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第一章 こどもの頃は

夢うつつ

まどろみの中に僕はいる。

もう朝なのだろうか、僅かにあけた瞼にカーテンから漏れる眩い光が見える。

携帯電話にセットしてあるアラームはまだ鳴っていないのだからまだ大丈夫だろう。もう少し、このまま。

その矢先だ。けたたましくベルがなる。金属と金属のぶつかる嫌な音だ。この音は頭の芯に響く。

うるさい。音に向かって手を伸ばす。わかったから起きなきゃならない。今日も変わらない日々が始まるのだろう。わかってるからわがままは言わない。だからその音を止めてくれ。

僕が精一杯の力でそれを叩くと余韻を残してそれは止まった。

さて、おかしいな。最初に感じたのはそれだ。目の前にあるのは本棚だ。良く知っている。そこに積まれているのは僕が集めた漫画のコレクションだ。古本屋に行くたびに父さんに少しずつねだって買ってもらってここまで集めた。今はその蔵書は1000を超える。しかし、おかしいぞここにはそれが100冊もないじゃないか。代わりに並んでいるのは教科書だろうか。これも随分とまたなつかしいな。

いや、そうじゃない。ぼくは慌てて辺りを見渡した。

ここは僕の部屋だ。間違いない。僕は三兄弟の一番下だ。2階にある洋室は2つとも2人の姉が使っていて僕にはリビング直結の和室が個室として与えられた。何をするにもリビングにいる家族の気配を気にしながら生活を送る日々だった。しかしそれは5年以上昔の話。大学を卒業し、社会に出てからはこの部屋で寝たことはない。そもそも此処はもう存在しないはずだ。とっくの昔に荷物置き場と化しベッドなんかも撤去したはずだ。

なんだおかしいことだらけだ。壊れてしまったテレビもある。ブラウン管の箱型テレビ。いったいいぜんたいなんだってんだ。過去にでもタイムスリップしてしまったとでもいうのだろうか。

ブラウン管を覗き込む。そこに映るのは深淵なんかじゃなくて、これは…

「タイムリープだ」

そう呟いたのは変声期以前の僕の声だった。


第1章 こどもの頃は


母さんが若い。これは結構面白い。痩せているしそこそこ美人だ。けっして口には出せないけどね。

僕は今朝食を食べている。すごいな一汁三菜。普段はスライスチーズを乗せただけのトーストしか食べていないからなかなかに衝撃的だ。すごいぜ母さん。ありがとう母さん。心の中で3回言っておいた。

さてどうやら今は僕は小学校の3年生らしい。新聞の日付から逆算したから多分間違いない。季節は春。そしてこの日は僕の転校初日らしい。そういえばこの頃だったかこの町に来たのは。

とりあえず僕はどこぞの名探偵を馬鹿にできないくらい下手な演技でごまかしながら日常を過ごすことにした。母さんは今のところ特に不信感も抱いていないようだ。父さんはすでに出社しているらしくまだ見ていない。当面は大丈夫だろうか。身体はこどもで頭脳は大人。これじゃ漫画だ。変な薬は飲んでないし、空に青い蝶も飛んでない。こどもの頃に特別やり残したことがあるわけでもない。そりゃやり直したいことの1つや2つないわけじゃない。でも僕は幸せだった。中学校の頃から付き合っていた彼女と結婚し子供はまだだけど仕事もそこそこ順調だった。人生をやり直しても僕はまた同じ道を選ぶと思うくらいには満足していた。

どうしてこうなった。独白は誰にも聞かれていないはず。とりあえずトイレから出よう。母さんが誤解してお腹を下しているのかと勘違いでもしたら大変だ。あれを飲まされてしまう。露西亜を征した丸薬を出されてしまう。それは避けたい未来だ。

「ちょっと!朝からトイレで漫画でも読んでるんじゃないでしょうね!早くしてよ電車に乗り遅れちゃうじゃない!」

ドアノブに手をかける寸前だ。喉から今朝の卵焼きが出るかと思った。これは姉だ。間違いない。ひどく懐かしい。もう何年も会っていない。とても優しい大切な姉さん。この頃はすごく元気で思わず目頭が熱くなる。

