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第一話:紅月

 呼吸も出来ない様に、蒸し暑く、風も吹かない外と比べ、中は信じられない程涼しい。

 通い慣れた白い道。 そこを通る人はいない、とは言わないが、殆どいない。

 時折すれ違う人は白い服を纏う。そして、どう見たって場違いな俺に何も言わない。

 此処に来ると、あらゆる感覚が麻痺する。

 ……此処は墓所と同じだ。そして自分達のしている事は徒労に過ぎない。

 眠る者を呼び覚ます事など、出来やしない。

 何時からかそう思う様になった。祈っても、囁いても、泣いてみせてすら、彼女は目覚めなかったから。

 けれど俺は此処にひたすら通い続ける。何度でも、何度でも。

 ただ、約束を果たす為に。


 白い部屋に眠る彼女は、綺麗だ。

 白い肌。対照的に黒く、緩やかに波打つ長髪。紅をはいたかの様に赤い口唇。長い睫毛。

「今日も来た。いい加減同じ顔ばかりで鬱陶しいか?」

 声をかけ、胸で組み合わされた手の甲を撫でた。

 耳に刺さる沈黙の音。

 置いてある椅子に腰掛け、鞄を適当に放る。

「よくもまぁ、長々と飽きずに眠っていられるな。飽きないのは見ている夢のせいか?」

 音の途切れから逃げる様に矢継ぎ早に言葉を吐き出す。

「どんな夢を見てるんだ?まだ奴がいた頃の夢か?それとも奴の事はもう思い出しもしないのか……?」

 眼前の彼女はただ安らかな寝息をたてる。

 それでも俺は話しかけるのを止めない。

 自分の声だけが響くのがどれだけ虚しいとしても、だ。

「もうすぐ夏になる。紅月が好きな季節だろう?休みに入ったら、もっと長く此処にいられる。お前にとってそれが良いかどうかは分からないけどな」

 そっと、不健康な程白い彼女の頬を撫でた。自分よりは白く、けれど血の通う肌。

「あ、その前に定期試験があるな。まぁ大丈夫。ちゃんと勉強はしているよ。俺より成績が良いのなんか奴位さ……」

 俺はけして、彼の名前を口に出さない。

 口に出したなら、持っていかれそうな気がする。

 彼の記憶を、胸に燻る感情を。

 胸が熱い。失った想い出は時に、俺の心をギリギリ絞る。

 ギリギリ、ギリギリ。心臓がきしむ。

 慣れた筈なのに。激情を諫める事にも、感情を表に出さない事にも。

「何で、お前の前では泣いてしまうのだろうな……?」

 彼女は、答えない。応えない。

「なぁ?最近こんな風に考えるんだ」

 目尻から零れる雫が腹立たしい。

「俺も、お前の様に夢の中で生きたいって……」

 零れた涙は、彼女の手の甲に落ち、首から下げられたネックレスにも落ちた。

 俺はそのネックレスを恨みがましく見つめた。

「お前が羨ましいよ……俺には何もない。所詮、浅ましい横恋慕だったって事だよな……」

そのネックレスを、粉々に壊してやりたかった。

 けれど俺にはそんな事は出来やしない。

 彼が遺して逝った物を壊すなど。奴のいた証しを、薄れさせてしまう事など。

「お前は今、幸せ?」

 返事はなく、寝息のみ聞こえる。

「お前は今、幸せ?……俺がしている事は、正しい?」

 彼女は眠る。表情も変わらない。

「答えてくれよ……」

 結局、俺一人が残ってしまった。俺、一人が。

 狂おしい程の郷愁を抱えて、何事もなかった様に生きて。

 自分に嘘を吐く事ばかりに慣れて、虚しくなって。

 あの時、俺はきっと一度死んだ。

 けれど神様は、彼の居た事を嘘にしない為に俺をこの世に留めたんだ。

 神様。俺に彼の居ない偽者の世界を見せる、意地悪で限り無く冷たい残酷な神様。

 けれど神様は、彼の居た事を嘘にしない為に俺をこの世に留めたんだ。

 神様。俺に彼の居ない偽者の世界を見せる、意地悪で限り無く冷たい残酷な神様。

 けれど、それが彼の為なら俺は……

「悪いな。……此処に通うのはお前の為じゃあないんだよ……」

 彼女は美しい。それに誰にだって優しかった。

 俺とは、違って。

「奴が言ったんだ。『琉樹をよろしく』と言ったから……」

 そんな告白にも返事はない。否、静寂という身を焦がす様な痛みと、拒絶はあったが。

 目線を上げ窓を見た。暗い夕陽はただ俺を無言で照らす。。

「明日も来る。明後日も。来週も。来月も。来年も。ずっと。お前が目覚めるまで」

 もしも。

 もしもいつか彼女が目覚める日が来たならば。

 そうしたら言おう。

 あの三人で過ごした本当に幸せだった日々。

 どの一日も忘れる事が恐ろしくて堪らない程に明るかった日々。

 けれどそんな中で。

 俺は暗い気持ちを抱かずには居られなかった。

 俺はベッド脇の小さな台に置いてある写真立てを手にとった。

 埃のかぶった、俺と彼女と彼と。

 満面の笑みでピースをする二人の間で、俺が何とも微妙な表情を浮かべる写真。

 幸せで、けれどどうしようもなく腹立たしい。青臭かった俺。

 その三人で映る写真を破きたくて堪らなかった。

 彼女には分からない。きっと彼にも分からない。

 二人は聡明だが、人の悪意を理解出来ない。

 だから彼女には言わなければならない。

 きっと気付く事はないのだろうから。

「俺は、お前を何度も殺そうとした事があるのだ」と。

「今でも、お前を憎まずには居られないのだ」と。


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