。
音が鳴るほど勢いよく頭の前で手を合わせたものだから、周囲の生徒たちが何事かと遠巻きに見ている。
夏服の袖から、絆創膏を貼った細い腕がのぞいているのが少々痛々しかった。
「わたしのせいで笹塚まで変なことに巻き込んじゃった。昨日はあの後大丈夫だった?」
潔さが男前である。海斗は慌ててフォローを入れた。
「おれは全然問題ない。そっちこそ、帰りの時間遅くて親に心配とかされなかった?」
「うちは基本放任主義だから平気。あちこちケガしてたから、何してたの?とは聞かれたけど」
写真撮るのに夢中になりすぎて転んだって言ったら簡単に信じてたよ、と言って笑う。
海斗と芽衣は並んで一年生の教室へと向かいながら、簡単に話をした。
昨日のことは三人の心にしまっておくこと。
おそらく冷音が何かを知っているだろうから、放課後に再度あつまって冷音を問い詰めよう、ということ。
それから、今後魔女に関わることで、単独行動はやめようということ。
B組の前で、芽衣はにっこりと笑って手を振った。つられて海斗も手を振り返す。じゃ、また放課後。芽衣はそう言って、ポニーテールを揺らしながらC組へと消えていった。
本当に、昨日のことは悪い夢だったみたいだ。芽衣の後ろ姿を見送って、海斗は自分の席に着く。いつも通りの朝。何の意味があるのかわからないホームルームに退屈な授業。全身の筋肉痛と擦り傷さえなければ、完全に日常なのに。
日常の裏側に、化け物の慟哭がこだましている。