犯罪談義
前室には四人の人間が待機していた。そのうち三人は刑務官。私が無言でうなずくと、彼らも無言でうなずき返し、いそいそと執行室へと入っていった。後処理は彼らが担当してくれる。私は使用済みの注射器を分解し、収納ポーチに仕舞い込んだ。
「おつかれさん。今日もあたしの出る幕はなかったね。いや~、優秀でなにより!」
パートナーの加具土さんが、笑いかけてくる。彼女はプランC、死刑囚が暴れたときの押さえつけ係だ。
「どうも」
見え透いたお世辞に対し、私もわざと仰々しくこたえてみせる。
「これじゃあ、あたしは無用の長物だね。コートハンガーの真似事くらいしか、することないじゃない」
そう言って彼女は、私のトレンチコートを差し出した。
「背の高いあなたにはピッタリの役回りだと思いますよ」
軽口を叩きながら、私たちは前室を後にした。刑の執行を終えた執行官は、その日の業務は終了。刑の執行は必ず午前中に行われるため、午後は丸々休みになる。
「これからどうしようか?」
拘置所の玄関を出たところで、加具土さんが尋ねてきた。
「時間的にお昼でしょうね」
私はコートに腕を通しながら答える。
「いつものことながら、よく食べられるね。後味とか悪くないの?」
「そんなこと考えたこともありません。それよりケアする立場のあなたがそんなこと言っていいんですか?」
「それはまあ、そうなんだけどね……」
加具土さんが、ばつが悪そうに頭を掻く。執行官のパートナーには刑の執行補助という役割の他に、執行官のメンタルケアという役割もある。人の命を奪うこの仕事、精神に過度のストレスが掛からないわけがないというのがその理由。そこら辺の関連から、もしものときを想定したお目付け役という側面もあるらしい。
死刑制度の問題点は、受刑者が冤罪だった場合に取り返しがつかなくなるなど色々あるけれど、その中のひとつに、死刑囚を殺さなければいけない人間が必要になるというものがある。当然その場合の殺人は、違法性のない殺人だけれども、通常生活を送ってきた人間にとって、人を殺すという行為は簡単に割り切れるものではない。そしてそれは、どんなに機械化・自動化をしたとしても、必ず起点となる人間がいるという点で、解決が難しい問題となっている。かつての制度では、数名で同時に刑の執行装置の起動スイッチを押すなどして罪悪感の分散を図ったりもしたが、いたずらに罪悪感を抱く人間を増やすだけなのではないかという批判もあり、ここでは稀有なストレス耐性のある人間が、専任で刑の執行を行っている。つまり、それが私と私の仕事である。
「お昼、どこにする?」
駐車場に停めてあった加具土さん所有の、丸いフォルムの軽自動車に私たちは乗り込んだ。
「おすすめとかってありますか?」
私は助手席のシートベルトを締めながら応える。
「ないこともないよ。ここ、ここ。数量限定ランチメニューが評判のお店」
加具土さんが、車のナビ画面を指し示す。
「もう目的地に設定済みとか、行く気満々じゃないですか」
「もちろん! 今日の日程決まった時から計画してたから」
「こんな仕事の後なのに、後味とか悪くないんですか?」
私はここぞとばかりに、さっき投げかけられた質問をぶつける。
「それはそれ、これはこれ。人間、生きてる限りお腹は空くし!」
悪びれた様子もなく笑う加具土さん。それが彼女の本心なのか、私へのケアの一環なのかは正直わからない。
「それはそうと、ランチメニュー、数量限定なんですよね? 間に合うんですか?」
ゆっくりと開いていく拘置所の車両専用ゲートを、もどかしげに見つめている加具土さんへ問いかける。
「どうかなぁ? たぶん大丈夫じゃないかな、ちょっと急げば」
ゲートが完全に開ききるかきらないかで、加具土さんは車を発進させた。敬礼している刑務官に、答礼し終えたところで、私は再び声をかけた。
「急がば回れ。交通違反なんてやめてくださいよ」
「わかってるって。いくらあたしでも、この都市で交通違反する勇気なんてないない」
「ならいいですけど」
「とにかくここ、異常なくらい取り締まり厳しいからね。しかも、罰則も異常に厳しいし。なんか息が詰まっちゃう」
「私にはその感覚が理解できません。違反しなければいいだけの話じゃないですか」
「そりゃまあ、ヨミちゃんはネイティブだから……。でも、移住組のあたしにとってはねぇ……。歩行者の信号無視でさえ徹底的に検挙して隔離施設に放り込むなんて、はっきり言っていき過ぎでしょ?」
「そうでしょうか? これは他の法律違反についても言えることですが、程度の軽い重いが問題じゃないんです。違反をするしない、つまり、規範意識の問題なんです」
「え? つまり、どういうこと?」
