lesson.7
文化祭当日。
我がクラスのコスプレ喫茶は思いのほか好評で、まさにネコの手も借りたいほどの忙しさ。
予想はしてたけど、折角、来てくれたお兄ちゃんと話すこともままならない。でも、もしヒマだったとしても、上手く話せたかどうか分からない。
だって――
10分ほど前に来店したお兄ちゃんの隣には菊池さんがいて。
「一緒に行くってきかなくってさ」
なんて、困ったように頭をかいたお兄ちゃん。
本当にそれだけなのかな、と嫌でも勘ぐってしまう。今だって仲良く話してるし。
「はぁ……」
他のテーブルを片付けて、教室を二分しているパーテーションの裏に入るなり、私は溜息をついた。
「なにそのふくれっ面」
色んな人に声をかけられていたウサギちゃん、もとい、奈津子がからかうような調子で言ってくる。
「……しょうがないでしょ」
両手でほっぺを押さえながら、そう返す。
奈津子は「まあねぇ」と頷くと、パーテーションの隙間からお兄ちゃんたちの席を窺いみた。
「あの女がライバルだったら超手ごわそう。っていうか、亜美に勝ち目なさそう」
「そこまで言わなくても……」
自分でも薄々思っていたことを言われて、がっくりと落ち込む。
奈津子がぽんぽんと慰めるように私の肩を叩き「落ち込むよりもまず突撃! これ大事。テストに出るから」と、にこやかな笑顔で言い放った。
「……意味が分かんないんだけど」
「あの仲良しさんたちの席に突撃するってことよ」
言うなり、奈津子はパーテーションから出て行こうとする。
「ダメだよ。仕事まだあるでしょ」
私は慌ててその腕を引き止めた。けれど、奈津子はやっぱりにこやかに。
「仕事より大事なものがある! 亜美が行かないなら私が行く。ぶっちゃけ、お兄ちゃんと話してみたいし」
「それが本音なんじゃん」
「だってさー、マジでイケメンじゃん。正直、もっとヒョロヒョロでぼさぼさ頭のキモメン想像してた」
そんなキモそうな人、好きにならない、と思う。
でも、どうだろ? 中身がお兄ちゃんだったら? 好きになったのかな?
うーん、想像できない。とりあえず
「お兄ちゃんは、かっこいいって言ったでしょ」
「うん。だから、一応、狙ってみようかと」
「なっ!?」
聞き捨てならない奈津子のセリフに言葉を失う。
奈津子は固まる私の目の前で手をひらひらさせたり、ほっぺをつんつん小突いてきたり。
そして、私がフリーズしてるのを確認し終えると「冗談冗談。私は友情を大事にする女ですよ」と、感情のこもっていない声で言った。
「……メチャクチャ棒読みなんですけど」
「あははー。と、冗談はさておいて、少しくらいならサボっても大丈夫でしょ。ちょっと話しにいこうよ」
「な、奈津子ー」
腕を引っ張られるがままにパーテーションの外に出る。
少しの間、サボっていたのを咎めるように、クラスメイトが、じとっとした目で私たちを見てくる。
「ねぇ、奈津子。まずいって。これ以上、仕事サボるの」
「大丈夫大丈夫。あとで話つけるから」
奈津子はそう言いながらも、クラスメイトに両手を合わせて無言のお願いをしている。
あとでじゃなくて、今、話つけてんじゃん。ってのは、おいといて――気がつけば、お兄ちゃんたちのテーブル近く。
「亜美ちゃん、もう終わったの?」
お兄ちゃんが聞いてくる。
「ま、まだだけど……」
「お兄ちゃん、この格好気にいってくれたかな? って亜美が心配そうだったから、つれてきちゃいました」
奈津子が口を挟む。まったくの大嘘だ。
文句の一つでも言おうと、奈津子を睨んだ。その時
「あ……えっと、よく似合ってるよ。すごくカワイイ」
お兄ちゃんが顔を赤くしながらも言ってくれた。
騙されてるよ、お兄ちゃん……
でも、嬉しくて、奈津子のウソにちょっと感謝。
「ホントすごくカワイイよ、亜美ちゃん」
「え? あ、ありがとうございます」
菊池さんに言われると、ちょっと複雑。
「私はどうですかぁ?」
「えっと……いいんじゃないかな」
奈津子の問いかけに、お兄ちゃんは困ったように答え、チラリと助けを求めるように私を見てきた。