「あっ!あんたまたお腹の調子悪いの?母さーん!ジュンがまた下痢してるー」

「まってまって!今出るから下痢してないから!」

慌ててドアを開ける。そうだった優しいのは大人になってからだった。この頃はあれだ。ただの女子中学生だ。トイレを我慢して変な顔にもなる小娘だ。再会が台無しだよまったく。

「どいて!」

押しのけられた。年頃の娘がはしたない。こう、なんだ女の子はもっと優雅に余裕を持って欲しいよね。

さて、準備をしなくちゃ鏡の前に立つ。初めてしっかりと自分を見つめる。これは子供だ。トイレの中で受けた衝撃ほどじゃないが、本当に子供に戻ってしまった。筋肉のない身体にあどけない顔、髪型もとてもダサい。何故なら母さんが切っているからだ。これはひどい。これじゃモテないよマイマザー。絶対にわかってやってるだろ。

僕は後ろの棚からセニングを取り出すとおもむろにジョキジョキとする。現状が酷すぎるからこれ以下になるってことはないだろう。

うむ。思ったよりいいね。しかし姉しかいないせいかヘアワックスのひとつもないのかこの家は。まぁいいや、ちょいとスプレーだけでもしようか。これ固める奴だったはず。

セット後の僕を見た母さんはご立腹だった。切った髪の毛とかはしっかり処理したのに何故なのか。あれかこどもはダサくてなんぼとでも思ってるのか。

次はいよいよ登校ですよ。最初は考える時間が欲しかったからサボろうかとも思ったけど、さすがに転校初日はマズイよね。下手したら警察届出出されちゃうよ。

学校の道のりは以外と遠い。小学生の歩幅は存外に狭いのだ。歩きながら古い記憶を辿る。たしか僕の他にも3人いたはずだ。


「古井戸潤一です。櫻宮小学校から転校してきました。わからないことばかりで戸惑うことも多くご迷惑をお掛けするかもしれませんが精一杯楽しく、みなさんと仲よく過ごしたいと思っています。よろしくお願いします」

一発目の挨拶は失敗だ。ついね、普通に考えたらよろしくお願いしますだけでいいよね。

「うーし、古井戸はしっかりしてるなぁ、俺の教師1年目の挨拶よりもしっかりしてるわ」

そう笑うのは担任の佐久間。常にジャージで水泳の時のブーメランは女生徒のトラウマになること請け合いだ。

「古井戸は桐生のとなりなー」

そう言って刺されたのは窓際の1席。桐生アリスの隣だった。

桐生アリス。彼女はとても大人っぽいこどもだった。高い身長に整った顔立ち、すらりと伸びた手足にませた子供らしくない話し方。当時は上級生のように感じた程だ。しかし性格はけっして明るくない。被害妄想が強くこの年のこどもにはありがちな悲劇のヒロインを好むような女の子だった。隣の席だったこともあり、1番最初に仲よくなったのはアリスだった。初めて自分の家に呼んだ女の子もアリスだったし、逆に初めて入った女の子の家もアリスの家だった。初恋ってわけじゃない。この頃の僕たちにはそんなものはまだ早くてただただ遊んでいただけだった。4人で行くはずだったプールが当日になって2人キャンセルになってアリスと2人だけになってしまって妙に意識してしまったのをよく覚えている。思えばあれが最後かもしれない彼女と一緒に遊んだのは。急に恥ずかしくなったんだろう僕は、距離を置くようになった。先生にも言われていたのに。アリスは友達を作るのが苦手だから仲よくしてあげてってそう言われたんだ。あんなこと普通言わない。たしかにアリスは変な女の子だった。1番覚えているのは夏の日の飛び降り自殺未遂。ある時アリスは何を思ったのか屋上の柵を越えて4階建ての校舎から足を投げ出した。飛んだ訳じゃない。手はしっかりと柵を掴んでいたし、死ぬ気はなかったと本人も言っていた。ただ足をブラブラと遥か高みから降ろしていた。その時になにか話した記憶はあるけど、なんだっただろうか。忘れてしまっている。アリスは変わった娘だった。その後はあまり話した記憶はないけどすごく美人に成長して僕とは違い偏差値の高い高校に進学した。そして2年の夏。彼女は死んだ。飛び降り自殺だったらしい。柵を掴み損ねただけなのか、それはもう誰にもわからない。


「よろしくね」

アリスがそこにいた。

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