第十二話:岐路
私は勘違いしていた。大樹は樹が自分を好きなことも、私が樹を好きなことも気づいていたのだ。
それでも、あの人は笑っていたのだ。何も知らないみたいな顔をして。
私はそのことに、大樹の葬式に出るまで気づかなかった。
三人で取った写真の、大樹の部分だけが拡大されて切り取られている、遺影を見て私は初めて気がついたのだ。
その微笑が、諦念と慈愛に彩られていたものであることに。
何て人だろう。こんな人に、私は……
私は思う。
大樹は神様だ。
間違えて人間に生まれてきてしまった神様。
私は神様を苦しめ続けていたのだ。
大樹。ああ。神様。
この悔恨と懺悔の念の中で生きるのなら。
私は貴方の下に行きたい。
でも、私は死ぬことなど望めない。
死んだ先にいる大樹はどんな顔をしているだろうか。
おそらく、大樹はやはり私を責めないだろう。
貴方がけして私を責めないのなら、私は死なないことで地獄を味わうのしかないのだろう。
私の罪を、誰かが絶つまで……
琉樹の日記はそこで終わっていた。
日記の最後の方に行くにつれて、繰り返し見る大樹が生きていた頃の夢の話ばかりが増え、琉樹の文字や文は荒れ、精神的に追い詰められていく過程がよく分かった。
それは、読んでいた俺も同じだった。
そこに書かれていたのは、俺が何一つ知らなかった事実。
知ろうとしなかった事実だ。
いつも丁寧に字を書く琉樹の、乱れ、震える字が眼に入る。
俺は自分の部屋で、思わず琉樹の日記を壁に投げつけた。
音を立てて床に落ちる日記帳。ページがめくれて、日記が途切れたずっと後のページが開けた。
本来何も書いていないはずのそのページには。
「たすけて、かみさま」
とだけ書かれていた。
ああ、大樹。琉樹。
俺は自分の心が予想外にも、動揺し、苛立ちながらも頭の片隅で平安を保っている事に驚きを感じた。
これは衝撃の大きさのせいなのだろうか。
いや、違う。
俺は心のどこかで、きっと分かっていたのだ。
琉樹が、何も知らない純心な幼馴染などではない事を。
認めたくなかっただけだ。俺の隣で美しく成長していく彼女が、何かに汚れてしまう事を。
その原因が、俺である事など。
何も知らない無垢な可愛い琉樹。
親友の死にショックを受けて、倒れてしまった哀れで弱い琉樹。
・・・・・・大樹に託された憎い琉樹。
俺はお前を守ってやらなくては。
俺がお前を守ってやらなくては。
愛しい。憎い。
だってそうだろう?産まれた時からずっと、と言っていいほど一緒にいるのだ。
だってそうだろう?目の前で、愛しい大樹を奪われたんだ。
それでも、お前は俺の光だったんだ。
お前が、いつか起き上がったなら、俺は大樹なしでも生きていける気がしてた。
二人で、大樹のいない世界を生きていける気がしてた。
お前は俺の希望の光だったんだ。
でも、お前は眼を覚ます事はないだろう。
俺は、琉樹が眠りに落ちた理由がようやく分かった。
俺には分かるよ、琉樹。
お前は、大樹のいない世界で、俺と二人きりでいる事など出来ないだろう?
それは地獄ではないから。
大樹の願った通りに、俺とお前が結ばれたなら、お前の罪悪感は一生お前を苛むだろうから。
かといって、大樹の、神様のいる世界になどお前は行けやしない。
お前をけして責める事のない神様の下へなど。
乱れる思考。揺らぐ視界。
どれほど、何も考えられないほどの感情の海を漂っていただろうか。
大樹。大樹。
少しずつ思考の乱れが収束し、整列され、先鋭される。
頭の中で乱舞していた言葉が、一つになる。
俺の、たった今崩れ落ちた世界の真ん中で、最後に残った言葉はやはり「大樹」という、俺の全てだった人の名前だった。
憎い。幸せにしたい。嫌い。癇に障る。尊敬する。会いたい。好き。見たくもない。嬉しい。寂しい。殺したい。一緒にいたい。殴りたい。一つになりたい。苦手。傍にいて欲しい。触って。見下す。壊したい。むかつく。抱きしめたい。苛めたい。甘やかしたい。独占したい。閉じ込めたい。
そして何よりも、
俺はお前が愛しくてたまらない―――
大樹。大樹。大樹。ああ。
俺はどうしたらいいだろう。
俺の世界からはもう、琉樹も、神様も消えてしまったよ。
本当に俺一人なんだ。
大樹。ああ神様。
お前は俺にどうしろと言うだろう?
お前は俺に何を望むだろう?
いや、そんな事よりも。
俺はお前を幸福にしてやりたいよ。
お前が、犠牲になる道なんてもう要らない。
お前が、死んでからも我慢する必要なんて何一つない。
もう、いいんだ大樹。
そのために俺が出来る事は・・・・・・
お前が泣いて嫌がっても。
お前が俺のした事に怒っても。
俺はそれでも、お前が幸福になるように動くよ。
ああ大樹。俺の神様。
・・・・・・愛してるよ。