それもそのはず。お兄ちゃんと奈津子は初対面だ。誰かも分からない人に馴れ馴れしくされたら、困って当たり前。
「お兄ちゃん、この子、奈津子っていって私の友達なの」
仕方なく、奈津子を紹介する。
すると、お兄ちゃんは
「いつも亜美ちゃんがお世話になってます」
なんて、天然なんだか本気なんだか、よく分からない言葉を真顔で言ってのけた。ぷっと奈津子が小さく吹き出す。隣で菊池さんもクスクス笑っている。
それにも気づかずお兄ちゃんは「片瀬亮です、よろしく」と言葉を続けた。
笑いを堪えていた奈津子が小さく咳払いをすると「よろしく、亮くん。はい、シェイクハーンズ」と、お兄ちゃんの手を取り、握手をした。
お兄ちゃんは目が点。私もだけど。驚いている場合じゃない。
変に思われないよう、さりげなく、奈津子とお兄ちゃんの間に割って入る。
「お兄ちゃん、私たちまだ仕事あるからそろそろ……えっと、菊池さんと色々まわってきたら?」
「え、でも」
「だって、ずっとここだと退屈でしょ? 終わったらメールするし、ね?」
奈津子が口を挟めないように矢継ぎ早に言う。
お兄ちゃんは少し考えて「んー、じゃあ、そうしようか?」と、菊池さんに向けて言った。
「そうね。高校なんて久しぶりだし、楽しいかも」
菊池さんが頷き、二人は立ち上がる。
私はそんな二人が教室を出て行くのを見送って、はぁ、と溜息をついた。
「こーのバカちんがぁっ!」
奈津子が某ドラマのクサいセリフばかり言う先生の真似をして、私の頭をぺしっと叩く。
「いったいなぁ」
「あんたって、ワケ分かんない。あれじゃ、応援してるみたいじゃん」
「分かってるよ……」
「せっかく、私が応援してあげてんのに」
やれやれと言いださんばかりの態度にカチンときた私は文句を口にする。
「なに言ってんの、奈津子がお兄ちゃんにベタベタベタベタするから悪いんじゃん」
「あの女の様子を探ってたのよ」
「本当に?」
「ううん。本当は、あわよくば私が亮くんをゲットしようかと」
信じた私がバカだった。がっくりと肩を落とす。
「やっぱりそっちなんじゃん」
「ウソウソ。そんなことするわけないでしょ。私は恋愛より友情を大事にする女で有名なのに」
「はじめて知ったよ、そんなの」
「そりゃ、そうでしょ。今、そういうことにしたんだもん」
ケロッと言い切る奈津子にもうなにか言う気力もない。私は奈津子を置いて仕事に戻った。
「ちょっと亜美」
奈津子が慌てて追いかけてくる。
そして、私が気づかなかったことを小声で教えてくれた。
お兄ちゃんの態度。
私以外の人と話している時のお兄ちゃんは、赤くなったり、しどろもどろになったり、しないってこと。
他のコスプレ店員たちを見てもそうだったってこと。
それってつまり、私のことを意識してるってことなんじゃないかなって。
********
『終わったよ~^^』
クラスでの仕事が終わったことをお兄ちゃんに教えるメールを送信する。
『そこで待ってて。すぐに行くから』
すぐに返事が返ってくる。
はーい、と心の中で返事をして、私は教室の入り口でお兄ちゃんが来るのを待つことにした。
ちなみに奈津子はというと、委員長にもう少しだけ教室に居てほしいと懇願されて、珈琲を運んでいる。
渋々、引き受けたみたいだけど、さっき来たお客さんと意気投合したみたいで、今は楽しそうにその人と喋っている。だから、結果的にはよかったのかな。なんてことを考えていると
「ねぇ、君さ、さっきメイドしてた子でしょ?」
いつの間にか私の前には見知らぬ男の人。
お兄ちゃんと一緒の年くらいだろうか? でも、雰囲気が全然違う。ちょっと怖い。
「俺、客でいたんだけど覚えてない?」
覚えてない。私の返事を待たずにその人は言葉を続ける。
「ところで、もうヒマなの? 俺、ダチとはぐれちゃってさー、ヒマなんだよね。よかったら一緒に回ってくんない?」
「え?」
「いいっしょ? ね? ね?」
「いえ、あの、私、待ち合わせしてるんで」
