lesson.6
文化祭まであと三日。準備もいよいよ大詰めを迎えて、学校中があわただしい喧騒に包まれている。そんな中、奈津子が言った。
「例のカテキョのお兄ちゃん、文化祭に呼ばないの?」
「え?」
私は奈津子の問いかけに思わず作業の手を止める。
「だからー。例のカテキョのお兄ちゃん、文化祭に呼ばないの? って言ったんだけど」
「それは聞こえてたけど。なんで呼ぶの?」
「そりゃ、付き合ってたら当然でしょーが」
奈津子の勘違い。悔しいけど、私とお兄ちゃんはまだそんな仲じゃない。
私が黙っていると、奈津子はまずいことを聞いたという風に顔をしかませ「……もしかして、もう終わってる?」と、言った。
なんてことを!
「終わってないよ。始まってもないし」
即、否定する。すると、奈津子は目を丸くさせた。
「ウッソ!? あんた、それじゃ、今までなにしてたの?」
「なにって……勉強」
「じゃなくて……告ったり告らせるようにアピったりしなかったの?」
「し、してるけど、お兄ちゃんは鈍いし、照れ屋さんだし」
そこがいいんだけど、なんて言ってると、奈津子は呆れたように頭を振り
「……それってさ、女として見られてないんじゃない?」
なんてことを!!
「み、見られてるよ! ……多分」
即即、否定する。奈津子が、はっと鼻で笑う。
「その根拠は?」
「だって、キ、キスしてくれたし……ほっぺにだけど」
「今時、ほっぺって。小学生以下じゃん。お兄ちゃんって大学生でしょ。ありえないんですけど」
「ありえないって言われてもありえるんだもん」
「あー、分かった。ぶっちゃけ、お兄ちゃんってブサメン?」
「な! お兄ちゃんはカッコイイよ。ちょっと頼りないだけで……」
「カッコよかったら、普通もてるじゃん? そんな照れ屋さんとか考えにくいんだよね。慣れるだろうし」
「……それは、女の子に免疫があんまりないからだよ。お兄ちゃん、中高一貫の男子校だったし。私ががっちりマークして、近寄ってくる女の人は追い払っちゃってたし」
そう、お兄ちゃんがあんなにシャイで初心なのは、半分、いや、それ以上、私のせいでもあるのだ。いくら子供だったとはいえ、ちょっと悪いことしたなって今は思ってたりもする。
「まぁ、イケメンでもブサメンでもいいんだけど、文化祭には呼びなよ」
「どうして?」
「亜美が意外とモテること知ったら、なんか進展するかもよ」
「ありえないよ。私、モテないし」
私は溜息をつく。
奈津子が分からないという風に首をひねった。
「なんでそこまで嫌がるかなぁ?」
そんなの理由は簡単。うちのクラスの出し物。なにをとち狂ったのか、コスプレ喫茶なんてものをやることになっている。女子も男子も公平にくじ引きで、コスプレするものを決めたんだけれど。
「あー、分かった。メイド姿が恥ずかしくて見られたくないとかぁ?」
奈津子がポンと手を叩き、言った。
図星だ。コクリと頷く。
そう、私は『お帰りなさいませ、ご主人さま』ってやつで、有名なメイドさんの格好をすることになっている。
でも、これはまだマシな方。なんたって、本当はバニーガールだったのだ。
くじを持ったまま固まる私を見て、奈津子が代わってくれたから、なんとか出来る範囲のコスチュームになったけれど、それでも、やっぱりお兄ちゃんに見られるのは恥ずかしい。
「ふーん、なるほどねぇ」
「だから、いいの。お兄ちゃんは呼ばなくて」
「いや、絶対呼んでもらう」
「なんでよー?」
「ぶっちゃけ、私がお兄ちゃんを見てみたいから」
奈津子はさも当然と言わんばかりに言った。ガクッと力が抜ける。
「あのねー、奈津子」
「そうそう、もし、呼ばないなら衣装交換なし」
「ちょっ、ちょっと待ってよ!? なにそれ」
