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婚約破棄の、その後は  作者: 冬野月子


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4.船旅

『うーみーはー広いーなー大きーいーなー』

潮風の気持ちよさに無意識に口ずさむ。


「…お嬢様。それは何の呪文ですか?」

「あ…ええと…適当よ」

前世で馴染んだ歌を日本語で歌ってしまい、ルーチェは慌てて誤魔化した。

けれど今世で海など見た事がなかったのだ。

前世を思い出すのも仕方ないだろう。


ルーチェは侍女のサラと侍従、それに主治医を連れて船に乗っていた。

家を出てから五日後に港町へと着き、乗船したのが二日前の事だった。

明日には目的地の港へ着く予定だ。


「お嬢様。そろそろ部屋へ戻りませんか。海風に当たりすぎると身体に毒だとお医者様にも言われていますでしょう」

「そうだけど…風に当たっている方が船酔いしにくいのだもの」

波は穏やかとはいえ、揺れるものは揺れる。

前世と比べて医療が発達していないこの世界では、船酔いの薬も気休め程度のものしかない。

それに加えてルーチェは体調が良くないのだ。


船に乗った初日は大変だった。

酷い目眩と吐き気に襲われてベッドから起き上がる事も出来なかった。

今日になってようやく船上からの景色を楽しむ余裕が出てきたのだ。


「それでは羽織るものを持ってまいります」

「ええ、お願いね」

サラが船内へと入っていくのを見送ると、ルーチェは再び海上へと視線を戻した。

青い空に、太陽の光を反射して煌めく海。

遠くには異国の山々が見える。


(まるで地中海みたいね)

長閑で平和な景色は暗い心を癒してくれるようだった。



前世の記憶を取り戻してから…つまり誕生パーティーから二週間近く経った。

曖昧だった前世や、乙女ゲームの内容も大分思い出せた。


ルーチェの前世〝長瀬ひかり〟は二十五歳の会社員。

最後の記憶はこちらへと向かってくるトラックだから…おそらく事故で死んだのだろう。

(トラックにはねられて乙女ゲームの世界に転生なんて…そんなネット小説みたいな事が自分に起きるだなんて)


仕事が忙しくて出会いなんてなかった淋しさを紛らわせるように、スマホの乙女ゲームで疑似恋愛を体験するのがささやかな楽しみだった。

この世界はそうやって遊んでいたゲームの一つで、平民だった主人公が貴族の養女となり、王子や宰相の息子といった高位な立場の青年達と出会い、恋に落ちるという王道ストーリーだった。

攻略方法はそう難しくはない、初心者向けのゲームで。

簡単だったからこそ頭を使う事もなく、攻略対象者達との甘々な恋愛を楽しめたのだけれど。


「———ライバル役の立場からするとその甘々な空気を見せつけられるのはとても辛いのよね…」

呟いて、ルーチェはそっと右耳に触れた。



異変を感じたのは、エルネストとアンジェリカがキスしているのを見てしまった日だった。

それは誕生日パーティーの一カ月ほど前で…今ならば、あれは二人の好感度が高まった証の〝イベント〟のワンシーンだったのだと分かる。

けれどあの時のルーチェは何も知らず、ただただショックだったのだ。


家に帰り、顔色が悪いのをルキーノに心配されている時に突然耳鳴りを感じ———右耳が聞こえづらくなっている事に気づいた。

それは翌日になっても治らず、さらにその日から目眩や頭痛、ダルさなど様々な症状が出るようになったのだ。


それらの症状はエルネストのせいだと兄達や母は怒り、婚約を解消するよう父に迫ったのだが、王家との婚約をこちらから解消出来るはずはないと侯爵はそれを認めなかった。

更にルーチェに対し、王族は側妃を取るのが当たり前なのだから浮気の一つや二つ気にするなと言い放ち、更に家族達の怒りを買った。

そして誕生日パーティーでの婚約破棄騒動が起きた事で、完全にキレた家族達により父親は強制的に隠居させられ、領地の端にある別邸に押し込められてしまった。

———本当はその別邸は、ゲームでのルーチェが行く所だったのだけれど。


別邸は何代か前の侯爵家の家族を療養させる為に建てられたのだと聞いた。

そしてゲームでヒロインに負けたルーチェも壊れてしまい、その別邸へ送られる…というのがゲームでの王子ルートの結末だった。


———壊れてしまったのは現実の自分もだけれど。

この難聴を含めた身体の不調、これらは全てエルネストとアンジェリカの甘々ぶりを見せつけられ続けた事によるストレスから来ているのだと思う。

前世でも仕事のストレスから体調を崩した事があったが、その時の症状と今の状態はよく似ているのだ。



「エルネスト様…」

右耳に触れたままルーチェは呟いた。


ストレスからくる不調を治すには、ストレスの原因から離れるのが良い。

だからエルネストの事を忘れて新しい環境で穏やかに生活するのが一番良いのだろうけれど…


(忘れられるなら…こんな身体にはならなかったわ)


一目惚れだった。

初めて会ったエルネストはふわふわしたプラチナブロンドの髪も、水色の瞳も…その笑顔も、全てがキラキラしていて。

絵本で読んだ王子様そのものだった。

その容姿と優しくしてくれる態度に初めて会った日に恋に落ちたのだ。


互いに好感を持った事に安心した周囲がすぐに婚約を結び、それから八年間、ルーチェは王子の婚約者としてお妃教育を受けてきた。

大好きなエルネストと結婚する為だからとどんなに厳しくても頑張ってきたのに。

彼はあっさりと———突然現れたヒロインに心を奪われてしまった。


ゲームの中ではルーチェはヒロインのアンジェリカと張り合い、時に嫌がらせなどを行っていた。

けれど現実にはエルネストに苦言を呈する事はあっても、ルーチェからアンジェリカに接触する事はなかった。

見たくなかった。

あの二人が一緒にいる所など。


それでもお妃教育のために王宮に行かねばならず、何度も二人でいる姿を見せつけられて…徐々にストレスが溜まっていったルーチェの身体は、あのキスを見た事をきっかけに一気に体調を崩してしまったのだ。

それでも何とか表向きは体調不良を隠してきたが…婚約破棄をされた事が最後の決め手となってしまった。

完全に右耳は聞こえなくなってしまったのだ。




(今頃あの二人は…もう婚約したのだろうか)


ゲームのエンドロールで流れていたウエディングドレスを纏ったヒロインと、それを優しい表情で見つめるエルネストのスチルが脳裏によぎる。

それは悲しくて悔しい事のはずなのに…まだエルネストの事が忘れられないはずなのに。


「涙が出ないほど…おかしくなっちゃったのかな」


最後に泣いたのはいつだったろう。

エルネストがアンジェリカと親しくし始めたころは、二人の姿を見たりそれを思い出す度に涙が出ていたのに。


いつしかどんなに悲しくても、苦しくても。涙が出なくなってしまったのだ。


「エルネスト様…」

もう一度、ルーチェは愛しい人の名前を呟いた。

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