「えー、そんなこと言わないでよ。いいじゃん、行こうよ」
そう言って、男の人は私の腕をつかんでくる。
ちょっとなんなの、この人。怖すぎる。奈津子は、全く気づいてないし。どうしよう。どうしたらいいんだろう。お兄ちゃん――心の中でお兄ちゃんに助けを呼んだ、その時。私の声が聞こえたかのようなタイミングで、お兄ちゃんが来てくれた。
「俺のカノジョになにしてんの?」
そう言って、お兄ちゃんは私の腕をつかむ男の腕を乱暴に振り払い、私を引き寄せる。
男の人はチッと舌打ちして、走り去っていった。
お兄ちゃんはその背中を確認すると、ふぅっと溜息をつき、私に視線を向ける。
「大丈夫だった? なんか変なことされたりしてない?」
「う、うん。ちょっとしつこくて怖かったけど」
「ったく、こんなとこでナンパとかすんなよなぁ」
男の人が走り去った方に再び視線を戻し、お兄ちゃんはぶつぶつ文句を言う。私も同感。
でも、そんなことよりさっきのお兄ちゃんの言葉。
俺のカノジョって。それって私のこと、だよね? それってつまり。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「ん?」
「さっき、私のこと……カ、カノジョって言ったよね?」
私の言葉にお兄ちゃんは私が気分を害したと勘違いしてるみたい。さっきの頼もしい姿とはまるで別人のように、かなりわたわたしながら
「あー、えーっと、ご、ごめんね。ほら、知り合いって言うよりカノジョって言った方が効果あるっていうかなんていうか……その、嫌だったよね、いきなりそんなこと言われたら」
そう謝ってくる。
少しも嫌じゃなかったのに。ううん、むしろ、嬉しかった。そう言ってもらえて。
だから。
「嫌じゃ、なかったよ」
「え?」
「お兄ちゃんのカノジョって言われたの、嫌じゃなかったよ」
私は私の気持ちを素直に伝えた。
ドキドキと心臓が早鐘を打つ。上手くお兄ちゃんの顔が見れなくて、目を伏せる。
お兄ちゃんは、今、どんな顔してるんだろう。今の私の言葉をどう思ったんだろう。
お兄ちゃんは何も言わない。
周囲はざわざわと騒がしいのに、私たちの周りだけ音が消えてなくなったみたい。
私は耐え切れなくなって視線をあげた。と、同時に、手に、手の感触。
びっくりしてお兄ちゃんを見ると、お兄ちゃんは「よかった」と、はにかんだ笑みを浮かべて言った。
よかった?
一瞬、意味が分からなくて?マークが頭に浮かぶ。
でも、すぐに気づく。私が嫌がってなくてよかったってことかなって。
そういうことじゃなくて……本当はもっと別の言葉を望んでいたんだけれど。繋いだ手からストレートにお兄ちゃんの思いが伝わってきて、今日のところはこれでいいやって思ってしまう。
私は、お兄ちゃんの手をぎゅうっと握りかえす。
お兄ちゃんは、一瞬ビックリしたようだけど、同じようにぎゅっとしてくれた。
「な、なに見て回ろうか?」
照れ隠しなのか、お兄ちゃんが唐突に聞いてくる。
けど、正直、私はもうこのまま帰りたい気分。幸い、クラスの仕事は終わっているし――
「ねぇ、お兄ちゃん」
「ん?」
「今日はもう帰ろっか?」
「え? いいの?」
「うん。お仕事ない人は、いつでも帰っていいことになってるから。ほら、結構、帰ってる人たちいるでしょ」
そう言って、窓の外を見やる。お兄ちゃんもそちらに視線を動かす。
「亜美ちゃんの学校ってホント自由だね」
「うん。私もそう思う」
「じゃ、帰ろうか。家まで送るよ」
「ありがとー。あ、そういえば、菊池さんは? 一緒じゃなかったの?」
さっきのごたごたでうっかりしてたけど、お兄ちゃんは助けてくれた時からずっと一人だ。菊池さんの姿が見当たらない。
「ああ、菊池さんなら亜美ちゃんのメイド姿が見れたから満足とか言って帰ったよ」
「そ、そうなんだ……」
さすがに私のメイド姿目当てってことはないだろう。もしかして、気を遣ってくれたのかな?
とにかく、二人っきりなことに感謝しながら、私はお兄ちゃんと手を繋いで家に帰った。