「要するに、そもそも罪を犯すのは規範意識が無いからなんです。どんな罪を犯したかなんて結果論にすぎません。規範意識が無い人間は、状況次第でどんな罪にも手を染める、そういうものなんです。だから、例えどんなに小さな罪・違反だとしても、それが故意である以上、見逃すことはできないのです。その人物は、条件さえ揃えば重罪を犯す危険性があるので」
「あー。確かにストーカー犯罪とかで、まだ軽犯罪の範囲だからって放っておいたばっかりに、取り返しのつかないことになっちゃったっていうケースあるよね」
「そう。窃盗の容疑で捕まえた犯人が、強盗や殺人などの犯人だったというケースがよくあるそうです。重大な過失のある交通事故を起こした人間が、過去に交通違反を繰り返していたというのもよくあることです。彼らは規範意識が無いからこそ、様々な罪・違反を犯すのです。軽微な犯罪・違反だからといって、規範意識の無い人間を野放しにすることは、重大な事件・事故が引き起こされる可能性を放置することなんですよ」
「なるほどねぇ。犯罪・違反・交通事故を減らしたいなら、手間隙費用をかけてでも、とにかく犯罪・違反を取り締まれってことか」
「そしてそれは、大きな事件・事故を未然に防ぐだけでなく、犯罪・違反の抑制にもつながります」
「それはどうして?」
「処罰されることを前提にして、犯罪・違反を犯す人なんていません。だから、刑罰の重罰化による犯罪や違反の抑制効果は限定的なんです。犯罪・違反を犯す人間は、たいてい『自分だけは大丈夫』とか『バレなければいい』とか思っているものです。そんな輩に例外なんて無い・悪事は必ず露見するということを知らしめることこそが、一番の犯罪・違反の抑制になるんです」
「え? じゃあなんで、ここの刑罰は異常に厳しいわけ?」
「もちろん、ここの刑罰は、犯罪者を更生させて社会復帰させるためじゃなく、犯罪者を社会から排除するためにあるからです」
「確かに外の社会の再犯率見たら、更生が如何に難しいかってこと思い知らされるよね。でもさぁ、人には出来心ってものもあるじゃない? それで過ち犯しちゃった人たちにだったら、チャンスあげてもいいんじゃない?」
「それについては、ここで私たちが議論してもしょうがありません。システムでそう決まってるんですから。少なくとも私は出来心なんて信じませんけどね。ギャンブルとかタバコとかお酒とか、何事も手を出さない人は一生手を出しません。最初から選択肢にすら上ってこないものなんです。当然私も、今まで一度だってタバコが吸いたいなんて思ったことありません」
「ハハハ……」
苦笑いを浮かべながら、加具土さんは、取り出そうとしていたタバコをポケットに戻した。彼女のそういう察しの良さは、好感が持てるポイントだ。
「だけどヨミちゃん。タバコはそうかもしれないけど、お酒のほうはどうなの? 本当は飲まないんじゃなくて飲めないなんでしょ? ヨミちゃん、ちょっと飲んだだけですぐ真っ赤になって、その後真っ青になって、ケロケロやっちゃうもんね!」
ニタニタと笑いかけてくる加具土さん。私に対する腹いせのつもりだろう。彼女のこういう大人気ないところは嫌いだ。
「余計なお世話です。あなたにもこの薬、注射してあげましょうか?」
私は膝の上のポーチを、ポンポンと叩いた。
「残念! あたしも中和剤打ってるんだから効かないよ~」
次は私が憎まれ口を叩きつける番。でも、信号が赤から青に変わってしまったから、攻撃は一時停止。それを利用して、更なる辛らつな一撃を模索しようとしたとき、メッセージ受信を知らせる着信音と振動が、公用携帯電話から発せられた。
「あ、あたしだ」
「いえ、私です」
「二人揃ってかぁ……。もう、悪い予感しかしない」
加具土さんは、渋々の態で車を脇に寄せると、ハザードランプを点滅させた。
「略式だそうですよ」
一足先にメッセージを確認した私が、内容を告げる。
「終わった。限定メニューが消えちゃった……」
ハンドルに顔を埋め、ぐったりする加具土さん。
「残念でしたね。じゃあ、目的地、変更しますね」
私はそう言って、ナビを操作し新たな目的地を設定する。安全運転を喚起する音声ナビが流れたところで、加具土さんが起き上がった。
「そうだ! まだ、最後の望みが! もし方向が同じなら」
「残念ですが、反対方向です」
「もー、イヤ! 完全にヤル気なくした! 帰りたい!」
加具土さんが、再びハンドルに顔を埋めた。
「帰ってもいいですけど、いいんですか? 特別手当」
私の言葉に反応して、勢い良く身を起こす加具土さん。締りの無い顔で、後方からの車の流れを確認する。
「公務員たるもの、職務に忠実じゃないといけないよね!」
ハザードランプを消して、軽やかに車を発進させる。向かうは繁華街を管轄する中央警察署。そこに、本日二人目となる、私の職務遂行対象が待っている。