「脅迫というものです」
「あぅ……」
にこやかな奈津子の脅迫に私は抵抗する手段を持っていなかった。
********
そんなわけで。
二人きりのいつもの時間。休憩中に、私はお兄ちゃんに切り出してみた。
「お、お兄ちゃん」
「ん?」
「あ、あのね、今度の土曜日ってヒマ……じゃないよね?」
恐る恐る聞いてみる。
もし、ヒマじゃなかったら恥ずかしい格好を見られなくてすむわけで。
なかば祈るようにお兄ちゃんの返事を待つ。
でも
「多分、ヒマだよ」
お兄ちゃんは、そうニコリと笑った。
「そ、そうなんだ。なにか予定入る予定は?」
「予定入る予定? ないと思うけど、なんで?」
「あ、ううん。大したことじゃないんだけど……」
「うん? なに?」
こうなったら仕方ない。バニーガール姿を大勢の人に見られるよりは、メイド姿の方がまだマシだ。
「えっとね、これ、文化祭のチケット」
意を決して、ポケットの中に用意していたチケットをお兄ちゃんに差し出す。
「もし、来れたら……来て」
「あ、う、うん」
「無理しなくていいから。用事入ったらそっち優先し」
「なにがあっても行く」
私の言葉を遮って、お兄ちゃんが言う。
いや、そこまで力いれなくても……ちょっと嬉しいけど。
それから私たちは、文化祭当日の予定を話し合った。
それで気づいたんだけど、メイド姿をお兄ちゃんに見られないようにするのは、案外、簡単なことなのかもしれなかった。
午前中、私はコスプレ喫茶の仕事があるので、お兄ちゃんと一緒にはいられない。
だから、お兄ちゃんが午後から来てくれれば、その時にはもういつもの制服姿の私に戻っているっていう寸法だ。
そう考えて、コスプレの部分は伏せて、お兄ちゃんにそのことを伝えると「働いてる亜美ちゃんも見に行くよ」と、にこやかに言われてしまった。
コスプレ喫茶だって知ったらどんな顔するんだろう。
っていうか、メイド姿を見られることを抜きにしても、私のクラスを見に来るのはやめてほしかったりする。
だって、結構エッチィコスプレがあるんだもん。お兄ちゃんがそっちをガン見しちゃったりしたら、なんかすっごくヤだ。
多分、ないと思うけど。それなら私のことガン見の方がいいかも。
なんにせよ、ただの喫茶店じゃないってこと、お兄ちゃんに言っておいたほうがいいかもしれない。教室のドア開けた瞬間、驚きのあまり卒倒なんてされちゃったら困るし。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「なに?」
「お兄ちゃんってコスプレ、好き?」
丁度、お茶に口をつけていたお兄ちゃんは、私の問いに「ぶはっ」とむせて咳き込んだ。
「だ、大丈夫?」
「……だ、大丈夫だけど」
まだ少し苦しそうな声で答えたお兄ちゃんは一度、咳き込んでから「急に変なこと聞かないでよ」と続けた。
「うん、ゴメンね。それで、好き嫌い、どっち?」
「えっと……なんで?」
「……文化祭でするから」
「コスプレを?」
「そう。コスプレ喫茶、みたいな」
お兄ちゃんの目がまん丸になる。それから「最近の高校ってすごいな」と感心したように言った。
「っていうか、うちの学校フリーダムすぎるの」
「なるほどね」
まん丸だったお兄ちゃんの目はもう落ち着きを取り戻して、柔らかく細められている。
「亜美ちゃんは、どんな格好するの?」
「え? ……メイドさん」
「へぇ。それは見ないともったいないね」
「え!?」
「メチャクチャ楽しみになってきた」
お兄ちゃんはうきうきしたように言う。
ちょっとお兄ちゃん?
なんかキャラが違うっていうか、もしかして、すっごくコスプレ好きですか?
今まで知らなかった事実に、私は色んな意味で不安になった。